2020年06月11日
キューバ野球リーグ 新型コロナウイルス回復段階の第二フェーズで再開へ 首相が発表
JIT、2020年6月11日
キューバのマヌエル・マレーロ・クルース首相はきょう(6月11日)、第60期キューバ野球リーグは新型コロナウイルス流行からの回復段階の第二フェーズが宣言されるときに開幕する、と承認した。
この首相の発言はテレビ番組「メサ・レドンダ」でなされた。同番組にははじめミゲル・ディアスカネル・ベルムーデス大統領が、終わりにはアレハンドロ・ヒル第一副首相兼経済相が出演した。
わが国の国技である野球をテーマに掘り下げる際に、マレーロ首相は、公共イベント用に定められた安全プロトコルが適用され、感染のリスクがある地域の球場では閉鎖した状態でプレーする可能性がある、と認めた。
首相は、野球を楽しむことに対する国民の需要を認め、人びとのレクリエーションと享受におけるその役割を強調した。
マレーロ首相はまた、キューバでの国際大会は、国内状況によってだけでなく、世界的な判断と情勢によって、休止したままではあるが、今回の回復第一段階の第二フェーズにおいては、野球の学生グループたちがその練習を終え、高いパフォーマンスの選手たちのトレーニングが再開される、と発表した。
国民からのその他の要請への返答のなかで首相は、第一フェーズ以降、国営および非国営のジムが、衛生・安全・ソーシャルディスタンスの措置をとりながら、再開できるようになる、と述べた。
レクリエーション施設の再開についてコメントする際、首相は、公園や社会サークル、動物園などに言及した。都市レベルのスポーツ施設については言及されなかった。これらの詳細については、次回のメサ・レドンダでINDERのオスバルド・ベント・モンティジェール会長が情報を提供することになっている。
キューバTV 「メサ・レドンダ」(2020年6月11日)
El béisbol formará parte de la recuperación de la COVID-19
http://www.jit.cu/NewsDetails.aspx?idnoticia=147583
2020年06月10日
ヤリエル・ロドリゲス最新インタビュー 中日ドラゴンズ新加入のキューバ人投手
ヤリエル・ロドリゲス
Radio Cadena Agramonte、2020年6月10日、Juan Mendoza Medina記者
現在シーズン前の活動がおこなわれている日本プロ野球リーグは6月19日に開幕する。そこには中日ドラゴンズと契約しているカマグエイのヤリエル・ロドリゲス投手が参加する。
本紙はフェイスブック経由でロドリゲス投手にインタビューした。ロドリゲスは、当初トレーニングはひじょうにハードで激しいためかなり複雑に感じられたが、「難しいことは好きだし、訓練して、いまはもう慣れた」、と認めた。
適応は難しかった。とりわけ最初の数週間は。時差、食生活習慣、家族からの距離、特に幼い息子のことがとても恋しい。睡眠時間もなくなって、疲れたままトレーニングに参加するようになったが、少しずつそれを乗り越えていった、とロドリゲスは告白する。
「同じ悩みを共有しているチームメイトのおかげもあり、慣れていった」
「エル・ガジェーロ・デ・サン・セラピオ」(カマグエイのこの投手の愛称)は、第60期キューバ野球リーグにとって大きな不在の一つであるが、当人は、「対応できる若い選手が育ってきているし、すぐれた投手陣スタッフもいる」、と話した。
ロドリゲスは、二軍では先発になるだろうと述べ、「結果と努力と献身によって一軍に上がることを期待されている。リーグでの戦いに立ち向かう用意はもうできている」、と話した。
身体トレーニングと同じくらい重要なのが、健康への注意となっている。そのためにヤリエルは、「すでに日本は状況が改善されつつある」とはいえ、「できるだけ外出しない、つねにマスクを着用する、手指消毒を用いる、できるだけ最大の距離をとってトレーニングする」といった新型コロナウイルスの現段階への対策に注意を怠たることはない。
最後にこの若き投手は、自身の人生とキャリアに関係するすべての人びとにメッセージを送る。「家族・両親・弟・とりわけ息子へ:みんなことが恋しい。いつもみんなのことを思い出している。カマグエイチームへ:試合に全力を尽くすように。もし決勝に進めば、僕もキューバにいて皆と一緒に出場し王者を目指そう。ファンへ:好調のときも不調のときも応援してください。常に勝利に向かってグラウンドに出ていきます」。
間違いなく、日本野球リーグへの歩みは、同選手にとって将来に向けたベストの質をもたらす経験となる。
確実に彼の名前はニュースになるだろう。シーズン前でも6月19日に開幕する公式試合開始後でも、リバン・モイネロ、ライデル・マルティネス、アリエル・マルティネスのキューバ選手3人とともに。
このニュース音声はこちらから。
ヤリエル・ロドリゲスへのインタビュー動画(フェイスブックより)
Yariel Rodríguez desde Japón: Estoy listo para enfrentar la Liga Profesional (+Audio y video)
http://www.cadenagramonte.cu/articulos/ver/96336:yariel-rodriguez-desde-japon-estoy-listo-para-enfrentar-la-liga-profesional
2020年06月03日
キューバ野球 移民選手の代表チーム復帰へ取り組み開始
Radio Habana Cuba、2020年6月3日
キューバは、アジアやラテンアメリカを中心に他リーグで現在契約している移民野球選手を代表チームに召集ための具体的な取り組みを行っている、とキューバ野球連盟の幹部が発表した。
キューバ野球のルイス・ダニエル・デル・リスコ規則審判長は、キューバTVの番組「ボーラ・ビバ」において、このテーマを幅広く取り上げ、連盟は現在、ファンの要求に応えるための「法的規範」に取り組んでいる、と語った。
「賢く、節度を持って取り組まれている。これは難しいテーマではあるが、われわれは国民が期待するその瞬間にたどりつくために適切な手順を踏んでいると思う」、とデル・リスコは述べた。
キューバ野球のいくつかの喫緊のテーマについて質問されたデル・リスコは、野球局による聴聞会において全国のファンからより熱心に言及されたものの中から、移民した選手たちの再加入をあげた。
「これは困難さと観点を持つテーマであり、失敗しないように(詳細に)取り組んでいかなければならない」と語ったデル・リスコは、これが「承認と研究を伴うが、達成しうるように手順を踏んでいる」テーマであることを明らかにした。
「法的規範に取り組んでいるが、すでに動き出している。キューバ野球は国によってなされた全国聴聞のあいだ国民が提起したことによって計画されており、その中でもこの提起が力強くある」、とデル・リスコは認めた。
「(それらの移民選手たちの)すべての国際経験もわれわれは求めている。ここキューバで他のスポーツ(バレーボール、バスケットボール)がいかに結びついているか。INDERがこれにどのように対処しているか、移民や法的観点から、この要素をどのように取り込むことができるか」、とデル・リスコは強調した。
移民選手の復帰は「分析されている。これは潜在的な要素ではあるが、われわれはつねにこれを見直しており、解決が見つかると思う」、とデル・リスコは認めた。
番組出演者たちは、現在他リーグにいるレオニス・マルティン、アレクサンデル・ゲレーロ、ダヤン・ビシエド、ユニエスキ・マヤ、アリエル・ミランダ、のような米大リーグでの経験を持ち、キューバ代表チームのユニフォームを着ることに関心を示している選手たちが代表チームに召集されうる、と推測した。
また、五輪予選、WBC、五輪のような主要大会で召集がなされるであろうことを示唆した。
今回のテレビ番組では言及されなかったが、キューバ野球での選手の再加入には、米大リーグと現在結びつきを持たないこと、および、国際大会でのキューバ代表チームから離脱していないこと、が必須である。
キューバTV ボーラ・ビバ(2020年6月3日)
Béisbol cubano da pasos concretos para reintegrar a peloteros emigrados
http://www.radiohc.cu/noticias/deportes/224530-beisbol-cubano-da-pasos-concretos-para-reintegrar-a-peloteros-emigrados
2020年05月24日
デスパイネとグラシアルは環境が整い次第日本へ キューバ野球連盟会長語る
イヒニオ・ベレス会長
JIT、2020年5月24日
キューバ野球連盟のイヒニオ・ベレス会長はきょう(5月24日)当サイトに対し、アルフレド・デスパイネとユリスベル・グラシアルは渡航の環境が整い次第、日本に向かう、と説明した。
このコメントは、ソフトバンク・ホークスの森浩之ヘッドコーチがスポーツ報知に対し、この2人のキューバ選手は移動に使える時間がほとんどなく、日本到着時に隔離措置の対象となるため、今季開幕には間に合わないだろうと認めたわずか数時間後に、発せられている。
「ソフトバンク・ホークスに対しては、デスパイネとグラシアルは退院し、できうる限りのトレーニングをしており、できるだけ早く出発する用意をしている、と連絡している。ただし、それは国境が再開し、適切で安全な渡航ルートが特定できるまでは起こり得ないだろう」、と会長は説明した。
「私たちは当然に選手たちの健康を気にかけており、そのためその渡航は安全でなければならない。そのあと、日本では、リーグとチームが新型コロナウイルス感染症の伝染を防ぐためにとるであろう衛生措置を信頼している」、と会長は言い添えた。
会長はまた、リバン・モイネロ、ライデル・マルティネス、ヤリエル・マルティネス、アリエル・マルティネスは日本にいるが、デスパイネとグラシアルは負傷回復のため治療を受けながらここに取り残された、と回想した。
今度の5月25日(月)には、日本政府が緊急事態宣言の解除を発表すると予想されており、その直後に日本野球リーグは今季開幕日を決定するとみられている。
いくつかのメディアは、もっとも可能性のある開幕日として6月19日をあげ、デスパイネとグラシアルの再登場を7月の頭か半ばと予想している。
これは、2週間の隔離義務順守と、そのあと行われるトレーニングの必要性を考慮したものである。いずれにしてもこれは、彼らが日本の地に到着したあとで正確に発表できることであろう。
Despaigne y Gracial viajarán a Japón apenas exista la oportunidad
http://www.jit.cu/NewsDetails.aspx?idnoticia=147460
2020年05月23日
キューバ野球局 25歳以下の特別強化選手116人のリスト発表
アリエル・ペスターノ・ジュニア(グランマ)
JIT、2020年5月23日
キューバ野球局はきょう(5月23日)、「トレーニングセンター2020-2024」のメンバーとなる才能ある選手たちの最新リストを本サイトに提供した。
このリストには、全県およびイスラ・デ・ラ・フベントゥ特別自治区の、捕手11人、内野手23人、外野手20人、投手62人が含まれている。
これは、キューバ代表チームおよび現在の海外リーグでの契約戦略が必要とする高いパフォーマンスをこの期間に維持または獲得するための条件を備えている116人である。
キューバ野球局のレイナルド・レイノソ局長が繰り返し述べたとおり、これは進行形のノミネートであり、新たな提案や必要なあらゆる修正を受け入れるものである。これはまた、将来のキューバ代表チームを生み出す唯一の手段というわけでもない。
4月29日の時点で本サイトが紹介したノミネートの最初のバージョンには、90人の選手が含まれていた。今回、25歳以下のメンバーで構成されたこのグループにさらに26人が追加された。
それぞれの有望選手たちは、その個性やすぐれた長所を詳細に物語る個人ファイルを所有しており、欠点についてはそれぞれの地域で選ばれたコーチ陣によって取り組まれる。
このたび承認された手続きは、第60期キューバ野球リーグの最中とその前後で、それぞれの選手の評価を用意しているが、同リーグは開幕日が未定であり、開催試合数についても決定されていない。
今回の選抜は、若さだけでなく、とりわけ、その技術・身体的能力や身長・体重などの前提条件を考慮しながら、識別されている。
メンバーリスト
ピナール・デル・リオ (7人)
Tony Guerra Echazabal (1B), Reynaldo Lazaga Hernández (J), Liván Moinelo Pita (L), Raidel Martínez Pérez (L), Luis A. Silva Silva (L), Leodán Reyes Lugo (L) y Frank A. Álvarez Díaz (L).
アルテミサ (11人)
Andy Cosme Oliva (R), Yansel Reyes Machado (JC), Henry Llorente Rodríguez (J), Carlos A. de la Tejeda Vinent (J), Sean Rodríguez Pérez (L), Andy L. Pérez Ortiz (L), Arián Abreu Álvarez (L), Leodán García Zaballa (L), Issac Alfonzo Rodríguez (L), Laidel Torres González (L) y Yanley Delgado Borrero (L).
イスラ・デ・ラ・フベントゥ (8人)
Luis Rojas Aguilar (JC), Eddy Rodríguez Lugo (JC), Jhony Hardy González (J), Jonathan Carbó Campoalegre (L), Franklin Quintana Gamboa (L), Damián Balón Rivero (L), Yeiniel A. Zayas Londres (L) y Kendry Hernández Brown (L).
ラ・アバナ (5人)
Andrés Hernández Díaz (3B), Andy A. Rodríguez Valdés (L), Bryan A. Chi Montoya (L), Pavel Hernández Bruces (L) y Yandy Molina Barrios (L).
マヤベケ (9人)
Javier Carabeo Méndez (R), Juan C. Hernández Ortiz (1B), Rangel Ramos Pozo (SS), Orlando Capote Guerrero (J), Darián Alonso Rodríguez (L), Alyanser Álvarez del Sol (L), Diosvel Nápoles Regifo (L), Marlon Cruz Serrano (L) y Julián Quintana Laguardia (L).
マタンサス (8人)
Ariel Martínez Marrero (R), Andrys Pérez García (R), Armando Dueña Moré (L), Andy Quesada Coto (L), Reinier Rivero Estrada (L), Jaykel Parra Limonta (L), Ariel Carillo Suárez (L) y Naykel Y. Cruz Zaldívar (L).
シエンフエゴス (8人)
Daniel Pérez Pérez (1B), César Prieto Echavarría (2b), Luis V. Mateo Terry (SS), Luis E. González Duncan (J), Félix J. Rodríguez García (J), Hermes David González (L), Abel Campos Carrazana (L) y Luis A. Serpa Socarrás (L).
ビジャ・クララ (6人)
Juan C. López Rojas (2B), Walter Pacheco Hernández (1B), Ottoniel González Veliz (J), Pablo Luis Guillén Díaz (L), Javier Mirabal Espinosa (L) y Eduardo Rodríguez Cabrera (L).
サンクティ・スピリトゥス (12人)
Yúnior Ibarra Araque (R), Loidel Rodríguez Peralta (R), Rodolexis Moreno González (3B), Diasmany Palacio Rodríguez (1B), José M. Fonte Frenes (SS), Geiser Cepeda Lima (J), Dismany Ortiz Lugones (J), Yanquiel Maury Gutiérrez (L), Roberto Hernández Navarro (L), Edelso Montesino Magad (L), Luis Daniel Morales Aguilera (L) y Pedro A. Álvarez Jiménez (L).
シエゴ・デ・アビラ (9人)
Lázaro Martín Álvarez (R), Johanthan Brindon Sarduy (R), Roberto Castillo Montero (UTI), Leosbanis Pérez Ocampo (UTI), Yuddiel González Torres (J), Fernando Betanzo Marrero (L), Sergio Hernández Santana (L), Ronaldo Lobaina Pino (L) y Arnaldo Rodríguez Romero (L).
カマグエイ (10人)
Julio Nogueira Figueredo (R), Yoel Darce Herrera (1B), Yandy Yanes Nembhar (UTI), Luis González Ascuy (J), Denis Luace Lemez (J), Leoidel Chapellí Zulueta (J), Yariel Rodríguez Yordi (L), Yosimar Cousín la Rosa (L), Juan Contreras Esquivel (L) y Luis Gómez Pérez (L).
ラス・トゥナス (3人)
Denis Peña Rivero (JC), Osmani A. Urrutia Hernández (J) y Dailer Peña Torres (J).
オルギン (4人)
Dasiel González García (J), Rafael Sánchez Thoppe (L), Michel Cabrera Rodríguez (L) y Enmanuel Chapman Ayón (L).
グランマ (7人)
Ariel Pestano Rosado (R), Iván Prieto González (R), Guillermo García García (1B), Miguel González Fuentes (UTI), Darién Palma Fonseca (J),Francisco Venecia Suárez (J) y Yankiel Sánchez Morales (L).
サンティアゴ・デ・クーバ (6人)
Santiago Torres Brene (JC), Yoelquis Guibert Stevens (J), Ulfrido García Andújar (L), Carlos Font Mustelier (L), Yúnior Tur Pozo (L) y Uber Mejías Fondín (L).
グアンタナモ (3人)
Yeudis Reyes Gamboa (L), Dayron Mena Silot (L) y Alexander Valiente Rodríguez (L).
ヨシマル・コウシン(カマグエイ)
アンドレス・エルナンデス(インドゥストゥリアレス)
Informan listado de talentos del béisbol cubano
http://www.jit.cu/NewsDetails.aspx?idnoticia=147451
2020年04月17日
ペドロ・ルイス・ラソ フィデル・カストロを語る
ペドロ・ルイス・ラソ(左)、フィデルと。1999年オリオールズとの試合後。後ろにアルフォンソ・ウルキオラ監督
Cubadebate、2020年4月17日、Angélica Arce Montero記者
キューバ人投手のレジェンドの一人、ペドロ・ルイス・ラソは、フィデルが自分を巨人にし、フィデルの革命的スポーツにおける影響のおかげで、登板し、ストライクを投げ、キューバリーグ257勝の最多勝利投手になることができた、と語る。
ピナールの摩天楼ラソは、1996年に革命司令官と対面した。アトランタ五輪に向けて出発する前のことだった。「フィデルと一緒に食事する機会を持った。その食事会では皆がうわの空だった。オマール・リナレス、アントニオ・パチェコ、オマール・アヘテ、ホセ・アリエル・コントレラス、オレステス・キンデラン、ルイス・ウルティア、、、。どうしていいかわからなかった。これ以前にフィデルに会ったことのある者も中にはいたが、若い選手たちはとても緊張していた。私たちはただ耳を澄ましていた。」
「そのときフィデルはわれわれに指示を与えるのを止めなかったが、大会中はさらに指示を与えた。われわれが金メダルを取って帰国したときは、そこでチームの一つひとつを分析しながら歓喜の演説をした。フィデルは天才だった。野球の技術・戦略に関する豊富な知識を持ち、中でも投手のポジションを好んでいた。それをわれわれは共有していた。」
- 背番号99の野球レジェンドであるあなたが覚えているそれ以外の逸話は何ですか。
カムデン・ヤーズ球場でバルチモア・オリオールズに12対6で勝ったときのことを覚えている。アルフォンソ・ウルキオラが監督で、キューバチームがリベンジした試合だ。フィデルはキューバでわれわれのためにとんでもない歓迎会を用意してくれた。国家評議会に到着するとフィデルが待っていて、われわれはフィデルと写真を撮った。その存在感に私はあらためて衝撃を受けたが、同僚たちが躊躇しているのを見て、短パン姿だったが一番先に写真を撮った。
2004年のアテネ五輪で凱旋帰国したときのことも覚えている。私が自分のメダルをプレゼントしようとしたら、すぐに私に戻してこう言ったんだ。「これはあなたのものだ。あなたが獲得したんだ」。一生忘れられない言葉だ。
われわれが海外での大会に出ていくたびにフィデルは、タイトルを持ち帰ることよりも、グラウンドで堂々として輝かなければならない、と教えてくれた。われわれのことをいつも気にかけてくれて、それがわれわれのモチベーションになっていたんだ。
重要な試合があるとき、われわれは彼のことを考えていたし、そういうときの大半は勝利を持ち帰った。うまくいかなかったときは、「気にするな。次がある」と言っていた。だからこそ、多くのアスリートたちがその勝利をフィデルに捧げたのだと思う。
- チャベスとのOB戦では関係が広がりましたか。
うん、1999年11月18日におこなわれたその試合の前後にあった。その夜、ラティーノアメリカーノ球場で、司令官(フィデル)はわれわれ全員を驚かした。われわれは自分たちが何のためにそこにいるのか知らなかった。彼はすぐにこう言った。「ベネズエラとのOB戦を楽しもう。勝たねばならない。」
そうすると、ファンたちがわれわれの姿を見始めて、笑いに包まれた。そのあとフィデルにあなたの髭を私もつけたいというと、彼は大笑いした。フィデルの笑いは伝播力があった。いまだに私はそれを覚えている。革命のスポーツに彼が影響を与えたその透明性と同じように。
- 第1回WBCでの歴史的な準優勝にフィデルはどれほど関わっていますか。
2006年は私のスポーツキャリアにおける鍵となった。残念なことにその年は司令官が病に倒れた年だったが、WBCの時期はまだわれわれのためにそこにいてくれた。
われわれが絶望しないようにカウンセラーの役割も果たしながら電話で元気づけてくれた。われわれはそうしてグラウンドに出た。キューバが決勝進出を決めた試合を私は大きな喜びとともに覚えている。われわれがあらゆる予想を打ち破った野球再生の瞬間だった。
2位に終わったときのフィデルからのメッセージは、今回の結果は金に等しい、というもので、すぐにわれわれのためにハバナ中での歓迎パレードを組織してくれた。そのことを私は人生の最良の瞬間の一つとして記憶している。
フィデルに最後に会ったのは2008年の北京五輪で準優勝に終わったときだった。もう彼はわれわれを迎えには行けなかったが、われわれが彼に会いに行った。会話はいつものように楽しいもので、彼が好きだった私の冗談を笑いながら終わった。フィデルはいつも私に、ケガをしないように気をつけていることは何かと尋ねていて、私は同じことを答えていた。「司令官、投げて、投げて、投げることだよ」。
この会話は電話でおこなわれた。エル・ヒバロ(家族や友人はラソをこう呼んでいる)はピナール・デル・リオ市の自宅の台所で魚をさばきながら。
他の多くのキューバ人と同じく、ここ数日は彼の家でも社会的距離が尊重されている。この偉大な投手は、
フィデルがいつもベンチからプレーしていたあれらの試合を思い起こすことを楽しんだ。
フィデルとラソ:カリスマ的キューバ人であり野球愛好者同士、国民のための男たち
ペドロ・ルイス・ラソ・イグレシアスの主なスポーツ成績
・革命勝利後のキューバ野球投手ベスト5の一人として多くの人びとから評価されている。
・五輪に4回出場した世界唯一の野球選手(金メダル2個、銀メダル2個)。
・国際的に非常に成功を収めた投手。22勝し、負けはわずか2敗、セーブ31個。
・第1回WBC(2006年)にキューバ代表入り。決勝進出の鍵となった。
・第1回WBCで最も多くの打者と対戦した投手だった(49打者)。防御率2.25、1勝1セーブ。
・キューバ野球リーグ最多勝利投手。257勝136敗。
・キューバリーグ20年で2426奪三振、通算防御率3.22、対戦相手の通算打率.245。
・プレーオフで72試合に登板、うち先発48試合、完投26試合、29勝7セーブ、6完封、311奪三振。
・キューバ首都のチーム、インドゥストゥリアレスを圧倒的に抑え、27勝6敗。
・1997年と1998年にリーグ連覇を果たしたピナール・デル・リオを牽引した並外れた投手陣のひとり。
二人の偉人、ラソとペスターノ。第1回WBCの決定的場面。
ペドロ・ルイス・ラソ、カピタン・サンルイス球場にて。
ラソは第1回WBCで見事なパフォーマンスを披露した。49人の打者と対戦し、防御率2.25に抑える。
キューバ対ボルチモア・オリオールズ(1999年3月3日、米ボルチモア)最終回のみ
キューバ対ベネズエラOB戦(1999年11月18日、ハバナ)途中のみ
キューバ対ベネズエラ 第1回WBC第二ラウンド(2006年3月12日、プエルトリコ)5回無死満塁をしのぐ
キューバ対ドミニカ共和国 第1回WBC準決勝(2006年3月18日、米カリフォルニア)最終回のみ
Fidel y Pedro Luis Lazo: Dos gigantes, risas y la pasión por la pelota
http://www.cubadebate.cu/especiales/2020/04/17/fidel-y-pedro-luis-lazo-dos-gigantes-risas-y-la-pasion-por-la-pelota/#.XpsF5MgzbIU
2020年04月15日
ペドロ・ルイス・ラソ 47歳の誕生日 キューバ野球リーグ史上最多勝利投手
ペドロ・ルイス・ラソ
Radio Habana Cuba、2020年4月15日
キューバ野球史上最高の投手の一人、ペドロ・ルイス・ラソがきょう4月15日、47歳の誕生日を迎えた。「ピナールの摩天楼」「エル・ヒバロ」と称されるラソは、キューバリーグ史上最多勝利257勝をはじめ、さまざまな記録を保持している。
ピナール・デル・リオ県生まれのラソは、五輪に4回出場した世界で唯一のキューバ人野球選手であり、そのうち金メダル2個、銀メダル2個を獲得している。さらに世界選手権とパンアメリカン選手権で各4回優勝している。
1990年に自県のチーム「フォレスタレス」でデビューしたラソは、その5年後にマル・デ・プラタでのパンアメリカン選手権で初めてキューバ代表として参加して以降、2010年に引退するまで代表メンバーとして常に不可欠な存在だった。
そのキャリアで最も記憶に残る場面の一つは第一回WBC(2006年)である。この大会でラソは華々しいキューバ代表チームとともに複数勝をあげた。準決勝のドミニカ共和国戦では、ダビ・”パピ”・オルティスやアルベルト・プホルスのような「怪物的」打者を抑え、最後は傑出した大リーガーであるアルフォンソ・ソリアーノから三振を奪い、試合を締めた。
国際試合でのその成績は22勝31セーブと顕著なものである。負けはわずか2敗で、そのうちの一つは大リーグのボルチモア・オリオールズ戦である。キューバ野球のプレーオフではとりわけ複数回王者インドゥストゥリアレスに対して15勝6敗と大きな壁となった。
引退後はキューバとメキシコの野球界でコーチあるいは監督として務めている。
ラソは社会的活動や人間的感性でも際立っている。数年前から故郷ピナール・デル・リオ県の児童養護施設を支援している。
キューバ対ドミニカ共和国 2006年WBC準決勝5回裏 先発ヤデル・マルティを救援
キューバ対ドミニカ共和国 2006年WBC準決勝5回裏つづき
キューバ対ドミニカ共和国 2006年WBC準決勝6回裏
キューバ対ドミニカ共和国 2006年WBC準決勝7回裏
キューバ対ドミニカ共和国 2006年WBC準決勝8回裏
キューバ対ドミニカ共和国 2006年WBC準決勝9回裏
キューバTV キューバの第一回WBC
De cumpleaños Pedro Luis Lazo, leyenda del béisbol cubano
http://www.radiohc.cu/noticias/deportes/219869-de-cumpleanos-pedro-luis-lazo-leyenda-del-beisbol-cubano
2020年03月17日
キューバ 4月30日まで国内でのスポーツイベントすべて中止に 新型コロナウイルス対策
Radio Habana Cuba、2020年3月17日
世界での新型コロナウイルス蔓延に対し、キューバでのすべての国際スポーツイベント中止を発表してから3日後、INDERは4月30日まですべての国内大会の中止も決定した。この中には、今週末に予定されていたキューバ陸上カップや、4月11日開幕予定だったキューバ野球リーグが含まれる。
キューバスポーツ協会(INDER)は、新型コロナウイルス予防対策の一環として、今週火曜日(3月17日)から4月30日までに予定していた国内イベントは開始されない、と発表した。
現在の状況が求める恒常的な分析の中で、INDERは、先日3月14日に発表した、同期間に予定されていた外国人選手が参加する大会を延期するという措置に、国内大会も加えるという今回の対策が適切と判断した。
INDERは、各国際連盟と各開催国の一般的世論に支えられた、五輪パラリンピックの予選過程と直接結びついたものに評価を限定し、キューバスポーツ代表団の海外への出国を最大限に制限している、ということを改めて表明する。
キューバTV(2020年3月17日)
Cuba cancela también eventos deportivos nacionales hasta el 30 de abril
http://www.radiohc.cu/noticias/deportes/217040-cuba-cancela-tambien-eventos-deportivos-nacionales-hasta-el-30-de-abril
アルフレド・デスパイネとユリスベル・グラシアル キューバで負傷箇所を検査
アルフレド・デスパイネ
JIT、2020年3月17日
キューバ人野球選手のアルフレド・デスパイネとユリスベル・グラシアルがきょう(3月17日)、スポーツ医学庁の専門家と、フランク・パイス整形外科病院の複数部門グループによって、診察された。
キューバ野球局のフランシスコ・モンテシーノス医長は、今回のチェックは、2選手が契約している国である日本で実施された検査結果が考慮され、またきょう火曜日当日に公衆保健省のスポーツ医学庁で新たなチェックが適用された、と説明した。
モンテシーノス医長は、デスパイネが左手手根骨の三角靱帯を痛めており、グラシアルは右手の小指に小さな亀裂があるが、グラシアルの負傷はキューバリーグのプレーオフで生じたもので、すでに癒合の最終段階にある、と語った。
モンテシーノス医長は、フランク・パイス病院の整形外科および外傷学の専門家ウゴ・ミランデスとリカルド・テラゴナとの調整により、両選手にはリハビリを完了させる手順が示された、と述べた。
これらの負傷によりアリゾナでの五輪予選への両選手の出場が危険にさらされていた可能性を問われたモンテシーノス医長は、両選手とも意欲を示していると主張し、大会前には今回指導した理学療法の適用が可能になっていたであろう、と意見した。
「その手続きを経て初めて最終結論がなされたであろう」、と医長は強調した。
Examinados peloteros Despaigne y Gracial
http://www.jit.cu/NewsDetails.aspx?idnoticia=143100
2020年03月13日
アリエル・マルティネス インタビュー 日本選手がキューバ選手より優れているとは思わない
アリエル・マルティネス
Cubadebate、2020年3月13日、Eduardo Grenier Rodríguez記者
アルマ・マテル誌特別インタビュー
マタンサス野球の新世代の代表、アリエル・マルティネスは他の者が夢見る場所へたどり着いた。寿司と同じくらい野球が好きな日本のリーグで、わずか7歳のときマタンサスの集落を走り回り、近所の子どもたちとの試合で負けて腹を立てたとき以来の防具を着けて、キューバでのこのスポーツの強さを示す機会を得た。
アリエルはキューバ野球の「ピラミッド」のさまざまなレベルを上り、下位カテゴリが試合するあらゆるグラウンドでマスクをかぶり、その才能が年齢と結びついたとき、県の代表チームの扉が開かれているのを見た。そのときにはすでに彼はキューバリーグの主要チームへの参加を達成していた。
「ビクトル・メサはチームのメンバー全体にプレーさせるのが好きな監督だ。はじめは、当然のごとく、難しかったが、少しずつ慣れていって、幸運にも何本か適時打を打てるようにもなった。そのあとチームの必要性からレギュラーの役目を負うことになり、正捕手として確立することができた」、とアリエルは話す。
- それ以前に、日本リーグのようなどこかのリーグでプレーすることを夢見ていましたか。
私は、子どものころ、偉大な野球選手になれば、そのころにはあらゆる種類の野球でプレーする機会が得られているだろうと思っていた。すでに青少年のころには、日本でプレーするキューバ人選手がいた。われわれが参加できる中でもっともすぐれたリーグだった。もちろん目標はそこでプレーできることだった。いまその機会を持っていることに感謝している。
日本でのルーチンについて問われてアリエルは、これを明確に定義する。「私の日本での生活は野球に次ぐ野球だ」。チームは火曜日から日曜日まで試合し、日々午前9時から練習する。正午から当日に対応する試合をおこない、終わったあと、ふたたび練習する。
- その適応過程はどれほど大変でしたか。
私は問題なかった。正直言って、すべてがあっという間に過ぎた。今も好調で、おだやかに、トレーニングとプレーを毎日とても楽しんでいる。問題が起きるのは、野球が好きな者みなと同じく、物事が望んでいる通りに進まずに、修正するために必要な機会が得られないときだ。
今度は3年目になるが、私はまだ大きなことを達成していないから、安住しているとは言うことができない。毎日グラウンドで全力を尽くすことを目標に出ていき、その結果大きなことを為すことを目指す。(と、マルティネスは1本の本塁打とほぼ同じく感謝されるその誠実さをもって言い添えた)
- 昨季のキューバリーグでは成功を刻みましたね。
マタンサスで王者になることは私のキャリアで最大の結果であり、誇りうる最大のものの一つだ。その達成は私自身がとても楽しんだし、家族や友人、マタンサスの人びとが楽しんでいるのを見ると、さらに幸せな気分になる。ある種唯一無二のものだ。
- 日本野球とキューバ野球とでは、何か違いに気づきましたか。
野球はあらゆる場所で同じものだ。彼らがわれわれより優れているとは思わない。彼らにはより上回る環境を持った厳しいリーグがあり、そのシステムは、トレーニングを始めた選手が10倍ほどすぐれた成長を示すものである。もしキューバに少なくともその半分でもあれば、かなりよくなることだろう。
- マタンサスチームの話に戻りましょう。王座制覇をようやく成し遂げるために、今年はこれまでとは違う何が起きましたか。
王座はいつか手に入るものとわかっていた。これまで一度も手に入らなかったが、今年とてもすぐれたチームができてそれが獲得できた。最後までパフォーマンスを維持したし、リーグ中に少しずつ意識を高めて、負けることはないと思えるようになった。一例をあげると二次ラウンドの終盤のことだ。とても接戦で、プレーオフに進出することができた。ファンや県民や幹部たちはときおり、陥落の心配をしていたが、われわれ選手たちは落ち着いていて、もし負けても、次は勝つだろうことがわかっていた。それがわがチームを熟練したチームにした魔術だった。
- ポストシーズンで敗れたチームを王者にするために、フェレール監督は何を変えましたか。
とてもある種困難なことを成し遂げた。それは、チームが数年前に他の首脳陣とともに持っていた規律と取り組みを維持することだった。彼に協力し詳細に取り組んだラサロ・フンコやキランテスらコーチ陣全員とともに、とんでもない信頼と団結とをチームに注ぎ込むことに成功した。
- 五輪予選のキューバ代表チームには負傷のために選ばれなかったが、現在どんな状態ですか。
いま回復半ばまで来ている。今週ゆっくりとランニングを始めたし、座って打ったり、椅子に座って投球を受けたりしている。それにジムでもトレーニングしているが、まだあまりリズムには乗れていない。
- キューバ代表チームをどう思いますか?
とてもいいと思う。つねに議論はあるだろうが、ふさわしい選手が選ばれていると思う。もちろん選ばれなかった選手もいるが、全員が行くことはできないから。捕手陣は経験を持ち、守備と打撃がある。この種の大会に捕手3人はもしかしたら多すぎるというのももっともだが、でも大丈夫。全員がプレーオフでプレーしており、好調な状態にある。
アリエル・マルティネス(右)。ライデル・マルティネス(左)とともに
Ariel Martínez: “Aún no he logrado grandes cosas, pero lo voy a conseguir”
http://www.cubadebate.cu/especiales/2020/03/13/ariel-martinez-aun-no-he-logrado-grandes-cosas-pero-lo-voy-a-conseguir/#.XmyUYKj7TIU