ヤフーのニュースで尾崎豊のお兄さん尾崎康さんが埼玉県の弁護士会の会長になったと報じられている。
尾崎豊にとってお兄さんの影響は大きく音楽を始めたきっかけもお兄さんが使わなくなったギターを使い始めたことがきっかけだったとのこと。
お兄さんは尾崎豊の曲にも登場する。
「誕生」には「ポケットには別れた家族の写真がある俺は兄貴に肩を抱かれている」という詞がある。
尾崎豊の著書にもお兄さんとの家出したときに迎えに来てくれたピソードなどが書かれていたり、自分の思考の原点はお父さんとお兄さんの哲学的な討論を間近で聞いていたこととも語っている。
ともかくそんな尾崎豊のお兄さんが埼玉県弁護士会長にまでなり、60歳を超えた初老の写真姿見たとき、もし尾崎豊が生きていたらと尾崎の姿と重ねてみてしまう。初老のお兄さんの姿は時の流れを感じ、感慨深い。
2023年04月11日
2023年03月29日
あなたの方が尾崎豊よりも「人の愛しかた」を知っている
かつて尾崎豊は生前は10代のカリスマ、時には教祖とすら言われた。そしてなくなって30年以上立つ今、ネットの記事で尾崎豊の発言の一部を切り取り、尾崎豊はすべてを悟る愛の伝道師のような称賛を書いている記事やコメントが見受けられる。
しかし彼は愛の伝道師でも、カリスマではない。
愛に苦しみ、人や自分自身に傷つき苦しんでいた。だからこそ彼から出る言葉は、
愛、傷つき、裏切り、誠実、などのことについて語られいる。(見城氏がインタビューで語っていたことは私は同感するところである。)たしかに彼から発せられる言葉は、的を得て、強烈なメッセージ性がおります。しかし、その言葉を発している尾崎豊自身が、我々が普通に簡単にできた「人を普通に信じ、愛すること」ができなかった人とということを忘れてはなりません。
尾崎豊の著書『普通の愛』のタイトルはその皮肉でもあるようなきがします。
また『放熱の証』収録の『優しい陽射し』の「憧れがなぜか心を痛めるから」とは普通の愛し方ができることに憧れだと僕は思います。
だから普通に誰もが自然にできていることが、尾崎豊の苦しみの一つ出会ったこと、そしてそのことが多くの名曲を産んだ原動力になっていたと私は考えている。
しかし彼は愛の伝道師でも、カリスマではない。
愛に苦しみ、人や自分自身に傷つき苦しんでいた。だからこそ彼から出る言葉は、
愛、傷つき、裏切り、誠実、などのことについて語られいる。(見城氏がインタビューで語っていたことは私は同感するところである。)たしかに彼から発せられる言葉は、的を得て、強烈なメッセージ性がおります。しかし、その言葉を発している尾崎豊自身が、我々が普通に簡単にできた「人を普通に信じ、愛すること」ができなかった人とということを忘れてはなりません。
尾崎豊の著書『普通の愛』のタイトルはその皮肉でもあるようなきがします。
また『放熱の証』収録の『優しい陽射し』の「憧れがなぜか心を痛めるから」とは普通の愛し方ができることに憧れだと僕は思います。
だから普通に誰もが自然にできていることが、尾崎豊の苦しみの一つ出会ったこと、そしてそのことが多くの名曲を産んだ原動力になっていたと私は考えている。
2022年09月28日
『MARRIAGE』「Yes, I do」の持つ意味
アルバム『バース』収録曲。
この『MARRIAGE』はタイトルの通り結婚をテーマにしているが、幸せの象徴であるこの曲についても、彼の心の痛みと密接に関係した詩が包み隠さず表現されている。
「背負いきれぬ悲しみの数互いの笑顔の作り方
積み木のように重ねて過ごした」
「傷んだ心に君が泣かぬように」
「壊れた愛の傷跡が二人を悲しく包む
愛はとてももろいものだと」
この曲でも注目すべきは「優しさ」という言葉である。「手探りの優しささえも見つからくなる時に愛が冷めてしまいそうだから」これは、『ロザーナ』「お前は弱さを憎むようになり優しさの意味さえも忘れていた」に似た表現である。
「優しさ」の意味を考えてきた尾崎が結婚こそ「終わりのない優しさのはじまり」と結論付けていることである。
このことは尾崎が「優しさ」とはどのよう位置づけていたかを読み解くヒントとなるのである。
I wanna marry you(結婚してほしい)
というプロポーズの言葉は
エンディング付近でコーラスに入れ代わり任せる形で尾崎は「Yes I do」という言葉で答える。
プロポーズ受けることを意味する言葉はこの曲でもっとも印象的なフレーズとなっている。2回繰り返されたあと、、次の節ではコーラスが半音上がり「Yes I do、Yes I do、Yes I do」3回繰り返される。メロディ的にも美しく、尾崎の声はやや低く力強く凛々しく深くこの曲でもっとも印象的な部分となっている。
。それは「過ぎ去った日よりも今は君のこと愛しているそれが俺の答えだから」と力強い詩ともリンクしている。短い言葉でこれほど印象深く意味を成すのは、たった一言が結婚という二人の運命を決定づける重要な意味を持つからだろう。
そしてこのような言葉をうまく曲に当てはめるのは彼の表現的なセンス、音楽的センス、詩のセンスがをここでも感じることがある。
この部分の詩
は実話エピソードからかかれたようだ。
そして奥様の証言から重要なことが2つわかる。
@「YesIDo」は尾崎豊の言葉を受けた奥様が答えた言葉である
A「YesIDo」は「 you promise me to never ever stop loving me in your life?(君の一生をかけて僕を愛すると約束してくれる?)」という問いかけを受けた言葉である。
考えすぎかもしれないが、曲に登場する「結婚してほしい」フレーズではなく、「一生かけて愛してくれるか」という問いかけをしているという点は「愛」を深く求め続けた尾崎たからこそ、見逃してはいけない部分なのかもしれない。
尾崎豊の奥様の繁美さん回顧によるとの以下のエピソードによる。
尾崎繁美さんの回顧記事より引用
『FRAU』2022.12.29の記事より引用
「Do you promise me to never ever stop loving me in your life?(君の一生をかけて僕を愛すると約束してくれる?)」と問いかけてきて、私は「Yes, I do(誓います)」と答えました。誕生日に買ってくれたダイヤの指輪を私の指からはずし、指輪にキスをしてから、改めてもう一度、左手の薬指にはめてくれました。 この誓いの言葉は、のちに発表するアルバム『誕生』の中にある『Marrige』という曲の「I wanna marry you」という歌詞の後の「Yes, I do」というリフレインとなっています。 あの時、教会の前で誓い合った、ふたりだけの大切なしるしです。」
この『MARRIAGE』はタイトルの通り結婚をテーマにしているが、幸せの象徴であるこの曲についても、彼の心の痛みと密接に関係した詩が包み隠さず表現されている。
「背負いきれぬ悲しみの数互いの笑顔の作り方
積み木のように重ねて過ごした」
「傷んだ心に君が泣かぬように」
「壊れた愛の傷跡が二人を悲しく包む
愛はとてももろいものだと」
この曲でも注目すべきは「優しさ」という言葉である。「手探りの優しささえも見つからくなる時に愛が冷めてしまいそうだから」これは、『ロザーナ』「お前は弱さを憎むようになり優しさの意味さえも忘れていた」に似た表現である。
「優しさ」の意味を考えてきた尾崎が結婚こそ「終わりのない優しさのはじまり」と結論付けていることである。
このことは尾崎が「優しさ」とはどのよう位置づけていたかを読み解くヒントとなるのである。
I wanna marry you(結婚してほしい)
というプロポーズの言葉は
エンディング付近でコーラスに入れ代わり任せる形で尾崎は「Yes I do」という言葉で答える。
プロポーズ受けることを意味する言葉はこの曲でもっとも印象的なフレーズとなっている。2回繰り返されたあと、、次の節ではコーラスが半音上がり「Yes I do、Yes I do、Yes I do」3回繰り返される。メロディ的にも美しく、尾崎の声はやや低く力強く凛々しく深くこの曲でもっとも印象的な部分となっている。
。それは「過ぎ去った日よりも今は君のこと愛しているそれが俺の答えだから」と力強い詩ともリンクしている。短い言葉でこれほど印象深く意味を成すのは、たった一言が結婚という二人の運命を決定づける重要な意味を持つからだろう。
そしてこのような言葉をうまく曲に当てはめるのは彼の表現的なセンス、音楽的センス、詩のセンスがをここでも感じることがある。
この部分の詩
は実話エピソードからかかれたようだ。
そして奥様の証言から重要なことが2つわかる。
@「YesIDo」は尾崎豊の言葉を受けた奥様が答えた言葉である
A「YesIDo」は「 you promise me to never ever stop loving me in your life?(君の一生をかけて僕を愛すると約束してくれる?)」という問いかけを受けた言葉である。
考えすぎかもしれないが、曲に登場する「結婚してほしい」フレーズではなく、「一生かけて愛してくれるか」という問いかけをしているという点は「愛」を深く求め続けた尾崎たからこそ、見逃してはいけない部分なのかもしれない。
尾崎豊の奥様の繁美さん回顧によるとの以下のエピソードによる。
尾崎繁美さんの回顧記事より引用
『FRAU』2022.12.29の記事より引用
「Do you promise me to never ever stop loving me in your life?(君の一生をかけて僕を愛すると約束してくれる?)」と問いかけてきて、私は「Yes, I do(誓います)」と答えました。誕生日に買ってくれたダイヤの指輪を私の指からはずし、指輪にキスをしてから、改めてもう一度、左手の薬指にはめてくれました。 この誓いの言葉は、のちに発表するアルバム『誕生』の中にある『Marrige』という曲の「I wanna marry you」という歌詞の後の「Yes, I do」というリフレインとなっています。 あの時、教会の前で誓い合った、ふたりだけの大切なしるしです。」
2022年09月12日
全ての尾崎豊の曲の読解のヒント
尾崎豊の歌詞を理解しようとするとき、彼は詞をかいているのではなく、詩を書いているということを前提にするべきです。すなわち、よくネットにてまわっている解説は表面上の言葉だけの意味を追って文章として、読解をろみてしまう、そうすると、詩としての理解をしていないものが多く見受けられる。
またもう一つ理解して置かなければいけないのは尾崎豊という人のパーソナリティ。彼パーソナリティはこの曲だけでなく、彼の書いた曲全てに落とし込まれており、すなわちこの曲単体で理解するよりも他の曲と対比しながら理解したほうがより正確に何がかかれていたか、方向性を理解することがてきる。
では彼が他の曲で書いていたことの根本はなにか。
それは断片的ではありますが以下のとおりだと思う。
尾崎豊が多く表現していること
優しさの意味
心の痛み
愛とは
愛への固執
真実の愛とは
社会とは
心の安らぎ
裏切り
心の葛藤
尾崎豊が表現していたと誤解しまいがちなこと
反抗ソング
カリスマ
社会への反抗ソング
悟っている
純粋なラブソング
尾崎豊にとって純粋なラブソングや社会へ反抗ソングなと殆ど無いのです。
これらを意識して曲を聞くとまつたく違うように尾崎豊が何を伝えたかったか、何について歌っていたかか見えてきます。
この見方聞き方が正しくないのかはあなたが判断してください。
またもう一つ理解して置かなければいけないのは尾崎豊という人のパーソナリティ。彼パーソナリティはこの曲だけでなく、彼の書いた曲全てに落とし込まれており、すなわちこの曲単体で理解するよりも他の曲と対比しながら理解したほうがより正確に何がかかれていたか、方向性を理解することがてきる。
では彼が他の曲で書いていたことの根本はなにか。
それは断片的ではありますが以下のとおりだと思う。
尾崎豊が多く表現していること
優しさの意味
心の痛み
愛とは
愛への固執
真実の愛とは
社会とは
心の安らぎ
裏切り
心の葛藤
尾崎豊が表現していたと誤解しまいがちなこと
反抗ソング
カリスマ
社会への反抗ソング
悟っている
純粋なラブソング
尾崎豊にとって純粋なラブソングや社会へ反抗ソングなと殆ど無いのです。
これらを意識して曲を聞くとまつたく違うように尾崎豊が何を伝えたかったか、何について歌っていたかか見えてきます。
この見方聞き方が正しくないのかはあなたが判断してください。
2022年08月31日
『LIFE』
アルバム『街路樹』収録。
このアルバム『街路樹』の制作は尾崎豊の体調や精神面が不安定だったこともおあり、難航し、発売もお蔵入りになりかけた背景がある。
そしてそのことは『街路樹』収録曲に影を落としている。
LIFEを見れば自
「ときを削る部屋で心を溶かした
乾いていたけれどテレビトと話せた」
まるで意味の通じない詞ではあるが、言葉の続きで
心の状態がつたんってくるような詞だ。幻覚、幻影、不安定、精神的な世界観がそれまでの作品とは違った世界にあることが
如実にあらわれている。
しかし、それが作品としてみたとき、決して台無しなることなく、新たな作風として成り立っているのは皮肉なものである。
とはいえ、この曲でも尾崎豊のキーワードは語られている。
「安らぎの始まりにいきること」
「君を信じてみた」「嘘を消すために」
このアルバム『街路樹』の制作は尾崎豊の体調や精神面が不安定だったこともおあり、難航し、発売もお蔵入りになりかけた背景がある。
そしてそのことは『街路樹』収録曲に影を落としている。
LIFEを見れば自
「ときを削る部屋で心を溶かした
乾いていたけれどテレビトと話せた」
まるで意味の通じない詞ではあるが、言葉の続きで
心の状態がつたんってくるような詞だ。幻覚、幻影、不安定、精神的な世界観がそれまでの作品とは違った世界にあることが
如実にあらわれている。
しかし、それが作品としてみたとき、決して台無しなることなく、新たな作風として成り立っているのは皮肉なものである。
とはいえ、この曲でも尾崎豊のキーワードは語られている。
「安らぎの始まりにいきること」
「君を信じてみた」「嘘を消すために」
2022年08月10日
『黄昏ゆく街で』
この曲は1988年尾崎豊が奥様(聡美さん)との新婚旅行をモチーフにした曲である。(当初のタイトルは『Mellow Night』おだやかな夜、優し夜)
『黄昏ゆく街で』の詩はまるで、小説か何かを読んでいるような風景描写があるが、同名タイトル小説『黄昏ゆく街で』が出版されており、この曲の小説的な描写はそのこととは無関係ではないだろう。(有名な話だがこの小説は編集者だった見城と尾崎の決裂により最終回が尾崎により人質とになりそのまま尾崎が亡くなったために未完となっている)
この曲のイントロも他のアルバム『バース』に収録曲同様にやや大げさなイントロから始まる。曲のイメージをあたかもきれいな美しいラブソングとうけとってしまいがちだが、バースツアーライブの録音音源で、もっとしっとりとしたイントロを聞いてしまうと、このイントロはやや失敗だったと感じざるを得ない。すなわちこのイントロでは、大恋愛のラブソングのイメージを受けなくもなく、本来持っているこの曲の意味合いや、魅力とは外れてしまう感じがするからである。
この曲も単なるラブソングではないことを最初に述べておく。尾崎の心の痛み、彼の愛への心の渇望、同時に、愛への執着心が見え隠れしている。
「悲しみも痛みも一筋の光まばたきに救われればいい」とは、尾崎が心の痛みから救われたと感じるのは一瞬のような儚い時間の間だったと推察される。
サビは「ベットの中で夢見るいつしか二人の心優しくなれると胸の痛みをこらえながら」
と『I LOVE YOU』と同じような歌詞になっているが、この曲でほ「胸の痛み」をはっきりと明言している。つまり、『I LOVE YOU』も詞にはなっていないが、背後には胸の痛みが絡んでいることは容易に想像つくのである。
「見つめていて僕だけのこと」とは尾崎にとって軽い言葉ではない。彼の愛に対する独占欲を知っている人にとっては、とても重い言葉である。
(同アルバム収録の『音のない部屋』でも「今は僕だけを見つめておくれ」と歌っている。)
有名な見城氏のエピソードにすべてのツアーに同行すると約束していた見城氏のたった一度の裏切りを「すべての愛が自分(尾崎)に向くまでは小説を人質にとります」と小説『黄昏ゆく街に』は未完となった。このエピソードでは尾崎の執念深さが伺い知れる。このような嫉妬深い尾崎が「僕見つめていて」という詩は重いのである。
この部分について奥様(聡美さん)の証言によるとニューヨークのベンチに奥様が「LOVE」ト掘ると尾崎は「me」と掘った。「LOVE」は愛だか、「me」をつけると「僕を愛して」となる。普通のやり取りかもしれないが、愛を枯渇する尾崎らしいエピソードともみることができる。
この曲も「バースツアー」で演奏されており
秀逸なライブバージョンをユーチューブできくことができる。有明コロシアムで『誰かのクラクション』をピアノで素晴らしい演奏をきけたように、この『黄昏ゆく街で』もアルバム収録の大げさなイントロよりも、しっとりと電子ピアノのイントロ手聞かせてくれる。名演と言っていいだろう。必聴である。
『黄昏ゆく街で』の詩はまるで、小説か何かを読んでいるような風景描写があるが、同名タイトル小説『黄昏ゆく街で』が出版されており、この曲の小説的な描写はそのこととは無関係ではないだろう。(有名な話だがこの小説は編集者だった見城と尾崎の決裂により最終回が尾崎により人質とになりそのまま尾崎が亡くなったために未完となっている)
この曲のイントロも他のアルバム『バース』に収録曲同様にやや大げさなイントロから始まる。曲のイメージをあたかもきれいな美しいラブソングとうけとってしまいがちだが、バースツアーライブの録音音源で、もっとしっとりとしたイントロを聞いてしまうと、このイントロはやや失敗だったと感じざるを得ない。すなわちこのイントロでは、大恋愛のラブソングのイメージを受けなくもなく、本来持っているこの曲の意味合いや、魅力とは外れてしまう感じがするからである。
この曲も単なるラブソングではないことを最初に述べておく。尾崎の心の痛み、彼の愛への心の渇望、同時に、愛への執着心が見え隠れしている。
「悲しみも痛みも一筋の光まばたきに救われればいい」とは、尾崎が心の痛みから救われたと感じるのは一瞬のような儚い時間の間だったと推察される。
サビは「ベットの中で夢見るいつしか二人の心優しくなれると胸の痛みをこらえながら」
と『I LOVE YOU』と同じような歌詞になっているが、この曲でほ「胸の痛み」をはっきりと明言している。つまり、『I LOVE YOU』も詞にはなっていないが、背後には胸の痛みが絡んでいることは容易に想像つくのである。
「見つめていて僕だけのこと」とは尾崎にとって軽い言葉ではない。彼の愛に対する独占欲を知っている人にとっては、とても重い言葉である。
(同アルバム収録の『音のない部屋』でも「今は僕だけを見つめておくれ」と歌っている。)
有名な見城氏のエピソードにすべてのツアーに同行すると約束していた見城氏のたった一度の裏切りを「すべての愛が自分(尾崎)に向くまでは小説を人質にとります」と小説『黄昏ゆく街に』は未完となった。このエピソードでは尾崎の執念深さが伺い知れる。このような嫉妬深い尾崎が「僕見つめていて」という詩は重いのである。
この部分について奥様(聡美さん)の証言によるとニューヨークのベンチに奥様が「LOVE」ト掘ると尾崎は「me」と掘った。「LOVE」は愛だか、「me」をつけると「僕を愛して」となる。普通のやり取りかもしれないが、愛を枯渇する尾崎らしいエピソードともみることができる。
この曲も「バースツアー」で演奏されており
秀逸なライブバージョンをユーチューブできくことができる。有明コロシアムで『誰かのクラクション』をピアノで素晴らしい演奏をきけたように、この『黄昏ゆく街で』もアルバム収録の大げさなイントロよりも、しっとりと電子ピアノのイントロ手聞かせてくれる。名演と言っていいだろう。必聴である。
2022年06月22日
見城氏らの尾崎豊特番について
ネットで配信された
尾崎豊に近かった見城氏、須藤氏、、田島氏、鬼頭氏らが集まって当時の尾崎豊のエピソードや思い出を語るという番組があった。
非常に貴重な証言が語られており、尾崎豊の実像を知りたいファン必聴の内容となっている。
(言葉は悪いが尾崎豊を別の意味で崇拝してしまっている方々は見ないほうが良いかもしれない。)
見城氏
.尾崎豊とは急に変わる人
.自動販売機になぐりかかり、ちだらけになる
.見ず知らずのカップルが自分のことを話していると錯覚し、急に叫びたした
この番組で語られている有名なエピソードとして
見城氏を尾崎豊は『黄昏ゆく街で』を人質にとり「あなたの愛が全て向くまで最終回を書かない」と人を困らせた。これは形は違えどもいろんな形で身近な人に行っていたようである。
須藤晃
「魔法瓶のお湯を自分でかぶってしまった」
.福岡事件
尾崎豊に近かった見城氏、須藤氏、、田島氏、鬼頭氏らが集まって当時の尾崎豊のエピソードや思い出を語るという番組があった。
非常に貴重な証言が語られており、尾崎豊の実像を知りたいファン必聴の内容となっている。
(言葉は悪いが尾崎豊を別の意味で崇拝してしまっている方々は見ないほうが良いかもしれない。)
見城氏
.尾崎豊とは急に変わる人
.自動販売機になぐりかかり、ちだらけになる
.見ず知らずのカップルが自分のことを話していると錯覚し、急に叫びたした
この番組で語られている有名なエピソードとして
見城氏を尾崎豊は『黄昏ゆく街で』を人質にとり「あなたの愛が全て向くまで最終回を書かない」と人を困らせた。これは形は違えどもいろんな形で身近な人に行っていたようである。
須藤晃
「魔法瓶のお湯を自分でかぶってしまった」
.福岡事件
2022年06月17日
2022年新発売尾崎のライブアルバムの新作(バースツアーの各曲のベストが収録)
「バースツアー」の未発表音源の中で、ベストボーカル・演奏を厳選して収録したライブルアルバムとなっている。
バースツアーの各曲のbestを収録というのだからファンであれば買わない理由はない。
■Disc-1
1.FIRE(1991/06/01 大阪厚生年金会館)
2.Driving All Night (1991/06/14 九州厚生年金会館)
3.十七歳の地図(1991/06/03 大阪厚生年金会館)
4.Scrambling Rock'n'Roll (1991/07/03 静岡市民文化会館)
5.僕が僕であるために (1991/06/25 倉敷市民会館)
6.ロザーナ (1991/09/28 長野市民会館)
7.きっと忘れない(1991/06/29 名古屋国際会議場センチュリー・ホール)
8.COOKIE (1991/10/25 代々木オリンピックプール第一体育館)
9.卒業 (1991/08/22 北海道厚生年金会館)
■Disc-2
1.Freeze Moon (1991/05/21 横浜アリーナ)
2.永遠の胸(1991/08/04 群馬県民会館)
3.太陽の破片 (1991/08/16 メルパルクホール広島)
4.誕生 (1991/07/15 福岡サンパレス)
5. I LOVE YOU(1991/09/24 新潟県民会館)
6.シェリー(1991/09/27 石川厚生年金会館)
7.15の夜 (1991/10/13 名古屋レインボーホール)
<CDアルバム情報>
LAST TOUR AROUND JAPAN YUTAKA OZAKI
2022年3月23日 発売
収録曲はこのようになる。
収録曲をざっとみた直感ではみるとアルバム『誕生』の収録曲をいれてほしかった。
どうも尾崎の代表曲に偏った収録になっている気がする。
たとえば『黄昏行く街に』『音のない部屋』『ロンリーローズ』など入れてくれたら涙でてしまったかも・・・バースツアーの尾崎はもはや10代の教祖ではなかったのだから。
しかし一方
意外にも
2Driving All Night (1991/06/14 九州厚生年金会館)
3.十七歳の地図(1991/06/03 大阪厚生年金会館)
4.Scrambling Rock'n'Roll
が非常に良い。尾崎のテンションは非常にコントロールされており、これぞ初期の名曲という演奏を聞かせてくれる。
バースツアーの各曲のbestを収録というのだからファンであれば買わない理由はない。
■Disc-1
1.FIRE(1991/06/01 大阪厚生年金会館)
2.Driving All Night (1991/06/14 九州厚生年金会館)
3.十七歳の地図(1991/06/03 大阪厚生年金会館)
4.Scrambling Rock'n'Roll (1991/07/03 静岡市民文化会館)
5.僕が僕であるために (1991/06/25 倉敷市民会館)
6.ロザーナ (1991/09/28 長野市民会館)
7.きっと忘れない(1991/06/29 名古屋国際会議場センチュリー・ホール)
8.COOKIE (1991/10/25 代々木オリンピックプール第一体育館)
9.卒業 (1991/08/22 北海道厚生年金会館)
■Disc-2
1.Freeze Moon (1991/05/21 横浜アリーナ)
2.永遠の胸(1991/08/04 群馬県民会館)
3.太陽の破片 (1991/08/16 メルパルクホール広島)
4.誕生 (1991/07/15 福岡サンパレス)
5. I LOVE YOU(1991/09/24 新潟県民会館)
6.シェリー(1991/09/27 石川厚生年金会館)
7.15の夜 (1991/10/13 名古屋レインボーホール)
<CDアルバム情報>
LAST TOUR AROUND JAPAN YUTAKA OZAKI
2022年3月23日 発売
収録曲はこのようになる。
収録曲をざっとみた直感ではみるとアルバム『誕生』の収録曲をいれてほしかった。
どうも尾崎の代表曲に偏った収録になっている気がする。
たとえば『黄昏行く街に』『音のない部屋』『ロンリーローズ』など入れてくれたら涙でてしまったかも・・・バースツアーの尾崎はもはや10代の教祖ではなかったのだから。
しかし一方
意外にも
2Driving All Night (1991/06/14 九州厚生年金会館)
3.十七歳の地図(1991/06/03 大阪厚生年金会館)
4.Scrambling Rock'n'Roll
が非常に良い。尾崎のテンションは非常にコントロールされており、これぞ初期の名曲という演奏を聞かせてくれる。
2022年05月17日
『贖罪』(しょくざい)−名も無い日々とは何か−
最後のアルバム『放熱への証』収録。
辞書によると「贖罪」とは「自分の犯した罪を償うために善行を積んだり金品をだしたりすること」という意味。一体尾崎が犯した罪とはなんだったのであろうか。
尾崎豊の著書の『普通の愛』にも後書きに「僕の犯した罪を告白します」というような記述がある。彼は生きること自体が罪を重ねることという意味で書いていたのだろうか。
覚醒剤という実罪はあるが、そのことについての内容ではないだろう。哲学的、宗教的なな人の生きる上で犯す罪を含めていみのタイトルだとおもう。そもそも、初期の『傷つけた人々へ』などからも自分が生きていく上で過ちを意識した内容の曲は作られてきている。
そしてこの曲に至っては直接的なタイトルとしている。初期の曲や、メジャー曲に比べるとこの曲は目立たないが、もともと尾崎が生きていく上で感じていた「人間の罪」と、死の直前の尾崎がいかに追い詰められていたか精神の状態にあったか、この曲は尾崎豊の「真実」を解明する上で大きな意味合いを持つ曲なのである。
死の影がちらつくラストアルバムの数曲にあっても、特にこの曲は特に尾崎の心理状況、孤独と心の闇が垣間見え、それらを読み解く重要な作品となっている。
イントロはリズムこそ軽快だが、メロディは無機質で荒廃した街のようなイメージのなか、尾崎は静かに歌い始める。
「静かに佇む色あせた街並み少しづつ言葉をなくしてく僕がいる」
ここでの「少しづつ言葉をなくしていく僕がいる」とは無言になるとか、その場の雰囲気に飲まれるとか、その場のことではなく、作品への言葉、尾崎にとって生きていく糧である詩、奪われていく自分ということ象徴しているといったほうが正しいであろう。『音のない部屋』の「音がなくなる」ということと同じように、ただ表面的な意味だけでなく、もっと生きる根本を失わされるようなの意味合いにとれる。
「無表情な人並みにまぎれこみ凍えてる」
結局一人に戻ったとき、感じる孤独、スターであり、家族もいて、愛すべき人もいる、にも関わらわらず、「街にまぎれこみ凍えている」のである。
次につづく「凍えた日差しにおびえてるそれだけさ」とあるが、ここがある種、尾崎豊の一つの本質なのである。つまりこの詞は嘘でもカッコつけでもなく、リアルな尾崎自身を描写している。生まれながらの逃れようのない心の痛みを「凍えた」と表現としている。
「寂しい心を優しく包むから」
「僕は知っていたこれが僕の暮らしだと」
この詞の「僕は知っていた」と、どこか他人を俯瞰しているようなこの詩はどこからくるのだろうか。この部分もまた聞き逃してはいけない重要な部分だ。誰しもみな、自分自身のことはすべて知っている。自分は
晩年の尾崎はもうひとりの「僕が知らない僕」というもう一人の自分と戦っていた節が見受けられるが、この詩もまた、そのことをがわかっているとすっと入ってくる。
「凍えた心に怯えているそれだけさ」
とは尾崎の、本質をあらわしている。これこそ嘘偽りのない尾崎なのである。我々はときに尾崎を教祖であったり反抗の象徴であったり、愛の伝道師のようなみあやまったことをしてしまう。彼は彼自身の心の闇に凍え、怯えているだけな男である。誤解をおそれずいってしまえば普通の人以下の部分があり、それが尾崎という人なのだと思う。
「孤独」なのか「安らぎ」なのか
という歌詞は恐らく、「孤独」は真逆の意味だが、「安らぎ」のあとの「奪われている」や「失われている」が略されている。そうするとその先の歌詞の意味が通じやすくなる。
つまり「孤独なのか安らぎを奪われている(失っている)のかこの暮らしになをつけるというのらなば」
そして「名も無い日々が理由もなく微笑む」という歌詞もそのことを前提にすれば「孤独や安らぎを奪われているこの名も無い日々が、理由もなく不気味に微笑み、孤独、安らぎのない暮らしを自分(尾崎)に強いている」というニュアンスだということが読み取れる。理由もなくとは「自分の感情から自然と湧き出る悲しみや孤独、安らぎのない心であり」それに理由などないのである。尾崎の心はそれらに支配をされていた。理由や原因などない、だからこそ苦しみは果てしないものだったことが想像できる。
また「名も無い日々が理由もなく微笑む」を読むヒントとしては
『核』に同じ表現がある。
「いつからかそれをさえぎる顔を持たない街の微笑み」と
この『核』の部分も読み解くことは非常に困難なのだが、尾崎のライブの別バージョンに
は「いつからかそれをさえぎる街の微笑み 殺意に満ちた街の孤独が俺をずっとみつめてた」と。
つまり、「名もない日々が理由もなく微笑む」とはこれと同じようないみがあったのではないだろうか。
「偽りを知るたび真実に戸惑う」
このフレーズは
尾崎の猜疑心を垣間見えさせる。
尾崎ノート『僕が知らない僕NOTE』には晩年もっと暗く苦しみを直接的に書いた詩が綴られている。この作品はその断片にすぎない。
この曲に「寂しい心を優しく包むから」と
ここでも「優しさ」という言葉を使っているが、このフレーズだけではこの曲の持つ悲しさは救われてはいない。
尾崎漠然とした将来への不安、そして、これからも変わらない自分自身との葛藤がつづくということをただ受け止めるしかない、そんな諦めの雰囲気がただよう曲である。
この曲では限りなくつづく日常の日々を「名もない日々」とよんでいる。日々の暮らしに名前をつけるという発想はいかにも尾崎豊らしい独創性のあるものである。しかしそれは
『自由への扉』でかかれていたよな「永遠に思えるような僅かな悲しみと暮らしはつづく」というような、悲しみの日々が尾崎豊の心には続いていたのではないだろうか。
youtubeの動画
https://www.youtube.com/watch?v=3t0NM6n5HiY
辞書によると「贖罪」とは「自分の犯した罪を償うために善行を積んだり金品をだしたりすること」という意味。一体尾崎が犯した罪とはなんだったのであろうか。
尾崎豊の著書の『普通の愛』にも後書きに「僕の犯した罪を告白します」というような記述がある。彼は生きること自体が罪を重ねることという意味で書いていたのだろうか。
覚醒剤という実罪はあるが、そのことについての内容ではないだろう。哲学的、宗教的なな人の生きる上で犯す罪を含めていみのタイトルだとおもう。そもそも、初期の『傷つけた人々へ』などからも自分が生きていく上で過ちを意識した内容の曲は作られてきている。
そしてこの曲に至っては直接的なタイトルとしている。初期の曲や、メジャー曲に比べるとこの曲は目立たないが、もともと尾崎が生きていく上で感じていた「人間の罪」と、死の直前の尾崎がいかに追い詰められていたか精神の状態にあったか、この曲は尾崎豊の「真実」を解明する上で大きな意味合いを持つ曲なのである。
死の影がちらつくラストアルバムの数曲にあっても、特にこの曲は特に尾崎の心理状況、孤独と心の闇が垣間見え、それらを読み解く重要な作品となっている。
イントロはリズムこそ軽快だが、メロディは無機質で荒廃した街のようなイメージのなか、尾崎は静かに歌い始める。
「静かに佇む色あせた街並み少しづつ言葉をなくしてく僕がいる」
ここでの「少しづつ言葉をなくしていく僕がいる」とは無言になるとか、その場の雰囲気に飲まれるとか、その場のことではなく、作品への言葉、尾崎にとって生きていく糧である詩、奪われていく自分ということ象徴しているといったほうが正しいであろう。『音のない部屋』の「音がなくなる」ということと同じように、ただ表面的な意味だけでなく、もっと生きる根本を失わされるようなの意味合いにとれる。
「無表情な人並みにまぎれこみ凍えてる」
結局一人に戻ったとき、感じる孤独、スターであり、家族もいて、愛すべき人もいる、にも関わらわらず、「街にまぎれこみ凍えている」のである。
次につづく「凍えた日差しにおびえてるそれだけさ」とあるが、ここがある種、尾崎豊の一つの本質なのである。つまりこの詞は嘘でもカッコつけでもなく、リアルな尾崎自身を描写している。生まれながらの逃れようのない心の痛みを「凍えた」と表現としている。
「寂しい心を優しく包むから」
「僕は知っていたこれが僕の暮らしだと」
この詞の「僕は知っていた」と、どこか他人を俯瞰しているようなこの詩はどこからくるのだろうか。この部分もまた聞き逃してはいけない重要な部分だ。誰しもみな、自分自身のことはすべて知っている。自分は
晩年の尾崎はもうひとりの「僕が知らない僕」というもう一人の自分と戦っていた節が見受けられるが、この詩もまた、そのことをがわかっているとすっと入ってくる。
「凍えた心に怯えているそれだけさ」
とは尾崎の、本質をあらわしている。これこそ嘘偽りのない尾崎なのである。我々はときに尾崎を教祖であったり反抗の象徴であったり、愛の伝道師のようなみあやまったことをしてしまう。彼は彼自身の心の闇に凍え、怯えているだけな男である。誤解をおそれずいってしまえば普通の人以下の部分があり、それが尾崎という人なのだと思う。
「孤独」なのか「安らぎ」なのか
という歌詞は恐らく、「孤独」は真逆の意味だが、「安らぎ」のあとの「奪われている」や「失われている」が略されている。そうするとその先の歌詞の意味が通じやすくなる。
つまり「孤独なのか安らぎを奪われている(失っている)のかこの暮らしになをつけるというのらなば」
そして「名も無い日々が理由もなく微笑む」という歌詞もそのことを前提にすれば「孤独や安らぎを奪われているこの名も無い日々が、理由もなく不気味に微笑み、孤独、安らぎのない暮らしを自分(尾崎)に強いている」というニュアンスだということが読み取れる。理由もなくとは「自分の感情から自然と湧き出る悲しみや孤独、安らぎのない心であり」それに理由などないのである。尾崎の心はそれらに支配をされていた。理由や原因などない、だからこそ苦しみは果てしないものだったことが想像できる。
また「名も無い日々が理由もなく微笑む」を読むヒントとしては
『核』に同じ表現がある。
「いつからかそれをさえぎる顔を持たない街の微笑み」と
この『核』の部分も読み解くことは非常に困難なのだが、尾崎のライブの別バージョンに
は「いつからかそれをさえぎる街の微笑み 殺意に満ちた街の孤独が俺をずっとみつめてた」と。
つまり、「名もない日々が理由もなく微笑む」とはこれと同じようないみがあったのではないだろうか。
「偽りを知るたび真実に戸惑う」
このフレーズは
尾崎の猜疑心を垣間見えさせる。
尾崎ノート『僕が知らない僕NOTE』には晩年もっと暗く苦しみを直接的に書いた詩が綴られている。この作品はその断片にすぎない。
この曲に「寂しい心を優しく包むから」と
ここでも「優しさ」という言葉を使っているが、このフレーズだけではこの曲の持つ悲しさは救われてはいない。
尾崎漠然とした将来への不安、そして、これからも変わらない自分自身との葛藤がつづくということをただ受け止めるしかない、そんな諦めの雰囲気がただよう曲である。
この曲では限りなくつづく日常の日々を「名もない日々」とよんでいる。日々の暮らしに名前をつけるという発想はいかにも尾崎豊らしい独創性のあるものである。しかしそれは
『自由への扉』でかかれていたよな「永遠に思えるような僅かな悲しみと暮らしはつづく」というような、悲しみの日々が尾崎豊の心には続いていたのではないだろうか。
youtubeの動画
https://www.youtube.com/watch?v=3t0NM6n5HiY
2022年05月13日
『きっと忘れない』
バース収録曲『きっと忘れない』。
息子の誕生と、自分自身のリボーン(生まれ変わり)を象徴したアルバム収録の『Bバース』とともに命の誕生を象徴した一曲。息子の誕生を歌った曲であることは間違いない。しかし単純なバースデイソングと受け止めてしまうとこの曲の意味曲の価値は半減してしまう。命の誕生
消して単純な、バースデイソングではなく、喜びでもある誕生ソングが、救いようのない悲しみにまみれているのである。
それはこの曲て尾崎は息子に対する思いを詩にしているが、〇〇のような人生は送ってほしくないというような表現があり、それは尾崎豊が普段感じていたであろう自身の人生への感情を読み取るひんとになっている。
例えば「探している優しさに君が包まれるように」
とあるが、尾崎が優しさを探していることがわかる。
「忘れられない心の痛みも悲しみも今夜全てを吹き消して」(吹き消すとは誕生日のバースデーケーキの蝋燭の火を消すとダブらせた表現であろう
)
とあるが、この詩から尾崎は心の痛みと悲しみと対峙していることがわかる。
タイトルがなぜ「絶対忘れない」ではなく「きっと忘れない」なのか。
この曲も単純な誕生を祝う明るいバースディソングだけではないことは、私のプログをやんでくれていればわかるだろう。
タイトルからして意味深であるし、「忘れられない心の痛みやかなしみも今夜すべてを吹き消して」など、悲しみを感じさせる歌詞を聞き飛ばしてはならない。
それを裏付けるように彼はコンサートでこの曲を紹介する前に「ニューヨークで辛かったときに書いた曲」というような趣旨でこの曲を紹介している。
息子の誕生と、自分自身のリボーン(生まれ変わり)を象徴したアルバム収録の『Bバース』とともに命の誕生を象徴した一曲。息子の誕生を歌った曲であることは間違いない。しかし単純なバースデイソングと受け止めてしまうとこの曲の意味曲の価値は半減してしまう。命の誕生
消して単純な、バースデイソングではなく、喜びでもある誕生ソングが、救いようのない悲しみにまみれているのである。
それはこの曲て尾崎は息子に対する思いを詩にしているが、〇〇のような人生は送ってほしくないというような表現があり、それは尾崎豊が普段感じていたであろう自身の人生への感情を読み取るひんとになっている。
例えば「探している優しさに君が包まれるように」
とあるが、尾崎が優しさを探していることがわかる。
「忘れられない心の痛みも悲しみも今夜全てを吹き消して」(吹き消すとは誕生日のバースデーケーキの蝋燭の火を消すとダブらせた表現であろう
)
とあるが、この詩から尾崎は心の痛みと悲しみと対峙していることがわかる。
タイトルがなぜ「絶対忘れない」ではなく「きっと忘れない」なのか。
この曲も単純な誕生を祝う明るいバースディソングだけではないことは、私のプログをやんでくれていればわかるだろう。
タイトルからして意味深であるし、「忘れられない心の痛みやかなしみも今夜すべてを吹き消して」など、悲しみを感じさせる歌詞を聞き飛ばしてはならない。
それを裏付けるように彼はコンサートでこの曲を紹介する前に「ニューヨークで辛かったときに書いた曲」というような趣旨でこの曲を紹介している。