2024年04月30日
キューバ外相 キューバ渡航歴のある欧州市民30万人への米国のESTA拒否を非難
Cubadebate、2024年4月30日
キューバを訪れたことのあるヨーロッパ市民30万人に対する電子ビザ「ESTA」へのアクセス拒否は、米国による大量虐殺的封鎖の域外適用の一端である、とブルーノ・ロドリゲス・パリージャ外相は糾弾した。
キューバ外相はXでの投稿で、このビザの拒否は米国政府による行為であり、ヨーロッパ市民に対して移動の自由を制限する、一方的規制の押しつけの明白な一例である、と強調した。
「米国政府は、ヨーロッパ市民に対し、どの国に旅行でき、どこに旅行できないかを、強制している」、とロドリゲス・パリージャ外相は述べた。
外相はこのESTA拒否措置を、キューバの経済や成長に深刻な被害を与えている政策である、米国政府によるキューバに対する60年以上にわたる大量虐殺的封鎖の域外適用の一環である、とみなした。
国際世論が繰り返し非難してきたこの封鎖は、米国国境を越えて拡大されており、キューバとの商業・文化・観光の関係を築きたいと願う国々や市民に、否定的な衝撃を与えている。
Canciller cubano denuncia carácter extraterritorial del bloqueo: Estados Unidos negó visado a 300 000 europeos que visitaron Cuba
http://www.cubadebate.cu/noticias/2024/04/30/canciller-cubano-denuncia-caracter-extraterritorial-del-bloqueo-estados-unidos-nego-visado-a-300-mil-ciudadanos-europeos-que-visitaron-cuba/
2024年04月29日
キューバ野球コミッショナー 審判の問題について語る
JIT、2024年4月29日、José Luis López Sado記者
キューバ野球コミッショナーのフアン・レイナルド・ペレス・パルドはきょう(4月29日)、明日火曜日(4月30日)に第9節が始まる第63期キューバ野球リーグに関係するいくつかの議論沸騰のテーマについて、率直に説明した。
マタンサスと地元ピナール・デル・リオとの二連戦のなかで、審判リカルド・カンパニオーニは火曜日の自身のミスによって、2試合の出場停止となった。土曜日に復帰し、場内アナウンスでは別の名前で呼ばれるという、キューバリーグ史上前代未聞のことが起きた。
彼は2試合出場できず、スコアボックスと公式記録用紙にある通り、土曜日と日曜日のあいだ審判をした、とキューバ野球コミッションによる報道陣との恒例会見でコミッショナーのペレス・パルドは説明した。
コミッショナーは、報道陣やカピタン・サンルイス球場での場内放送には、由来もわからない偽名が提供されたが、これは野球の幹部(試合あるいは審判の役員)によって提供されたものでは決してなかった、と述べた。
この件は、事の真相にたどりつき、このわが国の野球を貶める行動を為した者は誰か知るために作られた委員会によって調査中である、とコミッショナーは説明した。
コミッショナーのペレス・パルドは、審判の問題に関する対策の中で、審判団を強化する取り組みが日々なされており、各県側からは球場のさらなる警備強化が要請されている、と語った。
コミッショナーはまた、来週の金曜日からシリーズの現状をテーマにしたオンラインの審判会議が各県で編成される、と強調した。
日曜日(4月28日)のカマグエイと地元シエンフエゴスとの試合で、選手6人と首脳陣1人が退場となり、1試合の出場停止処分を受けた。
本件は分析が終わった時点でさらに重い処分に至る可能性がある、とコミッショナーは述べた。
今度の火曜日の試合に出場できないシエンフエゴスの選手は、リチェル・ロペス、フェリクス・ロドリーゲス、ルス・ビセンテ・マテオ、ルイス・セルパ、ダニィ・オラマス、サムエル・カルデロン、そして監督のホルヘ・ロドリーゲスである。
週間最優秀選手に選ばれたヨスバニ・アラルコン(ラス・トゥナス)とホセ・イグナシオ・ベルムーデス(マヤベケ)は、ソフトボールの往年の名選手エステバン・グロエロから表彰を受けた。
キューバTV(2024年4月29日)*開始時間設定済み
Expulsiones e investigación en Serie Nacional de Beisbol
https://www.jit.cu/NewsDetails.aspx?idnoticia=777000
2024年04月28日
支倉常長 キューバにやってきたサムライ
ハバナの支倉常長像、日本人彫刻家、土屋瑞穂作
Cubadebate、2024年4月28日、Abel Aguilera Vega
アジアの文化は伝統的に「西洋」から縁遠い、と誤って考えられてきたが、この数千年間、何らかの形で接触を継続してきた。紀元前4世紀のアレキサンダー大王の征服以降、少なくとも紀元前1世紀以降の両大陸をつなぐ商業ルートの運用や、紀元13世紀初頭のチンギス・ハーンの東ヨーロッパでの存在、あるいは14世紀末のマルコポーロによる中央アジアや中国への渡航可能性は、両地域のあいだの交流を証明している。
しかしながら、これらの接触はつねに定期的なものではなく、十分に豊富なものでもなかった。上述の出来事は、わが国と結びついた慶長使節団のようなほかの接触を目立たなくさせてきた。
予期せぬ旅
支倉常長は17世紀の日本の侍であり、1613年にヨーロッパへの外交使節団を率いた。慶長使節団として知られるこの使節は、徳川秀忠将軍によって、スペインとローマ教皇と商業および政治関係を結ぶために派遣された。支倉とそのお供は、1620年に日本に帰国するまで、ヨーロッパのさまざまな国々を旅行した。
支倉の生涯の前半についてはほとんど知られていない。1571年に生まれ、早くから侍として教育されたことが確認されている。1592年から1597年にかけて日本による朝鮮侵略に参加し、その軍事的手腕とともに航海の知識を獲得したことが、外交使節に選ばれるにあたって決定的なものとなった。
15世紀から17世紀にかけては海洋探検の黄金時代であった。この期間にキリスト教は日本で人気を得たが、1613年に江戸幕府はその布教を禁じた。しかしながら、探検家セバスティアン・ビスカイーノをヌエバ・エスパーニャに帰国させたいという将軍の意思によってこの使節が始まったのは、この時期であった。ビスカイーノは金銀島の探検のために日本に到着していたが、嵐により船が被害に遭い、継続できなかった。将軍は日本の使節団と一緒にビスカイーノが帰国できるようようガレオン船の建造を命じた。
1613年10月28日、フランシスコ会宣教師ルイス・ソテロと支倉によって率いられた使節団は、日本に有利な新たな商業ルートの開拓を目的として、月ノ浦湾を出発した。
世界をめぐるひとりの日本人
太平洋を航海し、メキシコを横断したあと、使節団は1614年7月23日にハバナに着き、支倉はキューバの地を踏んだ記録上初の日本人となった。当時、ハバナのサン・クリストバル集落は、100軒ほどの家々と、カリブ地域にたどり着いた船乗りたちの娯楽のための商業施設がある程度であった。
アジアの一行が現れたことは、ハバナの人びとにとって大きな驚きであったに違いない。その身体的特徴や、着物の服装、腰に差した刀、草履を履いていること、それらはこれまでキューバ国内で決して見られなかった風変りな様相を呈していた。これら訪問者に興味を抱いた植民地当局は、彼らを訪問し、おそらくは聞き取りをおこなった。
ハバナでの短い滞在のあと、船はスペインに向かって出発し、スペインでは当時大陸の主要大国の君主であったフェリペ三世に迎えられた。
この会見はなごやかなものであったが、日本におけるキリスト教弾圧の時代におこなわれたため、日本側が求めていた通商協定の調印をフェリペ三世は拒否した。一方、ローマ教皇パブロ五世からは叙勲を与えられ、三か月の間の滞在許可を受け、「ローマのパトリシオ」の称号を授与された。支倉はキリスト教に改宗したが、これはキリスト教を禁じていた自国での災難をのちに彼にもたらした。
ヨーロッパを出発した使節団は、ほぼ同じルートで戻り、7年かけて1620年に日本に着いた。実際のところ使節団はほとんど結果を出せず、この間に日本は大きく変わり、鎖国に向けて進んでいた。これが、日本がヌエバ・エスパーニャと予定していた協定を結ばず、1623年に同国との通商取引を破棄し、1624年に国交断絶する原因となった。
しかしながら、この使節団は日本とヨーロッパのあいだの関係の歴史において、画期的な出来事とみなされている。2001年4月以降、キューバと日本の関係発展の反映として、ハバナのプエルト通りには、支倉常長を称えるブロンズ像が建立されている。
クロード・デリュエによる支倉常長の肖像画、1615年作
Hasekura Tsunenaga, un samurái en Cuba
http://www.cubadebate.cu/noticias/2024/04/28/hasekura-tsunenaga-un-samurai-en-cuba/
2024年04月25日
フィデル・カストロのハーバード大学演説から65年 米国親善旅行同行記(最終第10回)
フィデル・カストロ、ハーバードでの演説、1959年4月25日。バルコニー沿いに座っている1人目が法学部の部長マクジョージ・バンディ。
Cubadebate、2024年4月25日、Luis Báez
1959年4月15日、フィデル・カストロは、米国への旅行を開始し、それは4月28日まで続いた。このときフィデルは、アメリカン・ソサエティ・オブ・ニュースペーパー・エディターズ(新聞編集者協会)の招待にこたえて民間人として渡航した。この旅行は、ルイス・バエスによって書かれた書籍「フィデル・世界をめぐる」に詳しくまとめられている。バエスは、米国・カナダ・南アメリカをめぐる最高司令官に同行した新聞記者の一人だった。
この歴史的旅行から65周年を記念して、クーバデバテと「フィデル思想の戦士」サイトは、バエスによる当時の回想録を共有する。
1959年4月25日、土曜日
ニューヨークからボストンへ列車で移動。ハーバード大学で教授や学生たちと交流。ある若者グループがフィデルに、「キューバで独裁を終わらせるために命をかけた」ホセ・アントニオ・エチェバリアとフルクトゥオーソ・ロドリーゲスの名誉プレートを献上。
ハーバードスタジアムにあるディロン・フィールド・ハウスの広大な敷地に1万人を超える人びとが集まる。その演説は聞き手に深い感動を与える。
フィデルはあらゆる側からの招待を断らなければならない。各地でフィデルを求めている。サンフランシスコ、シカオ、デトロイト、ニューオーリンズがフィデルの来訪を申し入れる。
ボストンから、親善大使はモントリオールへ出向く。カナダは、フィデルの旅行におけるもうひとつの画期的成功である。
27日の月曜日にテキサスのヒューストンに着き、この州がなした温かい招待を、短時間ではあったが、こなした。ここが米国領土での最後の経由地である。ここでラウル・カストロ司令官が待っている。
記者団への短い声明のなかで、ラウル・カストロ軍司令官は、こう述べた。「意見交換のための短い旅だ。わたしは国内の全体的状況の報告をし、新たな指示を受け取った」。
28日、二人の兄弟は別れる。ラウルがハバナに向けて出発。南半球はキューバ革命の旗手を出迎える準備をする。
動画での、ハーバードのフィデル
フィデル・カストロ、ハーバード大学での演説、1959年
フィデル・カストロはカナダ最大の小児病院「セイント・ジャスティス」を訪問、1959年4月26日
Fidel en Harvard hace 65 años: Un viaje de buena voluntad(X y Final)
http://www.cubadebate.cu/especiales/2024/04/25/un-viaje-de-buena-voluntad-a-65-anos-de-la-visita-de-fidel-castro-a-estados-unidos-x-y-final/
2024年04月24日
クバーナ航空 アルゼンチンへの運航を停止 アルゼンチンの燃料供給会社がサービス提供を拒否 米国による経済封鎖の影響
Radio Habana Cuba、2024年4月24日、Prensa Latina
航空会社クバーナ航空は、アルゼンチンの航空機用の燃料供給会社がサービスの提供を拒否したため、4月23日と24日の同国行きの運航便を停止した、ときょう水曜日(4月24日)現地テレビが伝えた。
これら供給会社は、提供拒否の決定を正当化するために、キューバに対して米国が課している封鎖政策の規定を引き合いに出した。
クバーナ航空は、声明のなかで、「この供給拒否は、クバーナ航空と契約している他の航空会社に対しても広げられている」と述べた。
同航空会社は、キューバにいるこれらの航空便の予約客は保護され、アルゼンチンとの接続がある他の航空会社の航空便で送り届けられる、と説明した。
一方、渡航をまだ開始していない客は、その航空券の100%の払い戻しを受けられる。
クバーナ航空は、今回のアルゼンチンの供給会社による行動は、クバーナ航空のあらゆる決定の埒外にある、と述べた。
Cubana de Aviación suspende vuelos a Argentina
https://www.radiohc.cu/noticias/nacionales/353103-cubana-de-aviacion-suspende-vuelos-a-argentina
キューバのエドゥアルド・ロドリーゲス・ダビラ運輸相 イラン公式訪問
エドゥアルド・ロドリーゲス・ダビラ運輸相
Cubadebate、2024年4月25日、Cuba Si
キューバのエドゥアルド・ロドリーゲス・ダビラ運輸相はきょう(4月25日)、イランへの公式訪問を開始した。この訪問は、キューバの同部門の回復に焦点を当てたアジェンダによるものである。
イランの首都テヘランにあるキューバ大使館がXで発表したところによると、今回のロドリーゲス・ダビラ大臣のイラン訪問は、イランのアッバス・アリアバディ工業・鉱業・商業大臣の招待に応じたものである。
ロドリーゲス大臣は、滞在中にはキューバでのさまざまな運輸部門の回復に関係するしっかりした明確な目的のもと、イランのさまざまな当局者たちと会合し、同部門のフェアに出席する、と発表した。
4月27日から5月1日にかけてテヘランの祭典会場で開催される第6回イラン国際博覧会 (IRAN EXPO 2024)は、同国の商業部門で実施される最も重要なイベントである。
キューバ外務省がきょう強調したところによると、この博覧会はさまざまな部門や産業の企業・メーカー・サプライヤー・商業メディアなどが、自社の製品・サービス・技術・ビジネスアイデアを展示するための、大きな機会をもたらす。
【参考】キューバTV ミゲル・ディアスカネル・ベルムーデス大統領とエドゥアルド・ロドリーゲス・ダビラ運輸大臣の対話「大統領府より」(2024年4月18日)
Ministro de Transporte cubano llega a Irán en visita oficial
http://www.cubadebate.cu/noticias/2024/04/24/ministro-de-transporte-cubano-llega-a-iran-en-visita-oficial/
2024年04月21日
キューバ外務省声明 ハイチからの帰還作戦について
Radio Habana Cuba、2024年4月21日、キューバ外務省
キューバ外務省コミュニケ
2024年4月19日から21日にかけて、ハイチ共和国へ私用で旅行していたキューバ国民248人のキューバへの移送が実施された。これはキューバ当局が、在ハイチのキューバ大使館の支援と、わが国の外務省職員の常時同行によって連携した作戦であった。
3月のはじめから、在ハイチのキューバ大使館は、同国の複雑な政治状況の結果、現地に滞留しているキューバ国民と緊密な連絡を続けていた。またハイチに居住しているキューバ人とも連絡をとり、既存の可能性の範囲内で、その安全に留意し、彼らの不安に対応してきた。
同時に、キューバ外務省の住民サービス事務所と共和国大統領府は、連絡がついていた上記キューバ人の家族や近親者への援助を、対面またはオンラインでおこなっていた。
大使館は、ハイチに向けてキューバ人を運んだ航空会社サンライズ航空との組織的な交渉をおこない、実施する条件が整い次第、同社の航空機でキューバに帰還させる、という選択肢を残しておくことで合意した。
ポルトーフランス市のトゥーサン・ルーヴェルチュール国際空港が閉鎖されているため、同空港を使っての出発は保証できなかった。
キューバ当局は、祖国への安全な帰還を容易にする環境を保証するために、この作戦を実施する最も適した時期を待った。ヘリコプターでの輸送作戦を含む、他の代替案は、関係者の人数増加のために実現可能ではなかった。
キューバ大使館は、国際線の限定的運航が維持されているカパイシャン市までの陸路によるキューバ国民の自発的出発を調整した。
キューバ政府は、この代替策を自発的に受け入れたすべての滞留キューバ人のために、この前例のない作戦の費用を負担した。われらの同胞は、キューバ国民を輸送するという使命を守った航空会社サンライズ航空の航空便6便によって、カマグエイのイグナシオ・アグラモンテと、サンティアゴ・デ・クーバのアントニオ・マセオの両国際空港を通じて、キューバ国内に戻った。
キューバTV(2024年4月21日)
Comunicado del Ministerio de Relaciones Exteriores de la República de Cuba
https://www.radiohc.cu/especiales/exclusivas/352782-comunicado-del-ministerio-de-relaciones-exteriores-de-la-republica-de-cuba
ハイチ滞留のキューバ人帰国第四陣47人が到着 さらに第五陣も帰国の途に
Cubadebate、2024年4月21日
キューバ外務省はきょう(4月21日)、ハイチで現地の複雑な暴力状況のために滞留していた同胞の帰還作戦の継続を発表した。
外務省のXでの投稿によると、47人からなる同胞の第四陣が、すでにカマグエイ国際空港を通じてキューバに到着した。
また、第五陣も本日午後に祖国行きの飛行機に搭乗した。
この移送の第一段階は、ハイチの首都ポルトー・フランスから、同国北部のカパイシャンまでバス数台で実施され、ミゲル・ディアスカネル・ベルムーデス大統領によると、この手続きは、実施に適した時期を綿密に継続して分析する必要があった。
キューバTV(2024年4月21日)
Siguen llegando a la patria cubanos varados en Haití
http://www.cubadebate.cu/noticias/2024/04/21/siguen-llegando-a-la-patria-cubanos-varados-en-haiti/
2024年04月20日
キューバへの旅行者80万9千人を超える 今年1月〜3月 前年同期比7.5%増
Cubadebate、2024年4月20日、ACN
国家統計情報局(ONEI)は、今年3月までに80万9238人の旅行者がキューバを訪れた、と発表した。この数字は2023年同時期比でおよそ7.5%増となる。
今年はじめの3か月間でもっとも訪問者が多かった国々は、カナダ(36万9272人)、ロシア(6万6887人)、米国(4万6717人)、ドイツ(2万2097人)であり、海外在住のキューバ人コミュニティも7万5386人と目立っている。
出入国在留管理局のデータソースをもとにしたこの報告書によると、フランス(1万9377人)、英国(1万6719人)、メキシコ(1万4689人)、スペイン(1万4036人)、アルゼンチン(1万2753人)といった国々も、キューバへの旅行者数の意義深い数字を残している。
ONEIの情報によると、海外からのキューバへの旅行者は、1月は25万9898人、2月は26万8201人、3月は28万1139人であった。
Recibe Cuba más de 809 000 turistas en primer trimestre del año
http://www.cubadebate.cu/noticias/2024/04/20/recibe-cuba-mas-de-809-000-turistas-en-primer-trimestre-del-ano/
ハイチ滞留のキューバ人帰国第三陣48人が到着 ここまで合計145人
Cubadebate、2024年4月20日、Prensa Latina
ハイチで現地の複雑な暴力状況によって滞留していたキューバ人の第三陣がきょう土曜日(4月20日)、キューバ当局の連係作戦によって、キューバに到着した。
キューバ外務省はXで、キューバ人48人からなる第三陣はカマグエイのイグナシオ・アグラモンテ国際空港に到着した、と発表した。これはこの日2つ目の帰国便となる。
キューバ外務省は、この帰国作戦の進展についてはその終了まで情報提供を続ける、と明言した。
この第三陣の到着によって、キューバへ帰国した同胞はすでに145人にのぼる。
ハイチのカパイシャン市から、イグナシオ・アグラモンテ国際空港と、東部サンティアゴ・デ・クーバのアントニオ・マセオ国際空港への、サンライズ航空の運航による帰還は、4月21日の日曜日まで続く。
Arriba a Cuba tercer grupo de connacionales varados en Haití
http://www.cubadebate.cu/noticias/2024/04/20/arriba-a-cuba-tercer-grupo-de-connacionales-varados-en-haiti/