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2020年08月26日

一生忘れないでおこう

ジミーちゃんを久しぶりに見た。
ジミー大西、もちろん本物ではない。そっくりなのだ。たぶん、殆どの人はジミー大西にそっくりと言われても嬉しくないだろうが。心の中で呼んでいるだけだ。もちろん話したこともない。
4月まで当駅始発に並んでいたが、その並ぶ箇所にだいたい僕の5分後くらいに来るオジサンだった。

地下鉄に降りると少し前を歩いていた。もう始発に並んでいないようだ、早く来る電車のホームの方に向かっていた。彼で気になる点が一つある。リュックだ。
anelloのレディースの小ぶりのリュックをしている。今日見ると、前とは違う色の同じブランドの小ぶりリュックだった。ジミーちゃんなのだ、とても違和感がある。

昨日は、これまた当駅始発に並んでいた親子のお母さんを見た。実は今週2回目だ。何回かこの親子について書いている。お姉ちゃんが中学に入り見かけなくなり、弟はもう一緒に並ばなくなってしまった親子だ。見かけた時も一人だった。子供たちは大きくなっただろう。

その始発電車と、その乗車位置に並ぶようになったのは、受傷後の通勤から。
その親子には癒された。お姉ちゃんはいつも本を読んでいた。自分の息子と同じ学年なので、この年の子が何に関心があるのか知りたくていつも気にした。弟が小学生に入って一緒に並びだしたのがその翌年。弟は母親にかまってほしくて仕方ないが、母親はいつもスマホでゲームをしていた。そのうち弟も熱心に本を読むようになっていた。
ごく日常の風景、母と子供たちの幸せな時間。この大切な時間は彼らの記憶に残ったのだろうか。

人生の中で短い期間のことなんて記憶から消え去る。すべてを覚えておくことはできない。何が大切で何を覚えておかないといけないといったことは、その時になかなか判断できない。後になって思うことだが、それさえ忘れてしまうことも多い。
「これは一生忘れないでおこう」と思ったことは何度もあるが、そう思ったことだけ覚えているだけだ。
ただ、ふと思い出すことがある。

一昨日からYouTubeで80’sのユーロビートを聞いている。懐かしい曲、その頃を思い出す・・・といいたいが、部分部分の記憶しか蘇らない。五感が刺激された記憶は蘇ると締めくくりたかったが、50代後半の記憶なんてそうなってしまうのだろう。この先はもっと失っていくものが多い。

手の指の感覚が良かったのだが、今朝は痺れが強い。手の指を大きく張って手首を回す。ボキボキと手首の音が鳴る。これが気持ち良く、しかも痺れが緩和されるので最近よくやる。昨日はやりすぎたからか。
右脚下腿は相変わらず日替わりで神経痛の強さの箇所が変わる。
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posted by shigenon at 08:23| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ
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2014年クリスマスイブのプレゼントは最悪でした。 「頸髄損傷」というケガなのか病気なのか・・その症状との戦いの記録と現在の日々をアップします。 (2018年4月追加) 不全の頸髄損傷は「健常な人」に見えます。“ふつうに見える”様に努力をしています。が、反面、「もう良くなったんだ」と思われがち。 骨折とは違い、中枢神経の損傷は完全回復はしないという現実。 「健常に見える」「もっと良くなるよう努力する」「もう治っているんでしょ」の狭間で何とか毎日を過ごしています。
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