第二番札所 紀三井山 金剛宝寺
紀三井寺と呼ばれていて、和歌山城からほど近いところにあります
名前の由来は、三つの井戸から出る霊水「吉祥水・楊柳水・清浄水」から来ており
長く地元の人々に崇められてきました
書道や茶の湯などに使われるほか、醸造家が酒や醬油、味噌を作る際に
この水を仕込み水に使い、ご冥護を祈念したといわれています
桜門をくぐると、その上に231段の階段があります
この参詣者泣かせの坂を「結縁厄除坂」と呼ぶらしいのですが
この坂には次のようないわれが伝えられています
「豪商・紀ノ国屋文左衛門は、若い頃にはここ紀州に住む
貧しいけれど孝心篤い青年でした
ある日、母を背負って紀三井寺の表坂を登り
観音様にお参りし終えたところ、草履の鼻緒が切れてしまいます
困っていた文左衛門を見かけて鼻緒をつけ替えてくれたのが
紀三井寺の真向かいにある玉津島神社の宮司の娘おかよでした
これがきっかけで、文左衛門とおかよは結ばれました
のちに、文左衛門は宮司の出資金によって船を仕立て
和歌山のミカンや醤油・味噌を江戸へ送って大豪商となったのでした」
紀ノ国屋文左衛門の結婚と出世のきっかけとなった紀三井寺の表坂は
それ以来「結縁厄除坂」と呼ばれるようになりました
坂を上り切ったところからは和歌の浦が一望できます
御詠歌
「ふるさとを はるばるここに 紀三井寺 花の都も 近くなるらん」
第1番札所の那智山から札所間最大の長い道のり、野を行き、山を越え
里を過ぎて、はるばるここ紀三井寺の観音様ご宝前にたどりついてみると
まだ遠いはずの京の都が近くに感じられる。巡礼の修行こそが、
花開く心の浄土への近道であることを示すように。(西国巡礼慈悲の道より引用)