2024年04月20日
ハイチからのキューバ人帰国第二陣48人が到着 ここまで合計97人
Cubadebate、2024年4月20日、Prensa Latina
ハイチ国内で現地の複雑な暴力状況により滞留していたキューバ人グループの第二陣が4月20日、キューバ当局の連係作戦の一環として、キューバに到着した。
キューバ外務省はXで、さらなる48人のキューバ国民がすでに祖国にいる、と発表した。
キューバ外務省は、この帰還作戦の進展については、その終了まで情報を提供し続ける、と明言した。
カボ・アイティアーノから、カマグエイ県の「イグナシオ・アグラモンテ」(きょうのグループが到着)とサンティアゴ・デ・クーバの「アントニオ・マセオ・グラハレス」の各空港にサンライズ航空の数便で今週末に到着する200人以上のうち、この第二陣のキューバへの到着ですでに合計97人にのぼる。
この同胞の移送の第一段階は、ハイチの首都ポルトープランスから同国北部のカパイシャンまで数台のバスで実施され、この手続きには、ミゲル・ディアスカネル・ベルムーデス大統領によれば、組織するための適切な時期を綿密に継続して分析することが求められた。
キューバTV(2024年4月20日)
En suelo patrio segundo grupo de cubanos varados en Haití
http://www.cubadebate.cu/noticias/2024/04/20/en-suelo-patrio-segundo-grupo-de-cubanos-varados-en-haiti/
ハイチ滞留のキューバ人グループ第一陣が帰国
Cubadebate、2024年4月20日、Prensa Latina
ハイチの社会情勢のために現地に滞留していたキューバ人グループの帰国第一陣が、金曜日(4月19日)にカマグエイ県の「イグナシオ・アグラモンテ」国際空港に到着した。
実施される帰国便6便のうちの最初のこの航空便では、49人の同胞が帰国した、とキューバ外務省は発表した。
外務省の情報によると、今回の帰国オペレーションの進展については、その終了まで情報が提供され続ける。
事前に、キューバ共産党中央委員会第一書記兼共和国大統領のミゲル・ディアスカネル・ベルムーデスは、今回の行動についてXの公式アカウントにおいて、帰還を実行する適切な時期を注意深く継続し分析したのちに開始された、と述べた。
キューバ外務大臣のブルーノ・ロドリゲス・パリージャも、同じくXにおいて、犯罪組織による暴力増加と治安部隊との対立後にハイチに滞留していた同胞たちの、サンライズ航空を通じての迅速な帰還を発表した。
帰還オペレーションの第一段階は、ハイチの首都ポルトー・フランスから北部の都市カパイシャンまで、数台のバスで実施された。
帰還航空便はカマグエイとサンティアゴ・デ・クーバの各国際空港に到着する。
キューバTV(2024年4月20日)
Llega a Cuba primer grupo de cubanos varados en Haití
http://www.cubadebate.cu/noticias/2024/04/20/llega-a-cuba-primer-grupo-de-cubanos-varados-en-haiti/
2024年04月19日
19人の非正規移民がキューバへ送還 今年合計374人
Cubadebate、2024年4月19日、キューバ内務省
合計19人のキューバ人(男性17人、女性2人)が4月19日の午前、アルテミサのオンダ湾オロスコ港を通じて、キューバに送還された。
米国沿岸警備隊によって送還された人たちは、4月5日にマタンサスのカルデナスから、帆付きのモーターボートで不法出国していたが、悪天候のためにおよそ9日間、捕捉されるまで漂流した。
送還されたうちの一人は、不法出国に関与する以前から捜査されていた犯罪事件の容疑者だったことから、捜査機関に移送された。
今回の送還は、地域のさまざまな国からの非正規移民送還の今年29回目のオペレーションであり、送還人数は合計374人となった。
キューバ当局は、安全で秩序ある移住への使命を堅持するとともに、不法出国がもたらす危険と、生命へのリスクある状況を、改めて喚起する。
キューバTV(2024年4月19日)
Devuelven a Cuba 19 migrantes irregulares
http://www.cubadebate.cu/noticias/2024/04/19/devuelven-a-cuba-19-migrantes-irregulares/
2024年04月18日
キューバ 11月のプレミア12でグループBに決定 日本・韓国・ドミニカ共和国らと対戦
JIT、2024年4月18日、José Luis López Sado記者
世界野球連盟がきょう木曜日(4月18日)に発表したところによると、11月に中華台北で開催される第三回プレミア12野球トーナメント2024でキューバはグループBに出場することが正式に決まった。
この強力なグループには、力のあるアジアの三か国、日本、韓国、開催国中華台北に加え、このトーナメントで歴史を持つドミニカ共和国とオーストラリアが参加する。
世界のトップ12に位置する残り6か国は、グループAに登録され、メキシコでの開催となる。これらのチームは、米国、プエルトリコ、パナマ、ベネズエラ、オランダ、開催国メキシコである。
Bグループは、間違いなく、キューバチームにとって難しいグループとなる。直近の二大会連続でメダルを獲得している唯一の2チームである、韓国(2015年王者、2019年銀メダル)と、日本(2015年銅メダル、2019年王者)がいることに注目である。
今大会への出場を決める際に考慮された2023年ランキングで、キューバは3121ポイントで8位に終わった。2グループに分かれる出場12チームは、総当たり制でプレーする。
各グループの上位2チームはスーパーラウンドに進出する。スーパーラウンドでは、予選ラウンドの結果が反映される。各チームは、予選ラウンドで別のグループにいたチームと対戦し、上位2チームが優勝を争う。その舞台は日本の首都にある東京ドームとなる予定である。
キューバの野球指導陣は、強力なチームを構成するよう目指し、メジャーリーグのチームにいる選手たちとの対話を続けている。しかしながら、最初の招集は、第63期キューバ国内リーグと、その後のエリートリーグで活躍した選手たちとなることが、明らかにされている。
クーバビシオン・デポルテ(2024年4月20日) *開始時間設定済み
Cuba en grupo B del Premier 12 de Beisbol
https://www.jit.cu/NewsDetails.aspx?idnoticia=767919
タグ:Premier 12
フィデル・カストロの米国訪問から65年 キューバ
フィデル(右)、セリア・サンチェス(左)、キューバ革命の友人でありニューヨークタイムズのコラムニストである米国の新聞記者ハーバート・マシューズ(中央)、ワシントンのキューバ大使館でのレセプションにて、1959年4月18日。
Cubadebate、2024年4月18日、Luis Báez
1959年4月15日、フィデル・カストロは、米国への旅行を開始し、それは4月28日まで続いた。このときフィデルは、アメリカン・ソサエティ・オブ・ニュースペーパー・エディターズ(新聞編集者協会)の招待にこたえて民間人として渡航した。この旅行は、ルイス・バエスによって書かれた書籍「フィデル・世界をめぐる」に詳しくまとめられている。バエスは、米国・カナダ・南アメリカをめぐる最高司令官に同行した新聞記者の一人だった。
この歴史的旅行から65周年を記念して、クーバデバテと「フィデル思想の戦士」サイトは、バエスによる当時の回想録を共有する。
1959年4月18日、土曜日
18日(土曜日)の予定表には、唯一公式の行事として、夜の外交団とのレセプションが記録されている。首相は初めて別の制服を披露する。メダルもリボンもない軍服に、白いYシャツと、黒いネクタイ。
米国首都で信任されている大使の大半が招待に応じている。唯一これを避けたのはニカラグアとドミニカ共和国の両大使。
招待者たちが退席すると、ある集団が警備員の目をかいくぐり大使館をこっそり抜け出す。6人から成るグループ。フィデル、セリア・サンチェスに4人の叛乱軍メンバー。
深夜をすぎて、中華料理レストランに入り込む。客のあいだに驚きがあがる。フィデルは一般の注目の的になる。フィデル現るという知らせがすぐに界隈に広がり、遅い時間にもかかわらず、近隣住民たちがこの店舗に殺到する。
そこからWWDCステーションのスティーブ・アリソンが司会の番組が放送される。アナウンサーはフィデルに会見するという独占的権利を手にいれる。
夜中3時に大使館に戻るところ。そのとき、ダンスから帰る数組のカップルがマンションの前を横切る。彼らはフィデルを見つけ、歩道ですぐに会話がまた始まる。おしゃべりはほぼ夜明けまで続く。
この1959年4月18日の写真
フィデル(右)がロシア大使のミハイル・メニシコフ(左)に挨拶。ワシントンで信任された外交団とのレセプションにて。中央はキューバ大使のエルネスト・ディイゴ。1959年4月18日。
ジャックとジェフのカストロ兄弟はキューバ大使館の前に3時間以上いた。大使館は閉まったままだったが、フィデルに会うことなく立ち去りたくなかったのだ。誰かがこのことを最高司令官に伝え、フィデルは彼らを自分の部屋に迎え入れた。1959年4月18日。(アルベルト・コルダ撮影)
ニュース映像 カストロ、ワシントンに到着(1959年4月15日)
Un viaje de buena voluntad: A 65 años de la visita de Fidel Castro a Estados Unidos (IV)
http://www.cubadebate.cu/especiales/2024/04/18/un-viaje-de-buena-voluntad-a-65-anos-de-la-visita-de-fidel-castro-a-estados-unidos-iv/
2024年04月16日
キューバのミゲル・ディアスカネル大統領 革命の社会主義宣言63周年記念式典に出席
Cubadebate、2024年4月16日、ACN
キューバ共産党(PCC)中央委員会第一書記兼共和国大統領のミゲル・ディアスカネル・ベルムーデスはきょう(4月16日)、キューバ革命の社会主義的性格の宣言63周年記念式典に出席した。
首都ハバナ・ベダードの23番通りと12番通りの交差点において、プラヤ・ヒロンからの傭兵攻撃の前触れであった1961年4月15日の爆撃で死亡した人びとにフィデル・カストロ・ルス最高司令官が別れを告げたときのことが回想された。
この式典には、政治局員のロベルト・モラーレス・オヘダPCC中央委員会組織書記およびウリセス・ギラルテ・デ・ナシミエントCTC(キューバ労働組合センター)事務総長や、テレサ・アマレージェ・ボウエーFMC(キューバ女性連盟)総書記も出席した。
フィデルはあの日、これは「貧者の、貧者による、貧者のための、社会主義・民主主義的革命」である、と述べた。
式典にはまた、キューバがその革命指導者とともにヤンキーの侵略を72時間以内に退治し、1961年4月19日の勝利を獲得した、ヒロンの偉業で戦った戦闘員たちも出席した。
これはラテンアメリカにおける帝国主義の初の敗北であった。
キューバTV「爆撃 キューバへの傭兵侵略の前触れ」(2024年4月15日)
キューバTV「キューバ革命の社会主義的性格の宣言記念を回想」(2024年4月15日)
プラヤ・ヒロン偉業の記念
Asiste Presidente Cubano Miguel Díaz -Canel Bermúdez a acto por aniversario 63 del carácter socialista de la Revolución
http://www.cubadebate.cu/noticias/2024/04/16/asiste-presidente-cubano-miguel-diaz-canel-bermudez-a-acto-por-aniversario-63-del-caracter-socialista-de-la-revolucion/
ラジオ・ハバナ・クーバのカルロス キューバの首都ハバナの交通事情
Radio Habana Cuba、2024年4月16日、Pablo Rafael Fuentes編
検査官がいてもいなくても、カルロスは、ラジオ・ハバナ・クーバ社の乗用車キア・ピカントのハンドルを握って何度か行き来するいつもの道のりのあいだ、空席があればいつでも、停車場でもそれ以外の場所でも止まる。自身のルートを外れることなく、首都の深刻な交通状況を少しでも緩和するよう助けている。
停車すると、ときどき人びとは遠慮した感じで彼を見る。彼は声をかける。
「23番通りを12番地まで!!! 2人!!!」
そのとき、こう説明しないといけない。
無料だよ、と。すぐに乗客があらわれる。よく人びとは降りるときにこう質問する、「きみに何かしないといけないかな?」。「何も。これは国営の車だ」。
ときどき、混雑した停車場で、自身の目的地に近づける他の車を待っている人びとは、彼にただ「ありがとう」と、しかし心からの感謝の気持ちを込めて言う。
あるいは、先日の土曜日に、港近くの、マレコン停車場で止まったときにあったように、感謝の表明がより雄弁なときもある。
「皆があなたのようにしてくれたら」、、、と石を削るような日差しのもと、バスを待っていた40歳くらいの男性が言い、これに周りの人たちも続いた。「まったくだ、検査官がいないとほとんど止まらない」。
彼が先に止まったために合図せずに済んでいる検査官たちや、アラマールから職場があるアメイヘイラスまで同乗した女医のように、彼が自身の道のりの範囲で目的地まで連れていったり、前進させたりした乗客たちからの感謝の表明は、日々とても彼を喜ばせている。
2日前に23yLで乗せた年配の男性が言ったことがすべてだろう。
「兄弟よ、きみのような人がもっと必要だ」。
Decididamente, Carlos es de la #GenteQueSuma
https://www.radiohc.cu/noticias/nacionales/352307-decididamente-carlos-es-de-la-gentequesuma
キューバ共産党の創設日はいつか?
フィデルがキューバ革命の社会主義的性格を宣言
Granma、2024年4月16日、Enrique Villuendas Calleyro(PCC思想局員)
キューバ共産党の創設日はいつか、党員の間ですら、疑問がある。1925年8月16日?1961年4月16日?1965年10月3日? このテーマを明らかにする価値はある。
1925年8月16日に、最初のキューバ共産党が、ハバナの現在フベルト・デ・ブランク劇場がある場所に存在していた本部に設立された。4つの共産主義者グループの代表者と招待者は20名に満たなかった。創設者のなかで、キューバ革命者党の組織でホセ・マルティに同伴したカルロス・バリーニョ・ロペスや、同世代やその後の世代に大きな影響を与えたフリオ・アントニオ・メジャは、つねに特別な形で思い起こされる。
この党ははげしく迫害された。選出された事務総長(ホセ・ミゲル・ペレス)は、スペイン人であるという口実で国外追放された。メンバー数名(うちバリーニョは、翌年死亡した)は逮捕された。この組織の存在の大半は非合法か半非合法な状態にあった。迫害や課せられた禁止から逃れるため、名称を何度も変更した。
その党員たちは、自己犠牲や誠実さ、大義への献身によって、高い名声を享受していた。ヘスス・メネンデスやアラセリオ・イグレシアスといった労働者階級の殉教者たちは、共産主義者だった。労働組合幹部のラサロ・ペニャや、重要な知識人であるフアン・マリネージョやカルロス・ラファエル・ロドリーゲスらもそうだった。その宣伝活動(ラジオ放送ミル・ディエス、新聞オイ、書籍パンフ販売配布)によって思想を流布した。 (1)
フィデル・カストロ・ルス最高司令官の歴史的功績のひとつは、この党は、いかにその闘争が正当であったとしても、支配的な体制を変革する革命を指導することはできないと理解していたことだった。長年にわたる反共産主義のプロパガンダは、幅広い住民セクターのなかに偏見を刻み、これを政治的に孤立させることに成功していた。
そのためフィデルは、バティスタ政府の狡猾なクーデターのあと、新たな組織を設立することに専念し、それが「7月26日革命運動」として結実し、専制政治の打倒に中心的役割を果たした。
1959年1月1日の勝利のあと、生まれたばかりのキューバ革命を転覆しようとするヤンキー帝国主義との早々の対決や深刻な階級闘争のさなか、フィデルは独裁政権と戦った3つの革命勢力、人民社会主義党(PSP、当時は旧共産党が名乗っていた略称)、3月13日革命指導部、7月26日革命運動、のあいだで統一をはかることに力を注いだ。
これはゆっくりとした、粘り強い過程となり、「統合革命組織」(ORI)の創設につながった。これの正式な式典はなかったし、1日で起きたわけでもなかった。ORIは、闘争のまさに嵐のさなか、フィデルを筆頭とするキューバ革命の主要指導者たちの唯一の意思の結果であった。
1962年3月、最高司令官はORIの取り組みに浸透していたセクト主義の逸脱を非難した。そのときから、大衆にもっとも重要な役割を与え、その内部から、組織を構成するために、模範的労働者を選ぶという、国際共産主義運動における独創的で前例のない方法を通じて、基礎からの党建設の過程が始まった。これは武装機関においても実施された。党組織はキューバ社会主義革命統一党(PURSC)という名称を名乗った。
1965年の9月30日から10月3日までのあいだ、各県・各地域・各下部組織におけるPURSCの指導者たちとの重要な会合がおこなわれた。10月1日、党の中央委員会と政治局が正式に設立され、10月3日に発表された。この日は、党の公式機関紙となる新たなメディア「グランマ」への新聞「オイ」と「レボルシオン」の合併が発表され、フィデルはチェの別れの手紙を読んだ。また、この1965年10月3日は、フィデルが述べたように、「きのうのわれわれではなく、きょうのわれわれ、そして明日のわれわれ」を示すために、「キューバ共産党」という党名への変更が満場一致で承認された。
フィデルは数年後これを次のように要約した。「この党はキューバ革命自体の賜物である。革命はみなに党ををもたらし、いま党は革命を前進させている」。(2)
それでは1965年10月3日を党創設日として特定すべきであろうか? 当初、中央委員会書記局はそのように取り扱った。1973年2月17日に「1965年10月3日という日をPCC創設の正式な日として」みなすという決定をした(3) 。これは、現在の名称になったのがそのときからである、ということに、間違いなく、影響を受けたものである。
党員の一部は、独裁と戦った各組織に属していた。PSPの創設は1925年にさかのぼり、他の組織は1950年代であった。PCCはその合併の賜物であったのだから、党への加入年代として何日をとるべきか? 誰がその創設者としてみなされるべきか? 第一回PCC総会の中央準備委員会は、1975年11月11日にこのテーマを分析した。
この会議の議事録には、「われらの党の設立日として適用されるべき日付に関する問題が検討され、なされた提案のなかから、われらの革命の社会主義的性格が宣言された日である1961年4月16日が全員一致で承認された」、と記されている。(4)
この歴史的な日以降、党における創設者たちの年功が計上されはじめた。第一回総会では、党員の経歴において、いつPSPやM26.7や革命指導部に加入していたかを反映させることが、党規約で承認された。(5)
1981年2月6日、中央委員会書記局は、党の創設日のテーマに再度取り組んだ。党創設者たちの年功を、1961年4月16日以降PCCの党員としてみなしているが、書記局の決定(1973年の上記会議)は同機関の公式設立日を1965年10月3日と定めている、という矛盾が存在していた。
この矛盾は1981年2月6日の会合でフィデルによって指摘された。党員の経歴が、その属すべき組織よりも古いのはありえなかった。1961年4月以前から「統一指導部である、組織された党はあった」、と回想された。以前の書記局の決定は破棄され、「キューバ共産党の正式な創設日として、1961年4月16日を承認する」と決定された。(6)
こうして、キューバ革命の社会主義的性格が宣言された日の象徴性が承認され、ヒロンで戦った人びとは、社会主義の旗のもとですでに戦っていた。
フィデルは何度もこのテーマに言及し、第一回党大会の基調報告で次のように述べている。「すでに以前から下部組織および指導部での統合過程は始まっていたが、4月16日の宣言とヒロンでの栄光ある勝利のあと、祖国と社会主義防衛において戦い、たくさんの血を流した、われら労働者階級の英雄主義によって固められた、すべての革命家たちと労働国民の緊密な団結のなかで、われらの党は実際に誕生した」。(7)
4月16日は、全国で、党幹部と労働者たちへの慎ましい称賛がおこなわれる。最近の3回の党大会はちょうどこの日に始まっている。この日は共産主義党員がわがものにできる日である。そのための理由はあまりある。党はキューバ革命の魂であり続ける。(8)
注:
(1)このテーマに関する熱心な研究は、書籍「最初のキューバ共産党 その戦術と戦略 1925-1935」(エディトリアル・オリエンテ刊
(2) ハバナ県PCC決算総会での演説、1974年3月20日
(3) ヘスス・モンタネー・オロペーサによる書記局への通信、1980年11月15日。PCC中央資料館
(4) 1975年11月11日付の第一回党大会中央準備委員会会合議事録。PCC中央資料館
(5) 第13条「キューバ共産党の結成に参加したいかなる革命組織への加入日は、党員の個人党歴に記録される」。PCC規約。キューバ共産党第一回党大会。報告書。
(6) PCC中央資料館。採択された決議のフォトコピー。
(7)第一回党大会への基調報告。党大会報告書。
(8) 党の歴史のひじょうに完全な研究は、書籍「キューバ国家の魂」エルビス・R・ロドリーゲス・ナランホ、エンリケ・M・アゲーロ共著(カサ・エディトリアル・ベルデ・オリーボ刊、2014年)
キューバTV(2024年4月16日)
¿Cuál es la fecha de fundación del Partido Comunista de Cuba?
https://www.granma.cu/cuba/2024-04-16/cual-es-la-fecha-de-fundacion-del-partido-comunista-de-cuba-16-04-2024-02-04-51
2024年04月15日
アルフレド・デスパイネがラティーノに帰ってくる
アルフレド・デスパイネ
Cubadebate、2024年4月15日、Joel García記者
シーズンも三分の一を過ぎたところで、グランマのユニフォームを着たアルフレド・デスパイネの火曜日(4月16日)からのラティーノアメリカーノ球場への帰還と、第63期キューバ野球リーグの本塁打(歴史的なものも含む)への視点が、大きな注目をひく一方、少なくない心配な不規律事件がグラウンド内外で起き続けてもいる。
しかし、ひとつづつ行こう。日本リーグでの数年間の活動後、グランマの背番号54は、リーグ本塁打ダービートップ(11本)、打率.373、出塁率.556、OPS1.351という記録を携えてラティーノにやってくる。少なからず28打点をあげている。リーグいちの打撃を誇るチームにおいて彼の貢献は不可欠なものであり、同僚たちに向けられたエネルギーでもある。
グアイマロ出身の統計家ロドルフォ・アルバレスのおかげで、われわれはデスパイネの驚くべきデータを目の当たりにする。現在は存在しないメトロポリターノスとハバナを含むキューバ野球リーグの全チームから、デスパイネは本塁打を放っており、20本塁打以上を放っている得意のチームは5チームある。カマグエイ(26本)、マタンサス(26本、うち2本はプレーオフで)、ピナール・デル・リオ(23本)、グアンタナモ(23本)、オルギン(22本)である。
シーズン20本塁打について話すと、これはデスパイネがフルシーズンプレーできれば超えるのは何の問題もない数字であり、達成すれば彼にとって6度目となり、マタンサスのラサロ・フンコに並ぶことになるが、この回数を超えることができた2選手、ラス・トゥナスのホアン・カルロス・ペドローソと、サンクティ・スピリトゥス〜インドゥストゥリアレスのユリエスキ・グリエルに並ぶのにあと1シーズンということになる。
この種の打棒に関する興味深いデータで締めくくろう。キューバ野球リーグでシーズン20本塁打以上を放ったのはわずか61人の打者であり(うち17人はゴールドシリーズで)、インドゥストゥリアレスのケンドリー・モラーレスは唯一新人でこれを達成している(2002年、21本)。また、ピナール・デル・リオはこれらの選手を8人と最も多く輩出しているチームであり、現在のリーグで、マヤベケとアルテミサを除く全チームに、最低1人はこれを達成した打者がいる。
最近のシーズンで際立ったライバル争いが注目されたグランマとインドゥストゥリアレスの対決(火曜日・水曜日・木曜日の午後6時30分開始予定)は、デスパイネが第51期リーグで36本塁打というシーズン最多記録をつくったキューバ野球のメインスタジアムにおいて、彼をふたたび称賛する場となるだろう。4月15日までの国内リーグ274本に、日本での184本、メキシコリーグでの13本を加えると、その数字は471本に増え、キューバ代表としての国際大会は含めずに、今シーズンでキャリア通算500本塁打を超えるキューバ野球連盟傘下の最初のキューバ人選手となる可能性もある。
選手や審判の不規律やプロ意識欠如の問題についてはのちほど別途としよう。いまは、ラティーノに行き、デスパイネを、よい試合を、楽しみ、敬意を払おう。
デスパイネ今季第5号(オルギン戦)
グランマ対インドゥストゥリアレス第一戦(2024年4月16日) *日本時間4月17日7時30分開始
Out 27: Despaigne llega al Latino y ¿los jonrones?
http://www.cubadebate.cu/especiales/2024/04/15/out-27-despaigne-llega-al-latino-y-los-jonrones/
キューバ 今年のメーデー中央式典はホセ・マルティ反帝国主義広場で開催
ハバナのホセ・マルティ反帝国主義広場
Radio Habana Cuba、2024年4月15日、Prensa Latina
キューバ労働者センター(CTC)は、きたる5月1日の国際労働者の日における中央式典の会場として、首都ハバナにあるホセ・マルティ反帝国主義広場を選んだ、と同機関指導部が発表した。
CTCのウリセス・ギラルテ事務総長はキューバTVに対し、この世界最大の労働組合の祭典が、恒例の会場である同じくハバナのホセ・マルティ革命広場以外で開催されるのは、今回で二度目である、と述べた。
同労働者幹部は、反帝国主義広場の象徴を擁護し、そこではキューバ革命過程の闘争と叛逆の精神が何度も表明されてきた舞台であると形容した。
ハバナ5都市の6万5千人を超える住民が、そこで世界のプロレタリアートの集まりに参加し、一方、国内の各都市や広場でも同じく展開される、と行進の組織者たちは説明した。
また、今回のメーデーは、1959年1月のキューバ革命勝利後にキューバでおこなわれた同日の最初の行進から65周年を祝うものとなる、とCTCの指導者は述べた。
中央式典で、キューバ国民は米国による経済封鎖の中止と、不当なテロ支援国家リストからキューバを除外することを要求するほか、食糧生産を高めることを奨励する、とこの労働者幹部は述べた。
ギラルテは、ハバナのキューバ共産党(PCC)第一書記リバン・イスキエルドとともに、この日、プラヤ・ヒロン勝利63周年と同党機関創設を祝いおこなわれた大規模な労働奉仕の一つに参加した。
キューバTV(2024年4月14日)
Tribuna antiimperialista acogerá celebración obrera en Cuba
https://www.radiohc.cu/noticias/nacionales/352212-tribuna-antiimperialista-acogera-celebracion-obrera-en-cuba