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2022年05月17日

『贖罪』(しょくざい)−名も無い日々とは何か−

最後のアルバム『放熱への証』収録。
辞書によると「贖罪」とは「自分の犯した罪を償うために善行を積んだり金品をだしたりすること」という意味。一体尾崎が犯した罪とはなんだったのであろうか。
尾崎豊の著書の『普通の愛』にも後書きに「僕の犯した罪を告白します」というような記述がある。彼は生きること自体が罪を重ねることという意味で書いていたのだろうか。
覚醒剤という実罪はあるが、そのことについての内容ではないだろう。哲学的、宗教的なな人の生きる上で犯す罪を含めていみのタイトルだとおもう。そもそも、初期の『傷つけた人々へ』などからも自分が生きていく上で過ちを意識した内容の曲は作られてきている。

そしてこの曲に至っては直接的なタイトルとしている。初期の曲や、メジャー曲に比べるとこの曲は目立たないが、もともと尾崎が生きていく上で感じていた「人間の罪」と、死の直前の尾崎がいかに追い詰められていたか精神の状態にあったか、この曲は尾崎豊の「真実」を解明する上で大きな意味合いを持つ曲なのである。
死の影がちらつくラストアルバムの数曲にあっても、特にこの曲は特に尾崎の心理状況、孤独と心の闇が垣間見え、それらを読み解く重要な作品となっている。




イントロはリズムこそ軽快だが、メロディは無機質で荒廃した街のようなイメージのなか、尾崎は静かに歌い始める。

「静かに佇む色あせた街並み少しづつ言葉をなくしてく僕がいる」
ここでの「少しづつ言葉をなくしていく僕がいる」とは無言になるとか、その場の雰囲気に飲まれるとか、その場のことではなく、作品への言葉、尾崎にとって生きていく糧である詩、奪われていく自分ということ象徴しているといったほうが正しいであろう。『音のない部屋』の「音がなくなる」ということと同じように、ただ表面的な意味だけでなく、もっと生きる根本を失わされるようなの意味合いにとれる。

「無表情な人並みにまぎれこみ凍えてる」
結局一人に戻ったとき、感じる孤独、スターであり、家族もいて、愛すべき人もいる、にも関わらわらず、「街にまぎれこみ凍えている」のである。
次につづく「凍えた日差しにおびえてるそれだけさ」とあるが、ここがある種、尾崎豊の一つの本質なのである。つまりこの詞は嘘でもカッコつけでもなく、リアルな尾崎自身を描写している。生まれながらの逃れようのない心の痛みを「凍えた」と表現としている。


「寂しい心を優しく包むから」
「僕は知っていたこれが僕の暮らしだと」
この詞の「僕は知っていた」と、どこか他人を俯瞰しているようなこの詩はどこからくるのだろうか。この部分もまた聞き逃してはいけない重要な部分だ。誰しもみな、自分自身のことはすべて知っている。自分は
晩年の尾崎はもうひとりの「僕が知らない僕」というもう一人の自分と戦っていた節が見受けられるが、この詩もまた、そのことをがわかっているとすっと入ってくる。


「凍えた心に怯えているそれだけさ」
とは尾崎の、本質をあらわしている。これこそ嘘偽りのない尾崎なのである。我々はときに尾崎を教祖であったり反抗の象徴であったり、愛の伝道師のようなみあやまったことをしてしまう。彼は彼自身の心の闇に凍え、怯えているだけな男である。誤解をおそれずいってしまえば普通の人以下の部分があり、それが尾崎という人なのだと思う。

「孤独」なのか「安らぎ」なのか
という歌詞は恐らく、「孤独」は真逆の意味だが、「安らぎ」のあとの「奪われている」や「失われている」が略されている。そうするとその先の歌詞の意味が通じやすくなる。
 つまり「孤独なのか安らぎを奪われている(失っている)のかこの暮らしになをつけるというのらなば」
そして「名も無い日々が理由もなく微笑む」という歌詞もそのことを前提にすれば「孤独や安らぎを奪われているこの名も無い日々が、理由もなく不気味に微笑み、孤独、安らぎのない暮らしを自分(尾崎)に強いている」というニュアンスだということが読み取れる。理由もなくとは「自分の感情から自然と湧き出る悲しみや孤独、安らぎのない心であり」それに理由などないのである。尾崎の心はそれらに支配をされていた。理由や原因などない、だからこそ苦しみは果てしないものだったことが想像できる。

また「名も無い日々が理由もなく微笑む」を読むヒントとしては
『核』に同じ表現がある。
「いつからかそれをさえぎる顔を持たない街の微笑み」と
この『核』の部分も読み解くことは非常に困難なのだが、尾崎のライブの別バージョンに
は「いつからかそれをさえぎる街の微笑み 殺意に満ちた街の孤独が俺をずっとみつめてた」と。
つまり、「名もない日々が理由もなく微笑む」とはこれと同じようないみがあったのではないだろうか。




「偽りを知るたび真実に戸惑う」
このフレーズは
尾崎の猜疑心を垣間見えさせる。

尾崎ノート『僕が知らない僕NOTE』には晩年もっと暗く苦しみを直接的に書いた詩が綴られている。この作品はその断片にすぎない。

この曲に「寂しい心を優しく包むから」と
ここでも「優しさ」という言葉を使っているが、このフレーズだけではこの曲の持つ悲しさは救われてはいない。

尾崎漠然とした将来への不安、そして、これからも変わらない自分自身との葛藤がつづくということをただ受け止めるしかない、そんな諦めの雰囲気がただよう曲である。


この曲では限りなくつづく日常の日々を「名もない日々」とよんでいる。日々の暮らしに名前をつけるという発想はいかにも尾崎豊らしい独創性のあるものである。しかしそれは
『自由への扉』でかかれていたよな「永遠に思えるような僅かな悲しみと暮らしはつづく」というような、悲しみの日々が尾崎豊の心には続いていたのではないだろうか。

youtubeの動画
https://www.youtube.com/watch?v=3t0NM6n5HiY
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