2021年10月13日
【カリギュラ効果】「歩きスマホはダメ」と言うのは、スマホゾンビを増やす狙いもあるのではないか。
街中を歩けば聞こえてくる
「歩きスマホは危険だから止めましょう」
駅の壁には、そこかしこにこんなポスターが貼ってある。
「歩きスマホ・ダメ・ゼッタイ」
歩きスマホによって大きな事故が起きているし、
いろいろな弊害も知られている。
だから「歩きスマホはダメ」と言うことは正しいと思う。
だけど、
どこへ行っても「歩きスマホはダメ」と言い続ける意図は、
本当に「危険だから止めましょう」だけだろうか。
人が集まる場所で、繰り返し流す情報であるからには、
別の意図も隠されているのではないだろうか。
もしかすると、
「ダメと言われたら余計にやりたくなる心理」を利用して、
スマホ中毒者を増やしたい狙いもあるのではないか。
スマホゾンビを増やし、国民から考える力を奪うことで、
支配層の思い通りに統治しやすくする狙いもあるんじゃないか。
ー目次ー
人間には「ダメと言われるとやりたくなる」心理がある。
これを「カリギュラ効果」と呼ぶ。
カリギュラ効果の懸念について、
2ちゃんねる創設者のひろゆき氏は著書の中で、
香川県で成立した「ネット・ゲーム依存症対策条例」をあげている。
「歩きスマホは危険」と訴えることにも、
ネット・ゲーム依存症対策条例と同じように
カリギュラ効果が発動する可能性がある。
「禁止」「ダメ」「止めなさい」
そう言われたとき、
「確かに危ないから止めよう」と思う人がいる一方、
カリギュラ効果によって
「そんなこと言われたら止めたくないな」と思う人もいる。
「歩きスマホはダメ」と言い続けるのは、
そういう人が一定数、出てくれることへの期待も
あるんじゃないだろうか。
歩きスマホを止めたくない人が一定数いることで、
それを見た人が「同調行動」してくれることも期待できる。
「赤信号みんなでわたれば怖くない」と同じように、
「みんな歩きスマホをやっているから自分もやっていいだろう」と思う。
ダメと言われているけど、みんなやっている安心感。
そこへ、仮想現実からの追い立てが加わる。
ゲームなら
「いまいいところだから」
「つらい現実より楽だから」
SNSなら
「早く返信しないと仲間はずれにされるから」
「”いいね!”の数が気になって仕方ないから」
ニュースや地図アプリなら
「時間がもったいないから」
「ただ歩いているだけなんてヒマだから」
『歩きスマホによる事故?
みんなやっているけど、事故なんて見たことない。
みんな大丈夫だから自分も大丈夫』
ダメと言われるとやりたくなる心理と、
みんなやっているからやりたくなる心理。
そして、仮想現実からのお誘いと追い立て。
これらが合わさったスマホゾンビの徘徊は、今日も続く。
スマホ中毒者を増やすメリットは、
現実を考えさせる力を奪い
支配者や富裕層のやりたいような統治ができる
というもの。
支配者にのぼりつめた者は、支配者のままでいたい。
一握りの富裕層になった者は、一握りの富裕層のままでいたい。
自分たちの地位を守りたい彼らは、
「支配者や富裕層になるためにはどうすればいいか」
を考える者が増えてほしくない。
お金持ちになってほしくないからお金の教育はしない。
権力者のイスを落とされたくないから、
政治の説明は難しい用語で埋めつくす。
肝心なところに興味を持たれること、
勉強されること、考える力を持たれることを、
国民に気づかれないように阻止したい。
だからゲームやSNSの世界にいてほしい。
上にいる自分たちに無関心でいてほしい。
そうやって、
街中をスマホゾンビが徘徊する光景を
好ましく見ている者もいるんじゃないだろうか。
歩きスマホは危険と訴えることには、
「社会的な正義を勝ち取れる」というメリットもある。
これは
「飲酒運転は危険」「いじめはダメ」
と訴えることと似ている。
命を守るために正しいことを言えば批判されにくいし、
もし裏に別の意図があっても気づかれにくい。
大きな社会問題になった歩きスマホに、
力を入れて対処する姿勢も見せることができる。
もちろん、
「飲酒運転は危険」「いじめはダメ」
のようなメッセージには賛成する。
それで被害が出てほしくないとも思う。
ただ、
「命や安全への訴えは、別の何かの隠し場所にもなる」
ということも、意識して損はないと思う。
「歩きスマホは危険」と訴えることは一石三鳥。
の3つを得られる。
ここまで、かなりひねくれた見方をしてきたかもしれない。
それでも、何ごとも額面どおりに受け取るだけでなく、
自分なりの解釈を考えて損はないと思う。
僕自身、歩きスマホもゲームもしないがSNSは使っている。
こんな記事を書いたのは自分への戒めも兼ねて。
もし、いつか本当につらくなって、
すべてから逃げたくなったとき。
仮想現実の世界へ行っても帰ってこれるように。
考えること、学ぶことをやめないために。
「歩きスマホは危険だから止めましょう」
駅の壁には、そこかしこにこんなポスターが貼ってある。
「歩きスマホ・ダメ・ゼッタイ」
歩きスマホによって大きな事故が起きているし、
いろいろな弊害も知られている。
だから「歩きスマホはダメ」と言うことは正しいと思う。
だけど、
どこへ行っても「歩きスマホはダメ」と言い続ける意図は、
本当に「危険だから止めましょう」だけだろうか。
人が集まる場所で、繰り返し流す情報であるからには、
別の意図も隠されているのではないだろうか。
もしかすると、
「ダメと言われたら余計にやりたくなる心理」を利用して、
スマホ中毒者を増やしたい狙いもあるのではないか。
スマホゾンビを増やし、国民から考える力を奪うことで、
支配層の思い通りに統治しやすくする狙いもあるんじゃないか。
ー目次ー
- カリギュラ効果”ダメと言われるとやりたくなる”
- 同調行動”みんなやっているから自分もやっていい”
- スマホゾンビを増やせば支配しやすくなる
- 社会的に正しい訴えは”別の意図の隠し場所”
- 額面どおりだけでなく”自分なりの解釈”も考える
1.カリギュラ効果”ダメと言われるとやりたくなる”
人間には「ダメと言われるとやりたくなる」心理がある。
これを「カリギュラ効果」と呼ぶ。
カリギュラ効果の懸念について、
2ちゃんねる創設者のひろゆき氏は著書の中で、
香川県で成立した「ネット・ゲーム依存症対策条例」をあげている。
子どもに何かをやめさせようと思ったときに、
禁止するのは逆効果なのです。(中略)
もし、この子どもたちが香川県に住んでいて、
ゲームの利用を制限されたら、カリギュラ効果で、
ゲームに夢中になるかもしれません。
そんな皮肉な結果にさえなりかねないのです。
『叩かれるから今まで黙っておいた「世の中の真実」』 より
「歩きスマホは危険」と訴えることにも、
ネット・ゲーム依存症対策条例と同じように
カリギュラ効果が発動する可能性がある。
「禁止」「ダメ」「止めなさい」
そう言われたとき、
「確かに危ないから止めよう」と思う人がいる一方、
カリギュラ効果によって
「そんなこと言われたら止めたくないな」と思う人もいる。
「歩きスマホはダメ」と言い続けるのは、
そういう人が一定数、出てくれることへの期待も
あるんじゃないだろうか。
2.同調行動”みんなやっているから自分もやっていい”
歩きスマホを止めたくない人が一定数いることで、
それを見た人が「同調行動」してくれることも期待できる。
「赤信号みんなでわたれば怖くない」と同じように、
「みんな歩きスマホをやっているから自分もやっていいだろう」と思う。
ダメと言われているけど、みんなやっている安心感。
そこへ、仮想現実からの追い立てが加わる。
ゲームなら
「いまいいところだから」
「つらい現実より楽だから」
SNSなら
「早く返信しないと仲間はずれにされるから」
「”いいね!”の数が気になって仕方ないから」
ニュースや地図アプリなら
「時間がもったいないから」
「ただ歩いているだけなんてヒマだから」
『歩きスマホによる事故?
みんなやっているけど、事故なんて見たことない。
みんな大丈夫だから自分も大丈夫』
ダメと言われるとやりたくなる心理と、
みんなやっているからやりたくなる心理。
そして、仮想現実からのお誘いと追い立て。
これらが合わさったスマホゾンビの徘徊は、今日も続く。
3.スマホゾンビを増やせば支配しやすくなる
スマホ中毒者を増やすメリットは、
現実を考えさせる力を奪い
支配者や富裕層のやりたいような統治ができる
というもの。
支配者にのぼりつめた者は、支配者のままでいたい。
一握りの富裕層になった者は、一握りの富裕層のままでいたい。
自分たちの地位を守りたい彼らは、
「支配者や富裕層になるためにはどうすればいいか」
を考える者が増えてほしくない。
お金持ちになってほしくないからお金の教育はしない。
権力者のイスを落とされたくないから、
政治の説明は難しい用語で埋めつくす。
肝心なところに興味を持たれること、
勉強されること、考える力を持たれることを、
国民に気づかれないように阻止したい。
だからゲームやSNSの世界にいてほしい。
上にいる自分たちに無関心でいてほしい。
そうやって、
街中をスマホゾンビが徘徊する光景を
好ましく見ている者もいるんじゃないだろうか。
4.社会的に正しい訴えは”別の意図の隠し場所”
歩きスマホは危険と訴えることには、
「社会的な正義を勝ち取れる」というメリットもある。
これは
「飲酒運転は危険」「いじめはダメ」
と訴えることと似ている。
命を守るために正しいことを言えば批判されにくいし、
もし裏に別の意図があっても気づかれにくい。
大きな社会問題になった歩きスマホに、
力を入れて対処する姿勢も見せることができる。
もちろん、
「飲酒運転は危険」「いじめはダメ」
のようなメッセージには賛成する。
それで被害が出てほしくないとも思う。
ただ、
「命や安全への訴えは、別の何かの隠し場所にもなる」
ということも、意識して損はないと思う。
5.額面どおりだけでなく”自分なりの解釈”も考える
「歩きスマホは危険」と訴えることは一石三鳥。
- 純粋な注意喚起
- 社会的な正義の獲得
- スマホゾンビを増やせる期待
の3つを得られる。
ここまで、かなりひねくれた見方をしてきたかもしれない。
それでも、何ごとも額面どおりに受け取るだけでなく、
自分なりの解釈を考えて損はないと思う。
僕自身、歩きスマホもゲームもしないがSNSは使っている。
こんな記事を書いたのは自分への戒めも兼ねて。
もし、いつか本当につらくなって、
すべてから逃げたくなったとき。
仮想現実の世界へ行っても帰ってこれるように。
考えること、学ぶことをやめないために。
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