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高原茂
メンタル心理カウンセラー・上級心理カウンセラー・行動心理士の高原茂です。宜しくお願い致します。 「このサイトはアフィリエイト広告(Amazonアソシエイト含む)を掲載しています。」 など
プロフィール

2024年12月05日

【ネガティブ観念にNOと言う】

【ネガティブ観念にNOと言う】

感情は、

自然に湧いてくるものなので、

無理に変えようとする必要はありません。

しかし、

観念は、

どこまでも前向き(建設的・発展的・肯定的・創造的)であるべきです。

ネガティブ観念にNOと言いましょう。

これについて、

『富と宇宙と心の法則』(著者 ディーパック・チョプラ 訳者 住友進 サンマーク出版)

の中に、こう書いてあります。

「否定的な考えにノーといいなさい。

友人で著名な作家のウェイン・ダイアーは、
そのための簡単な方法を教えてくれました。

否定的な考えが頭に浮かんだら、
かならず心のなかで、

『次に移ろう』

とつぶやき、
人生を前向きに考えるのです。

否定的な考えにノーということは、
自分のまわりに否定的な考えをいだいている人を置かないということです。

否定的な考えの人は、
あなたのエネルギーを空にしてしまいます。

愛情や励ましのあふれる環境を周囲に創り、
否定的な考えを締め出してしまいなさい。」(35頁)

悲観的な考えや厭世観は、

あなたのエネルギーを空(から)にしてしまいます。

どこまでも、

建設的・発展的・肯定的に物事を考え、

人生の一切に勇往邁進しましょう!

「悲しみと苦痛はやがて、
『人のために尽くす心』という美しい花を咲かせる土壌だと考えよう。
心を優しく持ち、
耐え抜くことを学ぼう。
強い心で生きるために」(ヘレン・ケラー)

(推薦図書)
『富と宇宙と心の法則』
(著者 ディーパック・チョプラ 訳者 住友進 サンマーク出版)
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2024年12月04日

【我を捨てる】

【我を捨てる】

自分が、自分が、の我(が)を捨てましょう。

我(が)とは、

『我が強い』

『我を張る』

『我を通す』

の我です。

我欲・我心・我意・我利の『我』です。

英語で言えば、

『エゴ(ego)』

です。

エゴイストのエゴです。

『我』を捨てることの大切さについて、

『人間力のある人はなぜ陰徳を積むのか』(著者 三枝理枝子 モラロジー道徳教育財団)

の中に、こう書いてあります。

「 神社にお参りにいらしたとき、


本殿や拝殿に 


『鏡』 


が置かれているのを目にしたことがないでしょうか。


古より鏡は、


自分の姿を映し、


正しい動きや形に修正したり、


姿を確かめるために使われてきました。


それだけでなく、


心の状態も映し出すものと信じられてきたのです。


『かがみ』 


の 


『が(我)』 


を取ると 


『かみ(神)』


になるという教えから、


手を合わせる際には 


『我を取るように』 


と言われてきたようです。」(80頁)


我を取れば、

神になります。

エゴイストから博愛主義者へシフトしましょう。

小我(エゴ)を捨てて、

大我(愛)に生きましょう。

山川の

末に流るる栃殻も

身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ

『我を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ』

(参考図書)
『人間力のある人はなぜ陰徳を積むのか』
(著者 三枝理枝子 モラロジー道徳教育財団)
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2024年12月03日

【利己から利他へ】

【利己から利他へ】

利己から利他へ、シフトしましょう。

道歌(教訓歌)に、こうあります。


「わがために なすはわが身の ためならず 人のためこそ わがためと知れ」

意味は、

『自分の利益になることばかり考えて行動したら、結局、自分のためになりませんよ。
他者を思って行えば、それが自分自身のためになるのですよ』

ということです。

私利私欲のためにすることは自身のためにはなりません。


他人のために尽くすことが、自分のためになります。


ことわざに


『情けは人の為ならず』 


とありますが、これも同じ意味です。


『科学的に元気になる方法集めました』(著者 堀田秀吾 文響社)


の中に、


『情けは人の為ならず』が科学的に証明されたとして次のように書かれています。


「『情けは人の為ならず』という言葉がありますね。


これは、『人に情けをかけると、ロクなことがない』・・・・・・と、


誤用されていることも多いのですが、


本当の意味は 


『他人のためを思った行動は、その人にとってだけではなく、まわりまわって自分にも返ってくる』 


という意味です。


このことわざが、


『幸福度が低い』状態から脱却する良いヒントになります。


ヒューストン大学のラッドらが行った実験によると、


人は自分のために何かするよりも、


他人のために良いこと(『向社会行動』といいます)をして、


それを達成できるとハッピーになるということがわかりました。


実験の内容はちょっと複雑なので、


結果だけ簡単に書かせていただくと、


『具体的に人のためになるような行動』を取ると、


自分自身のハッピー度も上がるのです。


(中略)


さらに、


モローハウエルらの研究では、


ボランティアなどに従事している人は鬱になる確率が少なく、


またボランティアを長時間やればやるほど、


幸福に感じる度合いが高くなる結果も出ています。


というように、


つまりは恩を感じた人がいつか自分にも良いことをしてくれる、


といったことではなく、


人のためを思った行動は自分をハッピーにする即効性を持った最高のクスリなのです。」(201頁〜203頁)


見返りを期待して人に情けをかけるのではありません。


自分自身が幸せを感じるためです。


『人を思うは身を思う』


です。


ということで結論はこうなります。


(結論)
『相手が喜んでくれそうなことを積極的におこないましょう』


(推薦図書)
『科学的に元気になる方法集めました』
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2024年12月02日

【心の対話術】

【心の対話術】

心の対話術をマスターしましょう。

これを修得すれば、

いかなる大嵐にも動じない静寂な心(涅槃寂静の境地)が得られます。

『心の対話術』について、

『ゆだねるということ(下)』(著者 ディーパック・チョプラ 訳者 住友進 サンマーク文庫)

の中に、こう書いてあります。

「第三の原理は、
あなたの心がどのように現実を創り出しているか、
心のなかの対話術を身につけると現実がどんなに素晴らしい方向に変わっていくかを説明しています。

このスートラ、

『sat chit ananda:サット・チット・アーナンダ』は、

魂が愛、
知識、
至福の場所であることを教えてくれます。

『sat:サット』とは真実のことで、
あらゆる束縛から解放されることを言います。

『chit:チット』とはまことの知識、
自発的な気づき、
純粋な意識を、

『ananda:アーナンダ』は至福、
完璧な幸福、
完全な願望成就を意味します。

ですからこのフレーズは、

『わたしの魂は束縛から解放され、自発的な意識をもち、完全に充実している』

という意味になります。

(中略)

『すべて』である知性の場に同調すると、
身体、感情、スピリチュアリティのバランスがとれてきます。

このバランスがあなたに強さとしなやかさを同時に与え、
無理せずにどんな課題にも応えられるようにしてくれます。

困難な課題に応えることであなたはより強い力を引き出せるのです。

心のなかの対話が活力となるのは、
それが『すべて』である知性の場で交わされているからです。

宇宙の意識と調和し、
『すべて』である知性の場に同調した瞬間、
この場のもつ無限のパワーを獲得できるのです。

この内面からわきあがる力を手に入れた瞬間、
不可能なことはなくなります。

自己から生まれてくるパワーには二種類あります。

ひとつは、名声、大金、立派な肩書を得ることから生まれる外面のパワーです。

このパワーはモノ、状況、人間関係によって生じるのでおびただしい数にのぼりますが、

いずれ消え去っていくものです。

自分が価値ある存在かどうかも、

すべてこの虚しいパワーを手に入れているかどうかで判断することになります。

もうひとつのパワーは内面から生まれ、

物質ではなくスピリチュアリティに根ざしています。

この真実のパワーはけっして失われることはなく、

肉体が消滅したあとも永遠に生き続けているのです。

あなたの個性は、

本来の自己に耳を傾けることからつくられ、

あなたのパワーはスピリットという内面の基準から生まれてきます。

モノ、状況、地位、金銭などの外面的基準は関係なくなります。

そうなると、あなたの個性は明確になり、

外部の要因には影響を受けなくなります。

自己の意識が外部から影響を受けなくなれば、

批判や賞賛にも平然としていられるようになります。

人はみな『すべて』である知性の流れに連なっているので、

全員が平等であることにも気づきます。

自分が誰かに劣っているわけでも、

すぐれているわけでもないことを理解するのです。

迷いがなくなるので、

人に頼み込んだり、

泣きついたり、

説得したりする必要はありません。

内面の基準を手に入れている人は、

ほんの少ししかいません。

多くの人の心にはエゴが存在していて、

内面の基準から送られてくるメッセージをぼやけさせてしまうのです。

思考が外部のものごと(お金の不安、仕事のストレス、人間関係のトラブル)に影響を受けてしまうと、

スピリチュアリティの進化は妨げられ、

いつの間にかわたしたちの目は、

本来の目的とは反対の方向に向けられてしまうのです。

この状況を克服するのに、

とりわけ効果的な方法がふたつあります。

瞑想することと、

意識的に心のなかの対話を訓練することです。

心のなかの対話を前向きなものにしていけば、

わたしたちは適切な方向に向かうことができるようになり、

シンクロニシティが起こる環境が生まれ、

魂はますます成長していくようになります。

自己のパワーを、築きあげることができるのです。」(55頁〜59頁)

「内面の対話を前向きなものにする訓練を行えば、
あなたのまわりに自然と人が集まり、
力になってくれたり、
そばにいたりしてくれます。

彼らはあなたの瞳の輝きやあらゆる振る舞いににじみ出ている愛情、知識、至福を分かちあいたいと思っているからです。

これこそ真実の内面のパワーです。」(61頁〜62頁)

外面のパワーは、

すべて虚しいものです。

いずれ消え去っていくものです。

一方、内面のパワーは、

永久に不滅です。

なぜなら、

スピリチュアリティに根ざしているからです。

内なる声に耳を傾けましょう。

本当の自分を知り、

スピリチュアリティを進化・向上させましょう。

心の対話術をマスターする鍵は、

本当の自分(真我・ハイヤーセルフ)を発現させることです。

真我を発現させるためには、

瞑想が必須です。

瞑想して、内なる声を聴きましょう。

早朝の瞑想を日課とし、

真我を発現させ、

心の対話術をマスターしましょう。

そうすれば、

私たちは適切な方向に向かうことができるようになります。

魂はますます成長していくようになります。

共に精進して、

本当の自己のパワーを築き上げていきましょう!

『いかなる大嵐にも影響を受けない、深く静かな海があなたの内面にあると思いなさい。

焚き火の輝きのように、あなたは周囲に愛情を振りまいていると思いなさい』(ディーパック・チョプラ)

(推薦図書)
『ゆだねるということ(下)』
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2024年12月01日

【夜明け前が一番暗い】

【夜明け前が一番暗い】

英語の諺に、こうあります。

The darkest hour is just before the dawn.
(夜明け前が一番暗い)

意味は、

『苦難や雌伏の期間は、終わりかけの時期が最も苦しい。
それを乗り越えれば、事態が好転する』

です。

シェイクスピアのマクベスに由来する言葉、

It’s always darkest before the dawn.

もあります。

深い悲しみの後に真の悦びがあります。

逆境を乗り越えたところに至福があります。

逆境や試練は、

神様からの贈りものです。

試練を経験し、

それを乗り越えることで、

魂は成長します。

これに関して、

『絶望は神さまからの贈りもの』(著者 ひすいこたろう 柴田エリー SBクリエイティブ)

の中に、こう書いてあります。

「いきなりですけど、今日を境に、
あなたの人生から、『不幸』はなくなります!

というのは、

『不幸』は『幸せ』の前触れだからです。

あらゆる『ピンチ』は『チャンス』に変わります。

そのことは、
偉人たちの人生がはっきり証明してくれています。

例えば、
坂本龍馬はツイてないことばかり起きる男だったし、
世界のクロサワ、黒澤明監督は自殺未遂をしています。

ベートーベンだって、気力をなくし遺書を書いた日もあるし、
ビートルズのポール・マッカートニーは放火容疑で国外追放にされているし、
アップルのスティーブ・ジョブズは、
自分のつくった会社から追放されたはみだし者だった。

女優のオードリー・ヘップバーンは自分にまったく自信がなく、
チョコばかり食べるのでブクブク太っていたし、
孫正義だって余命5年と宣告されています。

ガンジーはわずか4日のうちに3回も逮捕され、

マザー・テレサは町の人たちからツバを吐かれ、
石を投げつけられていた。

このように、
偉人ほど不幸に見舞われ、
ピンチの連続だったことがわかります。

天に見込まれた人ほど、
いろいろ起きるんです。

なぜなら、
その方が成長するからです。

心は『喜び』を求めますが、
魂は『成長』を求めているんです。

心は『安定』を求めますが、
魂は『変化』を求めています。

不幸、逆境、困難、トラブル、ピンチは魂にとっては、
ウェルカムなんです。

困難こそ、
魂の成長を誘う、
天からのギフトだからです。

きっとあなたの人生にも、
悩み、落ち込み、
どうすればいいのかわからなくなるときがあると思います。

でも、
実は、
それこそが『チャンス』です。

もう前には進めない、
右にも左にも後ろにも逃げ道はない。

そんなふうに行き詰まったときこそ、
ひとつ上の次元にジャンプするしかなくなるからです。

(中略)

人は、外側(状況)を変えられないときに絶望します。

しかし、
外側を変えられないときこそ、
ほんとうの意味でチャンスなんです。

外側ではなく、
自分の内側(心)を変えざるを得ないからです。

僕らの生きる真の目的は、
内側(心)に変容を起こすことです。

内側の変化こそ、
本質的な変容(トランジッション)をもたらすからです。

(中略)

自らの人生に立ちふさがる『壁』に見えていたものこそ、
実は運命の『扉』だったことがはっきりわかるはずです。

絶望こそ、
神様からの最大のギフトなんです。」(2頁〜6頁)

「彼はラム酒を毎日飲み、5歳のときからずっと葉巻を1日1本吸ってきた。

『何でそんなに元気なんだ!』

との問いには、いつもこう答えた。

『何に対しても、悪口を言ったり、罵ったりしないこと。
何に対しても。
恋愛に対してもね』

彼がミュージシャンとしてブレイクしたのは、
何と、90歳のときです。

キューバの世界的なミュージシャン、
コンパイ・セグンド。

映画『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』にも出演しているので、
ご存じの方もいることでしょう。

『本当に大事なことは、ほとんどいつも思いがけなく起こるもんだ。
夢に見てた好機、成功、愛・・・・・そんなものがいつ訪れるかなんて、誰にも分からないものさ。
でも、準備して油断せずに気を配ってなきゃいけない。
そういった流れは、普通、二度は現れないからさ』

これは、CDのライナーノーツに載っている、コンパイの言葉です。

アルバム『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』は97年度のグラミー賞を受賞。

2000年の初来日では、
東京、大阪など7ステージを行い大盛況でした。

パリのオリンピア、ニューヨークのカーネギーホール、ロンドン、マドリッドなど、
彼は世界中へ飛んだ。

90歳を過ぎて世界をかけめぐったコンパイ・セグンド。

残念ながら、彼は2003年7月に95歳で亡くなっているのですが、
亡くなった年の夏にも、ヨーロッパでのコンサートが計画されていました。

95歳で、ヨーロッパツアーですよ。

(中略)

彼が生まれたのは1907年。

日本でいえば日露戦争後の頃。

10代の頃から歌をつくっていたが、
キューバ革命で政治体制が変わり、
彼の音楽は資本主義の遺物と見なされて表舞台に出ることはなくなった。

そして彼は葉巻屋で働きます。

17年間、1日も休むことなく・・・。

そして! そして! そして!

その間、音楽もやめなかった。

その後、長年貢献した葉巻屋を辞め、
彼は再び音楽に専念し、
表舞台に復帰するのは82歳のとき。

そしてその8年後、
90歳で突然のブレイク。

90歳を超えてからも、コンパイは毎日必ず2時間練習していたそうです。

90歳を超えてなお、準備して油断せずに気を配っていた。

90歳を超えてなお、まだまだうまくなりたかった。

90歳を超えてなお、女性を愛し続けた。

彼は音楽をずっとずっとずっと愛してきたのです。

彼は人生をずっとずっとずっと愛してきたのです。

愛するとは、
そこに実直なまでに命(時間)を捧げることです。

『私は、私の歌を聴きにきてくれる聴衆の表情を見るのが好きだ。
彼らの前でこの歌を歌うとき、まるで制しきれない火のように、彼らの間に幸せと楽しい気分が広がっていくように見えるんだ。
それは純粋な火だよ』

社会がどう変わろうと関係ない。

そして、何に対しても、悪口を言わない。

そんな暇があるなら練習する。

そんな暇があるなら恋をする。

コンパイ、いつもスーツにパナマ帽。

ときには葉巻をくわえて。

人生は何て美しいんだ。

とても悪口なんて言っている暇などない。

もし、彼が若い頃に、未来を正確に見通せる占い師に見てもらっていたら、
やる気を失っていたことでしょう。

『あなたがブレイクするのは、死ぬ直前、90歳を超えてからです』

そう言われてもこれっぽっちもうれしくないですよね?(笑)

人生って、先が見えないから楽しいんだ。

先が見えないからドキドキするんだ。

そして、人生って、うまくいかないから面白いんだ。

思うようにいかないから飽きないんです。

『私の人生にも花が咲きました。
誰にでも人生の花が咲くチャンスはあるんです。
それは仕事かもしれないし恋愛かもしれない。
遅かれ早かれ誰のもとにも来るんです。
私はもう老人ですが、ようやく花が届きました』by コンパイ・セグンド

朝になれば日が昇るように、
春がきたら、さくらが咲くように、
準備が整ったときに、
必ず、君も花を咲かせます。

だから、
準備を怠ることなく、
油断することなく、
毎日を丁寧に過ごそう。」(55頁〜60頁)

「あなたのいまの悩みは、
未来の世界をもっと明るくするためにあるのです。

どんな過去も、
素晴らしき未来への伏線。

これまでは、
すべて、
これからのためにあったのです。

世界はあなたの復活劇を待っています。

待っているよ、
君の復活を。

君がいたからこそ、
この世界は優しい世界になったんだ。

君が君でいてくれてありがとう。」(247頁)

この本『絶望は神さまからの贈りもの』は、名著だと個人的に認識しています。

御一読をオススメします。

逆境や試練は、

神様からの贈りものです。

人生で起こることすべては、

魂の成長の糧となります。

すべては “学び” です。

すべては経験学習であり、

体験学習です。

だから、

逆境や試練を楽しみましょう!

『どんなことがあっても、私は喜びだ、感謝だ、笑いだ、雀躍だと、勇ましく潑剌と人生の一切に勇往邁進しよう』(中村天風)

『人生とは嵐が去るのを待つ場所ではなく、雨の中でもダンスをして楽しむことを学ぶ場所である』(ヴィヴィアン・グリーン)

(推薦図書)
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2024年11月30日

【ユートピアはどこにあるのか】

【ユートピアはどこにあるのか】

ユートピア(理想境・神の国・極楽浄土)は、どこにあるのでしょうか?

これについて、

『ニュー・アース』(著者 エックハルト・トール 訳者 吉田利子 サンマーク出版)

の中に、こう書いてあります。

「新しい地というのは、もう一つのユートピアにすぎないか?

そうではない。

あらゆるユートピアのビジョンには一つの共通点がある。

すべてがうまくいき、
すべてが守られ、
平和と調和が実現して、
問題がすべて解決する未来が描かれていることだ。

ユートピアのビジョンはたくさんあった。

一部は失望に終わり、
その他は大惨事につながった。

すべてのユートピアのビジョンの核心には、
古い意識の構造的な機能不全が横たわっている。

救済を未来に求めているのだ。

未来はただあなたの心のなかの思考として存在するだけで、
救済を未来に求めるなら、
無意識のうちに自分の心に救済を求めることになる。

つまり形に、
エゴの罠に落ちる。

『私は新しい天と地を見た』

と、聖書の予言者は書いた。

新しい地の基礎は新しい天――目覚めた意識――である。

地――外部的な現実――は、
意識の外部への投影にすぎない。

新しい天が生まれ、
新しい地が実現するということは、
私たちを解放してくれる未来の出来事ではない。

何ものも『将来』私たちを解放してはくれない。

なぜなら、
私たちを解放するのは、
現在のこの瞬間だけなのだから。

そこに気づくこと、
それが目覚めである。

未来の出来事としての目覚めなど、
何の意味ももたない。

目覚めとは『いまに在る』状態に気づくことだからだ。

だから新しい地、
目覚めた意識は、
実現すべき未来の状態ではない。

新しい天と新しい地は、
いまこの瞬間にあなたのなかに生じている。

いまこの瞬間に生じていないなら、
それは頭のなかの思考の一つにすぎず、
したがって生まれ出ることもない。

イエスは弟子たちに何と言ったか?

『神の国はあなたがたのなかにある』。

イエスは山上の垂訓である預言をしたが、
いまに至るまでその預言を理解した人はごく少ない。

イエスはこう言った。

『柔和な者は幸いである。
その人は地を受け継ぐから』。

いまの聖書では、
『柔和な』とは慎ましいという意味だと解釈されている。

柔和な人、
慎ましい人とは誰なのか、
そして彼らが地を受け継げとはどういう意味か?

柔和な人とは、
エゴのない人だ。

自分の本質が意識であることに気づき、
その本質をすべての『他者』、
生きとし生けるもののなかに認める人だ。

彼らは慎ましく大いなるものに身を委ね、
それゆえに全体及びすべての源との一体感を覚えている。

彼らは自然を含め地上の生命のすべての側面を変えようとする目覚めた意識そのものだ。

地上の生命(人生)は、
生命を認識し生命と相互作用する人間の意識と不可分だからである。

それが、
柔和な者が地を受け継ぐということだ。

たったいま、
地上に人類の新しい種が生まれようとしている。

あなたもその一人だ!」(329頁〜330頁)

ユートピアは、

外にあるのではなく、

あなたの中にあります。

未来にあるのではなく、

今、この瞬間にあります。

『汝は神なり 愛と光なり!️』

来たよ

来たよ

ユートピアへ

悟りを開いた

皆んなと一緒に来たよ

悟りあれ

幸いあれ

(推薦図書)
『ニュー・アース』
(著者 エックハルト・トール 訳者 吉田利子 サンマーク出版)
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(参考図書)
『ユートピア』
(著者 トマス・モア 訳者 澤田昭夫 中央公論新社 中公文庫)
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2024年11月29日

【泰然自若】

【泰然自若】

『泰然自若』という四字熟語があります。

意味は、

『落ち着き払ってびくともせず、物事に動じないこと。
あわてずに悠然と構えていること。』

です。

『雲烟過眼』という四字熟語があります。

意味は、

『雲烟(雲やかすみ)が目の前を通り過ぎるのに心を動かさないように、物事に深く執着しないこと。』

です。

『何があっても動じない』

『何が起きても平然としている』

『日常の些事など歯牙にもかけない』

ことが肝要です。

人生は、

何が起きても『雲烟過眼』で、

『泰然自若』としていられるようになるための修行のようなものです。

これに関して、

『ニュー・アース』(著者 エックハルト・トール 訳者 吉田利子 サンマーク出版)

の中に、こう書いてあります。

「J・クリシュナムルティはインドの偉大な哲学者、霊的指導者で、
五十年以上も世界各地を旅して講演し、
言葉を通じて――言葉とは中身だが――言葉を超え、中身を超えたことを伝えようとした。

人生も後半にさしかかったあるとき、
彼は

『私の秘密を知りたいと思いますか?』

と問いかけて、聴衆を驚かせた。

聞いていた全員がはっと耳をそばだてた。

聴衆の多くは二十年三十年と彼の言葉を聞いてきて、
それでもなお彼の教えの本質を理解することができないでいた。

長い歳月のあと、
ついに師は教えを理解する鍵を与えてくれるのか。

『これが私の秘密です』

と彼は言った。

『私は何が起ころうと気にしない』。

彼はそれ以上説明しなかった。

たぶん聴衆のほとんどはいっそう当惑したのではないか。

だが、
このシンプルな言葉の意味はとても深い。

何が起ころうと気にしない。

これは何を意味するのか?

自分の内面に起こった出来事と調和している、
ということだ。

『何かが起こる』、
それはもちろんそのときどきの状態として現れており、
つねにすでに存在している。

起こった何かとは中身で、
いまという時――時にはこれしかない――の形だ。

その何かと調和しているというのは、
起こった出来事との関係に心のなかで抵抗せずにいるということである。

起こった出来事に善だ悪だのというレッテルを貼らず、
ただあるがままに受け入れる。

あるがままに受け入れるなら、
行動もせず、
人生を変化させようともしないのか?

そうではない。

それどころか逆で、
いまという時との内的な調和をベースに行動するとき、
その行動には『生命』そのものの知性の力が働く。

(中略)

日本のある町に白隠という禅の老師が住んでいた。

彼は人々の尊敬を集めており、
大勢の人が彼の教えを聞きに集まってきていた。

あるとき、
寺の隣の十代の娘が妊娠した。

怒り狂った両親に、
子どもの父親は誰だと問い詰められた娘は、
とうとう白隠禅師だと答えた。

両親は激怒して白隠のもとに怒鳴り込み、
娘は白状したぞ、
お前が父親だそうだな、
となじった。

白隠は

『ほう、そうか?』

と答えただけだった。

噂は町じゅうどころか近隣の地域にまで広がった。

禅師の評判は地に堕ちた。

だが禅師は意に介さなかった。

誰も説法を聞きに来なくなっった。

だが禅師は落ち着き払っていた。

赤ん坊が生まれると、
娘の両親は禅師のもとへ連れてきた。

『お前が父親なんだから、お前が面倒を見るがいい』。

禅師は赤ん坊を慈しみ、世話をした。

一年たち、
慙愧に堪えられなくなった娘が両親に、
実は赤ん坊の父親は近所で働く若者だと白状した。

両親はあわてて白隠禅師のもとへ駆けつけ、
申し訳なかったと詫びた。

『ほんとうにすまないことをしました。赤ん坊を引き取らせてもらいます。
娘が、父親はあなたではないと白状しましたんで』。

『ほう、そうか?』。

禅師はそう言って、
赤ん坊を返した。

禅師は偽りにも真実にも、
悪い知らせにも良い知らせにも、

『ほう、そうか?』

とまったく同じ対応をした。

彼は良くても悪くてもいまという瞬間の形をそのまま認めて、
人間ドラマには加わらなかった。

彼にとってはあるがままのこの瞬間だけがある。

起こる出来事を個人的なものとして捉えない。

彼は誰の被害者でもない。

彼はいまこの瞬間に起こっている出来事と完璧に一体化し、
それゆえに起こった出来事は彼に何の力も振るうことができない。

起こった出来事に抵抗しようとするからその出来事に翻弄されるし、
幸福か不幸かをよそから決められることになる。

赤ん坊は慈しまれ、
世話をされた。

抵抗しないという力のおかげで、
悪い出来事が良い結果になった。

つねにいまという瞬間に求められたことをする禅師は、
時が来たら赤ん坊を手放したのだ。」(216頁〜218頁)


何が起きても『泰然自若』としている。

流れに逆らわず、

流れに身を委ねる。

成り行きに任せる。

何が起ころうと気にしない。

すべては神の御心のままに。

『湯上がりの 気持ちを欲しや常日頃』(曲亭馬琴)

『もの持たぬ たもとは軽し夕涼み』(白隠禅師)

『気に入らぬ 風もあろうに柳かな』(仙腰a尚)

『雲烟過眼 柳に風と受け流す』

(推薦図書)
『ニュー・アース』
(著者 エックハルト・トール 訳者 吉田利子 サンマーク出版)
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2024年11月28日

【般若とは?】

【般若とは?】

『般若』とは何でしょうか?

広辞苑に、こう書いてあります。

「(梵語prajnaの俗語形pannaの音写語。智慧・慧と訳す)

真理を認識し、悟りを開くはたらき。

最高の智慧。仏智。三学・六波羅蜜の一。」

大辞林には、こう書いてあります。

「人間が真実の生命に目覚めた時にあらわれる、根源的な叡智。
世界の窮極的真理を知ること。」

新明解国語辞典には、こう書いてあります。

「迷いを離れ、事物の真相を見抜く本当の知恵。」

明鏡国語辞典には、こう書いてあります。

「分別・対立を越えて真理を悟る知恵。」

ブリタニカ国際大百科事典には、こう書いてあります。

「仏教用語で『智慧』の意。

般若の概念は、
古くウパニシャッドにアートマンが智慧(般若)の塊として説かれ、
智慧から成るアートマンが万有の根源としてのブラフマンとされた。

大乗仏教における般若は、
万物の真実相を直観的に把握する智慧を意味し、
この智慧の獲得のために、6度の行の実践が説かれた。」

山川 世界史小辞典には、こう書いてあります。

「『仏の知恵』を意味するサンスクリット語プラジュニャーの音写。

ものごとを分析的に解明する一般の知識と異なった、直感的で総合的悟りの叡智(えいち)。

大乗仏教では、
菩薩(ぼさつ)がめざして修行実践すべき六つの完成徳目の最後に『般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)』を掲げ、
知恵の完成によって悟りが完璧となることを示す。

『般若心経』(はんにゃしんぎょう)ほかの一連の般若経典では、
『一切皆空(いっさいかいくう)』(すべての存在はさまざまな因縁が結びついて仮に存在しているにすぎず、それ自体の固定的実体を欠いている)と悟って、
すべての執着を離れる『空(くう)』を般若の知恵の内容として提示する。

この般若空の思想は中国仏教思想、
特に禅宗教学の形成に大きな影響を及ぼした。」

単なる知識(左脳による理知的な知識)とは異なった『宇宙の叡智(般若)』は、

直観・インスピレーション・天啓によって直覚することができます。

深遠なる『宇宙の叡智』は、

教えられるものではありません。

自ら覚るものです。

『自発的な気づき』

です。

とは言え、

先哲の智慧は、

『道標』

になります。

仏教・古代インド思想・東洋哲学・西洋哲学・自然科学などを幅広く学び、

視野を広げることは意味があります。

学びつつ、

瞑想しつつ、

『般若』を得るべく、

共に精進しましょう!

(参考図書)
『岩波 仏教辞典』
(編者 中村元 福永光司 田村芳朗 今野達 岩波書店)
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2024年11月27日

【自学自習】

【自学自習】

『自発的な気づき』を重視しましょう。

自発性・自主性・主体性・自立心が肝要です。

『独学』をオススメします。

『真理は自ら学ぶものである』

と、私は認識しています。

教えないから人が育つという一面もあります。

これについて、

「『教えないから人が育つ』横田英毅のリーダー学」(著者 天外伺朗 講談社)

の中に、こう書いてあります。

「一般の社員教育では即戦力のため知識やノウハウを詰め込もうとする。

だが、それは能力の表層に過ぎない。

第2層は

『自ら知識やノウハウを獲得する力』、

第3層は

『自分にとって必要な知識やノウハウを嗅ぎ取る嗅覚』

だ。

その奥には、

『やる気』、

『向上意欲』、

『自己実現の力』

など、

いくらでも深い層がある。

安易に知識やノウハウを与えると第2層以下が強化されず、

人は育たない。

それがタイトルの

『教えないから人が育つ』

の真意だ。」(5頁)

個人に対して、

安易にアドバイスを与えたり、

知識やノウハウを教えたりすれば、

かえって、

自発性・主体性の妨げになり、

本人のためになりません。

『自発的な気づき』が大事です。

『自灯明・法灯明』という仏教用語があります。

意味は、

「〈自らを灯明とし、

自らをたよりとして、

他人をたよりとせず、

真理(法)を灯明とし、

真理をよりどころとして、

他のものをよりどころとせずにあれ〉 

という教え」

です。

自灯明について、

『自燈明』(著者 玄侑宗久 三笠書房)

の中に、こう書いてあります。

「 『自燈明』などと言われても、

何のことかチンプンカンプンかもしれない。

これはお釈迦さまが亡くなる前に、

アーナンダという弟子に対して話した最後の教えである。

つまり、

お釈迦さま亡きあと、

何を頼りに生きていけばいいのかと訊ねるアーナンダに、

お釈迦さまは 

『汝自身を拠り所(燈明)にせよ』 

『その汝の感じる世界の在り方(法)を拠り所にせよ』 

『それ以外を拠り所にしてはいけない』 

とおっしゃった。

(中略)

お釈迦さまはべつに自分の教えを強要するのでもなく、

自分の言葉を拠り所にせよともおっしゃらなかった。

ただ数学者が静かに示す定理のような、

この世界を貫く法則があるだろうし、

それを実感できるように自己を調えなさい。

そしてそういう自己を、

拠り所にしなさいとおっしゃったのである。」(1頁〜2頁)

自らを明かりとし、

法(真理)を拠り所とすることが大事です。

宇宙の真理は、

教えられるものではなく、

自ら直観・直覚するものです。

『直指人心見性成仏』という禅の言葉があります。

意味は、

『坐禅によって自己の本来の心性を徹見すれば、それが仏の悟りにほかならない』

ということです。

瞑想を日課とし、

直観・インスピレーション・天啓を得るべく、

共に、精進しましょう!

(参考図書)
「『教えないから人が育つ』横田英毅のリーダー学」
(著者 天外伺朗 講談社)
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『自燈明』
(著者 玄侑宗久 三笠書房)
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【二項対立を超えていけ!️】

【二項対立を超えていけ!️】

二項対立・二極構造を超越する。

損得、

勝ち負け、

巧拙、

優劣、

貧富、

ポジティブ・ネガティブ、

好悪、

理非(是非)、

正誤(正偽)、

善悪、

美醜、

などの二項対立を超越したところにひとつの場がある。

それこそが、

『空(くう)』の心です。

すなわち、

『無我』です。

ジャッジメント(裁断)は必要ありません。

これに関して、

『富と宇宙と心の法則』(著者 ディーパック・チョプラ 訳者 住友進 サンマーク出版)

の中に、こう書いてあります。

「人生には、あらゆる対立する価値が存在しています。

喜びと悲しみ、

快楽と苦痛、

上り坂と下り坂、

暑さと寒さ、

こことそこ、

光と闇、

誕生と死など。

すべての体験には陰と陽があり、
一方が存在していなければ、
もう一方の意味は失われてしまうのです。

ある賢者はかつてこういいました。

『生まれつき目の見えない人は、暗闇といわれてもその意味はまったくわからないだろう。

なぜなら、光を体験したことが一度もないからだ』

静かな和解、
すなわち、
あらゆる対立する価値が生き生きと共存している事実を受け入れなさい。

それを意識した瞬間、
わたしたちは自然と『区別すること』をやめるようになります。

勝者と敗者は、
対極にあるように見えますが、
実は同じ存在なのです。

区別をしなくなれば、
わたしたちの内面の騒がしい対話が収まり、創造性への扉が再び開かれるのです。」(36頁〜37頁)

「ものごとをつねに善か悪か、

正か否かに分類しなくなれば、

意識はもっと穏やかになっていきます。

判断という重荷を捨て去った瞬間、

心のなかで交わされる対話はもっと穏やかになり、

無心の境地(思考と思考の合間)にもずっと簡単に入っていけるようになるのです。

定義、レッテル貼り、説明、解釈、評価、分析、判断などをやめることが大切です。

このようなことをすれば、

心のなかで騒がしい対話が始まってしまいます。」(31頁)

対立する価値の存在を認めることが肝要です。

区別をしなくなれば、

心は穏やかになります。

さらに、

チョプラ博士は、著書

『ゆだねるということ(下)』(訳者 住友進 サンマーク文庫)

の中で、こう述べています。

「もっとも適切な状態とは、

『中庸』であることです。

心をかき乱されるたびに、

このバランスのとれた状態は失われ、

スピリチュアルな進化は阻止されます。

シンクロニシティへの通路も遮断されてしまうかもしれません。

感情を抱くのは悪いことだとか、

避けるべきだとまでは言いません。

人はつねに感情を抱くものです。

感情を抱くのは人間の条件のひとつと言ってもいいのです。

しかし、

極端な感情を抱くと、

本来の人生の目的からはずれていってしまいます。

むろん、

激しい感情をかき立てる出来事や人間関係がなくなることはありません。

世の中には、

大きな苦痛や不安の原因となる出来事がたえず発生しています。

しかし、

ひとつの感情に執着することは避けなくてはなりません。

人生を快楽と苦痛というふたつの土手にはさまれた川だと思ってください。

その川を流れていくための最高の方法は、

川の真ん中からずっとはずれずに、

ふたつの土手から等間隔の距離を保つことです。

一方の土手に近づきすぎれば、

あなたの勢いは鈍ってしまい、

ついには岸に乗り上げてしまう危険があります。

あまりに激しい快楽だと中毒症状になる恐れがあり、

あまりに激しい苦痛は人生から楽しみを奪ってしまいます。」(85頁〜86頁)

二項対立を超越すれば、

一つの場に辿り着きます。

自己意識を向上させ、

高みを目指しましょう。

全受容・全肯定・全感謝を旨としましょう。

『どんなことがあっても、私は喜びだ、感謝だ、笑いだ、雀躍りだと、勇ましく潑剌と人生の一切に勇往邁進しよう』(中村天風)

『善行、悪行といった考えを超越したところに、ひとつの場がある。
わたしがあなたと出会うのはその場所だろう』(ルーミー)

(推薦図書)
『富と宇宙と心の法則』
(著者 ディーパック・チョプラ 訳者 住友進 サンマーク出版)
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『ゆだねるということ(下)』
(著者 ディーパック・チョプラ 訳者 住友進 サンマーク文庫)
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