昨日2月5日は父の命日であった。
亡くなってから早41年目になる。
時の流れは実に速い。
自分が既に父の亡くなった時の齢を遥かに超えてしまった位だから当然のことであろう。
父が亡くなる1週間ほど前、父の義理の兄が亡くなっている。
母の兄であった。
曽祖母はこの時まだ生きていた。
子供はみな同じと言っても、松の祖母にとって一番の息子であったようだ。
その嘆きはとても大きく見ていてつらいものがあった。
言ってはならない「他の子が行かずにあの子が逝ってしまった」と。
松の祖母の長男だからではなく、おばあちゃんにとって優しい息子であり私には良き叔父であった。
叔父の死期が迫り家族親戚一同が最後の別れを惜しむように病室に詰めかけていた。
叔父が息を引き取る将にその時、叔父の視線と私の視線がピタッとあった時、一瞬息が止まりそうに
苦しかった。
じーっと見つめてくる瞳は何を言いたかったのか。
なんで俺を見つめるんだと正直思った。
瞬間であったかもしれないが、非常に永く感じられた。
そして叔父は瞳を閉じた。
再び開くことはなかった。
母が生きていた時、毎年12月の終りに松のお墓に二人して叔父に会いに出かけていた。
あの時叔父は何を話したかったのか。
聞けるはずがないのに母にその話をしながら、線香を灯すのであった。
認知症が発症しだし、余り意思表示を明確にしなくなった母も、自分の兄のお墓に焼香する時は不思議にしっ
かりしていた。
やはり自分の生まれ育った土地の風の匂いは五感に良いのだろう。
母が亡くなるまで毎年暮れに墓参していたが、母が亡くなり叔父のお墓に行く事はなくなった。
25年程前から毎年父の命日の前に墓掃除に行くようになったのは、感傷からか若しくは自身が、そこに近づい
たからか。
ちなみに今年は命日の前日2月4日に墓掃除と周りの草刈を行った。
まだ時期が早いから1時間程で作業終了。
次は4月に草刈。
この時は2時間近くかかるであろう。
年に5,6回の自主ボランティア。
2021年02月06日
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