2018年04月16日
「若手488人が挙げる残業減らない理由トップ5」と現状比較、働き方改革に対する所感
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BUSINESS INSIDER JAPANの記事です
少し前の記事ですが、今の仕事に照らし合わせて納得するところもありましたので紹介したいと思います。
・「終わるわけない仕事量」若手488人が挙げる残業減らない理由トップ5
(BUSINESS INSIDER JAPAN)
この記事自体については、アンケートの結果を取り出したものに過ぎません。
記事内で参照している東京大学の中原淳准教授のインタビュー記事と併せて主張を考えてみると、
「現在の状況は昭和とは違う。考えを改めなければならない」
という真っ当なものであり、経営者視点(もしくは上から目線)に曲がっているわけではなさそうです。
(上から目線という意味で良い対比となる記事は、例えばこのあたりかと)
今回は本記事に関して、自分自身の立場や考えからの所感を紹介したいと思います。
ちなみに私個人の考え方ですが、現在の働き方改革の実態には否定的です。
なぜなら、大部分の働き方改革は当初の目的を歪めた「働かせ方改革」にしかなっていないからです。
私の職場の状況
記事ではアンケートを取り、残業の状況、働き方改革の状況などについて統計的に表しています。
私の現在の仕事の場合、これらは以下のようになります。
@残業時間:週5時間程度(国内)、週20時間超(海外)
A残業頻度:週1〜2日(国内)、毎日(海外)
B働き方改革への取り組み:かけ声はあるが、実態は変わっていない
見てわかります通り、国内はさておき海外(量産工場)における残業がかなり愉快な事になっています。
記事では、このように残業が長時間化+常態化する理由として、以下を挙げています。
@仕事量が多い
Aクライアント対応
B風土や文化
C人手不足
D繁忙期である
このうち、現在の仕事に当てはまるのは@、A、Cでしょうか。
Bは昔はありましたが、今はそうでもありません。
Dについては、基本的に1年の8割以上が繁忙期のため、残念ながら当てはまりません。
結局のところ、製造業のような泥臭いところのある業務において、さらに相手(お客)が優位にあるような
場合、過重労働が起きるのは当然の結果なのだと思います。
何か問題が起これば、客先自身が不眠不休、夜討ち朝駆けを当たり前のようにやってくる状態で、こちらが
その要求に対応できなければ、失注を招くだけなのですから。
問題が起きなければ良いのですが、あいにく製造業において問題が起きない、と言う事はあり得ません。
よほど付加価値が高く、かつ製品ライフが長い(もしくは、そもそも仕様を変えてはならない製品)である
化粧品や自動車パーツなどであれば、問題の発生を最小限に抑える事はできるでしょう。
ですが、私の職場で現在生産しているのは、付加価値はそれなりながら製品ライフは短く、かつ立ち上げに
要する時間が数ヶ月と極めて短い製品です。
この場合、生産ラインを全速力で立ち上げながら、同時に発生する問題を理論立てて潰すという、ある意味
矛盾した二つの業務を同時にこなす必要があります(フルマラソンしながら問題集解くようなものです)。
このような状況では、こなすべき業務はほぼ無限に存在します。
喩えクリティカルな問題が潰れたとしても、客先対応、歩留まりや生産効率の改善に限りはないからです。
そして当然ですが、ほぼ無限の業務に対して十分な量の労働力は割り当てられません。
つまり、常に過重労働が起こりうる状況になるわけです。
これを解決する方法は二つ。
一つはマネジメント職による、業務の棚卸と優先順設定、そしてメンバーへの適切な振り分け。
もう一つは、現地スタッフへの教育を通じた全体のボトムアップです。
これらは車の両輪のように、即効性はなくとも徐々に効果を現す改善業務となるでしょう。
ですが実際、工場においてこれらの活動は明らかに不十分です。
その理由は明白で、目の前の業務が既にオーバーフローしているからです。
適切な客先対応と問題の潰し込みを行えば、業務の切り分けや教育に手が回らなくても怒られはしませんが
その逆をした場合、問題が顕在化して(客と上司に)ガン詰めされることでしょう。
怒られたくないのは万人共通。こんな状況で、中長期的なマネジメントや教育は芽吹かないでしょう。
労働基準法の改正が転機になるかも
元記事の後半部には、若手からの辛辣なメッセージが掲載されています。
「(一番残業している人は)中間管理職と管理職。単に仕事以外の人生がないように見えます」(30-34歳 男性 会社員、団体職員)
「(残業する上司は)仕事以外に人生の使い道が無い。趣味が無い。最近のガバナンスでは部下を飲みにも誘えない。ゆえに残業するしかない」(30-34歳 男性 会社員、団体職員)
「(残業する上司は)家に帰りたくない、帰ってもやることがないため。もしくは生活残業」(20-24歳、男性、会社員・団体職員)
既に「若手」ではない私の立場からすると、正直「それ以上やめてやれ」と思える言葉もあります。
実際、相当痛いところを突いている言葉ではないでしょうか。
私の今の仕事の場合、こういう側面はないように感じています。
残業が多い理由は、(特に工場における)仕事量のオーバーフローであって、帰ってもやることがないから
残業している、という風潮はなくなってきているように思います。
ただ、過重業務を残業で何とかする、という方法も早晩破綻の危険があります。
2019年に改正が予定されている労働基準法では、残業規制がより厳しくなるからです。
(https://mainichi.jp/articles/20170314/k00/00m/040/042000c より引用)
上の図では書いていませんが、さらに以下のルールも適用される予定です。
@法定休日の残業も36協定残業時間にカウントされる
A代休・有休・欠勤により残業代は相殺されるが、36協定残業時間は相殺されない
このうち、現在の業務状況を考えると、特にAが致命的です。
繁忙期の残業連打を、短い閑散期で集中的に休む事で薄める、という方法が使えないためです。
私は多分関係ないので蚊帳の外から見ていますが、近いうちに残業時間管理が詰むと予想しています。
まあ、一度徹底的に詰んだ方が色々変わりやすいですし、特に口を出すつもりはありません。
上手く行けば、仕事のやり方に関する一大転機ともなり得るでしょう。
所感
ここまで、「自分のいる会社の事が、なぜそこまで他人事なの?」と思われる方もいるかもしれません。
答えは単純で、「自分の勤めている会社≠自分」だからです。
私の中では、自分の会社人生は既にロスタイムに入っていますので、会社の行く末に興味はありません。
幸い、あと数年で潰れるような会社ではないので、リタイアまで給料はもらえるでしょう。
こんな考え方はけしからん、と経営側の方なら腹を立てるかもしれません。
しかし、私の勤める会社も多分に漏れず、「多様性」を尊重しようというお題目を掲げています。
そして最も基本的な多様性は、考え方の多様性に他なりません。
性別、肌の色、使う言語、宗教で区別されず、考え方で区別を受けるなら、それこそ差別というものです。
(そもそも多様性というのは、尊重するものではなく受け入れるものですが、それはさておき)
会社としては、「働き方改革(自称)」を通じて生産性を上げ、より多い業務を同じだけの人数でこなして
業績と利益を上げることが目的です。
ですが、それは会社にしか利益のない、「会社にとって都合の良い働かせ方にする改革」にすぎません。
経営層ならともかく、一労働者の立場でそれに賛同してもおそらく、労多くして功少なしでしょう。
10日かける仕事を努力して5日で終わらせても、休みは来ません。追加の仕事が来るだけです。
働き方改革の本義は、「生産性を上げて午前中で退社する。もちろん給料は今まで通り」だと思います。
こういったものを目的としない働き方改革に、私は参加するつもりはありません。
会社と社員の利害が一致しない限り社員は動かない、というのは当然のことだからです。
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posted by SALLOW at 10:00
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お話の内容、理解いたしました。
80から100を求めるべきものと、求める必要がないものとありますね。
安全という点では求めるべきでしょうが、サービスの点ではむしろ上限が存在しないので求めるだけ無駄なのですが、その点の切り分けができていないように思えます。
まだそれだけなら良いのですが、最終的に削るべきコストと削ってはいけないコストの区別が付かず、やらかしてしまうような状況も散見されますね。
私も、日本と海外で能力に違いがあるとは思えません。ですが、意識はかなり異なっていると思います。
そしてその意識の違いは、会社が自分自身と従業員の利害を一致させるような施策を打っているか否か、によるところが影響していると思っています。
ハレルヤ 様
私の一応の本業は、製造業の遊撃部隊です。書類仕事から現場突撃まで、何が本来の業務ということもなく、必要に応じた可変ユニットをやってます。
そんな仕事なので、部下は面倒なので付けるなと言い切ってきました。
抽象的な言葉ではなく、必要なのは達成可能なプロセスであるということ、ごもっともです。
しかし残念ながら、トップが抽象的な言葉(もしくは、達成可能な道筋を示さない状態での数値目標)のみを掲げ、その具体的施策を下にぶん投げているという状況が散見されます。
あいにく当社でもその状況が慢性化しており、それだけなら良いのですが、これまでそのような施策で成功してきたという「歪んだ成功体験」を持つ者が上層部のほとんど全てを占めていますので、会社が傾くレベルの失敗でもない限り体制は変わらないでしょう。
ハレルヤ様の「多様性とはなんですか?」という問いを当社で投げかけた場合、戻ってくるのは「それを考え、正しく実践し、会社に利益をもたらすのが社員の仕事だ」と返ってくるでしょう。
それが一概に悪いとは言いません。しかし私のポリシーとは相容れませんので、そのうち私は労働から失礼しようと思っているわけです。
昨日のコメント欄に、不動産投資もやっていると書いていましたが、本業は、堅い職場の労務系勤め人でもあります。
はてさて、私もまだ若輩者ながら部下を預かっています。部下には、あることを言いつけています。報告書、計画書類に〇〇力や〇〇性など抽象的な言葉を使うなということです。私の私見ですが、会社では、多様性、迅速性、解決力などあらゆる〇〇性と〇〇力、〇〇的を使い回します。このような言葉を使い目標を立てている会社に残念ながら先はありません。
なぜか、本当に必要とされるのは課題達成の為の実現可能なプロセスだったはずです。しかし、立派なスローガンを作ることに満足して何も過程が無かったり実現不可能なやり方しかないことが非常に多いですね。
これは、産みの苦しみで辛いからきれいな言葉で表現するだけです。現実的な方法、多様性を大切など言われようものなら必ず聞きます。多様性とはなんですか?現実的な方法のプロセスとエビデンスを教えてくださいと。なんとなくがまかり通るだから、社風や慣習も変わらないのだと思います。本当は、課題があり、プロセスを考えてから理想の目標パワーワードを決めることが大切なのに、目標から決めてしまうから落下点ばかりを見て、多様性に富んだ第二第三の考えも出てこないように思います。
私のコメントが少し言葉足らずでした。
生産性の向上というのが曲者です。0から80の価値を作り出すのに80の労力がかかるとして、80の価値を100にするのに、更に80掛かる場合に、後者の頑張りを放棄しようという意味でゆとり化と行ってます。
つまり、手を抜くことが生産性の向上と思ってます。まあ、160で売れるようにできるならそれでもいいですが。
日本と海外で、人間の能力に大きな差があるとは思えません。完璧を求める文化の違いとみてます。
コメントありがとうございます。
たとえ激安の店であっても、明らかな過剰サービスを求める消費者側にも問題はありますね。
サービスはタダだと思っている消費者と、なるべくお金を払いたくない経営者が悪い方向に化学反応を起こせば、それはこういう状況になろうと言うわけで。
せめて私は、値段なりのサービスしか要求しないように心がけているつもりです。
働き方改革の成功は、個別に決めればいいと言うのが私の考えです。
ゆとり化(給与は落ちるけど成果物も落とす)でも、モーレツ化(生産性を上げて労働時間減らして給与は同じ or 生産性上げて労働時間減らさず給与を上げる)でも、好きに選べるというのが本来の姿かな、と思っています。
現状を見るに、日本では遙か彼方の目標ではありますけどね。
客先対応をしっかりするというのが、やはり、日本の異常な文化だと思います。いいか悪いかは別にして。クライアントも高いクオリティを求めます。海外なら、高いクオリティを求めるなら、法外な金額がかかります。感覚で言ってますが、それが彼らの言う「生産性」かもしれません。
働き方改革の成功の本質は、「ゆとり化」であり、「イタリア人みたいになろう」だと言う仮説を個人的には立てています。イタリア人への偏見ですが。