2016年10月15日
ボブ・ディラン「風に吹かれて」 & とよす ハイサラダ(復刻版)
今年のノーベル文学賞は、ボブ・ディランが受賞しましたね!
でも、いわゆる作家ではなくミュージシャンが受賞・・・なぜ? 素朴な疑問もわいてきます。
そこで、ノーベル賞の選考基準について調べてみました。すると、「人類の福祉に最大の貢献」を行い、文学賞においてはさらに「理想的な方向性」を持っている、というのが条件なんだそうです。
「フォークの神様」ボブ・ディランは1941年生まれ。御年75歳。
彼の青春時代の60年代は、黒人の公民権運動やベトナム反戦など、さまざまな社会問題があった頃です。
そんな中にあって、彼の歌は社会に対してとても強いメッセージを放ち、多くの人々(特に若い世代)の共感を得ました。
彼の人気は米国内だけにとどまりませんでした。
あのジョン・レノンもディランに傾倒していたようです。
日本でも、井上陽水さんや吉田拓郎さんといった大御所ミュージシャンが、彼に相当影響されたと話しておられます。
新聞記事の受け売りで恐縮ですが、
ボブ・ディランはまさに「米国音楽の偉大な伝統の中に新たな詩的表現を想像した。(中国新聞 ・10/14」わけですね。
風に吹かれて
作詞・作曲: ボブ・ディラン
1962年のある日、ディランは友人たちとコーヒーハウスで、黒人の公民権運動について議論をしていました。
彼はそのあと、わずか数分でこの曲をかきあげたのだそうです!
(スゴイ!神ってる!!)
「どれだけの砲弾を発射すれば永久に武器を廃絶する気になるんだろう?」
とか、
「為政者たちはいつになれば人々に自由を与えるのか?」
といった歌詞の内容から、これは既成権力者や社会の在り方に対する抗議の歌(プロテスト・ソング)だ、と受け止められ、公民権運動のテーマソングのような存在になりました。
それにしても「答えは風に吹かれて舞っている。」だなんて、なんて詩的な表現で、そして・・・う〜ん・・・イマイチ抽象的で、よくワカラナイです。
後に彼はインタビューでこんなふうに答えています。
「社会のいろんな問題について、いろんな人々がいろんな見解を述べるけれど・・・(以下、ウィキベテアより抜粋)やっぱり答えは風に舞っているんです。風に吹かれてくるくる舞っている紙切れみたいに、いつかきっと降りて来るんです」
そして彼はこんなふうに続けます。「いつか自分たちのいるところに舞い降りてきた答えを、ちゃんと拾って読まなきゃいけない。」
これはどういうことなのでしょうか?
日本でも、社会のいろんな問題に対して、いわゆる識者と呼ばれる人々が、メディアでいろいろな意見を述べます。
でも結局、最終的にはそういった情報や見解を、私たち一人一人がちゃんと吟味して、取捨選択して、自分の頭でかんがえなきゃいけないんだよね・・・。
そういうことなのでしょうか?
自分の頭で「考える」ことって実はめんどくさい・・・。それが、自分に直接関係ないことだったらなおさら・・・。
けれどその積み重ねが、恐ろしい「思考停止」を引き起こすのです。
わたしなど、半分そうかもしれません?!
いかん、いかん・・・。
ボブ・ディランの詩は、こんな「市井の人代表」みたいなワタシでも(笑)いつの間にか「啓発」してくれています。
さすがですっ!
新品価格 |
とよす ハイサラダ 復刻版
ボブ・ディランを初めとしたアメリカのフォークソングの影響を受けて、日本でも1960年代から70年代にかけてフォークソング全盛期となりました。
とよすハイサラダが発売されたのは、ちょうどこのころです。(昭和40年代後半)
パッケージは復刻版。
まさに昭和時代の香り。
味は醤油・エビ・青のり・サラダの四種類。カリッとした昆布のアクセントが効いています。
ボブの音楽を聴きながら、ひととき「昭和時代」にタイムスリップしてみるのも面白いかもしれません!
なにしろ12袋も入っているので、相当「昭和」に浸れます。
そのうち「キミョウキテレツ〜!」とか「あじゃぱー!」とか「デラックス」などといった懐かしい言葉が、自然に口をついて出てくるようになることでしょう。(嘘です。ごめんなさい。)
新品価格 |
タグ:ボブ・ディラン
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/5536106
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック