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2020年12月20日
檍原の古傳説地 その2
筑前説
本居宣長の著古事記傳には、
未だ斷定を與へたるにはあらざれども、其の日向なる舊蹟と云ふを後の附會と疑ひ、更に貝原篤信の説を引きて、
本居宣長の著古事記傳には、
「日向は」二つの義あるべし。とあり。
一つには比牟加比乃(ひむかひの)と訓(よ)みて、日の向ふ地と云へるなり。
此の考に依るときは、筑紫とは筑前、筑後の域を云へるにもあるべし。
今一つには比牟加乃と訓みて、卽ち日向ノ國のことなるべし。
此の考に依るときは、筑紫とは九國の總名なり。
右の二つの考何れよけむ、決(さだ)めかねたれど、書紀神功巻に、此を日向ノ國の橘ノ小門とあるにすがりて、姑(しばら)く國名の方に就きて、比牟加とは訓めり。
橘ノ小門。
書紀火折尊(ほをりのみこと)の段にも、此地名見えたり。
同處なるべし。
さて日向ノ國に、此地名物に見えず。
古へは大隅、薩摩の地までかけて日向と云へるを、其國々にもすべて物に見えず。
今も聞ゆる事なし(但し日向國に、今現に此舊蹟はたしかにありと云へり。
然れども、古書によりて舊蹟を設け作ること、世に多ければ、かるがるしくはうけがたし。)されば日向とある、日向國のことならば、後に此の地名は失せつるなるべし。
又日の向ふ地を云へるならば、九國の地にて尋ぬべし。
未だ斷定を與へたるにはあらざれども、其の日向なる舊蹟と云ふを後の附會と疑ひ、更に貝原篤信の説を引きて、
筑前國糟屋郡に立花と云ふ處あり。閑話休題
又席田郡にも、早良郡にも、青木村と云ふもありて、海邊なりと云へり。
信(まこと)に此の禊になりませる墨江大神(すみのえのおほかみ)、又志加海神(しかのあまのかみ)の鎭座も、皆彼の國なれば、由ありて覺ゆ。
かの青木村のあたりに、小戸と云ふものありと、貝原氏は云へり。
タグ:古事記伝
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