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2024年04月18日

キューバ 11月のプレミア12でグループBに決定 日本・韓国・ドミニカ共和国らと対戦

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JIT、2024年4月18日、José Luis López Sado記者

世界野球連盟がきょう木曜日(4月18日)に発表したところによると、11月に中華台北で開催される第三回プレミア12野球トーナメント2024でキューバはグループBに出場することが正式に決まった。

この強力なグループには、力のあるアジアの三か国、日本、韓国、開催国中華台北に加え、このトーナメントで歴史を持つドミニカ共和国とオーストラリアが参加する。

世界のトップ12に位置する残り6か国は、グループAに登録され、メキシコでの開催となる。これらのチームは、米国、プエルトリコ、パナマ、ベネズエラ、オランダ、開催国メキシコである。

Bグループは、間違いなく、キューバチームにとって難しいグループとなる。直近の二大会連続でメダルを獲得している唯一の2チームである、韓国(2015年王者、2019年銀メダル)と、日本(2015年銅メダル、2019年王者)がいることに注目である。

今大会への出場を決める際に考慮された2023年ランキングで、キューバは3121ポイントで8位に終わった。2グループに分かれる出場12チームは、総当たり制でプレーする。

各グループの上位2チームはスーパーラウンドに進出する。スーパーラウンドでは、予選ラウンドの結果が反映される。各チームは、予選ラウンドで別のグループにいたチームと対戦し、上位2チームが優勝を争う。その舞台は日本の首都にある東京ドームとなる予定である。

キューバの野球指導陣は、強力なチームを構成するよう目指し、メジャーリーグのチームにいる選手たちとの対話を続けている。しかしながら、最初の招集は、第63期キューバ国内リーグと、その後のエリートリーグで活躍した選手たちとなることが、明らかにされている。


クーバビシオン・デポルテ(2024年4月20日) *開始時間設定済み

Cuba en grupo B del Premier 12 de Beisbol
https://www.jit.cu/NewsDetails.aspx?idnoticia=767919
タグ:Premier 12
posted by vivacuba at 09:58| Comment(0) | TrackBack(0) | beisbol

フィデル・カストロの米国訪問から65年 キューバ

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フィデル(右)、セリア・サンチェス(左)、キューバ革命の友人でありニューヨークタイムズのコラムニストである米国の新聞記者ハーバート・マシューズ(中央)、ワシントンのキューバ大使館でのレセプションにて、1959年4月18日。

Cubadebate、2024年4月18日、Luis Báez

1959年4月15日、フィデル・カストロは、米国への旅行を開始し、それは4月28日まで続いた。このときフィデルは、アメリカン・ソサエティ・オブ・ニュースペーパー・エディターズ(新聞編集者協会)の招待にこたえて民間人として渡航した。この旅行は、ルイス・バエスによって書かれた書籍「フィデル・世界をめぐる」に詳しくまとめられている。バエスは、米国・カナダ・南アメリカをめぐる最高司令官に同行した新聞記者の一人だった。

この歴史的旅行から65周年を記念して、クーバデバテと「フィデル思想の戦士」サイトは、バエスによる当時の回想録を共有する。

1959年4月18日、土曜日

18日(土曜日)の予定表には、唯一公式の行事として、夜の外交団とのレセプションが記録されている。首相は初めて別の制服を披露する。メダルもリボンもない軍服に、白いYシャツと、黒いネクタイ。

米国首都で信任されている大使の大半が招待に応じている。唯一これを避けたのはニカラグアとドミニカ共和国の両大使。

招待者たちが退席すると、ある集団が警備員の目をかいくぐり大使館をこっそり抜け出す。6人から成るグループ。フィデル、セリア・サンチェスに4人の叛乱軍メンバー。

深夜をすぎて、中華料理レストランに入り込む。客のあいだに驚きがあがる。フィデルは一般の注目の的になる。フィデル現るという知らせがすぐに界隈に広がり、遅い時間にもかかわらず、近隣住民たちがこの店舗に殺到する。

そこからWWDCステーションのスティーブ・アリソンが司会の番組が放送される。アナウンサーはフィデルに会見するという独占的権利を手にいれる。

夜中3時に大使館に戻るところ。そのとき、ダンスから帰る数組のカップルがマンションの前を横切る。彼らはフィデルを見つけ、歩道ですぐに会話がまた始まる。おしゃべりはほぼ夜明けまで続く。

この1959年4月18日の写真


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フィデル(右)がロシア大使のミハイル・メニシコフ(左)に挨拶。ワシントンで信任された外交団とのレセプションにて。中央はキューバ大使のエルネスト・ディイゴ。1959年4月18日。

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ジャックとジェフのカストロ兄弟はキューバ大使館の前に3時間以上いた。大使館は閉まったままだったが、フィデルに会うことなく立ち去りたくなかったのだ。誰かがこのことを最高司令官に伝え、フィデルは彼らを自分の部屋に迎え入れた。1959年4月18日。(アルベルト・コルダ撮影)


ニュース映像 カストロ、ワシントンに到着(1959年4月15日)

Un viaje de buena voluntad: A 65 años de la visita de Fidel Castro a Estados Unidos (IV)
http://www.cubadebate.cu/especiales/2024/04/18/un-viaje-de-buena-voluntad-a-65-anos-de-la-visita-de-fidel-castro-a-estados-unidos-iv/
posted by vivacuba at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | cuba
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