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高原茂
メンタル心理カウンセラー・上級心理カウンセラー・行動心理士の高原茂です。宜しくお願い致します。 「このサイトはアフィリエイト広告(Amazonアソシエイト含む)を掲載しています。」 など
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2024年12月25日

【究極の問題解決法とは?】

【究極の問題解決法とは?】

問題を解決する最善の方法とは何でしょうか?

これについて、

「で、何が問題なんですか?『人生の悩み』がゼロになる44の解決法」(著者 小林正観 清談社Publico)

の中に、こう書いてあります。

「“問題” を目の前にしたとき、
人間には3つの解決方法があります。

@突破すること
闘って争って競って主張して説得して、
自分の意見を通すこと。

A逃避すること
この上司のもとではもうやっていけない、と会社を辞めたりして、その “問題” から遠ざかること。

B我慢し続けること
解決にはならないが、ただひたすら忍耐・辛抱をし、耐え続けること。

私たちが生きている世界は『三次元』(たて・よこ・高さの3つの次元によって成り立っている。一次元=直線、二次元=平面、三次元=立体=私たちの世界)ですが、
三次元的な解決方法としては、以上の3つです。

ところが、
『四次元』には4つ目の解決方法が存在するらしい。

4つ目の解決方法とは、

C『気にしない』こと
『気にしない』というのは、
英語で言うと
『I don’t mind』。

『ドンマイ、ドンマイ』と言うのがこれで、
『気にしない、気にしない』というもの。

どんなに怒られてつらい状況になっても、
『気にしない』ように “努力” するわけです。

さらに、
『五次元』には5つ目の解決方法があります。

その5つ目とは、

D『気にならない』
『気にしない』のは、
“問題” は存在するものの『気にしない』ように考えて生きるのですが、
『気にならない』のは、
上司に怒られようが怒鳴られようが、
『どうしよう』と思い悩むのではなく、
“問題” が “問題” として認識されていない状態です。

英語で言うと
『There is no problem』。

『問題なんてない』。

『There is no problem』をピッタリの日本語に置き換えると、

『で、何が問題なんですか』

ということになります。

『こんな簡単なことでミスをして、おまえはバカなのか!』

と上司に怒鳴られたとして、
そのときに、

『そうなんです。
私、本当はバカなんです。

能力は低いし、
どうしようもない奴なんです。

なるべく同じミスをしないようにはしますが、
根っこがバカなので、
また同じようなことをするかもしれません。

こりゃダメだ、と思ったらいつでもクビにしてください』

と言えるような状態であったなら、
クヨクヨしたり、
落ち込んだりすることはないでしょう。

もともと、
宇宙には “問題” なんてないのかもしれません。

それを、
『未熟な私』が “問題” としてとらえてピリピリし、
『つらい、悲しい、つまらない』と言っているだけなのかもしれません。」(244頁〜246頁) 

“問題” は、それを問題と思う心にあります。

“問題” と考える心が問題をつくり出しています。

本来、宇宙には問題は存在していません。

問題だと解釈する心があるだけです。

“問題” は、気にしなければいいんです。

悟りを開いた人は、

何も気にしません。

何も気になりません。

私の好きな名言に、

『心頭を滅却すれば火もまた涼し』 

があります。

意味は、

『無念無想の境地にあれば、どんな苦痛も苦痛と感じない。〔杜荀鶴「夏日題悟空上人院」より。

禅家の公案とされ、1582年甲斐(かい)国の恵林寺が織田信長に焼き打ちされた際、住僧快川(かいせん)がこの偈(げ)を発して焼死したという話が伝えられる〕―大辞林―』 

です。

悟りを開けば、人生はシンプルで楽になります。

『言うは易く行うは難し』

で、簡単ではありませんが、

お互い、

『何があっても気にしない』

『何が起きても気にならない』

そういう境地になれたらいいですね。

『お互い何も思わんのが一番よろしいのであります』(山田無文)

結局、何も考えんのが一番いいんじゃ

(推薦図書)
「で、何が問題なんですか?『人生の悩み』がゼロになる44の解決法」
(著者 小林正観 清談社Publico)
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2024年12月24日

【酸いも甘いも噛み分ける】

【酸いも甘いも噛み分ける】

深い悲しみを経験して、

思いやりのある人になる。

挫折を経験して、

レジリエンス(復元力・回復力)が身につく。

怒鳴られて、

打たれ強くなる。

見下され、

謙虚であることの大切さを知る。

お金に苦労して、

足るを知る。

病になり、

健全を知る。

喜びと哀しみ、

楽しいことと辛いこと、

その両方を経験しながら、

魂は少しずつ成長していく。

酸いも甘いも噛み分けて、

人間性豊かな人になる。

『宇宙のパワーと自由にアクセスする方法』(著者 ディーパック・チョプラ 訳者 渡邊愛子 フォレスト出版)

の中に、こう書いてあります。

「『生命の川は快楽の岸と苦痛の岸の間を流れ、両方にぶつかるものです』

両方の岸にぶつかることが問題ではありません。

ポジティブなものにしてもネガティブなものにしても、
問題は、
私たちがどちらかの岸にしがみつくときに起こります。

人生が提供するすべての矛盾に対して私たちが素早く自分自身を調和させるとき、
快楽の岸と苦痛の岸のどちらに留まるでもなく、
両方を経験しながら心地よく流れていけるとき、
私たちは自由に到達したのです。

喜びと悲しみ、
幸せと苦しみは、
反対の性質同士の遊びごとです。

それらはすべて時間に縛られているため、
一過性のものです。

あなたの本質であるスピリットは、
反対の性質同士の遊びごとから離れたところにいて、
永久不変の静かな至福の中に住んでいます。

そして、
自分自身が純粋意識の場であることを知ったとき、
あなたは自分の源から生きているのです。

あなたが幸せを探し求めるのをやめて、
幸せをすでに手にしていることを知ることが、
永続的な幸せへの鍵です。

もしあなたが幸せを探し求めるならば、
一生見つけることはないでしょう。

あなたが、
幸せはその角を曲がったらあると考えているならば、
あなたは角を曲がりつづけるだけで、
ついぞ幸せを手にすることはないでしょう。

幸せへの本当の鍵は、
ポジティブさやネガティブさを超えた知性の場で暮らし、
遊ぶことなのです。

その場はあなたの源で、
魔法のようでいて、
神聖で、
喜びに満ちていて、
自由です。

幸せと悲しみは『無限の意識』の2つの異なる顔です。

どちらも一過性のもので、
あなたはそのどちらでもありません。

なぜなら、
あなたという存在は『無限の意識』の片方の状態ではないからです。

あなたはすべての状態を表現している意識そのものなのです。」(151頁〜152頁)

私たちは、

時々スピリチュアルな経験をする人間ではなくて、

時々人間の経験をするスピリチュアルな存在です。

これが正当な自己認識です。

ポジティブやネガティブを超越したところに、

『至福の場』

があります。

それに気づくことが肝です。

『悟れば一瞬にして幸来たる』(中村天風)

『花が咲こうと咲くまいと生きていることが花なんだ』(アントニオ猪木)

(推薦図書)
『宇宙のパワーと自由にアクセスする方法』
(著者 ディーパック・チョプラ 訳者 渡邊愛子 フォレスト出版)
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2024年12月23日

【伝える義務】

【伝える義務】

長老・年長者は、

次世代を担う若者に、

教訓・人生訓を伝える義務があります。

若い芽を育てることが、

明るい未来を築く礎になります。

伝えるべき『教訓』に関して、

『教訓。』(著者 倉橋隆行 プラチナ出版)

の表紙に、こう書いてあります。

「考え方ひとつで人生は大きく変わるものである。

良い考え方は、
良い人生を形成し、
悪い考え方は、
悪い人生を形成する。

良い種を植えれば良い作物ができ、
悪い種をまけば、
当然、悪い作物になってしまう。

当たり前のことだが、
この当たり前のことがわかるのは、
ずっと後になってからだ。

(中略)

若いときにもっと前向きに生きていけば、
もっと素晴らしい人生に、
もっと早くたどり着くに違いないと考えた次第なのである。」

さらに、
本書の中に、こう書いてあります。

「私自身、若いころにかなり苦しんだ経験はあったが、
いま考えると、
なぜあんなに苦しんでいたのかがわからない。

しかし、
いまがあるのはその苦しんだときがあったからであり、
最初からその苦しみは『試練』だと考えていたなら、
苦しむことはなかった。

苦しんだのは、
単に将来に対する夢や現実が読み切れなかったからである。

(中略)

以前、私が書いた『馬鹿に効く薬。』(週刊住宅新聞社)が、
若者や経営者から絶大な支持をいただいているのは、
本書に書かせていただく内容の経験則本であったからだが、
これを読み、
書かれていることを参考に行動したことによって、
人生が変わったという人たちが数多くいる。

私の著書によって『人生が変わった』とまで言ってくれるのは、
本当にうれしい限りであるし、
私自身も、
さらに進化したいと考えるようになった。」(3頁〜4頁)

『伝えること』は、

『学ぶこと』でもあります。

自己の魂を成長させます。

つまり、

自己意識の進化と向上に役立ちます。

ただし、
個人に対して説教するのはお節介になるので控えましょう。

大衆に向けて有益な情報を発信しましょう。

ということで、

結論はこうなります。

『若い芽を 育てて築こう明るい未来』

(推薦図書)
『教訓。』
(著書 倉橋隆行 プラチナ出版)
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2024年12月22日

【無条件の愛とは?】

【無条件の愛とは?】

無条件の愛とは何でしょう?

これについて、

『無条件の愛 キリスト意識を鏡として』(著者 ポール・フェリーニ 訳者 井辻朱美 ナチュラルスピリット)

の中に、こう書いてあります。

「イエスを自分の心の外部の独立した存在と考えると、
大切な点を見失う。

イエスが話しかけるのは、
あなたの心の中においてだからである。

イエスはもっとも親しい友として、
ときには言葉で、
しばしば言葉を超えて、
あなたに語りかける。

イエスとの交流、
霊的交わりは、
その教えを実践するためには欠かすことのできぬ部分だ。

ただしイエスは、“キリストの心” の中で特権的な地位や場所を占めているのではない、
ということをはっきりさせておきたい。

クリシュナ、
ブッダ、
モーゼ、
老子、
その他もろもろの聖人が意識体として、
そこで、というかもっと正確にいえばここで、イエスに合流している。

ブッダやクリシュナと話すほうが落ちつけるというなら、
どうかそうしてほしい。

イエスは気を悪くなさらないだろうと思う。

いや、むしろ喜ばれるはずだ。

あなたは、
非―分離というイエスの教えに従っているわけだから。

われわれはみな、
この “キリストの心”(ブッダの心でも、ブラフマンでも、聖霊でもなんでもよいが)と交流し、
交わりをもっている。

それはわれわれがみな “神の心” とひとつになっているからだ。

もしそうでなければ、
われわれの経験はまったく暗黒のものとなり、
回復の希望さえ見いだせないだろう。

各人は、
自分の無意識の闇を照らす小さな火花をもっている。

それは神とのつながりを保たせている聖なる意識の火花だ。

この火花はわれわれを、
各自の伝統の中の聖なる教師とも結びつけ、
兄弟姉妹の中にある聖性とも結びつける。

(中略)

ひとりびとりの中にある火花を見ることさえできれば、
われわれの感じたり経験したりするすべての闇は溶け去り、
いま知っているような世界は消え失せるだろう。

愛がわれわれのハートの中に、
そして兄弟姉妹のハートの中に打ちたてられるからである。

“キリストの心” を体現するいかなる存在であれ、
心とハートの中に愛の王国を打ちたてる以外のことを求めているわけではない。

そもそも、
それこそが唯一無二の目的である。

(中略)

ユダヤ教徒は、
イエスが新しくもたらした信仰を理解し、
受けいれる必要がある。

そしてキリスト教徒は、
イエスの愛と宥しの教えが、
いかに恐怖心と罪悪感によってゆがめられてきたかを理解する必要がある。

無神論者は、
イエスの革命的な平等思想を理解する必要がある。

イエスを拒否するもの、
あるいは台座にのせてまつりあげるものは、
どちらも彼の教えを誤解している。

だからこそ、
だれもがそれを修正しなければならない。

イエスはそれぞれに、
罪悪感を溶かし去り、
恐怖心の中から抜け出す特別のメッセージを伝えてくれる。

イエスはわれわれに、
キリスト教に改宗しなさいとは言わない。

キリスト教というようなものはないからである。

キリスト教といえば、
それは分離の神話になる。

それはキリスト教徒をユダヤ教徒やイスラム教徒や仏教徒から分離する。

イエスがそんな考えを唱道するとお思いだろうか。

とんでもない。

イエスに従うものは、
いかなる分離をも唱道しない。

イエスは、
自分自身をもふくむすべての存在に対して、
愛と宥しを実践した。

ユダヤ教徒、
イスラム教徒、
ヒンズー教徒を兄弟として受け入れた。

人を改宗させようとはせず、
その信仰に深く根をおろすようにさせた。

別の道を選ぶものは、
救済を拒まれるとも信じていなかった。

イエスの真の信奉者は、
神は故郷への多くの道を備えておられると知っているので、
その結果については心配しない。

(中略)

イエス、
クリシュナ、
ブッダ、
そして次元上昇したすべてのマスターは、
たったひとつの祈りをささげれば、
その中でわれわれをとりまいていてくれる。

その祈りは、
われわれのハートの中の火花をおだやかに養い育て、
恐怖心と羞恥の意識から完璧に抜け出すのを助けてくれる。

また経験のなかで窮屈にこりかたまってしまった信念や条件づけを、
聖なる啓示の光で照らしだしてくれるだろう。

なぜなら、
その光はわれわれの中にあるもので、
呼びかければ輝かないわけにはいかないからだ。

キリストの光は、
われわれすべての中にある。

それを、
ともに呼びおこそうではないか。

愛の名において。」(1頁〜7頁)

無条件の愛とは、

神の心。

宇宙全体を創り出している根源的な存在であるCreatorの心は愛。

愛こそすべて。

自分も含めて、

人をゆるす心が大事です。

エゴという分離意識から、

ワンネスという統一意識への変容が肝要です。

私たちは神の子。

宇宙意識を海にたとえると、

私たちはさざ波。

すべては一つ。

ワンネスです。

私たちのハートの中に愛の王国を打ちたてましょう!

『心安らかに生きる。
ただそれだけを目標にしてもいい。』(ジェラルド・G・ジャンポルスキー)

『主体と客体
愛するものと愛されるもの

それらはふたつではなく
おなじひとつのもの

あなたの与えるもの
そしてあなたの受けとるもの

それはおたがいの
鏡の反映にすぎないのだ』(ポール・フェリーニ)

『汝は神なり 愛と光なり』

(推薦図書)
『無条件の愛 キリスト意識を鏡として』
(著者 ポール・フェリーニ 訳者 井辻朱美 ナチュラルスピリット)
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2024年12月21日

【因果応報・因縁生起・自業自得】

【因果応報・因縁生起・自業自得】

人生で起こる出来事は

『因果応報』

『因縁生起』

です。

原因があって結果があります。

自分で為した業(ごう)は、

自分で得る。

すなわち、

『自業自得』

です。

善きことであれ、

悪しきことであれ、

すべては自分のカルマです。

『善因善果』

『悪因悪果』

です。

自分で蒔いた種は自分で刈り取る。

宇宙には、

カルマの法則が働いています。

これについて、

『富と成功をもたらす7つの法則』(著者 ディーパック・チョプラ 訳者 渡邊愛子 角川文庫)

の中に、こう書いてあります。

「『カルマ』とは行動と、行動の結果を意味します。

つまり原因と結果の両方を指すのですが、

それは一つひとつの行動が、

同じようなものを返すエネルギーを生み出すからです。」(57頁)

「あなたの好むと好まざるとにかかわらず、

この瞬間に起こっているすべてのことは、

あなたが過去に選択したことの結果なのです。

残念ながら、私たちの多くは無意識に物事を選択しているので、

それらが自分の選択だったとは思いにくいのですが、

それでもそれは自分の選択だったのです。」(58頁)

「時にカルマの負債の返済には多くの苦しみを伴うこともありますが、

『原因と結果の法則』は、宇宙の中で返済されない負債はないと言っています。

この宇宙には完璧な会計システムがあり、

すべてのことは絶え間ない『収支』のエネルギー交換なのです。」(63頁〜64頁)

「カルマを超越する方法は、

『ギャップ(すき間)』

『自己』

『スピリット』

を経験し続けることです。

それはまるで汚れた布きれを水の流れの中で洗うようなことです。

洗うたびに、いくつかのシミが消えていきます。

何度も何度も洗い続けると、

毎回少しずつきれいになっていきます。

ギャップに入り、そこから再び出てくることによって、

あなたのカルマの種を洗う、

つまり超越するのです。

これはもちろん、

『瞑想』の実践によって行われます。」(66頁)

「私たちが他の人に幸せや成功をもたらすような行動をとるとき、

その行動のもたらす果実も幸せと成功なのです。」(55頁)

「あなたの行動が、

自分と自分によって影響されるすべての人にとって発展的であるかぎり、

それらの行動の果実は幸せと成功になるでしょう。」(67頁)

人生で起こる問題や困難は、

私たち自身が為したカルマ(業)であり、

私たち自身で解決すべきものです。

それが自分自身の為でもあります。

これに関して、

『カルマの法則 ホワイト・イーグルからのメッセージ』(訳者 松原教夫 たま出版)

の中に、こう書いてあります。

「私たちは、あなたがたの一部です。

私たちは、あなたがたとともにいます。

すべての人々とともにいます。

私たちは、あなたがたを愛しています。

したがって私たちは、
あなたがたの問題や困難を取り除くことはしません。

そうすることは、
あなたがたにとって親切でも為になることでもないからです。

私たちは、
あなたがたが試行錯誤しながらゆっくりと学ぶ間、
そばに寄り添って力と愛を与えることしかできません。

これらの困難への対応の結果、
あなたがたが光の明るい道を歩み、
霊からあなたがたに与えられたメッセージを受け入れれば、
あなたがたの魂に喜びがもたらされるでしょう。

もし私たちが、
あなたがたから問題や困難を取り除いたとしたら、
あなたがたはこの喜びを得られません。

人間の心に働きかける神と共にある人だけが、
これらの真理を学び天国の喜びを体験できます。

あなたがたの目が生命の正しい方向に開かれるたび、
あなたがたが生命の秘密に触れることができるたび、
光があなたがたの心と魂に広がり、
生命は新しい局面を迎えます。

あなたがたは、
霊的かつ肉体的な目で美しい景色、
あなたがたがかつて見たこともないような深遠な美を見ます。

創造主への賛美と感謝の念で、
あなたがたの胸は高鳴るでしょう。」(87頁〜88頁)

精霊(神霊)は、

いつもそばに寄り添って力と愛を与えてくれます。

見守ってくれています。

艱難辛苦は、

神の恩寵的試練です。

試練を乗り越えることで、

私たちの魂は成長します。

艱難辛苦を乗り越え、

善きことを為し、

善き果実を得ましょう。

他の人に幸せや成功をもたらす行動をとりましょう。

『与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。』(ルカによる福音書第6章38節)

“Love is the loadstone of love.”
(愛は愛の磁石である)

“Do good; thou doest it for thyself.”
(慈悲を施せ、それは汝自身のためにすることになる)

(推薦図書)
『富と成功をもたらす7つの法則』
(著者 ディーパック・チョプラ 訳者 渡邊愛子 角川文庫)
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『カルマの法則 ホワイト・イーグルからのメッセージ』
(訳者 松原教夫 たま出版)
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【神の恩寵的試練】

【神の恩寵的試練】

病になって健康のありがたみを知る

お金に苦労してお金の大切さがわかる

『金の苦労を知らない人は、その人柄がいかに良くても、どこか喰い足りぬところがある。
人の苦しみの察しがつかぬからである』(森信三)

人生の荒波を経験して平穏であることの重要性を認識し
安心立命の境地に至る

『逆境は 神の恩寵的試練なり』(森信三)

『艱難 汝を玉にす』
(人は多くの艱難を乗り越えてこそ立派な人物になる)

Adversity makes a man wise.

『憂きことの なおこの上につもれかし 限りある身の ちからためさん』(熊沢蕃山)

(推薦図書)
『森信三一日一語』
(編者 寺田一清 致知出版社)
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2024年12月19日

【瞑想こそ・・・・】

【瞑想こそ・・・・】

「瞑想なんて自分には関係ない」

「瞑想に価値なんてない」

と思っていませんか?

その気持よくわかります。

実は、

五年前まで私もそう思っていました。

しかし、

自己啓発本・哲学書・心理関係の本を読み漁った結果、

瞑想こそ、

『人生の真理・宇宙の叡智に到達する最良の手立て』

であることがわかりました。

私は瞑想を日課にしてから、

随分、心が穏やかになりました。

かつては、

過去にとらわれたり、

未来を思い煩ったり、

イライラ、かりかりしたり、

落ち込んだり、浮かれたり、

していましたが、

今は、

以前に比べて随分、和やかになりました。

私たちは普段、

左脳に支配されています。

つまり、

理知的に物事を判断しています。

それは悪いことではありませんが、

左脳を休ませて、

右脳を活性化することが大事です。

なぜなら、

すべてはバランスと調和で出来ているからです。

左脳と右脳のバランスを取るために、

理性だけではなくて、

感性も磨く。

そのための練習の一つが、

『マインドフルネス瞑想』

です。

瞑想は奥が深い。

瞑想が深まれば、

感性だけではなく、

霊性も磨かれる。

霊性意識(スピリチュアリティ)が発現してくる。

つまり、

宇宙意識(空の心)と一体化し、

純粋意識の場と繋がることができる。

実は、

これこそが『悟り』です。

理屈としてわかるのではなく、

直観として、

『私は宇宙全体を創り出している根源的な知性のさざ波である』

ということがわかる。

この直覚・直知が肝です。

早朝の瞑想を日課とすることをお勧めします。

(推薦図書)
『ゆだねるということ(下)』
(著者 ディーパック・チョプラ 訳者 住友進 サンマーク文庫)
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2024年12月18日

【情操教育について】

【情操教育について】

知識の詰め込み教育ではなく、

『情操教育』

『センス・オブ・ワンダー』

を重視する。

これに関して、

「『やさしさ』の教育――センス・オブ・ワンダーを子どもたちに――」(著者 露木和男 東洋館出版社)

の中に、こう書いてあります。

「本来、私たちが『知』につながるときは、
無数の『心』と向き合っているのです。

このことに気づいたとき、
現代の学校が抱えている病が見えてくるような気がしました。

そして、
今の学校の在り方では、
子どもは幸せになれない、
とも感じたのでした。

私は小学校の教師を37年間勤めてきました。

その歳月を振り返ると、
慙愧に堪えない思いとともに、
子どもが学ぶことの意義を改めて考えずにはいられません。

そして、
得た結論は、
教育は、
とりわけ私が中心に実践してきた理科教育は、
子どもの『やさしさ』が育つものだということです。

道徳ではなく、
理科で子どもの『やさしさ』が育つというと、
多くの方は怪訝な顔をされるかもしれません。

誤解を恐れずに言えば、
例えば子どもが磁石を学ぶのは、
磁石について詳しくなるためでもなければ、
資質・能力を身につけるためでもありません。

磁石を媒介にして、
先生と子どもが仲良くなり、
子ども同士が仲良くなるためです。

仲良くなるというのは、
やさしくなることなのです。」(6頁〜7頁)

「子どもの心がどのように育つのか、
私にはわかりません。

こうすることがいいことですよ、
と道徳を振りかざしても子どもの心が育つとは私には思えません。

けれども、
授業中の中で子どもの心が生き生きと脈打っているなと感じることはよくありました。

子どもの本然としての『いのち』が輝いていると思う瞬間です。

子どもが何かに夢中になっているとき、
子どもが対象を一心に見つめているとき、
子どもが仲間のことを一生懸命考えているとき、
そして、
仲間で力を合わせて何かをやり遂げようとしているときなどです。

そのようなとき、
子どもの心もきっとよい方向に発達しているに違いない、
と感じるのです。

子どもの心が『よい方向』にというのは、
人間としての進化を表現しているような気がしています。

(中略)

大脳が自己中心的な働きを超越する方向に進化しているのだという感覚です。

仲間への思いやりに満ち、
心のつながりを大切にする方向に。

互いに信頼し合うという方向に。

文化の香りのする方向に。」(70頁〜71頁)

理性だけではなく、

感性(センス・オブ・ワンダー)を磨く。

さらに、

霊性意識(自己中心的な働きを超越した神性意識)を発現させることが肝要です。

理性から感性へ、

そして、

霊性へシフトしましょう!

(推薦図書)
「『やさしさ』の教育――センス・オブ・ワンダーを子どもたちに――」
(著者 露木和男 東洋館出版社)
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2024年12月17日

【裁くなかれ!️】

【裁くなかれ!️】

私たちは、

物事を理知的に考えて、

白黒をつけたがります。

とかく、

人を裁いたり、

評価したり、

レッテル貼りをしたり、

しがちです。

人を裁断しないことが肝要です。

人を裁く心が、

不和、

不穏、

不調和、

争い、

の原因となります。

聖書に、こうあります。

「 人を裁くな。

そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。

人を罪人だと決めるな。

そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。

赦しなさい。

そうすれば、
あなたがたも赦される。」
(ルカによる福音書第6章37節)

裁断(ジャッジメント)は必要ありません。

これについて、

『富と宇宙と心の法則』(著者 ディーパック・チョプラ 訳者 住友進 サンマーク出版)

の中に、こう書いてあります。

「ものごとをつねに善か悪か、

正か否かに分類しなくなれば、

意識はもっと穏やかになっていきます。

判断という重荷を捨て去った瞬間、

心のなかで交わされる対話はもっと穏やかになり、

無心の境地(思考と思考の合間)にもずっと簡単に入っていけるようになるのです。

定義、レッテル貼り、説明、解釈、評価、分析、判断などをやめることが大切です。

このようなことをすれば、

心のなかで騒がしい対話が始まってしまいます。」(31頁)

対立する価値の存在を認めることが肝要です。

区別をしなくなれば、

心は穏やかになります。

とりわけ、

レッテル貼りをしないことが肝心です。

これについて、

「『成功』+『幸せ』を手に入れる21の原則」(著者 アーノルド・M・パテント 訳者 あさりみちこ 徳間書店)

の中に、こう書いてあります。

「 わたしたちは、無意識のうちに、
ありとあらゆるものに評価や判断をくだしてしまう『クセ』があります。

これが、いわゆる『レッテル貼り』です。

(中略)

このレッテル貼りこそが、

わたしたちから真実を見失わせてしまう元凶です。

すべてのものは、ありのままで完璧なのに、

レッテルを貼ると、それがわからなくなってしまうのです。

すべてが不完全に見えてしまうのです。

そのうえ、エネルギーも停滞してしまい、自由に流れなくなります。

レッテル貼りをした瞬間、

レッテル、すなわち『かたよった考え』は、

レッテルを貼った対象(人、もの、出来事)に対するあなたの気持ちと合体して、ひとつになります。

これが、エネルギーをとどこおらせ、不快感をもよおさせる原因です。

レッテル貼りをやめないかぎり、

ギクシャクした人間関係や、

特定の不愉快な状況は、

なんども、なんどもくりかえされます。

わたしたちは、つい、なんにでもレッテルを貼りたがるものですが、

実際には、

この世には、

正しいことも、

間違っていることも、

良いことも、

悪いことも存在しません。

正邪の観念は人間の思考が勝手につくりだしているだけであって、

あくまでも相対的なものにすぎません。

すべての出来事は、

純粋なひとつの出来事なのです。

それが真実です。

単なる出来事に、

『○○だ』とレッテルを貼るから、

単なる出来事は、

レッテルである『○○』にすりかわってしまうのです。

これでは、完璧な人生を楽しむことなど無理な相談です。

人生を完璧にする唯一の方法は、

すべてのものを、

ありのままで完璧だと受け入れることなのです。」(95頁〜96頁)

パテント氏が述べているように、

この世には、

正しいことも、

間違っていることも、

良いことも、

悪いことも存在しません。

正邪の観念は、

人間の思考が勝手につくりだしているだけであり、

あくまでも相対的なものにすぎません。

宇宙コンピュータは完璧です。

すべてはありのままで完璧です。

とはいえ、

善対悪、

真対偽、

美対醜、

などの二項対立の構図にしてしまうのが、

私たちの性(さが)です。

善だけの世界、

美だけの世界、

真だけの世界は存在しません。

悪があるから善がある。

醜があるから美がある。

偽があるから真がある。

この事実を受け入れましょう。

頭ごなしに、悪・偽・醜を否定せず、

許容・容認するという大らかさを身につけましょう。

批評・批判・非難・否認・誹謗の否定的精神から

受容・承認・称賛・共感・感謝・寛容の肯定的精神へ

シフトしましょう。

お互い、

もっと、しなやかに、

もっと、おおらかに、

もっと、おだやかに、

生きたいものですね。

『もの持たぬ たもとは軽し 夕涼み』(白隠禅師)

『お互い何も思わんのが一番よろしいのであります』(山田無文)

(推薦図書)
『富と宇宙と心の法則』
(著者 ディーパック・チョプラ 訳者 住友進 サンマーク出版)
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(著者 アーノルド・パテント 訳者 あさりみちこ 徳間書店)
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2024年12月16日

【自立心】

【自立心】

病や艱難辛苦・苦悩は、

『自身の生活習慣を見直しなさい』

『今までの生き方・考え方を改めなさい』

という天からの啓示です。

だから、

自発的・自主的・主体的に生活習慣や生き方を改善することが肝要です。

他者がお節介や余計な世話をする必要はありません。

『教えないから人が育つ』

という側面もあります。

要は、

実践躬行が大事だということです。

『自助論』(著者 サミュエル・スマイルズ 訳者 竹内均 三笠書房 知的生きかた文庫)

の中に、こう書いてあります。

「『天は自ら助くる者を助く』

この格言は、
幾多の試練を経て現代にまで語り継がれてきた。

その短い章句には、
人間の数限りない経験から導き出された一つの真理がはっきりと示されている。

自助の精神は、
人間が真の成長を遂げるための礎である。

自助の精神が多くの人々の生活に根づくなら、
それは活力にあふれた強い国家を築く原動力ともなるだろう。

外部からの援助は人間を弱くする。

自分で自分を助けようとする精神こそ、
その人間をいつまでも励まし元気づける。

人のために良かれと思って援助の手を差し伸べても、
相手はかえって自立の気持ちを失い、
その必要性をも忘れるだろう。

保護や抑制も度が過ぎると、
役に立たない無力な人間を生み出すのがオチである。

いかにすぐれた制度をこしらえても、
それで人間を救えるわけではない。

いちばんよいのは何もしないで放っておくことかもしれない。

そうすれば、
人は自らの力で自己を発展させ、
自分の置かれた状況を改善していくだろう。

だが、
いつの時代にも人は、
幸福や繁栄が自分の行動によって得られるものとは考えず、
制度の力によるものだと信じたがる。

だから

『法律をつくれば人間は進歩していく』

などという過大評価が当たり前のようにまかり通ってきた。

確かに、
法律がうまく施行されれば、
人は個人的な犠牲をさほど払わずにそれぞれの労働(精神労働や肉体労働)の果実を楽しむことができる。

だが、
どんなに厳格な法律を定めたところで、
怠け者が働き者に変わったり、
浪費家が倹約に励みはじめたり、
酔っぱらいが酒を断ったりするはずがない。

自らの怠惰を反省し、
節約の意味を知り、
酒におぼれた生活を否定して初めて人間は変わっていく。

われわれ一人一人がよりすぐれた生活態度を身につけない限り、
どんなに正しい法律を制定したところで人間の変革などできはしないだろう。」(11頁〜13頁)

余計なお世話・お節介は、

かえって自立心・自主性・主体性の妨げになります。

自分で自分を助けようとする精神こそ肝要です。

病に関しても、

薬や他者によるヒーリングに頼ることなく、

自然治癒力・免疫力を活性化することが肝心です。

依頼心を断ち、

自立心を育てましょう!

『天は自ら助くる者を助く』

Heaven helps those who help themselves.

(推薦図書)
『自助論』
(著者 サミュエル・スマイルズ 訳者 竹内均 三笠書房 知的生きかた文庫)
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