アフィリエイト広告を利用しています

2022年02月07日

『音のない部屋』

アルバム『バース収録曲』。
最初に述べておくとこの曲に登場する「小さなテーブル」とは新婚の尾崎が奥様と生活を始めるために購入したテーブルのことで、奥様(聡美さん)生活が色濃く反映された曲である。

聡美さんのの証言によると
「豊は「テーブルは暮らしの象徴」と言っていました。ふたりで愛がある家庭を築いていく……だからこそ、ふたりが一眼見て気に入ったグレーとブラックのコンビで傷がつきにくいものを選びました。テーブルを囲み、出来立ての料理を一緒に食べる、温もりある日々のために。」と
語られている。(『FRAU』2022.12.29の記事から引用。)


タイトル『音のない部屋』とは表面的には「彼女と別れもともと彼女と奏でていた生活音が一切なくなった、自分一人でたてる音以外ない部屋」というイメージであろう。同時に彼にとって「音のない」=音楽のない、詩がないという意味でとらえれば、尾崎とって生きる糧である音、詩がないとは、まさに生きる糧を失ったなったという意味にも捉えられる。

出だしのイントロは尾崎の曲には珍しく、歌謡曲のようなわざとらしい印象をうけるが、それはアレンジの影響が大きい。アルバム『バース』の編曲は、曲の中身と、アレンジ(特にイントロ)があっていない雰囲気があり(例えば『風の迷路。』)、また少し大げさなストリングを入れすぎているこの曲のような例もある。一方で『クッキー』のイントロは素晴しく、全てが悪いというわけでもない。)
イントロこそそのようなのようなわざとらしい印象を受けるが、実際のいざ曲が始まるとそのような印象はなくなる。
「風に吹かれて二人がくるまるジャケット、路地裏で見えない星の数数え」と出だしから受ける印象は『黄昏ゆく街で』と同じような物語調を思い浮かべる。



特にサビは
ダイナミズムと泣き、静寂とためが入り交じる。例えばサビは「二人だけの」「口を塞ぐような」「どんなふうに」と3回たたみかけるような素晴らしいメロディ構成であり、心を打たれる。

詞について、これは同時期の『たそがれゆく街に』のような物語風な語りと、独特の詞のセンスが光る。例えば出だしの「風をかばい二人がくるまるジャケット路地裏に見えない星の数を数え触れ合うと壊れてしまいそうな二人の唇は震えて」まで、字余りがなく素晴らしい詞を当てはめている。これは簡単なようで簡単ではない。出だしから尾崎の才能を感じる。

単なる失恋に関することだけでなく、尾崎が向かい合っている精神的な苦しみが垣間見える、生生しさを感じざるを得ない。
「音のない部屋」とはかつて彼女と暮らした部屋に、いまは彼女がいなく、自分のたてる音しかしない状況を示した詞であろう。同時に彼自身の精神にも、音がないという意味にも捉えることができる。そこしれぬ暗闇が垣間見える絶妙なタイトル詞である。

この『音のない部屋』のタイトルからもわかる通り、彼女はもうこの部屋にはいない。そして、過去と、幻と、もうひとりの自分を投影している歌詞がいくつも描かれているところには注目すべきであろう。
「思い出ばかりに微笑む君」
「君の幻を抱きしめていたい」
「鏡の中僕の知らない君」
「手探りで振り返るといつもの君が僕に甘える」(振り返るとは過去の暗示か)

にもかからず、エンディングで「二人の心は一つ」とは、どういうことか。この一行でこの詩を救おうとしたのだろうか?しかし、実際にはこの詩は取ってつけたよう印象しか与えられていない。むしろ途中の「笑顔を絶やしたくないから」は救いである。



そして彼のが詩人だと改めて認識する深い詩はエンディングで登場する。

「部屋明かりが落とす光と影それは二人の暮らし」

この曲のタイトルの「部屋」を登場させ、その「明かり」の「光と影」をを二人に重ねあわせているのである。
これは「光と影」男と女という対局なものに象徴させるのと同時に、二人の生活の「光と影」、同時に彼自身の「光と影」をも投影しているのである。そしてそれが「二人の暮らし」としているのである。


そして忘れてはいけないのはこの曲(その重要性についてはアイラブユーの解説に書いている)でも「優しさ」という言葉がキーワードにっている。「通り過ぎて行く日々に愛が「優しさ」だけを残せるなら」と。

この曲は単なる失恋ソングと受け取ってはいけない、尾崎の文学的な才能や、彼の作詞(詩)としての抜きん出た能力、商業的な意味ではなく、彼が生きるために紡いだ詩を感じることができる名作である。

youtube動画
『音のない部屋』尾崎豊真実の解説
https://www.youtube.com/watch?v=7bHVmxcHU1A

2022年01月15日

『傷つけた人々へ』

ファーストアルバム『17才の地図』収録。

尾崎を少しでも知ると彼の人生は人に傷つき
苦しんだ人だったことがわかる。
彼のファンはこう誤解してしまう「彼を利用する大人たちに傷つけられたのだ」と。
しかし、公平に見てこれは彼の周りの人がひどい人だったということではなく、彼の生まれながらの性分にあったということを理解しなければならない。彼の心はガラスのようにもく、ささいな言動が裏切りに感じたり、傷つきやすい感性を持っていた。
そういう意味では「傷つきけた人びとへ」というタイトルは彼の生きる中で切り離せないテーマと直結していたものだということがわかる。

『傷つけた人々へ』は、秀逸なタイトル、
哲学的な内容の詩、印象的なサビの詩、メロディ、美しいボーカルから人気の曲である。全曲名曲である『17才の地図』にあって最終局の前に配置されたことにより、やや影になっている曲の印象もあるが、一方ファンの間では非常に評価我高い曲である。
また尾崎は自分の「罪」を懺悔するような詩を曲をいくつか発表しているが、大枠で考えるとこの曲もその一つである。(『贖罪』など)
彼のこのような作風はおそらく彼自身の行動で、彼自身後悔やなどすることが多かったのかもしれない。そしてそれを詞にすることによって救いを求めた(人は誰しもあのときこうすればよかったなどと思うことはあるが)


タイトルから『傷つけた人々へ』一体どういうは意味が込められているのか、と思う人も多いと思う。

尾崎豊の人生を考えると非常に意味のある重いタイトルである。このタイトルは伊達や、言葉の遊び、かっこをつけるためにつけたものではない。けして尾崎の悪口ではなく、周りの人を振り回し、人々を傷つけた人生の歩みや、その後の人生について、暗示している。
彼は後年著書『普通の愛』の後書きで「自分の罪を告白します」と書いたが、この『傷つけた人々へ』はそこまでの生生しさはないものの、それに通じるもになっているとおもう。

そして、尾崎自身がなにより、自分自身にひどく傷つき、心を痛めていたのだとおもう。



サビの「僕をにらむ君の瞳は」というとても印象的な詩である。通常「にらむ」とは悪い意味で使われるがこの曲ではあえて「見つめる」よりももっと強い眼差しの意味で「にらむ」が使われていると思われる。そこが尾崎豊の言葉の抜群なセンスである。


アルバムの流れではこの『傷つけた人々へ』の次は『僕が僕であるために』であるが『僕が僕であるために』のなかにある「人を傷つけることに目をふせるけど優しさを口にすれば人は皆傷ついてゆく」という解釈に戸惑う歌詞もこの曲と合わせてみていくことでヒントとなる。
そう考えるとアルバムで『傷つけた人々へ』『僕が僕であるために』の並びは偶然ではなく必然の並びだったのかもしれない。



一方『街角の風の中』で「今日の僕は運がいいそれぞれにあるわけの中たった一言でも君に傷つかずにいるなんて」という歌詞を見逃してはならない。彼の心がいかにガラスのハートであったか。彼がどんな他人の言動で言葉で傷ついてしまうか予想がつかない。彼のこのような繊細すぎる心は時に近くにいる人を混乱させたであろうことは容易に想像がつく。このようなの繊細さから発せられた一つ一つの曲だという面もあるというこたは尾崎豊を神格化しすぎてみあやまならいためにも必要なことだとおもう。

2021年11月02日

衝撃『核』はもともと『COOKIES』(『クッキー』)だった

アルバム『街路樹』収録の『核』。
荒廃的な歌詞、核の絶望感と尾崎の孤独感、不安感、悲壮感を合成さてたナンバーである。
尾崎の曲の中でも異質を放っている名曲である。正式に発表されはたバージョンにはアルバム収録バージョンと、シングルバージョンがあり、その大きな違いはボーカルにある。シングルバージョンはもともとシャウトが多い曲だか、その曲を破壊的な歌い方をしており、迫力あるボーカルは圧巻である。
一方でアルバムバージョンではシングルに比べると抑え気味だ(もっともそれでも十分なききごあさたえがある)。公式な発表された音源はこの二つであるが、
冒頭で述べたような「荒廃的」な内容からもともと『街路樹』の制作時期は尾崎の精神状態が不安定だったということもあって、この曲もそのような時期に製作されたと思われがちだが、実はこの曲の製作自体は1984〜1985年の間に書かれたことが『NOTES 僕を知らない僕』によって読み取れることができる。
もともとこの曲は『COOKEIS』(クッキー)というタイトル書かれたいた。『クッキー』と聞いてすぐ思い出されるのはアルバム『バース』収録の曲だろう。『COOKEIS』として書かれたとは一体どういうことか、まずはその詩を見てみよう。




何か話をしよう
なんだか分からないけど
俺はひどく怯えている
心を温めてよ
崩れた壁吹き抜ける風
俺と社会とを不調和にするもの
口づけをありふれた痛みに変えて

ねぇクッキーを
ねぇクッキーを
手のひらに乗せてくれ
笑えるような気がする

抱きしめてねぇ甘えてよ
一欠片のクッキーを
クッキーを

ビルの合間それを縫う
光が幾筋に分かれアスファルトに突き刺さるのがほら、心の影のよう

無造作に並べられた
顔を持たない街の微笑み
少し疲れただけよなんて
わかったふりをしないでいい

愛なら救うかもしれない
君のためなら犠牲になろう
愛という名のもとに俺は生きたい
死ぬために生きるような暮らしの中で
ごめんよこんな馬鹿げたこと
聞かずにいてくれ

抱きしめてねぇ甘えてよ
一欠片のクッキーを
君の焼いたクッキーを

誰かと君が笑う時
俺の瞳を探さないで青く漂う光
俺から遮らないで

悲しみに暮れるのは誰のせいでもないのに
何かを見ているようで
何も映らない君の瞳
そして綺麗に笑くならいい
そして綺麗に泣くならいい
そこに居る、眠ってる、君の胸を

何もかも変わりある愛は闇の中
君の鼓動が聞き取れるよって俺は笑った

抱きしめて愛してる
一欠片のクッキーを、クッキーを

ねぇ、一体何を意味するものなの
光に包まれて
俺はクッキーを握り泣いている
街には帰るところがない誰もが
夜を彷徨う
そうあの日どこかに
クッキーをなくしちまってから

恋人たちは愛を語り合い
俺は身を粉にして働いてる
誰が誰を責められるこの生存競争
勝つために戦う人々
抱きしめて

以上


これはかなりの衝撃である。
出だしこそ『核』と同じだが、とても同じ曲とは思えない。その音源がインタネット上から聞くことができるが、それかなければ同じ曲とは思えないだろう。この『核』のクッキーバージョンの詩により、後年の「cookie」の歌詞の「クッキー」の意味がよりわかりやすくなる。つまり尾崎豊の心の象徴、大事なものの何かの象徴が「クッキー」なのである。



さてここでは、そのアルバム『街路樹』での正式リリース前にライブで公開されていた『反核』について歌詞を上げらながら取り上げていこうと思う。
この曲はアルバム収録前にすでに完成をしてライブでも公開されていたのだ。
歌詞は大分違うが、アルバム収録以上に迫力ある歌詞である。
youtubuでそれは聞くことができるが、その歌詞を読み取ってみることにする。
アルバム版と聞き比べてみると微妙だが表現の違いが非常に興味深い。


何か話しよう
なんだかわからないけど 俺はひどく怯えている
今夜は止めてくれ テレビは消してくれないか明かりもひとつにしてよ
こんなに愛してるから 俺から離れないで
一人ぼっちで路地裏俺の背中の人影におびえて気持ちをとがらせて
今まで街灯にもたれてた

抱きしめて 愛してる
抱きしめていたい それだけ それだけなのに
なぜ俺はこんなにまで 怯えているのだろう
前から少しづつ感じていたことなんだ
なのに俺はとても孤独になってしまう
少し疲れただけ寄って君は体すりよせる
愛なら救うかもしれない
きみの為なら犠牲になろう
愛という名のものとに俺は行きたい
死ぬために生きるような暮らしの中で
ごめんよこんなバカげたこと聞かずにいてくれ
抱きしめて愛している 抱きしめていたいそれだけなのに
真夜中盛り場 人込みを歩いいていると
幻に駆られてそしていつも気を失う
通りすがりの見知らぬだけかが誰かと当たり前の顔で俺と殺しあう

何から身を守ろうというの
何かが少しおかしいような街で
ネオンライト、クラクション、地下鉄の風
何もかも元のままに見えるけれど
見えないかい 聞こえないかい 愛なんて口にできない
抱きしめて 愛してる 抱きしめていたい それだけなのに yoh

ねえ もしかしたら 俺のほうが正しいかもしれないだろ
俺がこんな平和の中でおびえているけど
反戦 反核 いったい何ができるというの
小さな叫びにすぎやしないだろう
恋人たちは愛を語りあり 俺は


俺の目をみてくれ いったい何ができる
傷つけたくはないんだ ただ愛を守りたい
一思いにやってくれ 苦しむのは嫌なんだ
俺は既に頭をやられているのか
戦争や人々の争いもおわることはなかったよね
抱きしめて 愛している 抱きしめていたい
それだけなのに yoh
抱きしめて 愛している 抱きしめていたい
それだけなのに yoh
dadaadada gat gatu nonono no・・・


尾崎の曲では冒頭に心の痛み、不安を告白することがある。この曲では得体のしれないものに怯えていると告白から始まる。

ここではアルバム版との違う点に注目したい。行数にすれば小さなものだがそのもつ意味は大きい。他の曲でも傾向としては、原詩は、より率直な尾崎豊が言いたいことをそのまま伝えている。
すなわち、元の詩詩の世界とは言え死ぬか生きるかぎりぎりのところにいた尾崎の生き様そのものを映している。


「なのに俺はとても孤独になってしまう」
結局尾崎の孤独は他者がどうこうするわけでもなく彼自身がどのようなの状況に置かれても自発的に孤独になってしまうのだ。
これは尾崎豊というパーソナリティを読み解くのに非常に重要なキーワードである。

そして尾崎がくしくも最後に迎えた謎の死はこの曲の一節で、枯れ自身が予告していたような内容となってしまっている。

「真夜中盛り場人込みをあるいていると
幻に駆られてそしていつも気を失う
通りすがりの見知らぬ誰かと偶然に当たり前の顔で俺と殺しあう」


という歌詞は彼の行末を暗示してしまった結果となった。地でいってしまったのかもしれないと少し思わざるを得ない。
半分詩の世界であるが、半分はリアルな尾崎の世界を歌ったものであるのである。




2021年10月22日

尾崎豊のボーカルについて考える

尾崎豊は稀代の作詩作曲家であると同時に、稀代のボーカリストである。作詞作曲と、歌唱力が伴うこと、これは、ロックスターに求められる条件である。しかし大抵の場合、作詞・作曲・ボーカルの能力はどこかが高ければどこかが少し劣るのケースが多い。しかし、尾崎豊は作詞作曲能力だけでなく、ボーカルの能力も高く、日本史上の稀代のロックスターといえよう。



日本人でシンガーライターといえば誰が浮かぶだろうか。例えば、桑田佳祐であったり、チャゲアンド飛鳥の飛鳥だったり、しかし尾崎豊のレベルと比べると一段落ちると思う。
尾崎豊を比べるなら世界に目を向けるなければならない。

この才能は例えば個人的に洋楽でいえば天才ポールマッカートニー、ジョン・レノン、クイーンのフレディマーキュリーなどか。

一番しっくりくるのはポールマッカートニーだと思っている。というのもきれいな透明感のある曲から、ハードなロックナンバーまでカバーできる声質は似ているかもしれない。

また曲の間に挟むアドリブや、曲のハイライトにもってくる歌い方も共通点が多い。


尾崎自身「自分が歌うことで周りが変わった」
自分自身が救われた」

さだまさしのカバー『雨宿り』、『縁切り寺』

『核』のシングルバージョンでは狂ったようなボーカルは圧巻である。
一方アルバムバージョンと聴き比べるとこれが同じ人の同じ曲なのか、と思ってしまうほどである。

有明コロシアムの『誰かのクラクション』ではエンディングで口でまさにラクションを再現している。

2021年10月19日

見城氏の「愛しているがゆえにほっとした」発言について

「愛しているがゆえにほっとした」
この発言は尾崎豊が亡くなったことを知った見城氏と須藤氏がひっそりそ語り合った内容だとされる。
それを知った当時の尾崎ファンからはクレームの嵐がきたという。
この発言は真意はどこからきたのであろうか。

尾崎の二面性、躁と鬱
どちらの幅にも大きく振れてしまうそれは気分だけじゃなくて、
単なる仕事の付き合いを超えて、本当に人として信じられるか、愛せる人間かどうかを尾崎は「心を許した人」には徹底して試します
そしてその人と心の距離ものすごく近くまで入っていくのです。普通そこまでいかないだろうというぐらい
悪いい方をすると人との距離感の取り方が下手なのが尾崎だと思います
鬼頭氏が「尾崎に泣かれて抱き着かれた」というエピソードありますが、それが象徴するように、いったん「心の内」に入れると
感情に歯止めがつかなくなります。そしてそれだけの心の接近を感じた人は逃げるか、それとも徹底的に付き合うか、どちらかでしょう。
もっとも尾崎も「この人なら」という人を選んでいますから、徹底的に相手はつきあうのです。
その覚悟を決めた人は、当然尾崎に愛着心はでます。尾崎を愛していたというのは嘘偽りないことだと思います。
一方、尾崎の感情は愛情だけでなく、猜疑心、妬み、などものすごく深く少し背筋の凍るような一面もあるのです。
その感情を真正面から受けた見城氏や、須藤氏らは苦しみました。
そういった背景があれば、この「愛しているがゆえにホッとした」という発言につながると思います。

2021年09月26日

『NOTES僕を知らない僕1981-1992』の読み方

『NOTES僕を知らない僕1981-1992』という尾崎の詩を書き留めたノートがそのまま記録された書籍がある。
ところどころ須藤氏の簡素な解説が入るのみで原文のママ掲載されている貴重な書籍である。

アマゾンの口コミなどをみると「手書きでなければ…」「読み進めるのがしんどい」など以外にも辛口評価が多いが…
この詩は誰かに公開されることを前提として書かれたわけではない。彼の作品のアイデアノート、原詩の記録なのである。だから普通の本のようにストーリーがあって、何らかの結論、結末がある内容じゃない。そのため読み進めるのが辛くなる。尾崎豊の詩だとしても、言葉は断片的であったり、思考の羅列的な文書も多くけして楽しめるものでもない。しかしこの書籍の本当の価値は、普通の書籍のような一気読みでは本当の価値はでない。すなわち尾崎豊の曲を聞くときにその曲の該当する箇所を読み直すことで意味が入ってくる。いわば辞書、参考資料、原詩のでより言葉数が多く意味もより深く理解できる。
本当に貴重な資料である。掲載できない内容にも何がかいてあったのか、それは尾崎豊の心理状態を読み解く上でも、詩の意味を理解する意味でも非常に興味があるが、公開されることはまずないだろう。
それはともかくとして尾崎豊をより深くを知りたい人にはおすすめの一冊だ。このプログも、この本からかなりのヒントをえている。
参考までにアマゾンリンクを貼っておく。↓



2021年09月18日

見城氏、須藤氏、鬼頭氏らから見る尾崎

結局尾崎は
仕事のパートナーにも
愛をもとめた
見城さんにも深くのめりこんでいき、須藤さんにも
そして見城さん、田島さん、須藤さん、鬼頭さんらもまた尾崎を愛していた
しかし、それがあまりにも深く、仕事のパートナーとしての限界を超えてしまったから
見城さん、須藤さん、鬼頭さんらは追い込まれていくことになる
尾崎というのは振れ幅が大きく、のめりこんでいくととことんのめりこんでいってしまう
普通の距離感を取ることが難しかった人という部分があるとおもいます
そのことに尾崎自身も振り回され最後はどうにもならなくなっていってしまったという一面があると思います

仕事のパートナーに対してすらこのような状況ですから
恋愛になったらいったいどうなるのか・・・と考えると少し恐ろしさすら感じてしまいます

しかしそれだけ恐ろしいほどの愛の求め方に、あのすばらしい唯一無二の作品群の誕生の秘密があったということは
リスナーにとってみれば、複雑なおもいがあります

こう考えると本当に尾崎は伊達でも酔狂でもなく、本当に自分の命を削って作品を作り出していた本物なのです。
だから尾崎豊の真似は誰もできない、いやできなくて正解なのだと思います

2021年09月10日

『虹』

1番を聞くと、何の変哲もない美しいラブソングにきこえるが
2番で尾崎のあるいみ恐ろしさがわかる
「やさしさだけなら素直になれるのに 嘘の痛みが僕の心を冷たくする」
この時期猜疑心の塊になっていた心をまさに表現している
尾崎自身自分のおかしさ(心の病)にきづいていたふしがある

1番の「雨が上がるのもずぶぬれで待つおいらさ」とは
雨が上がることと、心が晴れること(そのような心の苦しみから)と二つの意味をかけている思います
人生で心の雨が晴れて虹がかかることを願いながらそれがかなわず死んでいった尾崎を思うと心が痛みます

2021年08月03日

『優しい陽射し』尾崎豊の心の憧れとは何か

尾崎豊ラストアルバムの『放熱の証』収録。
はじめに述べておくと、この曲は、尾崎の叶わぬ夢=憧れ=心安らぐ普通の暮らしと、心の痛み=ただ生きているだけで心が苦しく、自然と涙がでる暮らし、との葛藤が入り混じった内容となっている。そしてその前後に揺れ動く感情が一つにまとまり美しく儚さを表現された隠れた名曲である。

この曲は単なるバラード、ラブソングで語るべきではない。尾崎豊の本質と、尾崎豊の根本にある心の痛みと向き合う姿が投影されているからだ。けして見知らぬ誰かや、他人の暮らしを代弁したような曲でもなければ、後述するように尾崎豊の息子、尾崎裕哉氏が述べているような何かを悟っただけの曲ではないと思う。
(尾崎なりの真実の一つ「愛は育むもの」というのことを悟ったというのはこの曲の一つの要素にすぎないと個人的には思う。)


「過ぎゆく日々の中で寂しくなる君は
うつろう心のわけに一人唇噛み締めていた」


何気なく聞こえてしまう出だしのこの詞は決して見逃してはいけない。美しい詞であると同時に、尾崎豊の心情を理解する上で重要なことが語られているからである。
どこかの誰かに問いかけているようであるが、「君」に問いかけているようだが、これは紛れもなく尾崎豊が自分自身な向かってなげかけた言葉であろう。
この曲が単なるラブソングと受け止めてしまうのであれば、さらりと流してしまいそうだが、決してさらりと聞き逃してはいけない重要部分である。出だしの詩というのは、全体を掴みの部分であるが、そこで
「過ぎゆく日々の中」で「寂しくなる」自然と湧き出る寂しいという感情、そしてその理由、訳
がはなくただ生きることでその寂しさ悲しみを感じる尾崎の心に尾崎自身がどうしょうもなく「唇を噛んでいる」という描写だとおもう。人はどのようなときに「唇を噛むか」想像してみてほしい。尾崎は様々な曲で苦しみ葛藤を時には「叫び」で表してきた。


「優しい陽射し」では、静かな曲調にあった表現しているが、この裏に隠されている心情を読み取ると、救いようもなく悲しい描写である。
(『note』には「朝起きて心の痛みに襲われる」という記述がある。)

理由もなく、寂しくなる、悲しくなる、涙が溢れる…これはもう他人からしたら説明のつかない、尾崎が生きる事自体が、このような感情に多くを支配されていたということが『優しい陽射し』のこの歌詞かも垣間見られる。

2節目もこう続く。
「誰かと恋に落ちて名前を覚えるのに
ふっと笑顔の影に滲む涙がこぼれ落ちるから」
初めの詩と意味合いは同じである

『風の迷路』「行き交う人並みの中思い描く全てに壊れそうな心をいだいてしまうのはなぜだろう」息を吐くように心の痛みを感じ、泣いているのである。


『風の迷路』
「行き交う人混みの中思い描く全てに壊れそうな心を抱いてしまうのはなぜだろう」
『誕生』「わけもなくこぼれ落ちる涙」

その他多数…
これらと通じるものがある。


「何も悲しまないと暮らしを彩れば」

「大切にしてるけど壊れてしまうけど」

尾崎豊が大切にしてたもの、人とひて大事なものだか
それが壊れて(壊してはしまう)自分自身が自分に裏切られる

「憧れがなぜか心を痛めるから」とはどういう意味か。
この詩も言葉こそは違うが、別の曲で同じような意味でつかわれていると私は感じる。
『きっと忘れない』で「探していた答えに心が届かなくても」をという詩を思い出してほしい。
その詩の前は「いつも夢を忘れないで季節の中でうつろう君」だ。
この場合の「夢」と「憧れ」とは非常に似ていると思う。
なども繰り返すが、尾崎にとっての「夢」「憧れ」はそれはつまり「心の安らぎ」に他ならない。


悲しみと戦っていた 

それでもたどり着いた境地は
きっといつか答えは育むものだときづく

須藤氏の著書お尾崎豊

ユーチューブでは尾崎豊の息子尾崎裕哉さんが
この曲のインタビューについてとりあげている。
尾崎豊はこの曲についてインタビューで尾崎はこの曲についてこのように語っている。
「この歌のなかに答えははぐくむことという言葉があるんだけど、占ってできた答えはいつも必ずしもすべてということではなくて、
本当の答えってのは何年後かにしかわからないことが多くて。
しかも自分の受け止め方で変わってくるという。
だから自分が裏切られたとしても、なぜその人が裏切られたかわかってくると
それだったらもしかしたら自分も同じことをしたれないなとかね
行く末にはそういことがまっていると認識したときに、育むことですべてのことが理解でき
育むことも許すことも与えることも怒ることもことも喜ぶこともできるってことがこの歌の言いたいことなんだよね」

2021年07月16日

尾崎豊とジョン・レノンの共通点と相違点

尾崎豊が影響を受けたアーティストは
ウェキペディアによるとにカバーされている。 ジャクソン・ブラウン、ブルース・スプリングスティーン、ビリー・ジョエル、浜田省吾、佐野元春、井上陽水、アナーキー、甲斐バンド、さだまさしなどとされている。
ラジオ番組では井上陽水『氷の世界』を小学四年生の時にきいてそれが原点といっている。

ジョン・レノンの名前はないのだか、あえてジョン・レノンとの対比、関連性を考えてみたいとともう。コンサートのMCでも「ジャクソン・ブラウン、などを
聞いていた」という趣旨のことを言っている。


共通点
ロックを愛していること
リアルティ(自分自身の感情を優先)のある歌詞
音楽性が多様(ハードなロックからソフトなバラード系まで)
人生の苦しみについて考えている(尾崎とジョン・レノンの苦しみの種類はちがうが)
ともにコンプレックスらをかかえていた
愛に対するコンプレックスをもっていたこと
もっとも尾崎の愛への執着はジョンよりもより深く執念的てある。
真実を求めていたこと(この真実についてもジョンの言う真実と尾崎の言う真実は違う意味だとおもえが)

相違点
ジョン・レノンは安定型だが、自分の
尾崎豊は情緒不安定、悲しみ苦しみ


どちらも音楽的に、天才であることには間違いなくそして特に詩に意味をもたせるという意味においては共通点といえる。



ジョン・レノンはビートルズデビュー当時ぐらいで、やがてすぐに単なる意味を持たないラブソングは書かなくなる。彼自身、自分にとってリアルティのない意味のない歌詞を持った曲は商業的に無理やり書いたというような趣旨を発言している。
尾崎豊もまた学校卒業、ミュージシャンとしての成功、つまり成功から
結婚、という街路樹からバースにかけて一見すると書くことがなくなって壁にあたっているようでもあつた。リアルティの気持ちから

尾崎の音楽とジョン・レノンの共通制作
音楽を志望の女の子にジョン・レノンの自伝書を贈ったという。


街路樹の歌詞に「昨夜見た夢の続きを見ていた」
ジョン・レノンの「ジェラスガイ」の「昔の夢をみていた」を少しだけ思い起こさせる
ファン
検索
<< 2024年09月 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
最新記事
写真ギャラリー
最新コメント
ママ、セイグッバイ by Yahoo知恵袋。青龍です。 (06/23)
『MARRIAGE』「Yes, I do」の持つ意味 by サイトの主 (05/15)
『MARRIAGE』「Yes, I do」の持つ意味 by 通りすがり (04/26)
『MARRIAGE』「Yes, I do」の持つ意味 by サイトの主 (02/03)
『MARRIAGE』「Yes, I do」の持つ意味 by ラララ (01/19)
タグクラウド
カテゴリーアーカイブ
プロフィール
サラリーマン42さんの画像
サラリーマン42
プロフィール
日別アーカイブ