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高原茂
メンタル心理カウンセラー・上級心理カウンセラー・行動心理士の高原茂です。宜しくお願い致します。 「このサイトはアフィリエイト広告(Amazonアソシエイト含む)を掲載しています。」 など
プロフィール

2024年10月10日

【百歳に学ぶ】

【百歳に学ぶ】

長老や年長者に学びましょう。

なぜなら、

長生きをした人、

人生経験豊富な人にしかわからないことがあるからです。

正しい心の持ち方について、

『100歳だからこそ、伝えたいこと』(著者 塩谷信男 サンマーク出版)

の中に、こう書いてあります。

「あらゆる存在物はよくなるようにつくられています。

成長はすべてのものの本質なのです。

なぜなら、

それが宇宙の根本の意思であるからです。

したがって物事を前向きにとらえ、
人生を常に肯定的、積極的に生きることは、
その原理に無理なくそうことであり、
人間にとってもっとも自然な行為です。

プラス思考をしようなどとことさら努めなくても、
人間は前向きに考え、
生きるようにつくられている。

だから、
どんな場合も積極思考でとらえ、
後ろへ下がるよりは、
いつも前へ一歩出る生き方を心がけることが大切です。

たとえ失敗しても、
それは次の成功への種になるのですから。

(中略)

ありがとうーーこの気持ちを何に対しても、
いつも抱いて生きることです。

内で考えていることは、
外からかなうという法則があって、
感謝の念を心に抱く人には感謝せざるをえないことが訪れてくるからです。

ありがたいと思う気持ちを忘れない人には、
それにふさわしい事物がかならず生起するのです。

その結果、
いつも困難は避けられ、
願いごとはかなう。

そんな人生が可能になるのです。

感謝の対象は何でもいいし、
特別な対象が必要なわけでもありません。

ただ、
ありがたいと思う。

それだけでも十分です。

たとえば、
毎日無事に暮らせていることに。

自然の恩恵を受けていることに。

家族や周囲の人たちのサポートによって生きていられることに。

――ふだんあって当たり前だと考えがちなことに対してこそ、
大きな感謝の心を抱くことが肝心です。

(中略)

結局、
心や思いの景色にふさわしい出来事がわたしたちに起きるのです。

みなさんに起こることは、
みなさんの心の投影です。

いい思いを抱けばいいことがやってくるし、
マイナスの感情や負性の思いをもてば、
そのとおり、
イヤな思いをせざるをえないような事態を招いてしまうものなのです。

だから愚痴はこぼさない。

こぼしたくなったら十数えなさい。

たいていの不満はがまんできるはずです。

(中略)

もちろん、
心のはたらかせ方はこの三つに限ったことではありませんが、
こうした正心の姿勢を忘れずに毎日を暮らしていくと、
生き方に一本の芯が生まれ、
あれこれよけいなことで思い悩んだり、
小さなことにこだわる心が消えていきます。

そして、
きのうのことを悔やまず、
あすのことを思いわずらうこともなく、
いまこの瞬間を精いっぱい生きて迷わない不動の心が形成されてきます。

自分の生のあり方がまるごと肯定でき、
あるがままの自然体で生きることが可能になる。

正心の心がけが、
そういう平易で、
やわらかく、
深くて、
強い生き方を可能にするのです。」

外界は内界を映し出す鏡なので、

不平・不満・愚痴・泣き言・文句・悪口・陰口を言えば、

さらに、

それらを言いたくなる状況を引き寄せます。

つまり、

『引き寄せの法則』

が働きます。

いつも感謝の念を持っていれば、

さらに感謝したくなる状況を引き寄せます。

発展的・建設的・創造的な観念は、

良好な状況を引き寄せます。

結局、

心や思いの景色にふさわしい出来事が私たちに起きるのです。

過去を悔やまず、

未来を思い煩わず、

今、この瞬間に意識を集中して生きましょう。

『霊性を磨いて一歩一歩神に近づいていく。
それが、人間の生きる目的なのである。』(塩谷 信男)

(推薦図書)
『100歳だからこそ、伝えたいこと』
(著者 塩谷信男 サンマーク出版)

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2024年10月08日

【自業自得とは?】

【自業自得とは?】

自業自得とは何でしょうか?

広辞苑に、こう書いてあります。

『自らつくった善悪の業の報いを自分自身で受けること。』

岩波 仏教辞典には、こう書いてあります。

「自らなした行為の果報は自らに受けるということ。

元来、業とは行為のことで、
それには善もあれば悪もあり、
善の行為をした場合は楽の果を受け、
悪の行為をした場合は苦の果を受けるのである。

本来は、
主体的な行為・責任を強調したものであったが、
後には、特に日本では、
自分の行為によって得た結果であるから、
あきらめるより仕方ないという宿命論的な意味に解されるにいたった。」

要するに、

『良きにつけ悪しきにつけ、すべては自分の業(ごう)による』

ということです。

『善因善果』・『悪因悪果』

ということです。

これに関して、

『わかりやすい 仏教用語辞典』(大法輪閣)

の中に、こう書いてあります。

「善悪業は必ずそれに応ずる苦楽の報果をもたらすとされ、
これを善因善(福)果、
悪因悪(苦)果と呼んでいる。

善には福があり不善には禍があるというのは倫理的要請に基づくものであり、
現世で悪事をしないのに不幸ばかりを受けたり、
現世で悪事の限りをしているのに富み栄えて幸福であったりするような不合理を是正するために、
善悪と苦楽の因果は今世だけでなく、
過去世、現在世、未来世の三世にわたって連続し、
現世だけでは不合理に見えるものも、
二世、三世、多世について見れば決して不合理はなく、
因果業報の道理が正しく作用しているとするのが業報説である。」

“自業自得” は、

今世だけのものではなくて、

前世・来世にも関係しています。

すべては、

善因善果・悪因悪果の『法』に因(よ)ります。

すべては自分の業(カルマ)に因っています。

他人や社会のせいにしないことが肝心です。

『人生の出来事はすべて自分の身に降りかかってきたもののように見えます。

しかし実際は、経験を創り出しているのはわたしたち自身なのです。』(ディーパック・チョプラ)

すべては自分次第です。

『天は自ら助くるものを助く』

『人事を尽くして天命を待つ』

を旨としましょう!

(参考図書)
『わかりやすい 仏教用語辞典』
(大法輪編集部編 大法輪閣)

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2024年10月07日

【男は度胸、女は愛嬌】

【男は度胸、女は愛嬌】

『男は度胸、女は愛嬌』という成句があります。

意味は、

『男には度胸が、女には愛嬌がまず第一に求められる特性であるということ』

です。

この成句について、

私は、こう解釈しています。

『男は度胸、女も度胸』

『女は愛嬌、男も愛嬌』。

なぜなら、

男女関係なく、

人間には勇気と社交性が大切だと思っているからです。

度胸とは、何でしょうか?

広辞苑に、こう書いてあります。

『物事に動じない心。胆力。きもったま。』

新明解国語辞典には、こう書いてあります。

『失敗や他から受ける非難を恐れずに、
こうしようと思ったことをためらわずに実行する決断力。』

明鏡国語辞典には、こう書いてあります。

『物事に動じない心。
物事を恐れない精神力。』

度胸とは、

『勇気を持って、事に当たること』

です。

勇気を持つことが一番大切です。

『勇気を出して運命と向き合いなさい。

勇気を出すことがいちばん大切なのだ。

勇気さえもてば運命はどうとでもなる』(カルロス・カスタネダ)

愛嬌とは何でしょうか?

広辞苑に、こう書いてあります。

『@ いつくしみ敬うこと。

A 表情などのかわいらしいこと。

B なさけがあること。思いやり。

C 女性や子供などが、にこやかでかわいらしいこと。また、こっけいで微笑ましいこと。

D 人に好かれるような愛想や世辞。』

新明解国語辞典には、こう書いてあります。

『@ 接する人に好感を与え、思わず話しかけたくなるような親しみを誘う物腰。

A 客や同席者を喜ばせ楽しませるサービス。』

明鏡国語辞典には、こう書いてあります。

『@ にこやかで、親しみやすさやかわいらしさがあること。

A 言動や表情などで、人の心を和ませる要素となるもの。』

新漢語林には、こう書いてあります。

『@ 顔のかわいらしいこと。

A 情けのあること。

B 人をほほえませる行為。』

端的に言えば、

愛嬌とは、

『愛らしさ、愛想のよいさま』

です。

男女関係なく、

人間は、“度胸” と “愛嬌” が肝要です。

勇気と笑顔で、

人生を前向きに生きましょう。

いつもニコニコ、えびす顔を目指しましょう。

(参考図書)
『笑顔力。幸運の女神をひきよせる小さな魔法』
(著者 諏訪ゆう子 ゴマブックス)

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2024年10月06日

【禅の名僧に学ぶ】

【禅の名僧に学ぶ】

禅の名僧に学びましょう。

なぜなら、

禅は、悟りを開くための示唆を与えてくれるからです。

『悟り』について、

『禅の名僧に学ぶ生き方の知恵』(著者 横田南嶺 致知出版社)

の中に、こう書いてあります。

「十六歳の頃、
仏光国師は師匠から『無』の一字を公案として与えられました。

『無とはなんであるか答えよ』

というわけです。

仏光国師はそれまで相当よく学んできていましたから、
一年ぐらい坐禅をすれば答えが見つかるものだろうと思っていました。

ところが、
一年たっても手掛かりは全くつかめませんでした。

そこでさらにもう一年坐禅をしますが全くわからない。

そのようにして三年が過ぎ、
四年が過ぎ、
五年が過ぎていきます。

その間、
坐禅堂から一歩も外に出たことはなかったといいます。

結局、
十六歳から二十二歳まで足かけ六年、
仏光国師は
『無とは何か』
と求め続けていくのです。

これが仏光国師という方のまず一番に注目すべきところです。

十六歳から二十二歳までというと、
普通の人であれば青春真っ只中で、
やりたいことがいろいろあるものです。

けれどもその間、
仏光国師は師匠のもとで、
もっぱら

『無とはなんであるか』

と考え続け、
坐禅堂に籠っていたのです。

我々も『無』の一字を公案として与えて同じような修行をやります。

しかし、
五年も六年もそのひとつの問題をやるというのは、
よほどの気力がないと続きません。

これが仏光国師の大きな力になっていきました。

何しろ坐禅をしていて、
ふっと気がついたら一昼夜が過ぎていたというぐらい坐禅に集中していくのです。

我々でも坐禅をしていたら一時間が過ぎていたというのならありますが、
気がついたら一昼夜が過ぎていた、
その間ずっと坐ったままだったというのは大変なことです。

その結果、
仏光国師は

『答えはまだ見えないけれども、もう何を見ても無になっていった』

『天も地も皆無字一枚になっていく』

というような境地に至りました。

(中略)

二十二歳のある晩、
いつものように夕方から坐っていると坐禅堂にかかっている板を木槌で打つ音が聞こえました。

この板は開板といって、
夜が明けるとそれを知らせるために修行僧が木槌で打つのです。

このとき開板が叩かれる音を聞いて、
仏光国師は忽然として悟りました。

仏光国師はそれをひとつの偈(詩のこと)に表しています。

一槌に打破す精霊窟
突出す那吒の鉄面皮
両耳聾の如く口唖の如し
等閑に触著すれば火星飛ぶ

(板を叩く槌の音ですべての迷いが打破された。
本来の自己がそのままそこに姿を現した。
何も聞こえず何も言えないとしても、
うっかり私に触ろうものなら火花が散るぞ)

精霊は『しょうりょう』と読むと『死者の魂』という意味になります。

ここでは『せいれい』と読みます。

これはいろいろな草や木に宿る霊を意味しますが、
禅の世界では『煩悩や妄想の塊』を表す言葉として使います。

つまり、
朝、板を叩くカーンという音で、
今まで煩悩や妄想の巣窟のようになっていたものがすべて打破された。

そして那吒というのは那吒太子という仏法の守護神ですが、
ここでは本来の自己を譬えています。

今までの迷いの闇が一瞬のうちに晴れて、
本来の自己が姿を現したというのです。

その本来の自己とは、
ひたすら坐禅に打ち込んでいますから何も聞こえないし何も言葉にできないけれども、

『うっかり手を触れようものなら火花が散るぞ』

というぐらい生き生きとした力のあるものだ、と。

坐ったままで何も聞こえず何も言えないという中にそんな素晴らしい力が生きている、
と言っているのです。

これが仏光国師が悟りを開いたときの偈です。」(19頁〜22頁)

無とは、

『無我』

のことです。

無我とは、

『空』

のことです。

空とは、

『宇宙全体を創り出している根源的な知性』

のことです。

すなわち、

『宇宙意識』

です。

無になる(無我の境地)とは、

『宇宙意識と一体化すること』

です。

雑念・妄念を捨て去り、

頭を空っぽにすれば、

『空』

と繋がります。

頭を空っぽにする練習をしましょう。

無念・無想・無我・無心が、

理想の境地です。

『禅』は、

幸福について、

どう考えているのでしょうか?

同書に、こう書いてあります。

「仏光国師の坐禅のいちばん根本にあったのは、
無がわかったと自分だけが悟って満足するというものではなかったというのです。

宮沢賢治が

『世界全体が幸せにならないうちには個人の幸せはありえない』

というようなことを言っていたと思いますが、

仏光国師も世界全体が悟りを開かないうちには自分の悟りはありえないと考えていたのでしょう。

また、
そこまで視野が広がっていくというのが本当の無という意味だろうと思います。

無というのは無限ですから、
決して自分だけがどうこうという問題ではないのです。

それゆえに、
老いた母を見ると世話しなければいけないと、
ひとまず修行を置いて一緒に暮らす。

国が困っているのを見ると、
自分の身を投げ出してもなんとかしようとする。

若き執権・時宗公が悩んでいるのを見ると、
なんとか支えてあげなければいけないと思う。

『無とは慈悲心である』

という言葉がありますが、

そういう慈悲心に目覚めたのです。

そして、
常に慈悲心を持って生きるというのが、
仏光国師にとっての生きる意味になっていくのです。

そうなってから仏光国師には、
おそらく自分自身の問題で煩い悩むようなことはほとんどなくなって、
望まれるままに身を捧げていったのではないかと思います。

そして最後は、
異国の日本にひとすくいの灰を添えるだけだという、
このどこまでも謙虚な姿勢は素晴らしいと思います。」(42頁〜43頁)

慈悲の『慈』とは、

いつくしむ心、

衆生に楽を与えること(与楽)です。

慈悲の『悲』とは、

苦を除くこと(抜苦)です。

慈悲心を持って生きましょう。

自分さえ幸せになればいい、

というものではありません。

全人類が幸せになることが、

Creatorの意図です。

汝は神なり 愛と光なり

汝は救世主なり

世界中の一人ひとりが救世主

(推薦図書)
『禅の名僧に学ぶ生き方の知恵』
(著者 横田南嶺 致知出版社)

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2024年10月05日

【上を向くだけ健康法】

【上を向くだけ健康法】

現代人は、

ストレス社会に苛まれ、

交感神経と副交感神経のバランスが崩れています。

バランスを取り戻すべく、

自律神経を整えましょう。

自律神経を整える鍵は、

首にあります。

これに関して、

『自律神経が整う 上を向くだけ健康法』(著者 松井孝嘉 朝日新聞出版)

の中に、こう書いてあります。

「いま改めて注目が集まっている自律神経は、
内蔵や血管、呼吸器など体じゅうのあらゆる部位をコントロールする、
もっとも重要な神経のひとつです。

実は、
この自律神経、
なかでも副交感神経は首の筋肉と密接な関係があることを私が世界で初めて見つけました。

それにより体中の不調が起き、
どこの病院でも治すことができなかった『頸筋症候群』の治療が可能になったのです。

スマホやノートパソコンでの作業など、
『うつむき姿勢』になってしまう機会が多い現代人がたくさんの不定愁訴を発症させて困り果てている現代病。

これを『首こり病』と呼び、
やっと多くの人々に注目されてきました。」(1頁〜2頁)

「交感神経と副交感神経は、
よく車のアクセルとブレーキにたとえられます。

交感神経はアクセルで、
副交感神経はブレーキです。

ただし、
このアクセルとブレーキは本人の意思で踏み込めるものではありあません。

自律神経自身が管理しているのです。

自律神経は完全に自動運転です。

車間距離も必要ですし、
赤信号では止まってくれなければ大変です。

脳は、24時間の体内時計に合わせて、
交感神経と副交感神経をバランスよく働かせています。

うつむき姿勢の多い現代は、
自律神経のバランスが崩れやすくなります。

これが、
『自律神経失調症』といわれる諸症状が出る原因といわれます。」(64頁〜65頁)

「人間はストレスと向き合って生きています。

絶えず押し寄せてくるストレスの波に対して、
交感神経と副交感神経を切り替えながら適応しようとしているのです。

ストレスと上手につきあう努力は大切ですが、
それとともに、
もっと単純に、
うつむきすぎによって自律神経を傷めて副交感神経が働けなくなることに注意を向けましょう。

実際に、
首こりの治療で、
副交感神経の働きがよくなり、
たくさん出ていた不定愁訴がきれいに治ります。

元来、
たくましく生きている人たちは、
決断も早く、
休むときはぱっと休んでクヨクヨしません。

交感神経と副交感神経の入れ替えがうまい人たちです。

自律神経失調症に対し、
こういう人たちは、
逆に副交感神経が元気な人たちといえます。

私の臨床経験では、
ストレスが多いから自律神経が失調するのではなく、
自律神経が失調しているからストレスに弱くなるのです。」(74頁〜75頁)

「『首を温め、首の運動をしなさい。
うつむいてばかりいないで、上を向きなさい』
というのは、
そんなに難しいことではありません。

『クヨクヨするのは体に悪いから、
不安の原因はさっさと解決しなさい』
と言われても、
世の中はそんなに甘くありません。

でも、
デスクをときどき離れて少し歩いて血行をよくし、
上を向いたり、
体をのびのび伸ばしましょう、
もし職場やその近くに横になれるソファやベンチがあれば、
できれば寝転んで首を休ませましょう、
というなら実践できないことではありません。」(76頁)

「私は、首のこりの治療で、
もとの明るい性格が表情にあらわれ、
本人が生まれ変わりました、
と言うほど明るく元気いっぱいになった人を大勢見てきました。

長年、
悩ませれてきた不定愁訴が消えると、
どの方も笑顔があふれます。

考え方も積極的になります。」(78頁)

「うつむき生活を解消して、
適度に副交感神経の働きをよくするには、
生活のなかに、
首の筋肉をゆるめる習慣をつくります。

15分に一回は30秒間、
上を向きましょう。

ついでに、
首をぐるりと左右に回します。

副交感神経が刺激されて、
ちょっと気持ちよくなります。

『15分に一回なんてムリ』
と思われるかもしれませんが、
最初は15分に一度に抵抗があっても、
上を向いたり、
頭を回したりする動作の心地よさが次第にクセになり、
いつの間にか上を向いています。

首の筋肉がそれを求めるのです。

一日のうちで、
うつむき姿勢の時間をなるべく短くできれば、
それに越したことはありません。

少なくとも、
歩きスマホは
『副交感神経の敵』
でもってのほかです。

歩くときは、
前を向いたり、
エスカレーターなど安全な場所では上を向いたり、
首を回したりしましょう。

歩くことは、
人間の体の中でもっとも大きい足腰の筋肉を鍛えるだけではなく、
脳への刺激になります。」(85頁〜86頁)

「気持ちよく歩くと、
脳内では、
『ときめきホルモン』
と呼ばれるドーパミン、
『幸せホルモン』
と呼ばれるセロトニンなどが多く出ます。

歩きは有酸素運動です。

気持ちよく歩くと、
心身ともに健康になります。

『歩きスマホ』では、
せっかくの健康効果が半減するばかりか、
首の筋肉の異常を強めます。

歩いているときは、
首のケアをしている時間と思いましょう。

猫背にならなように、
両肩を後ろに引いて背骨を伸ばします。」(87頁)

「姿勢に気をつけながら、
首の運動をふだん行う習慣をつくります。

15分に一度は首を最低30秒後ろに反らせます。

15分に一度は、
首を5回軽く回し、
首を前後左右に傾けます。

これだけで滞留していた血行が開放され気持ちがいいし、
副交感神経を刺激して、
脳の血流がよくなり、
アイデアも出やすくなります。」(92頁)

「『ああ、気持ちいいなあ』
と思いながら、
力を抜いてゆっくり首を動かします。

体育のノリで一生懸命行うと、
かえってデリケートな首の筋肉を傷つけることがあります。

(中略)

『今、首の筋肉が十分深い呼吸をしている』
と思いながら、
息をゆっくり吐きます。

深呼吸すると、
自律神経にいいだけではなく、
全身の筋肉に酸素が回りますから、
体が喜び、
深くリラックスします。

首の運動のときだけではなく、
いつも気づいたら深呼吸をしましょう。

これだけでも副交感神経を優位にして、
気持ちが静まり、
緊張や不安が小さくなります。」(103頁〜104頁)

自律神経を整える鍵は、

首にあります。

『ゆっくりと頭を前後に動かしたり、
左右に傾けたり、
回したりしてみる』

と良い。

ポイントは、

超スローで行うこと。

体育会系のノリでやってしまうと、

かえって首を傷めてしまうので要注意です。

(推薦図書)
『自律神経が整う 上を向くだけ健康法』
(著者 松井孝嘉 朝日新聞出版)

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2024年10月04日

【直指人心見性成仏とは?】

【直指人心見性成仏とは?】

『直指人心見性成仏(じきしにんしん・けんしょうじょうぶつ)』

とは何でしょうか?

広辞苑に、こう書いてあります。

「禅宗の悟りを示した語。

坐禅によって自己の本来の心性を徹見すれば、
それが仏の悟りにほかならないということ。」

大辞林には、こう書いてあります。

「禅宗の特色を簡潔に示した語。

教説や修行によることなく、
座禅によってただちに自分の心の本性を見極め、
悟りを開いて仏となること。」

ブリタニカ国際大百科事典には、こう書いてあります。

「禅宗用語。

真理は自己の心の外にあるのではなく、
自己の心のなかにこそ発見される、
真理であるその自己の本性をみるならば、
仏となることができる、
という意。」

岩波 仏教辞典には、こう書いてあります。

「禅は文字や教説によらず、
直接人の心をとらえ、
自己の仏性を覚悟するのを以て成仏とする意。

達磨の語として伝えられるが、
唐宋時代に、この語が禅宗を代表することばとして用いられるに至り、
達磨にその語源を求めたもの、
といわれる。」

言葉には力があるので、

決して “言霊パワー” を侮ってはいけませんが、

言葉だけに頼らないことも大事です。

言葉を介さずに、

直観的に覚りを得る、“直覚・直知” を重視しましょう。

インスピレーション・天啓が大事です。

直観を磨くべく、

『早朝の瞑想』

を日課としましょう!

(参考図書)
『岩波 仏教辞典』
(編者 中村元 福永光司 田村芳朗 今野達 岩波書店)

ご購入はこちらをクリック↓↓↓

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2024年10月03日

【究極の目標とは?】

【究極の目標とは?】

私たちが目指すべき “究極の目標” とは何でしょうか?

これについて、

『人生を100%の幸せで満たす言葉』(著者 山川紘矢 山川亜希子 マガジンハウス)

の中に、こう書いてあります。

「『自分の喜びを大切にしてください。

人は自分の喜びに責任があります。

自分の喜びや自分を喜ばすことを大切にすると、
あなたはあなたと一緒にいる人から見て楽しい人になり、
人生で出会う人々やすべての子供たちの輝ける模範になれます。』(ザ・シークレット)

人生の目的は『幸せになること』だと言ってもいいでしょう。

私たちは人間が幸せになれる社会をつくっていかなければなりません。

そのためにはこの地球上に愛と平和と平等を広げていかなければなりません。

私たちが生まれてきた目的は、

『より良い社会をつくるため』

です。

そのためにはまずは自分自身を幸せにすることが大切です。

『幸せになるためにはどうしたらよいのか』、

それが人生の一番大切なテーマではないでしょうか?

そのためには競争社会ではなく、
互いに助け合う社会をつくらなければならないと、
今多くの人が気づき始めているのです。」(64頁〜65頁)

私たちが目指すべき究極の目標は、

『幸せになること』

です。

これについて、

『富と宇宙と心の法則』(著者 ディーパック・チョプラ 訳者 住友進 サンマーク出版)

の中に、こう書いてあります。

「自分と出会うすべての人を幸せにするために、
あなたはこの世に生きています。

人生は自然に、
幸せになる方向へと徐々に動いていきます。

しかし、
自分の行動が自分や周囲の人々を幸せにしているかどうかを、
たえず自分自身に問いかける必要があります。

幸福こそ人生の究極の目標なのですから。

お金、
良好な人間関係、
素晴らしい仕事を求めているとき、
あなたが実際に求めているのは幸福なのです。

わたしたちが犯してしまう失敗は、
最初に幸福を手に入れる努力をしないことです。

幸福を第一の目標にすれば、
ほかはすべて後からついてくるでしょう。」(29頁)

『天は自ら助くるものを助く』

“Heaven helps those who help themselves.”

結局、

幸せになるには、

自助努力が必要です。

成り行きに任せながら、

流れの中で、

最善を尽くしましょう。

『人事を尽くして天命を待つ』

“Do your best and leave the rest to Providence.”

幸せになる秘訣は、

『天性を活かし、世のため人のため天のために最善を尽くすこと』

です。

(推薦図書)
『人生を100%の幸せで満たす言葉』
(著者 山川紘矢 山川亜希子 マガジンハウス)

   https://amzn.to/4eqt5yM

『富と宇宙と心の法則』
(著者 ディーパック・チョプラ 訳者 住友進 サンマーク出版)

   https://amzn.to/47SrjE3


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2024年10月02日

【受容・承認・称賛・共感・感謝・寛容】

【受容・承認・称賛・共感・感謝・寛容】

受容とは、

『受け入れること』

です。

承認とは、

『正当性を認めて、肯定の意志を表明すること』

です。

称賛とは、

『ほめたたえること』

です。

共感とは、

『他人の体験する感情を自分のように感じとること』

です。

感謝とは、

『自分に対する好意や親切をありがたく感じて謝意を表すること』

です。

寛容とは、

『心が広く、よく人をゆるし受け入れること』

です。

『受容・承認・称賛・共感・感謝・寛容』

は、人生の “キーワード” です。

『批評・批判・非難・否定・否認・誹謗』

から、

『受容・承認・称賛・共感・感謝・寛容』

へ、シフトしましょう!

『寛容が肝要』

です。

(参考図書)
『共感力』
(編者 ハーバード・ビジネス・レビュー編集部 訳者 DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー編集部 ダイヤモンド社)

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2024年10月01日

【厳しいから成長できる】

【厳しいから成長できる】

現実は厳しい

厳しいから成長できる

ぬるま湯につかっていたら

魂は成長しない

すべては

魂を成長させるための試練です。

すべては学びであり、

魂の成長の糧となります。

今、自分に起こっていることは、

すべて必要なことです。

『艱難 汝を玉にす』

という成句があります。

意味は、

『人は多くの苦労や困難を乗り越えてこそ立派な人物になる』

です。

逆境が人をつくります。

“Adversity makes a man wise.”

です。

魂が成長し、

自己意識が向上すれば、

幸せになれます。

なぜなら、

すべては意識の問題だからです。

宇宙の本質も、

人間の本質も意識です。

意識が進化・向上すれば、

至福に至ります。

超越意識から宇宙意識へ、

宇宙意識から神性意識へ、

神性意識から統一意識へ。

意識の進化と向上がすべてです。

これに関して、

『迷ったときは運命を信じなさい』(著者 ディーパック・チョプラ 訳者 住友進 サンマーク出版)

の中に、こう書いてあります。

「意識の第四ステージは、魂の姿を垣間見る瞬間に訪れます。

日常の意識を超越したとき、
ほんの一瞬、
穏やかで静寂な状態が訪れ、
内面に住む観察者(スピリット)に気づきます。

瞑想中に訪れるのがこの意識ステージです。

瞑想しているとき、
思考と思考の間に、
わたしたちはこの静寂な瞬間を体験します。

定期的に瞑想している人は、
瞑想するたびにこのような状態を体験し、
自己の意識ステージを拡大しています。

この段階に入ると、
生理にも影響が現れてきます。

コルチゾールやアドレナリンが減少し、
ストレスが減っていきます。

血圧は下がり、
免疫機能も向上します。

思考と思考の間を体験したときの脳の活動は、
起きている間の敏感な状態とはかなり異なっていることが証明されています。

魂の姿を垣間見ることで、
脳と身体のどちらにも生理的な変化が起こるからです。

シンクロニシティの気配も感じとれるようになります。

意識の第五ステージは宇宙意識と呼ばれています。

この状態になると、
あなたのスピリットが自分の身体を観察できるようになります。

あなたは無限のスピリットとなり、
自らの状況に気づき、
敏感になります。

眠っているときでも、
まるで体外離脱を体験しているように、
スピリットは熟睡中の身体を眺めているのです。

スピリットと一体になると、
熟睡中や夢を見ている時間だけでなく、
目覚めている状況でも、
知覚が鋭くなります。

このステージに入ると、
目覚めているときにも体外離脱と似たような現象が起きてきます。

あなたの身体はテニスをしたり、
電話で話したり、
テレビを見たりしているかもしれませんが、
その間ずっとスピリットがあなたの身体と精神を観察しているのです。

五つ目のステージが宇宙意識を呼ばれているのは、
あなたの意識がここにいながら、
『すべて』である領域にもつながれているからです。

このステージで、
『すべて』である知性との結びつきを肌で感じたとき、
実際にシンクロニシティが発生します。

この状況で、
あなたは自分を意識しながら、
同時に自分以外のあらゆるものとのつながりを感じています。

あなたは存在するあらゆるものとの一体感を十二分に満喫します。

直感が鋭くなり、
創造力や洞察力も増していきます。

このような体験が味わえる宇宙意識の状態に到達したときには、
たとえサッカーをしていても、
脳波は瞑想しているときと同じ状態になっています。

意識の第六ステージは神の意識と呼ばれています。

この状態に入ると第五の意識状態のときよりはるかに意識は覚醒していきます。

神の意識になると、
自分だけでなく、
ほかのすべての存在のなかにもスピリットを感じられるようになるのです。

植物ばかりでなく、
岩のなかにさえもスピリットが見えてきます。

宇宙に存在するあらゆるもの、
観察者も観察される者も、
見る者も見られる者のどちらにも、
生命力が表現されていることに気づくのです。

この神の意識をもつようになれば、
あらゆるものの内面に宿る神の姿が見えてきます。

動物や植物と意思を通じることさえできるようになるのです。

このような意識状態を持続できる人はほんのわずかしかいません。

しかし、
キリスト、
ブッダ、
多くのヨギや聖者など預言者や先見者はすべて、
この神の意識のなかで生きています。

究極の目的である、
意識の第七ステージは、
統一意識と呼ばれています。

これがいわゆる悟りの境地です。

統一意識のなかで、
見る者と見られる者のスピリットは融合し、
一体化します。

世界全体が自分の拡大された身体のように思えてきます。

あなたは個人の意識と一体化するだけでなく、
全世界が自分自身の姿を映し出す鏡であることがわかるのです。

ここで、
個人的な自己は宇宙的な自己に完全に変化します。

この段階では、
奇跡はごく当たり前のことになり、
無限の可能性の領域をつねに利用できるようになるので、
奇跡を起こす必要すらなくなります。

あなたは生と死を超越した存在になります。

過去、
現在、
そして未来永劫、
あなたはスピリットであり続けるのです。」(241頁〜243頁)

ほとんどの人は、

エゴに囚われ、

超越意識にすら到達できず、

人生の終焉を迎えます。

まずは、

内なる自己(ハイヤーセルフ)に目覚める超越意識を目指しましょう。

究極的には、

統一意識です。

宇宙意識と一体化することです。

すなわち、

悟りを開くことです。

『言うは易く行うは難し』

で、簡単ではありませんが、

悟りを目指して、

共に精進しましょう!

行こう

行こう

覚者の国へ

悟りを開いて

皆んなで一緒に行こう

悟りあれ

幸いあれ

(参考図書)
『現実は厳しい でも幸せにはなれる』
(著者 アルバート・エリス 訳者 齊藤勇 文響社)

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   https://amzn.to/47QMaY8

(推薦図書)
『迷ったときは運命を信じなさい』
(著者 ディーパック・チョプラ 訳者 住友進 サンマーク出版)

   https://amzn.to/3yF4LJI

原題 
The Spontaneous Fulfillment of Desire

文庫本
『ゆだねるということ(上)』
(サンマーク文庫)

   https://amzn.to/4fMFiPm

『ゆだねるということ(下)』
(サンマーク文庫)

   https://amzn.to/3ApogGN


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【無念・無想・無我・無心】

【無念・無想・無我・無心】

無念とは、

雑念・妄念のないことです。

無想とは、

心に何も思わないことです。

無心とは、

邪念のないこと、

妄念を離れた状態のことです。

無我とは、

我意のないこと、私心のないことです。

仏教でいう『無我』とは、

『あらゆる事物は現象として生成しているだけで、
それ自体を根拠づける絶対不変の実体は存在しない』

ということです。

すなわち、

無我とは、

『空』

を意味します。

『空』とは、

ゼロポイント・フィールドのことです。

つまり、

純粋意識の場、

純粋な可能性の場、

統一場、

宇宙全体を創り出している根源的な知性の場、

のことです。

私たちは、

常に何かを考えています。

『人間は自然のうちで、最も弱い一本の葦にすぎない。しかし、それは考える葦である』

と、パスカルの『パンセ』の中に、書いてあります。

理性は、

人間の条件のひとつと言ってもいいのです。

理知的に生きることは、

大変素晴らしいことです。

しかし、

私たちは、

理性以上に感性を重視しなければなりません。

なぜなら、

人は理屈で動くものではなくて、

心意気で動くものだからです。

『人生 意気に感ず』

という成句があります。

意味は、

『人間は、損得勘定や理屈で動くものではなくて、
人の心意気に共感して動くものである』

ということです。

理性から感性へシフトしましょう。

感性を磨くために、

マインドフルネス瞑想をオススメします。

マインドフルネスとは、

『五感に意識を集中させること』

です。

たとえば、

何も考えず、ボーッとろうそくの炎を見つめる、

目を閉じて、自然の音(さざ波・小川のせせらぎ・小鳥のさえずりなど)に耳を澄ます、

エッセンシャル・アロマオイルの香りで癒やされる、

など。

感性が豊かになれば、

心も豊かになります。

自然に対する畏敬の念も芽生えてきます。

理屈で何でも判断しようとするのではなくて、

感性を磨き、

直感力を身につけましょう。

『無念・無想・無我・無心』の境地が理想です。

『闇の夜に 鳴かぬ烏の 声聞けば 生まれぬ先の 父ぞ恋しき』

(参考図書)
「頭を『からっぽ』にするレッスン 10分間瞑想でマインドフルに生きる」
(著者 アンディ・プディコム 訳者 満園真木 辰巳出版)

ご購入はこちらをクリック↓↓↓

   https://amzn.to/3XNUwv0



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