21日の深夜高速バスで東京へ。21時半発なので時間まではおばんざいのお店で過ごす。
焼酎ボトルを入れているのでどんどんお代わりをしたからけっこう酔っぱらった。酒の勢いがないと高速バスは眠れない。3列シートなので快適だけど、後輪の上のシートだったので揺れを感じる。
途中寒くて目が覚めた。寒い夜だった、高速で気温の低い地域を通ると足元が冷えるようだ。
結局は4時間程度は眠れたか。
7時半過ぎにバスタ到着。あとはジムのある前住んでいた町へ。
モーニングで時間を潰してジムへ。久しぶりによく話をしていた受付の女性と会う。名前を憶えていてくれるのは嬉しい。ワークアウト後に火曜日を過ごしていた洋食屋でビール&ランチ。夜も行くのだけど、1時間超を昼飯で過ごすには知っている店でないと。
鍼ではいつも調子はどうですかと聞かれる。
悪くないのだが良くもない。最近のこととして前脛骨筋に肉がへばりついているイメージがあったことを伝える。
久しぶりの鍼は足の神経が喜ぶ感覚がある。右脚の痺れは鍼の刺激を敏感に感じ取れる。打った鍼が深く入っていくと同時に各所に響いていくことが感じられる。線香花火の火花がパチパチと拡がるイメージ。
今回はいつもと違うアプローチをしてもらう。後脛骨筋へのアプローチ。後脛骨筋という筋肉は知らなかったので今調べた。どう見ても前脛骨筋の後ろなのだが、前から鍼が入る。
恐らく後脛骨筋に入った瞬間だろうか、これまで刺激が入ったことのない箇所への気持ち良い感覚。
けっこうな本数を打ってもらう。センセイがここまで後脛骨筋を攻めたことはないとボソッと言う。バレィダンサーを診ているセンセイだ、どんどん新たな取り組みをやってもらってかまわない。
さっき書いた通り特殊な感覚を持つようになった右脚だ、嫌な感覚・良い感覚は感じ取れる。
何も言っていないが、ずっと気になっているくるぶしの下回りに鍼が入る。打っている筋の支配領域だから当たり前に打つのだろうか、それとも本当に鍼が欲しいところが見えるのだろうかと考える。
打ちながら、明日は少しダルくなるかもしれませんよと言われる。
鍼後はホテルに荷物を置いて洋食屋へ。この日は高校の同級生O君とこの店で約束をしていた。
時間がギリギリなので早足で歩くのだが調子いい。いつも気を付ける階段の下りもスムーズ。後脛骨筋は足首の動きが良くなるのだろう。
洋食屋でしばらく吞んでいるとO君到着。彼とは何年ぶりだろう、5年ぶりかもっとか。
彼が突然5万円を出す。何かと思ったら、借りてた金だという。
そういえばと思い出した。40年ほど前に金を貸したのだ。彼は違う大学だったが遊びに来た時にどういう理由だか判らないが貸した。卒業後に督促するも連絡が取れなくなった。その後彼と会ったのは20年後くらいか。その時にちゃんとすれば良かったのだろうが、もう貸した金のことは忘れて付き合っていた。「おまえ、40年の利子は高いぞ」と冗談めかして言う。
そのあと、洋食屋にNさん夫婦が来た。首回りが痺れると、Nさんから鍼を紹介してくれと言われてAセンセイの所を紹介していた。そしたらセンセイとあNさんは小学校の同級生だったことが判明。
同じテーブルで楽しく呑んだ。
O君とはそのあとバーに行き、ラーメンを食って別れた。
翌日の土曜日は湯河原へ。SNSの友達3人と、そのまた友達の小田原の家でパーティ。全く知らない人の家でパーティというのも気が引けるのだが。
高台にある豪邸、海が見える。セレブな方なのだ、自分の役割のたこ焼きだけ作って、他は気にしないでくつろいだ。
小田原から湯河原に戻り宿泊。友達のマンションのゲストルームは1000円で泊まれ、温泉の大浴場も入り放題。
日曜日は熱海で昼呑み。けっこう呑んで食べて、最後はラーメン。調子に乗っていたので、新幹線の時間ギリギリになった。
家には18時半ごろ着いた。不在の間の食事は、炊く米の量からおかずから全て紙に書いてテーブルに貼っていたが、カレーとカップ麺が食べずに残っていた。何とかしたのだろうが、いつ何を食べたかと聞いても母親は覚えていない。
日曜日は遅くなることは判っていたので、姉に買い物に連れていくよう頼んでいた。でも翌日のおかずとか買っていない。まあ使わなかったレトルトカレーを今日は使ってもらおう。
夜飯は寿司が残っていたが満腹感があって少しつまむだけ。
12月24日はクリスマスイブであるとともに、自分の受傷した日だ。2014年12月24日。
まるまる9年が経過した。起きてしまったこと、それは自分の宿命だったのか。何を思ってもそれはどうしようもない、ただただ未来を見つめるだけだ。
そんなにたくさんの時間が残されているわけではない。
後脛骨筋への鍼。これまで押すと痛みを感じた前脛骨筋あたりが痛くない。足首がよく伸びる感覚。
乾燥もあるが両脚の下腿がかゆくて仕方ない、ふと思ったが血流が良くなったからか。