私たちは、
世界に一つだけの花です。
その花を咲かせることに、
一生懸命になることは、
大変素晴らしいことですが、
実は、
生きていること自体が、
花なんです。
これについて、
元参議院議員で、
元プロレスラーのアントニオ猪木さん(1943-2022)は、著書
『花が咲こうと咲くまいと生きていることが花なんだ』(経済界)
の中で、こう述べています。
「元気ですかーっ!
元気があれば何でもできる。
『何だよ猪木、またこの言葉か』
と思うかもしれないが、
まあこれは俺の挨拶みたいなものだし、
元気っていうのは本当に大切なものだから、
いくらでもいいますよ。
元気ですかーっ!
フッフフフ。
今の日本には、
その元気が無いというかな、
『生』のパワー自体がどんどん減ってきているように思う。
人が生きていけば、
そりゃあ誰でも、
いろいろな障壁にぶつかるだろう。
順風満帆な人生なんてありはしないのだから。
けれども、
その壁の越え方がよくわからなくなっている現代人は、
ちょっと苦しくなるとすぐに死のうなんて思ってしまう。
苦しいときほど
『生きる』
という方向へ、
もっと気持ちを向ければいいのに、
その比重が昔より小さくなっているのだろう。
金が無かったり、
大病を患ったり、
誰かに認められない、
あるいはいじめに耐えられないから、
といったように、
人はさまざまな理由で生きる張り合いを無くし、『死』を考える。
もちろん、
そのすべてが『自殺』という結論に繋がるわけではないが。
しかし、
死に至らなかったというその一面だけを捉えて、
それでよかったと思うのは間違いだ。
それよりも、
死を考えた一人ひとりの脳に、
マイナスのエネルギーが生じてしまったこと、
これがもっともよくないことなのだ。
生きていることは大切だ。
『生きる』というのは、
人間にとっておそらく永遠のテーマだろう。
昔から哲学者も
『生きるって何だ?』
といっているが、
それは結果的に死ぬときでないとわからないと、
俺は思っている。
(中略)
死というものは誰にでもやってくる。
俺は別に死は怖くないけれども、
最期の日が来たときに悔いが無いように目一杯生きようと思っている。
死ぬまで、
その死ぬ一瞬まで俺は輝いていたい。
そのパワー、
元気とでもいおうか、
そのプラスエネルギーがボロボロの体の俺を生かし続けている。
(中略)
脳が活性化されて元気な発想を持てば元気になるし、
酒の味も変えられる。
マイナスな発想は脳がマイナスに萎縮するだけ。
ずばり現在の世の中がまさにそうで、
脳が萎縮してしまっている状態だから、
壁にぶつかって安易に死を選んだりする。
あれをやっちゃだめ、
これをやっちゃだめで、
世の中が閉塞状態に陥っているのだ。
そんなマイナス思考を俺の言葉で打破してもらえたら最高だ。
そして幸せになってもらえたら、
こんなうれしいことはない。」(1頁〜5頁)
「経済的な不安が社会に蔓延していて、
金のことでマイナスな思考に陥るのは、
世の中が不健康な証拠だ。
昔の人は
『宵越しの金を持たない』
なんていったもの。
それはその時代の社会が健康だったからいえたのだ。
今はみんな、
今日飯が食えているのに、
明日や明後日の飯の心配までしている。
悩みごとを自分たちで勝手につくってしまっている。
今の人たちは悩みごとをつくる天才なんじゃないかと思う。
俺の身の周りにもそんな奴が大勢いる。
もっと楽に物事を考えればいいんじゃないの?
と思ってしまう。
極端な考え方かもしれないが、
誰でも一度ホームレスを経験すればいい。
俺の言葉『人生のホームレス』じゃないけど、
体験してみるのもいいんじゃないか?
実をいうと、
俺はホームレスとまったく無関係ではなくて、
定期的に彼らへの炊き出しをしているんだ。
何百人というホームレスたちが、
毎年俺が来るのを心待ちにしている。
ただ、
それがいいことかどうかということよりも、
俺はそのときホームレスのみんなに
『もうこういうところ早く卒業しろよ、来年はどこかで会おうよ』
ってよくいうんだよ。
けれどもみんなそれぞれに事情があって、
『すまない猪木さん、俺もこんな無様なかっこう見せたくないんだよ』
っていってくる。
そりゃそうだよ、
たった一杯のラーメンをもらうためにわざわざ列をつくって並んでさ。
俺もホームレスには、
はじめは否定的だったんだ。
『お前らもっと真面目にやれよ、無様なかっこうするんじゃないよ』
ってね。
でも炊き出しも回を重ねるごとに、
俺の見る目もだんだんと変わってきて、
みんなそれぞれに人生があるんだなあって思うようになった。
彼らも彼らなりに懸命に生を全うしようとしているのだ。
人間だから何かをしなくちゃいけないとか、
そんなことは関係ない。
最近、そんなホームレスたちに危害を加える馬鹿な若者たちがいるらしいが、
誰にも彼らを傷つける権利はない。
家が金持ち、貧乏など、
それぞれに生まれてきた環境の違いはある。
けれども人間は、
すべて幸せに生きることのできる権利を平等に与えられて、
この世に生まれてきた。
たとえ会社の社長になったとしても、
何億円という金を手にしたとしても、
不幸な人間を俺は大勢見ているし、
逆に貧乏のどん底にあっても幸せに暮らしている人も大勢見ている。
南米の貧しい子供たちなんて、
ほとんど教育を受けていないが、
力強く人生を生き抜いている。
その境遇のなかでも、
幸せをしっかりと噛み締めて生きているように思える。
豊かさの基準をどこに持つかは別にして、
あの子供たちの生き生きとした目、
その輝きは強く美しい。
同じものを食ったり、
見たりしても感動の質は人それぞれである。
また、
自分が決めた目標に向かって邁進し、
その夢を叶えた人もいる反面、
目標をしっかり立てたにも関わらず、
夢半ばで挫折する人もいる。
夢なんてあきらめてけっこう。
結果はどうあれ、
もしその夢が叶わなかったとしても、
すぐに別の夢へ方向転換すればいいだけだ。
『夢を途中で投げ出すのはかっこ悪い』
『自分には他に何も無い』
『誰にも認めてもらえない』
なんて思うから人は辛くなる。
それは自分の可能性を自分の手で閉ざしてしまっているだけ。
人には誰でも無限の可能性が広がっているのに。
(中略)
世の中には何十億という人間が生きているのだから、
生き方も同じ数だけある。
金持になった奴、
ノーベル賞を取った奴が偉いわけじゃない。
金持を成功者というなら、
俺はもっと金を稼いだだろう。
しかし今の俺には金はないし、
そんな俺の人生が失敗かといえば、
決してそんなことはない。
ここまで好きなように生きてきたんだ。
もし俺の人生を成功と失敗で区分するなら、
間違いなく『成功』だろう。
しかし実際は、
成功とか失敗とか関係ないんだ。
それよりも俺は、
まず自分が生きていることに感謝したいと思っている。
金持ちも貧乏も、
見てくれがいい奴も悪い奴も、
頭がいい奴も悪い奴も、
正直者も嘘つきも、
ただ生きているだけで本当は価値があるのだ。
人間がその時その時を精一杯生きている姿こそが、
もっとも美しい花なのである。」(18頁〜21頁)
人生には、
成功も失敗もありません。
ただ成長があるだけです。
『私たちは、存在しているだけで、
より高い意識状態へと発展しているのです。
しかし、この真実に気づくことで、
あなたはより早く進化していくことができます』(ディーパック・チョプラ)
花が咲こうが、
咲くまいが、
それに頓着せず、
前向き(建設的・発展的・創造的)に生きてさえすればいい。
『もし明日死んでも、後悔はしない。
もし長く生きながらえるなら、努力を怠るつもりはない。』(マハトマ・ガンディー)
(推薦図書)
『花が咲こうと咲くまいと生きていることが花なんだ』
(著者 アントニオ猪木 経済界)
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