いつも読んで下さりありがとうございます。
松幸です。
今日はその2いきます。
前回で生まれてから保育園、小学校といきました。
保育園はあまり思い出はなく田舎なものでその保育園に行った者がスライド式に
小学校へ上がるようになっていました。
幼稚園などというものは存在すら知りませんでした。
さて、「子供会」ですがその名の通り子供の会です。
当時は子供も多く今のように親が出てきて何かするのではなく本当に上級生が中心になって
父の会、母の会、敬老会、行燈、クリスマス会などを開催していました。
その中でも記憶に残っているのは二人羽織と劇「水戸黄門」です。
実にくだらないのですが二人羽織はみなさんもみたことあるやつです。
二人で服に入って一人が食べさせ一人が食べるというものです。
これをケーキとかでやっていました。自分たちの親を呼んで来てもらい
やっていたのです。水戸黄門は足跡の劇で別に台本も何もありません。
それなりに笑わせてもらいました。
最後はお父さんやお母さんの似顔絵を書いて渡して終了です。
当時は大体、兄弟がいたのでみんな2つくらいはもらっていました。
次に行燈ですが、夏に権現堂とお宮、六地蔵様と山の神様のところに行燈を置いて
お参りに来てもらう行事がありました。
当然これも子供たちでの運営です。
行燈の前に墨で「御神燈」と書いていました。汚い字で今では見るに堪えません。
なぜ簡単な「灯」があるのに難しい「燈」にしたかは定かではありませんが
毎年半紙を張り替えて「御神灯」と書いて蝋燭を立てて🕯参道に置いておき
道標としていました。
そして、秋になれば運動会、その後は
子供たちのメインイベントである祭りです。
準備から楽しみでした。だんじりに旗をつけるのですが
それも手作りデス。今でこそ印刷物ですが当時は半紙にイモ版です。
こよりも一人1000本づつ織ってこいと言われ親に教えてもらって作りました。
それはそれで楽しかったです。
公民館も赤の墨で畳が汚れて怒られました。
いい思い出です。そして祭り!お菓子もらってホクホクです。
そして中学生になるとお金も入ってさらにホクホク。
祭りと亥の子が10月11月に合ったのでこの辺りは本当にお金持ちでした。
お頭になる中学3年なんかそこら辺の大人より持っていたのではないでしょうか。
本当にいい時代、楽しい時代でした。
次回は中学編に入ります。 乞うご期待️
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