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高原茂
メンタル心理カウンセラー・上級心理カウンセラー・行動心理士の高原茂です。宜しくお願い致します。 「このサイトはアフィリエイト広告(Amazonアソシエイト含む)を掲載しています。」 など
プロフィール

2024年10月25日

【自己意識の進化と向上】

【自己意識の進化と向上】

世の中に、

なぜ、自己啓発書が存在しているのか?

なぜ、世界中で聖書や仏典が読まれているのか?

皆んな心の奥底では、

自己意識を向上させたいと思っているからではありませんか?

様々な意見・様々な思想を参考にしながら、

自己意識を高めていく。

どこまでも高みを目指す。

『百尺竿頭一歩を進む』

という成句があります。

意味は、

『努力を重ねて高い目標に達した後も、さらに努力して満足することなく絶えず進歩向上をはかる』

です。

『青は藍より出でて藍より青し』

という成句があります。

意味は、

『青は藍を原料としながら藍より青いの意。
弟子が師の学識や技量を越えることや、
教えた人よりも教えられた人の方がまさってしまうこと』

です。

ということで、

結論は、こうなります。

『どこまでも高みを目指し、自己意識の進化・向上に努めましょう!️』

(参考図書)
『本当の幸せをつかむ7つの鍵』
(著者 ディーパック・チョプラ 訳者 住友進 サンマーク出版)

https://amzn.to/4e0vpeN



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2024年10月24日

【すべてはバランス・調和】

【すべては “バランス”&“調和”】

教祖・賢者・哲人がこう言ったから、

それが正しいと決めつけている人がいるが、

それは、

解釈の問題である。

観念がどうこうではなくて、

何をなすべきかが大事である。

『自分は正しい』

『あなたの解釈は間違っている』

と、

自身の解釈に固執すること自体が愚かである。

人の数だけ思想があり、

思想の数だけ人間がいる。

人の数だけ個性があり、

個性の数だけ使命がある。

様々な考えや個性があって、

全体としてバランスが取れている。

調和が取れている。

すべては “バランス” と “調和” である。

『千差万別』 

『十人十色』

“So many men,so many minds.”
(人の数だけ心がある)

“Every man has his humor.”
(人はそれぞれの気質がある)

(参考図書)
『富と宇宙と心の法則』
(著者 ディーパック・チョプラ 訳者 住友進 サンマーク出版)

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2024年10月23日

【真の悟りとは?】

【真の “悟り” とは?】

本当の “悟り” とは、

どういうものでしょうか?

“悟り” を言葉で表わしたら、

陳腐になってしまいます。

“悟り” は、

理屈ではなくて、

直観・インスピレーション・天啓によって、

言葉を介さずに “直覚” するものです。

とは言え、

悟りについて学べば、

悟るためのヒントになります。

悟りについて、

「『悟り体験』を読む――大乗仏教で覚醒した人々」(著者 大竹晋 新潮社)

の中に、こう書いてあります。

「『悟り』という日本語は、
もともと、
大乗仏教の覚醒体験を意味することばであったのに、
近年においては、
そうではなくなってきているのです。

ことばの意味するものは時代によって変化しうる以上、
『悟り』という日本語の意味するものが曖昧になりつつあることは一概に悪いこととは言えません。

ただし、
『悟り』という日本語が本来いかなる覚醒体験を意味していたのかを、
今のうちに記録して残しておく必要があると思うようになりました。」(7頁頁)

「さらに注意を喚起しておきたいのは、
大乗仏教徒にとって悟り体験は悟り体験だけで終わるものではないという点である。

第十三章において確認したとおり、
大乗仏教は自利(自己のためになること)と利他(他者のためになること)との二つを完成して仏となることを目的としている。

悟り体験は自利を完成するための手段である。

自利を完成することに努めるのみならず、
利他を完成することにも努めないかぎり、
大乗仏教の目的は達成されない。

それゆえに、
前近代から近代にかけて、
悟り体験者たちは、
悟り体験によって自利を得るにとどまらず、
進んで利他へと向かっていったのである。

その場合、
利他として行われていたのは、
具体的には、
他者の世俗的な問題を解決することであった。

(中略)

悟り体験者は、
獲得された叡智によって、
自己の宗教的な問題を解決するのみならず、
他者の世俗的な問題をも解決するようになる。

かつて、
世俗的な問題をめぐり苦境に陥った在家者――政治家、経営者などを含む――が、
悟り体験者である出家者のもとに相談に訪れて助言を乞うていたのも、
悟り体験者である出家者が、
獲得された叡智によって、
他者の世俗的な問題を解決していたからである。

そのような出家者の最後の世代に属していた梶浦逸外(本書109頁)は次のように述べている。

禅の修行は、
実参実語で、
自ら百錬千磨して、
先ず第一に、
最初の立派な悟りの見性、
則ち宇宙の真理を悟ることが肝要である。

立派な見性が出来たら、

『禅は諸道に通ず』

で、

次に来る差別別智を手に入れて世間一般の理事に通ずることは当然で、
若しそれが不可能なれば、
それは死んだ修行で何の役にも立たぬ。

聞いたり、
書物で得たものは、
みな他人よりの借り物で、
自分のものでは断じてない。

禅宗坊主はどこまでも自力で、

『直指人心見性成仏』

でなくてはならない。」(300頁〜301頁)

『直指人心見性成仏』とは、

「教説や修行によることなく、
座禅によってただちに自分の心の本性を見極め、
悟りを開いて仏となること」

です。

実は、

真の “悟り” に至るには、

四つのステージがあります。

すなわち、

@ 超越意識

A 宇宙意識

B 神性意識

C 統一意識

です。

統一意識が最終的なゴール(オメガポイント)です。

これについて、

『ゆだねるということ(下)』 (著者 ディーパック・チョプラ 訳者 住友進 サンマーク文庫)

の中に、こう書いてあります。

「意識の第一ステージは熟睡状態です。

熟睡している瞬間も、
人間は何かしら知覚を働かせていて、
音、明るい光、接触のような刺激には必ず反応します。

しかし、
たいてい、感覚は鈍くなり、
認識したり、知覚したりすることはほとんどありません。

意識の第二ステージは、
夢を見ている状態です。

夢を見ている間は、
熟睡中より眠りが浅くなり、
身体も敏感になっています。

夢を見ている最中は、
この世界のほうが現実で、
重要であり、
何かおかしいなどとはまったく思いません。

しかし現実だと思っているのは夢を見ている間だけのことです。

目を覚ませば、
夢での出来事が奇妙だと気づきます。

意識の第三ステージが覚醒状態です。

大多数の人がもっとも多くの時間を過ごしているのがこの段階です。

目を覚ましているときの脳の活動は、
熟睡中や夢を見ているときとはかなり異なっています。

意識の第四ステージは、魂の姿を垣間見る瞬間に訪れます。

日常の意識を超越したとき、
ほんの一瞬、
穏やかで静寂な状態が訪れ、
内面に住む観察者(スピリット)に気づきます。

瞑想中に訪れるのがこの意識ステージです。

瞑想しているとき、
思考と思考の間に、
わたしたちはこの静寂な瞬間を体験します。

定期的に瞑想している人は、
瞑想するたびにこのような状態を体験し、
自己の意識ステージを拡大しています。

この段階に入ると、
生理にも影響が現れてきます。

コルチゾールやアドレナリンが減少し、
ストレスが減っていきます。

血圧は下がり、
免疫機能も向上します。

思考と思考の間を体験したときの脳の活動は、
起きている間の敏感な状態とはかなり異なっていることが証明されています。

魂の姿を垣間見ることで、
脳と身体のどちらにも生理的な変化が起こるからです。

シンクロニシティの気配も感じとれるようになります。

意識の第五ステージは宇宙意識と呼ばれています。

この状態になると、
あなたのスピリットが自分の身体を観察できるようになります。

あなたは無限のスピリットとなり、
自らの状況に気づき、
敏感になります。

眠っているときでも、
まるで体外離脱を体験しているように、
スピリットは熟睡中の身体を眺めているのです。

スピリットと一体になると、
熟睡中や夢を見ている時間だけでなく、
目覚めている状況でも、
知覚が鋭くなります。

このステージに入ると、
目覚めているときにも体外離脱と似たような現象が起きてきます。

あなたの身体はテニスをしたり、
電話で話したり、
テレビを見たりしているかもしれませんが、
その間ずっとスピリットがあなたの身体と精神を観察しているのです。

五つ目のステージが宇宙意識を呼ばれているのは、
あなたの意識がここにいながら、
『すべて』である領域にもつながれているからです。

このステージで、
『すべて』である知性との結びつきを肌で感じたとき、
実際にシンクロニシティが発生します。

この状況で、
あなたは自分を意識しながら、
同時に自分以外のあらゆるものとのつながりを感じています。

あなたは存在するあらゆるものとの一体感を十二分に満喫します。

直感が鋭くなり、
創造力や洞察力も増していきます。

このような体験が味わえる宇宙意識の状態に到達したときには、
たとえサッカーをしていても、
脳波は瞑想しているときと同じ状態になっています。

意識の第六ステージは神の意識と呼ばれています。

この状態に入ると第五の意識状態のときよりはるかに意識は覚醒していきます。

神の意識になると、
自分だけでなく、
ほかのすべての存在のなかにもスピリットを感じられるようになるのです。

植物ばかりでなく、
岩のなかにさえもスピリットが見えてきます。

宇宙に存在するあらゆるもの、
観察者も観察される者も、
見る者も見られる者のどちらにも、
生命力が表現されていることに気づくのです。

この神の意識をもつようになれば、
あらゆるものの内面に宿る神の姿が見えてきます。

動物や植物と意思を通じることさえできるようになるのです。

このような意識状態を持続できる人はほんのわずかしかいません。

しかし、
キリスト、
ブッダ、
多くのヨギや聖者など預言者や先見者はすべて、
この神の意識のなかで生きています。

究極の目的である、
意識の第七ステージは、
統一意識と呼ばれています。

これがいわゆる悟りの境地です。

統一意識のなかで、
見る者と見られる者のスピリットは融合し、
一体化します。

世界全体が自分の拡大された身体のように思えてきます。

あなたは個人の意識と一体化するだけでなく、
全世界が自分自身の姿を映し出す鏡であることがわかるのです。

ここで、
個人的な自己は宇宙的な自己に完全に変化します。

この段階では、
奇跡はごく当たり前のことになり、
無限の可能性の領域をつねに利用できるようになるので、
奇跡を起こす必要すらなくなります。

あなたは生と死を超越した存在になります。

過去、
現在、
そして未来永劫、
あなたはスピリットであり続けるのです。」(131頁〜135頁)

ほとんどの人は、

エゴに囚われ、

超越意識にすら到達できず、

人生の終焉を迎えます。

まずは、

内なる自己(ハイヤーセルフ)に目覚める超越意識を目指しましょう。

究極的には、

統一意識です。

悟りとは、

宇宙意識と完全に融合し、

一つになることです。

すなわち、

悟りとは、

『神(ブラフマン)との完全なる一体化』

です。

『言うは易く行うは難し』

で、

悟りを得るのは簡単ではありません。

慈愛の精神(慈悲の心)と宇宙の叡智(先哲の智慧)を実生活の中で実践し、

悟りへの道を歩みましょう!

行こう

行こう

覚者の国へ

悟りを開いて

皆んなで一緒に行こう

悟りあれ

幸いあれ

(参考図書)
「『悟り体験』を読む――大乗仏教で覚醒した人々」
(著者 大竹晋 新潮社)

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(推薦図書)
『ゆだねるということ(下)』
(著者 ディーパック・チョプラ 訳者 住友進 サンマーク文庫)

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【執着を捨てる】

【執着を捨てる】

“勝ち” に対する執着を捨てる。

なぜなら、

人生に “勝ち負け” はないから。

“お金” への執着を捨てる。

なぜなら、

真っ当に生きてさえいれば、

お金に不自由することはないから。

“成功” への執着を捨てる。

なぜなら、

人生に成功も失敗もないから。

ただ、魂の成長があるだけだ。

“◯◯祈願” を捨てる。

なぜなら、

正しい道を歩んでいれば、

天が守ってくれるから。

『心だに誠の道にかないなば祈らずとても神や守らん』(菅原道真)

健康への執着を捨てる。

なぜなら、

正しい生活習慣をしていれば、

自ずと健康になるから。

“生” への執着を捨てる。

なぜなら、

この世の寿命は天命であり、

私たちは、

本来、永遠不滅の魂(スピリット)だから。

執着を捨てることの重要性について、

“YOU CAN HAVE IT ALL”(邦題「成功」+「幸せ」を手に入れる21の原則 著者 アーノルド・パテント 訳者 あさりみちこ 徳間書店)

の中に、こう書いてあります。

「 宇宙エネルギーは、

わたしたちの内側も外側も、

自由に流れたがっているのです。

エネルギーが自由に流れるようにしてあげさえすれば、

あなただけでなく、

みんなもその恩恵に浴します。

エネルギーの流れをさえぎると、

さえぎった分だけ、

自分にくるはずの恵みをとどこおらせてしまいます。

からだは不快感を覚えます。

これは、

あなたは自然な流れに逆らっていますよ、

という宇宙からのシグナルなのです。

なにかに執着することも、

エネルギーの流れをさえぎってしまう、

大きな原因です。

人間は、

お金や、

金銭価値のあるものに執着します。

ものだけでなく、

人にも執着します。

人であろうと、

ものであろうと、

なにかにしがみつくと、

しがみつく対象とあなたが共有するエネルギーの流れをせき止めてしまいます。

その上、

新しい人やものが、

あなたのもとにやってこようとするのを、

邪魔してしまうのです。」 
(138頁〜139頁)

「 『手に入れるために手放す』。

この法則に慣れるには、

少々時間がかかるかもしれません。

手放すことは、

もっているものをすべて放棄しなさい、

という意味ではありません。

手放すのはあくまでも気持ちの上でのことです。

手放すことは、

なにかが絶対に必要だという思いこみや、

執着心をなくすことなのです。

では、実際に執着心を手放せるようにするには、

どうすればいいのでしょう?

それにはまず、

執着しているものや人が、

そばにあろうとなかろうと、

平和な気持ちを保つよう努めることです。

そうやって、

執着心を徐々になくしていきます。

平和な気持ちになるまで、

根気よくつづけましょう。

これを実践することによる、

大きなメリットは、

たとえ、

ものや人が自分のもとを去っても、

心に負うショックや痛手が最小限ですむことです。

〈執着しないことの法則〉は、

〈豊かさの法則〉

と表裏一体です。

宇宙が豊かであるというのが真実なら、

なにをどれだけ手放そうと、

遅かれ早かれそれにかわるものがやってくるのは、

自明の理ではありませんか?

豊かさというものを語るとき、

わたしたちは、

どうしてもお金、

もの、

人など、

かたちあるものだけに目がいってしまいがちです。

でも、

いうまでもなく、

目に見えるものだけが豊かさではありません。

人の役に立ち、

重宝がられる、

さまざまな才能も、

れっきとした豊かさのかたちではありませんか?」 
(144頁〜145頁)

エゴ(我欲)による執着を手放し、

真我(愛)による自己実現欲求にシフトしましょう。

お互い、

人の役に立ち、

重宝がられる存在になりたいですね。

心の豊かな人になりたいです。

『執着を捨てれば人生はシンプルで楽になる』

(推薦図書)
“YOU CAN HAVE IT ALL”(邦題「成功」+「幸せ」を手に入れる21の原則 著者 アーノルド・パテント 訳者 あさりみちこ 徳間書店)

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2024年10月22日

【悟りは3秒あればいい】

【悟りは3秒あればいい】

人生において、

『さとり』

は、非常に重要な要素であると、

私は認識しています。

なぜなら、

“悟り” が得られると、

心が穏やかになり、

悩みがなくなり、

本当の自分(真我)が発現するからです。

作家で講演家の小林正観さん(1948-2011)は、著書

『悟りは3秒あればいい』(だいわ文庫)

の中で、

“悟り” について、こう述べています。

「六人の話をします。

一人目。

江戸時代末期のお話。

良寛和尚が、
刈羽郡のある家を訪ねた時に、
そこの主人から次のように言われました。

『私は、地位や財産もこれ以上望んではいません。

心に満たされないこともありません。
けれども、
一つだけどうしても思いどおりにならないことがあります』

良寛和尚が、
『それは何か』
と尋ねると、

『100歳まで生きたいと思うのですが、それだけは思いどおりになりません』

としょんぼりと答えました。

すると、
良寛和尚は、

『それはとても簡単なことです。
今100年生きたと思えば、
それは100年生きたことではありませんか』

とほほえみながら答えました。

(中略)

二人目。

室町時代の臨済宗大徳寺の禅僧、一休和尚のお話。

一休和尚は、
貧しい人々にも禅宗の教えを広めようと町に出ました。

『皆さん、極楽はどこにあると思いますか』

一休和尚が話し始めると、
たくさんの人々が集まってきます。

『西に決まってる。
仏様がいらっしゃる極楽は、
日が沈む方角にあるはずだ』

ある人がそう答えると、
一休和尚は、

『阿弥陀とは、
南にあるを
知らずして
西を拝むは
はかなかりけり』

と歌を詠み、
次のように語りました。

『極楽は、
みなみにあるのですよ。

“みなみ” とは方角の “南” ではなく、
“皆身” 、つまり皆の体のこと。

ですから、
西をおがんでも、
極楽へ行けるわけではないのです』

三人目。

モーリス・メーテルリンクが書いた童話『青い鳥』は、
誰もが一度は読んだことがあるはずです。

貧しい木こりの子どもである、
チルチルとミチルの兄妹が、
クリスマス前夜に夢を見る。

魔法使いの老婆から、
病気の娘のために幸福の象徴である “青い鳥” を探して欲しいと頼まれる夢だった。

二人は、犬や猫、妖精を連れてさまざまな国を訪ね歩くが、
結局、
青い鳥を見つけることができずに帰ってきた。

翌朝、
二人が夢から覚めると、
自分の家で飼っている鳥が青いことに気がついたというお話。

四人目。

ドイツの詩人、カール・ブッセが詠んだ有名な詩があります。

山のあなたの空遠く
『幸』住むと人のいふ。
噫、われひとひと尋めゆきて、
涙さしぐみ、かへりきぬ。
山のあなたになほ遠く
『幸』住むと人のいふ。

山のかなたの、
さらに空の向こうに、
『幸い』が住んでいると聞いて、
『幸せ』を探しに行ってみた。

けれども、
行けども行けども『幸せ』というものは見つからず、
失望して泣きながら帰ってきた。

『幸せ』の中に生きる人間には『幸せ』の姿がわからない。

『幸せ』というのは、
どこか遠いところに存在しているのではなくて、
今、
ここで『幸せ』を感じるかどうか、
ということにあるという話。

(中略)

五人目。

般若心経の中に

『照見五蘊皆空 度一切苦厄』

とあります。

『照見五蘊皆空』とは、

『照らし見るには五蘊は皆空なり』

という意味。

『五蘊』とは、

『色、受、想、行、識』

の五つのことを指します。

『色』は物質の存在、

『受』はどう受けとめて、

『想』はどう思ったのか、

『行』はどう行動し、

『識』はどう体験してどう認識したのか、

という五つの感覚のこと。

お釈迦様は、
その五つの感覚レベル、
つまり自分たちが捉えて感じたことは、

『すべて空である』

と言いました。

『空』とは『無』とは違って、
ないのではなくて、
そこに存在するが『性格づけ』されていないということ。

お釈迦様は、

『五蘊すべての感覚レベルは、
性格づけされたものではない。

自分が勝手に性格づけしている。

すべては空』

と教えたのです。

すべては皆『空』であり、
それに対して人間が色づけしているにすぎないと悟ったのがお釈迦様。

六人目。

六人目は、
冗談半分で言うのですが、
小林正観、私です。

私は、『幸』も『不幸』も存在しない。

そう思う心がここにあるだけ、
とずっと言い続けてきました。

この六人が共通して言っていること。

それは、
今、
目の前で起きている現象に対して、
『性格づけ』をしているのは『自分』だということです。

イヤだ、嫌いだ、つらい、悲しい、
とその現象に対して『性格づけ』をするから、
その現象が『悩み』になってしまう。

『現象』はゼロです。

そのゼロの現象に対して、
勝った、負けた、
成功した、失敗した、
などと評価・評論、
つまり『色づけ』をするから、
『苦しみ』になってしまうわけです。

だったら、
そんな性格づけ、
色づけなどせずに、
受け入れてしまえばいい。

受け入れることができたら、
とてもラクになるでしょう。

(中略)

私がいう『悟り』とは、

『受け入れること』。

なにか特別な勉強をしなくても、
何年も修行をしなくても、
受け入れることさえできれば
『悟る』
ことはできるのです。

短ければ最短『三秒で』悟ることができます。

一秒目、
過去のすべてを受け入れること。

今までの自分の身に起きたことは、
すべて自分に必要だった、
と『過去』のすべてを受け入れること。

二秒目、
現在のすべてを受け入れること。

そのすべてが自分にとってプラスだった、
自分を成長させてくれた、
それがなければ今の自分がなかった、
と『現在』のすべてを受け入れること。

三秒目、
未来のすべてを受け入れること。

今までのすべてに感謝し、
これからのすべてに感謝できる、
と『未来』のすべてを受け入れること。

『悟る』ためには、
過去・現在・未来のすべてを受け入れることです。

受け入れるためには三秒あればいい。

そして、
その結果、
『悟った状態』が得られるようになると、
悩みがなくなり、
心が穏やかで、
イライラしなくなり、
にこやかに、
幸せに生きることができる。

と同時に、
流れに身をゆだねる、
不平不満を言わなくなる、
その結果として、
自分の役目や役割も見えてくる、
それを自然とやらされるようにもなり、
何が起きようとも動じない自分になれるのです。」(3頁〜10頁)

『悟り』に対する考え方は、

人それぞれです。

小林正観さんが述べる『悟り』も、

一つの『さとり』だと思います。

私は、

中村天風師や、

ディーパック・チョプラ博士の

『悟り』に対する考え方が好きですが、

小林正観さんの『悟り』に対する考え方も

非常に参考になります。

あなたも、

『悟り』について、

考えてみませんか?

『悟ることが “人生の目的” の一つである』

と私は認識しています。

(推薦図書)
『悟りは3秒あればいい』
(著者 小林正観 だいわ文庫)

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2024年10月20日

【人間万事塞翁が馬】

【人間万事塞翁が馬】

『人間万事(ばんじ)塞翁(さいおう)が馬』という成句について、

『読み・書き・話すための 故事ことわざ辞典』(学習研究社)

に、こう書いてあります。

「『塞翁』は昔中国で、
北辺の国境近くに住んでいた老人のこと。

あるとき、
その老人の馬が逃げてしまったが(不幸)、
まもなくその馬がすぐれた一頭の馬を連れて戻ってきたので人々が祝福した(幸)。

ところが老人の子がその馬に乗って落ち、
けがをしてしまった(不幸)。

だが、
けがをしたおかげで、
若者たちのほとんどが戦死をしたというのに、
老人の子は兵役をまぬがれて死なずにすんだ(幸)という故事から。」

人生は、

何が禍(わざわい)し、

何が福となるかわかりません。

『禍福は糾える縄の如し』

ともいいます。

人間の禍福は変転し、

定まらないものです。

だから、

「いいことがあったからといって浮かれず、
悪いことが起きたからといって落ち込まず、
泰然自若として生きる」。

人生は、

『快』と『不快』の両方を経験しながら、

ゆったりと流れていく “川下り” のようなものです。

これに関して、

『ゆだねるということ(下)』(著者 ディーパック・チョプラ 訳者 住友進 サンマーク文庫)

の中に、こう書いてあります。

「最も適切な状態とは、

『中庸』であることです。

心をかき乱されるたびに、

このバランスのとれた状態は失われ、

スピリチュアルな進化は阻止されます。

シンクロニシティへの通路も遮断されてしまうかもしれません。

感情を抱くのは悪いことだとか、

避けるべきだとまでは言いません。

人はつねに感情を抱くものです。

感情を抱くのは人間の条件のひとつと言ってもいいのです。

しかし、

極端な感情を抱くと、

本来の人生の目的からはずれていってしまいます。

むろん、

激しい感情をかき立てる出来事や人間関係がなくなることはありません。

世の中には、

大きな苦痛や不安の原因となる出来事がたえず発生しています。

しかし、

ひとつの感情に執着することは避けなくてはなりません。

人生を快楽と苦痛というふたつの土手にはさまれた川だと思ってください。

その川を流れていくための最高の方法は、

川の真ん中からずっとはずれずに、

ふたつの土手から等間隔の距離を保つことです。

一方の土手に近づきすぎれば、

あなたの勢いは鈍ってしまい、

ついには岸に乗り上げてしまう危険があります。

あまりに激しい快楽だと中毒症状になる恐れがあり、

あまりに激しい苦痛は人生から楽しみを奪ってしまいます。」(85頁〜86頁)

ネガティブ感情やポジティブ感情に固執することなく、

それらを超越した、

穏やかな心、

静かな心を目指しましょう。

理想は、

『泰然自若』

『雲烟過眼』

『明鏡止水』

『安心立命』

の境地です。

人生は、『流れ』です。

“自然の成り行き” に任せましょう。

“流れ” に身をゆだねましょう。

すべては『縁』です。

すべては『天の “お導き” 』です。

すべては、

あるべくしてあり、

なるべくしてなる。

『あるようにあり、なるようになる』

(推薦図書)
『ゆだねるということ(下)』
(著者 ディーパック・チョプラ 訳者 住友進 サンマーク文庫)

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2024年10月19日

【憩いの場】

【憩いの場】

私は昼休みいつも、

裏川水際緑地公園(玉名市高瀬)に行き、

癒やされています。
(今年5月から近くの不動産屋さんに勤めています)

裏川水際緑地公園は、

嘉永元年(1848年)に築造された県指定文化財の高瀬目鏡橋や一群の石橋、

高瀬商人がその築造を競い合った家々の石垣等があり、

独特の歴史を感じさせる公園となっています。

また、

公園内には肥後しょうぶ約6300株が植えられており、

6月の開花時期には県内外から多くの観光客が訪れます。

平素は静かで、

のどかな公園です。

緑豊かで、

小川のせせらぎのある

『憩いの場』

です。

近くに神社があり、

樹齢数百年の大木もあります。

まさに、

パワースポットです。

自然に親しめば、

パワーをもらえます。

大木は、気のエネルギーを発しています。

気のエネルギーは、

プラーナといいます。

プラーナとは、

インド哲学で、

『宇宙にみなぎる生命力としての 気 』

です。

頻繁に、

自然に親しみ、

プラーナを吸収し、

心身ともに、

リフレッシュしましょう!

お互い、

元気良く過ごしましょう!

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【恒産なき者は恒心なし】

【恒産なき者は恒心なし】

『恒産なき者は恒心なし』という成句があります。

意味は、

「一定の職業に携わっていなかったり、
生活が不安定だったりすれば、
人間、落ち着いた心を持つことはできないということ。

生活が安定していないと精神も安定しないということ。」

です。

英語では、

From hand to mouth will never make a worthy man.
(その日暮らしでは名士になれぬ)

と言います。

『新約聖書・テサロニケ人への第二の手紙』に、こう書いてあります。

『働かざる者食うべからず』

意味は、

『働こうとしない怠惰な人間は食べることを許されない。

食べるためにはまじめに働かなければならない。』

ということです。

英語は、

If any would not work,neither should he eat.

です。

海援隊の曲

『母に捧げるバラード』

の歌詞に、こうあります。

「が、いうとくがなあ、

なまじ腰ば降ろして休もうなんて絶対思うたらつまらんど。

死ぬ気で働いてみろ、テツヤ。

人間働いて、

働いて、

働き抜いて、

もう遊びたいとか、

休みたいとか思うたら、

一度でも思うたら、はよ死ね。

それが人間ぞ。

それが男ぞ。」

『人が動く』と書いて、

『働く』と読みます。

人は、

『動いてなんぼ』

『人を動かしてなんぼ』

です。

ということで、

結論は、こうなります。

『いくつになっても動けるうちは働こう!️』

(参考図書)
『新編 読み・書き・話すための 故事ことわざ辞典』(学習研究社)

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『新共同訳 小型新約聖書 詩編つき』
(日本聖書協会)

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『人生は二幕目がおもしろい――超高齢化社会への健康生きがいづくりアドバイザーの挑戦――』
(編者 一般財団法人 健康・生きがい開発財団)

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2024年10月18日

【情熱が人生を変える】

【情熱が人生を変える】

人は、情熱を持つことで変わります。

情熱が人生を変えます。

いかなる場合にも、

情熱を持ち続けることが肝要です。

これに関して、

『断言する。情熱で人生は変えられる。』(著者 是久昌信 中経の文庫)

の中に、こう書いてあります。

「32歳で興した会社を7年間かけて大きくし、
もう少しで株式を上場できるところまできた矢先のこと。

社運を懸けた一大プロジェクトがうまくいかずに事業に失敗し、
事業家としての信頼も、
一緒にやってきた仲間も、
資金も、すべてを失い、
ゼロの状態に・・・・・。

というよりも、
多額の負債を背負い、
マイナスの状態になってしまったのです。

『私の夢は終わった・・・・・』

私の心から『情熱』の炎が消えかかった時期でした。

そんなとき私は、
ある男性の物語と出会ったのです。

彼の波乱万丈な人生を知って、
私は一気に『情熱』の炎を取り戻しました。

彼は、30代半ばで始めたガソリンスタンドの経営に失敗。

新しく始めたレストランの経営がやっと軌道に乗ったころ、
一緒に働いていた息子を亡くし、
さらにレストランが火事に。

その後、
独自のスパイスと調理法で作る料理を考え出し、
経営を立て直すが、
レストランの近くに建設されたハイウェイのせいで、
車の流れが激減。

ついに彼はレストランを手放すことになる。

彼の手元に残ったのは1台の車だけ。

ただ、そんなどん底の中でも、
自分で開発したスパイスと調理法を教えるフランチャイズ・ビジネスの原型となる事業を思いつく。

そのとき、彼の年齢は65歳。

車で生活しながら全米をまわり、
売り込みを続ける。

その結果、
最初に契約をもらったのは、
1010人目だった。

彼のつくったフランチャイズ・ビジネス『ケンタッキーフライドチキン』は、
現在、世界120ヵ国・地域に約2万店舗以上展開している。

その人の名は、
カーネル・サンダース。

不屈の精神、
燃える『情熱』は大成功を収めた。

彼は私に、

『夢をかなえるのに定年はない』

『あきらめなければ、夢はかなう』

ということを教えてくれました。

私が事業に失敗したのは、
まだ39歳のとき。

彼から『情熱』というギフトを受け取った私は、
マイナスから再スタートを切ることができました。

そのおかげで今、
経営コンサルティングや社員研修、
自己啓発セミナーを行なう事業を成功させ、
50歳を超えた今でも、
新しい夢にチャレンジすることができているのです。

(中略)

夢をかなえた人たちは、
みな、夢を持ち続ける『情熱』を持っていたのです。

世に名を残した科学者、政治家、芸術家たちなど、
偉人や成功者と言われる人たちも、
はじめはみんな普通の人間です。

むしろ、
大きなハンディを背負い、
マイナスからの挑戦であった人が大勢います。

その障害や困難を乗り越えてきた秘訣が、
彼らの心の中にある『情熱』だったのです。

私は断言します。

『情熱で人生は変えられる』

ことを。」(3頁〜7頁)

情熱が人生を変えます。

情熱が人を動かします。

中村天風師は、情熱の人でした。

人を幸せにすることに生涯を捧げました。

『運命を拓く 天風瞑想録』(著者 中村天風 講談社文庫)

の中に、こう書いてあります。

「私みたいな人間が、

こういう尊い仕事をする気になったのも

”信念“

だった。

私がこの仕事を最初にするとき、

止めた人間が、

誰あろう、

田中智学という日蓮宗のその当時の有名な坊さんだった。

『駄目だから、お止しなさい』

といったが、

私はこう思った。

『本当の気持ちで人のためを思ってする仕事が、

駄目とはいかなる理由か。

人によいことを奨め、

人を幸福にすることがなぜ駄目なのか。

否、

駄目とか、

駄目でないとかは考えない。

ただ人を幸福にすれば良いのだ。

それが自分に出来ないはずがないんだ!』

という気持ちでこれを始めた。

だから私のその気持ちを信じてくれたのは、

母親と家内だけであった。

他の人々は、

皆私が気が狂ったと思った。

それはそうかもしれない。

たとえ何であろうと、

銀行の頭取をしていた人間が急に草履ばきになって、

脚絆をつけて、

焼きおむすび持って、

大道講演すれば精神異常者だと思うかもしれない。

しかし私には私なりの信念があった。

尊い真理に国境はない。

尊い因縁に恵まれて、

こうして集ってきた以上、

自然の摂理に従い、

ただ自分だけでなく、

世の人々を幸福にするために活きてこそ、

この世に生まれた生き甲斐があるのだ。

だから、

どうぞ、

人のため、

世のために、

本当に心の底からお願いしておく。

改めて今日から、

古い人も心を入れ替えて

“信念の人”

に成りなさい!」(222頁〜223頁)

中村天風師は、

信念を持った情熱の人でした。

情熱が人を動かします。

『人生 意気に感ず』

です。

情熱と心意気を持ち、

人生を前向き(積極的・肯定的・発展的・建設的・創造的)に生きましょう。

(推薦図書)
『断言する。情熱で人生は変えられる。』
(著者 是久昌信 中経の文庫)

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(著者 中村天風 講談社文庫)

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2024年10月17日

【犬も歩けば棒に当たる】

【犬も歩けば棒に当たる】

『犬も歩けば棒に当たる』という成句について、

『読み・書き・話すための 故事ことわざ辞典』(学習研究社)

の中に、こう書いてあります。

「何もせずにじっとしているより、
何でもいいからやってみれば、
思わぬ幸運にめぐり合うかもしれないということ。」

英語では、

The dog that trots about finds a bone.
(歩き回る犬は骨を見つける)

といいます。

何もせずに、じっとしていたら、

何も得られません。

とにかく行動することが大事です。

何でもいいから、やってみれば、

思わぬ幸運にめぐり合うこともあります。

動き回っていると、

ときに失敗することもありますが、

『失敗は成功のもと』

です。

失敗しても、

それを反省し欠点を改めれば、

成功に近づきます。

Failure teaches success.
(失敗は成功を教える)

です。

失敗は成功への手掛かり・足掛かりです。

私たちが失敗と呼んでいるのは、

フィードバックの原理です。

これについて、

『富と宇宙と心の法則』(著者 ディーパック・チョプラ 訳者 住友進 サンマーク出版)

の中に、こう書いてあります。

「あらゆる失敗には成功の種が含まれています。

非物質から物質が、

見えないものから見えるものが創り出されるとき、

そこにはひとつの重要なメカニズムが作用しています。

それがフィードバックの原理です。 

失敗とは、

何かを創造するための踏み石です。

失敗することで、

目標は遠ざかるのではなく、

以前よりはるかに近づいてくるのです。

実際には、

失敗など存在していません。

わたしたちが失敗と呼んでいるものは、

実は、

ものごとの修正の仕方を教えてくれる大切な仕組みにほかならないのです。」(25頁)

何もしないのが一番いけません。

なぜなら、

何も学べず、少しも進歩しないからです。

とにかく、

アクションを起こしましょう!

『成功の反対は失敗ではなく、何もしないことである』

『求めなさい。
そうすれば、与えられる。

探しなさい。
そうすれば、見つかる。

門をたたきなさい。
そうすれば、開かれる。

だれでも、
求める者は受け、
探す者は見つけ、
門をたたく者には開かれる。』(ルカによる福音書第11章9節〜10節)

(参考図書)
『新編 読み・書き・話すための 故事ことわざ辞典』(学習研究社)

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(推薦図書)
『富と宇宙と心の法則』
(著者 ディーパック・チョプラ 訳者 住友進 サンマーク出版)

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