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2022年02月08日

「男のくせに泣くな」とは誰が決めたのか。

「泣くな、男の子だろ?」
「男のくせに弱音を吐くな」


小さい頃、あるいは大人になってから、
誰かにこう言われたことはありませんか?

僕は小さい頃、泣き虫だったのでさんざん言われました。
そして、そのたびにこう思いました。

「なぜ男は泣いてはいけないの?」
「”男は泣くな”って誰が決めたの?」



ー目次ー
  1. 昭和日本の場合:戦争へ向かわせるための”我慢が美徳”論
  2. 狩猟採集時代から?”男は強くあれ”という不文律
  3. ”男は泣くな”と言ってくる人の心理
    @凝り固まった男性像
    A弱い自分の否定
    B嫉妬
  4. 涙を流す権利は誰にでもある

1.昭和日本の場合:戦争へ向かわせるための”我慢が美徳”論

「男は泣くな」とは、誰から言われたんでしょう。
おそらく祖父母や親からという人が多いんじゃないでしょうか。

昭和の日本は、今よりもずっと「我慢が美徳」でした。

男女を問わず、弱さを見せることや、
感情を表すことが許されない空気が強かったでしょう。



そして、祖父母や親の世代にあったのは戦争です。

国家総動員・国民総特攻を命じたい大本営にとっては、
”個”を出されては困ります。

国民にとっては、
戦争という極限状態では生き残ることがすべてになります。

そのためには、感情など邪魔なシロモノです。

そんな時代背景から、いつしか
「感情をマヒさせること」「オモテに出さないこと」が善し
とされていったんじゃないでしょうか。

2.狩猟採集時代から?”男は強くあれ”という不文律

では、日本で言われる「男は泣くな」は、
近代化〜戦争へ向かう過程で作られたんでしょうか。

そんなに歴史の浅いシロモノ?

その程度なら、もっと
「男は泣くなっておかしくない?」と、
声を大にして言う人が増えているはずです。

現状、そうなっていないのは、
もっと根深い年季が入っているからではないでしょうか。

たとえば人類が狩猟採集民だった頃から。




男にはその時代から、
平均的に体格や筋力が大きいという理由で

 狩りで獲物を仕留める強さ
 家族を守れる強さ


が求められたと思われます。


生きるか死ぬかの現場で必要なのは涙ではなく、
先に相手を倒す力です。

一方、当時の女性に求められた主な役割は、
集落の中で浮かないよう立ち回る技術と思われます。

そこで必要なのは力ではなく、
ときには感情を見せ、弱さを見せて情に訴えること、
親近感を持たせて仲間外れを避ける技術でしょう。



生き残るためとはいえ、
その頃から「男=強さの象徴」だったとしたら。

人間には何万年も前から、誰が決めるでもなく、
こんな不文律があったんじゃないでしょうか。


 男は強くなければならない
 ゆえに弱さを見せてはならない
 家族や集落を守れない男は役立たずだ

男性は「弱虫と思われるな」という
非情なメッセージのプレッシャーのもとで生きている。

私たち女性は男性に対して、
「弱みを見せてもいいのよ」「私にも関わらせて」
「不安なときはそう言って」と求めるが、
実のところ、ほとんどの女性はそれに耐えられない。

実際に男性がもろさを見せると、
たいてい不安になって後ずさりする。
それは失望から嫌悪感まで、さまざまなかたちで表れる。


男性のほうも賢いもので、そのリスクを承知しており、
私たちの表情から、「ほら、しっかりしてよ」
という本音を読み取ってしまうのである。


『本当の勇気は「弱さ」を認めること』 ”男性の恥体験と木の箱” より

3.”男は泣くな”と言ってくる人の心理

起源はどうあれ、
僕らは「男は泣くな」と言われて育っています。

では、僕らに「男は泣くな」と言ってくる人は
どういう心理なんでしょうか?


@凝り固まった男性像

「男は泣いてはいけない」
「涙を見せる男は弱虫」

など、「男はこうあるべき」という
凝り固まった男性像を持っているパターンです。

理由はおそらく、
親や祖父母から言われ続けたことによる洗脳
”男は泣くな”という時代のニーズに応えた結果
です。

A弱い自分の否定

@の裏返しですが、強さへの執着の根底には
「弱さへのコンプレックス」があると思います。


 強い男を演じたのは
 親やまわりの期待に応えるため
 本当は泣きたかった

そんな自分の本音を押し殺すため、
葛藤による苦しみを閉じ込めておくために、

「強い男たる自分」という虚像を
本気で信じる必要があったんじゃないでしょうか。

B嫉妬

本当は私も泣きたいけど我慢している
なのにお前だけ我慢せず泣くなんて許せない


という嫉妬のパターンです。

嫉妬は、

自分と同格か下の相手
自分と大きく違わない相手

に対して抱きやすい感情です。

自分より下だと思っているからこそ、
我慢せず泣く相手が気に入らないし、

自分と大きく違わない相手だからこそ、
自分だけ我慢していることが許せないという心理です。
<4「強くあれ」ドライバーの人>

このドライバーを持つ人は、無意識のうちに
「自分は弱い」「ダメなやつ」という思い込みを持つ。

それから目を背けるために、反対のメッセージである
このドライバーに駆り立てられるのだ。


このドライバーがあると、
自分の感情や行動を、自分以外のもののせいにする傾向がある。
そうやって、自分の弱さと向き合うことから逃げようとするのだ。


『人生の99%は思い込み』 ”あなたを駆り立てている「ドライバー」” より

4.涙を流す権利は誰にでもある

「男は泣くな」と言われる下地は
人間が言葉を発明するずっと以前からあったと思います。

 男は強くあれ
 弱さを見せるな
 感情を出すな

そういう”なんとなくあった下地”を
歴史上の指導者たちがうまく利用して
強化してきたんじゃないでしょうか。


 「泣くな、強くあれ」
 「自分は強い兵士だと思い込め」
 「そして外国と戦ってこい、私を潤すために」

というように。



なんだか「ヒトの起源」のような考察になりましたが、

1つ言えるのは
「”男は泣くな”に従う必要などない」です。


僕らの親やまわりの大人が言った「男は泣くな」には、
その時代の事情があったんでしょう。

ですが、「男は泣くな」は突き詰めれば
”相手をコントロールするための言葉の一種”に過ぎません。



涙を流す権利は誰にでもあるはずです。

相手が目上だろうと、養育者だろうと、
僕らは誰かの支配欲を満たすために生きているわけじゃないんです。




現代の日本では、男性の自殺者は女性の2倍だそうです。

その原因の1つに
「弱いことが許されない空気」「涙を流せない圧力」があるなら。
”男は泣くな”は果たして、人を幸せにする言葉なんでしょうか。

誰でも、泣きたいときに泣ける世界、
「男は泣くな」に苦しむ人がいない世界を望みます。










posted by 理琉(ワタル) at 19:51 | TrackBack(0) | 生き方

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自閉傾向の強い広汎性発達障害。鬱病から再起後、低収入セミリタイア生活をしながら好きなスポーツと創作活動に没頭中。バスケ・草野球・ブログ/小説執筆・MMD動画制作・Vroidstudioオリキャラデザインに熱中。左利き。 →YouTubeチャンネル
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