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シャイな壬生狼その弐〜自由を求めて〜

いろんなサークル、特にテニスサークルを回っているうちに、不思議とよく顔を合わせる奴男の子が出てきた。不思議と同じようなサークルを回っている。テニスの体験練習中とかの待ち時間にこいつと話していた。テニス
「なんか、よく会うなあ」
「ほんとだよ。お前。なんで?」そんな感じ。
話をしていると、なんとなく発想が似ている。でも、こいつはオイラみたいな田舎者じゃなくって、東京出身の奴だった。しかも、歳は2こ上だ。経歴が変わっている。東京の公立高校出身で、1浪して早稲田に入り、そしてそこで仮面浪人してこの大学に入ってきたようだ。
この大学が気に入ったのは「自由な校風」だということだった。キラキラキラキラ
ああ、同じ人種か・・・・・・。
俺は人に支配されるということが嫌だった。親からも教師からも。だから、結構高校時代までそれらに反発していた。担任によく嫌味も言われた。この担任、高校時代の3年中2年担任だったのだが。こいつが東大出身だった。いけすかねえ奴だなって思ってた。懲役3年の高校生活だったけど、その高校はどっちかというと自由な校風だった。校則とかもゆるい。それでも窮屈だった。特にその担任の、授業のやり方が気に食わなかった。教えるのは確かに上手い部類だったが。授業中、一人に当てる。そして、その人が答えられない、どうやらあんまり予習してないらしいことがわかると、そいつを1時間中立たせっぱなしで、そいつしか当てない。困った困った困った国語教師。この高校、授業時間は1時限65分だった。
何いばっていやがる。こいつ。なんて残酷なことしやがるんだ」って思ってた。人に恥をかかせるのを楽しんでるのか? 見せしめのつもりか? そいつのプライドはどうなる?
俺はこの当時、尾崎豊の音楽に没頭している。尾崎豊が亡くなったのは、俺の高校1年生当時だったと思うが、特に「15の夜」とか「卒業」音符とかは特に好きだった。共感する歌詞が多かった。俺はけして暴力での反抗はしないが、反抗心は強い。「この野郎は」としか思わない。
それって、教師という立場を利用してのイジメじゃねえのかよ怒



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自由、というものに焦がれた。自由というものに対する渇望しかない。そんな高校時代。
だから俺は第一志望校を、日本で一番自由な大学と言われるその大学に絞った。
親父とは相当喧嘩した。
「東大に行け」雷
「誰があんな大学行くかよ。その大学卒業の教師は何人かいるけど、嫌な野郎が多い。その大学を志望してる奴らともほとんどの奴は話が合わない。別の人種」
こういう感じのやりとりは何か月も、数年も?か続いた気がする。その間に、珍しく親父に掴みかかっていった俺が、親父に見事に巴投げされることになるダッシュ親父は昔柔道してたみたいだ。その当時の人としては珍しく身長も175以上ある。

そのサークル入部活動の時に出会った男、S2の話に戻ろう。
そいつもなんだかそういう感じの奴。「そうだよな。教師って偉そうなんだよ」
住んでいる場所もほんとに近く。歩いて5分かからない。なにせこいつの家から一番近いコンビニは、俺の住むマンションの1階テナントだ。
なんでこの場所選んだの?」
「街に近いから。で、その割に家賃安いし」
同じこと考えてやがる。一人暮らしの奴が多いので、よく友人とは家の話をしていた。結構みんな左京区で探してる人が多い。新築にこだわってる人もいる。ゴージャスな見た目を好んでいる人もいる。セパレートにこだわる人もいる。家賃は6万円ぐらいが多い。だが、この辺は意外と穴場なのだ。一応東山区になるのだが、道一本挟んだら左京区だ。だからほぼ左京区。移動手段はチャリ。だから大学からも街からも近いこの場所は最高の場所に思えた。家賃も俺の住むマンションは8帖東向き窓で共益費込4万円代。しかも2階角部屋。
それからS2とたびたび一緒に行動することになった。二人で一緒にサークルも見て回る。男の子男の子話も面白い奴だった。何せ人生経験が2年違う。いろんな事を知っている。歳が違うが、同じ学年なので、タメ口で話していた。そうしてくれる方がいいって人が多かったから、そうするようにしていた。まあ、そんなことにこだわる奴はあまりいない。
こいつは入学の経緯も変わっていれば、入学の試験も変わっていた。論文だけの試験というのが経済学部にあったメモそれだ。ものすごく特殊な試験。それもあって、いろんなことを知っている。
S2曰はく「俺が普通の試験で入れるはずないじゃん。あれぐらいだよ俺が入れるの」
S2は、その当時流行のサラサラヘアーが特徴の、イケメン。男の子キラキラ





サークルはこの時期、新入生の勧誘に忙しい。部員を集めなければならない。週に3回ぐらいは新歓の飲み会を開いているし、テニスは毎日やってる。俺はテニスの練習にも参加したが、それより飲み会が好きになってた。ジョッキグラス大学に入って初めて酒を飲んだが(ナイショ)、はじめっからめちゃくちゃ強かった。イッキも軽々やる。顔色もけして変わらない。先輩たちはいろんなイッキコールを駆使して飲ませにかかる。一番きつかったのは、ビンダビンダジョッキS2の売り芸。S2はさらに自分自身が回転しながらこれをやる。
オイラはこの飲み会とか、テニスの後のアフターとかで戸惑った。困った何せ、今まで笑いをとろうと思って人と話したことがあまりない。そんなに意識しない。
自分、ボケ殺しやな注意とか言われる。なんだそれ? って始めは思った。なにせやっぱり関西人は多い。面白い人が多い。先輩たちはしゃべりが鍛えられているメガホンS2もちょっと戸惑ってたみたいだったが、何せこいつは仮面浪人とはいえ、早稲田のテニスサークルのキャリアがある。それなりにこなす。
笑いか……」その時初めて意識しはじめた。地方出身者の苦労の一つだ
サークルを回っているうちに、言葉はもう3週間ぐらいでこっちの言葉に変わりつつはあった。もともと小4から中1まで大阪にいたし、音には慣れていた。昔は大阪弁をしゃべっていた。
この関西では、「おもんない」って烙印を押されるのは、最大の屈辱であるらしい。困った
…………だからみんな、べしゃりを磨くのか。何より、そういう土壌で育っている。
昔俺が住んでいたところは、千里ニュータウン。桃山台駅の近く。マンションばっかり。何せマンションの名前はA1、A2、A3とかD20とかそんな感じだ。よく高層のマンションを使ってエレベーター鬼ごっことかしてた。そこに住んでる人たちは、結構いろんな地方出身者が多い。転校生も多い。一番仲が良かったキャプテン翼の岬君みたいな人は、岐阜出身だった。あ、俺はけして翼君タイプじゃありません。その当時、どっちかと言うと日向小次郎です。サッカーのプレイスタイルとかも。サッカーその小学校では必ずセンターフォワード。直線的ドリブル。タックルしてきた人も、人の足ごと吹っ飛ばしてました。ダッシュワンマンプレイみたいなのは、先生に怒られてました。「もっとポストプレーとかもしろ! 視野を広げろ!」って。

べしゃりのスキル……。これが、この地域でのモテキ到来のための大きな障害として立ち塞がった。困った
「どないしよ。これじゃ、俺モテへん。せっかく一人暮らし始めて自由になったのに……。憧れのキャンパスライフが遠ざかって行く……。いつまでもデラべっぴんが恋人かよ。悲しすぎるぜ」直線ドリブルで突破するか? いや、サークルに来てる女の子達はほとんど関西人だ。ほとんど京都大阪兵庫。三都物語。女の子の中には「クールだね」って言ってくれる人いるけど、先輩からは「自分、もっとしゃべれや」って言われる。
どうする?? 俺。
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