2024年04月25日
フィデル・カストロのハーバード大学演説から65年 米国親善旅行同行記(最終第10回)
フィデル・カストロ、ハーバードでの演説、1959年4月25日。バルコニー沿いに座っている1人目が法学部の部長マクジョージ・バンディ。
Cubadebate、2024年4月25日、Luis Báez
1959年4月15日、フィデル・カストロは、米国への旅行を開始し、それは4月28日まで続いた。このときフィデルは、アメリカン・ソサエティ・オブ・ニュースペーパー・エディターズ(新聞編集者協会)の招待にこたえて民間人として渡航した。この旅行は、ルイス・バエスによって書かれた書籍「フィデル・世界をめぐる」に詳しくまとめられている。バエスは、米国・カナダ・南アメリカをめぐる最高司令官に同行した新聞記者の一人だった。
この歴史的旅行から65周年を記念して、クーバデバテと「フィデル思想の戦士」サイトは、バエスによる当時の回想録を共有する。
1959年4月25日、土曜日
ニューヨークからボストンへ列車で移動。ハーバード大学で教授や学生たちと交流。ある若者グループがフィデルに、「キューバで独裁を終わらせるために命をかけた」ホセ・アントニオ・エチェバリアとフルクトゥオーソ・ロドリーゲスの名誉プレートを献上。
ハーバードスタジアムにあるディロン・フィールド・ハウスの広大な敷地に1万人を超える人びとが集まる。その演説は聞き手に深い感動を与える。
フィデルはあらゆる側からの招待を断らなければならない。各地でフィデルを求めている。サンフランシスコ、シカオ、デトロイト、ニューオーリンズがフィデルの来訪を申し入れる。
ボストンから、親善大使はモントリオールへ出向く。カナダは、フィデルの旅行におけるもうひとつの画期的成功である。
27日の月曜日にテキサスのヒューストンに着き、この州がなした温かい招待を、短時間ではあったが、こなした。ここが米国領土での最後の経由地である。ここでラウル・カストロ司令官が待っている。
記者団への短い声明のなかで、ラウル・カストロ軍司令官は、こう述べた。「意見交換のための短い旅だ。わたしは国内の全体的状況の報告をし、新たな指示を受け取った」。
28日、二人の兄弟は別れる。ラウルがハバナに向けて出発。南半球はキューバ革命の旗手を出迎える準備をする。
動画での、ハーバードのフィデル
フィデル・カストロ、ハーバード大学での演説、1959年
フィデル・カストロはカナダ最大の小児病院「セイント・ジャスティス」を訪問、1959年4月26日
Fidel en Harvard hace 65 años: Un viaje de buena voluntad(X y Final)
http://www.cubadebate.cu/especiales/2024/04/25/un-viaje-de-buena-voluntad-a-65-anos-de-la-visita-de-fidel-castro-a-estados-unidos-x-y-final/