この曲は1988年9月発売の同タイトルアルバムのトリを飾る曲。尾崎豊がニューヨークにいたときに書かれたとされる。
インターネットのファンの書き込みなどを読むと非常に人気の高い曲である。ただ、ポピュラーで浅い位置で「尾崎豊が好き」というよりはある程度尾崎の曲を聞き込んだ深い位置でファンがこの曲を好んでいる気がする。というのはこの曲は一般的代表曲『卒業』、『15の夜』、『I LOVE YOU』に隠れているからだ。
しかし、より成熟された詩の世界観、メロディ、ボーカルどれをとってもそれらにひけを取らない尾崎のキャリアハイともいってもいい傑作である。須藤氏のインタビューによると尾崎自身アルバム『街路樹』収録の曲について、「街路樹は(尾崎は)気に入っていたが、それ以外の曲はあまり気に行ってなかった。」とあり、この曲の出来に満足していたこともうかがい知れる。一方、尾崎自身はこの『街路樹』を作った時期を語ろうとしなかったと須藤氏の記述が書籍にはある。この時期に尾崎心の苦しみの闇が加速していった時期だということであろうか。
(実はアルバム『街路樹』は尾崎の声、心の状態も含めた理由で発売できるかできないかの瀬戸際であった。それが後述する別バージョンの存在理由にもつながる。)
『街路樹』このように人気のある曲である一方では歌詞の意味が理解しにくいというものもある。
というのも詩がイメージの言葉の連続で、文章としては意味が理解しにくくなっている。このブログではなるべくその部分に切り込めていけたらと思うが、私の憶測を含みつつ、それだけでなく、
正確な意味を撮るために原詩の掲載してある『NOTES僕の知らない僕』などをヒントに読み解いていきたいと思う。
はじめにタイトルの『街路樹』の曲タイトルに込められた意味を理解していると理解しやくすなるので説明する。
一つは尾崎自のノートに記されているように
「僕は街路樹のようにかた隅でそっと世間に
のみこまれ雑草のようにたくましく時には花を咲かせ君らの生きるさまを歌いだけだった」というものである。「君らの生きるさまを歌いたい」というものは、尾崎の生きる根本なっている重要な部分である。そもそも幼少の頃から周りと馴染めない部分があり、学生時代に歌うことに目覚めた尾崎は、歌うことで自分が救われたと語っている。それを裏付けるものである。また「街路樹」は尾崎自身のことということと同時に、街中の「人々の心模様」「錯綜する思い」を象徴するものとして描かれている。まずこの部分を前提に全体を理解するとわかりやすいだろう。
『街路樹』の歌詞に目を向けてみる。
出だしの
「俺は4時間も地下鉄の風に吹き上げられていた」とは尋常なことではない。しかしこの尋常ではない光景が尾崎の精神状態では起こりうることとなのかもしれない。出口のない、長い苦しみの時間、その心情を無機質な地下鉄の風に四時間も何の目的にもなくさらされ続けているシーンに重ねたのかもしれない。
「地下鉄の風」という言葉は『核』で登場するが、なにか荒廃、冷たいもの、そのような心を象徴するワードとして彼の言葉のリストの中にあったのだろう。
「昨夜見た夢の続きをみていた」
いうまでもないが、冒頭の歌詞の「夢」は寝ることによる夢であり、曲のクライマックスででる「夢抱きしめている君さ」の「夢」は違う意味合いである。
「甘えるのが下手なやさしさに似たロックンロール、誰一人抱きしめられず歌っている」
この詞は一見聞き流してしまいそうな何気ない詞だが、尾崎のパーソナリティ根ざした曲だということを示している重要な部分である。
「甘えるのが下手な優しさに似たロックンロール」とは一見すると意味不明な言葉であるが、これはすなわち尾崎豊が作詞作曲した楽曲の数々のことと考えるのか一番しっくりくる。「優しさ」とは、尾崎が一番大事にしていたキーワードであることは何度も述べてきたが、「優しさに似たロックンロール」と自分自身の曲のことを形容していることは自分の曲を自分の求めていた「優しさ」の象徴の一つと考えていたのかもしれない。「歌うことで心が救われていた」ということは「優しさ」に通ずるものが尾崎自身にあったのかもしれない。
度々尾崎の曲の中にはこのように「歌うこと」を
示した詩が何度も現れる。例えば『僕が僕であるために』では「この冷たい街の風に歌い続けている」と歌ってもいる。尾崎にとって歌を歌うことは自分の人生において重要な位置づけであったことがわかる。それは「金のため」でもなければ「他人のため」でもなく、最も大事なのは「自分の心のため、安らぎのため」であったのだと思う。
ここでは「誰一人抱きしめられず(曲を作り人々の心模様を)歌っている」のである。「誰一人抱きしめられず」とはどういうことなのか。それはどんなに愛すべき人が身近にいても孤独から逃れられない尾崎の心を示している。
この時期、日本からニューヨークへ舞台を移したが、結局、自分自身の寂しい心からは逃げられない。物理的に「誰一人抱きしれられない」ということではない。心が「誰一人抱きしれなれない」のである。たとえ愛すべき妻がいて、子供がいて、仲間がいても、尾崎の心は孤独で「誰一人抱きしめられない」のである。そして、それが尾崎自身はもう十分わかっていることである。
「お前はドアをけり開けて毎日とたずねた」
これは私の仮説だが、とあるが、彼女のことではないのでは。
尾崎の中にいるもう一人の自分のことではないだろうか。
どうもこの歌詞がひっかかっていて、「ドアを毎日蹴り開ける」というシチュエーションが不自然なきがする
「無神経にも心のドアをけり開けてくる」もう一人の押さえられない自分のことではないか???訪ねてこられても困る相手、もう一人の自分、ズケズケと心のなかに入ってくるもう一人の自分…ちがうだろうか??
1番にでてくる歌詞、「過ちも正しさも裁かれる」
2番に「yes と noを重ねた」表と裏、陰と陽、対極にあるものである。であるならば「ドア(心の)をけりあけて毎日たずねてくる」歓迎していないもう一人の自分。表と裏をにおわす他の歌詞。
「タイヤの上で夢中になった」とはこれも言葉のセンスである。
たった短いフレーズで、尾崎はこういうことができるのである。この才能もまたずば抜けている。
サビでのこの一節はこの曲「街路樹」というイメージを決定づける。
「足音に降りそそぐ心模様、つかまえて街路樹たちの詩を」
この曲の詩の意味は全体を通してイメージはつかめるが、正確な意味はとらえにくい部分が多い。
しかし、原詩と照らし合わせるとクライマックスの部分の理解は容易である。「見えるだろ 降り注ぐ雨たちは ずぶぬれで夢抱きしめている君さ」
尾崎は自分自身を第三者のように俯瞰して「君」と表現することがある。
ここでの「君」とは間違いなく、尾崎豊自身のことであり、
そして「ずぶぬれ」とは雨であると同時に「心」が痛んだ、悲しみでぼろぼろ、という意味を持つ。
(別の曲「虹」でも自分の心を同じように「ずぶぬれで雨が待つのをまつおいらさ」と表現している。また死後公開された遺書(彼の死とは直接的には関係ない時期に書かれた)には「痛み、ただ雨のごとし」という記述があり、この言葉からも悲しみの象徴として雨ということを使っていたことがわかる)
「夢」とは尾崎にとって「安らぎ」であり、「やさしさ」であり、「本当の自分にであること」である。
ぼろぼろに悲しみ、涙をながしながらその、自分の心を愛おしく抱きしめている姿がここでの意味ではないだろうか。
さらにそれを 読み解くヒント
『僕が僕であるために』の作成途中の詩に登場している(『僕が知らない僕』P84)
「夢はいつでも雨ざらし心の傷は言えぬままこんなに君を好きだけど明日さえ教えられないよ」
表現こそ違うが、同じようなニュアンスではなかろうか。
そしてサビのフレーズ
「足音に降り注ぐ心模様つかまえて街路樹たちの歌を」
尾崎ノートがまとめられた『NOTES僕の知らない僕』には
「街路樹」という言葉を使った詩が記されていた。
「僕は街路樹のようにかた隅でそっと世間に
のみこまれ雑草のようにたくましく時には花を咲かせ
君らの生きるさまを歌いだけだった」
そしてこの発表されている『街路樹』にはない記述が歌詞の一節の意味を読み解くヒントとなっている
すなわち
「足音に降り注ぐ心模様つかまえて街路樹たちの歌を」とは
「僕は街路樹のようにかた隅でそっと世間に
のみこまれ雑草のようにたくましく時には花を咲かせ君らの生きるさまを歌いだけだった」という思いがこめられていることも容易に想像がつくのである。
そしてその意味を「「足音に降り注ぐ心模様つかまえて街路樹たちの歌を」と表現しているのである。
(そう考えると冒頭の「やさしさに似たロックンロール誰一人抱きしめられず歌ってる」も矛盾せず重要な意味をもってくる)
結局、このようにしてみると『街路樹』は一見、言葉がイメージの連続で、日本語としては理解しにくい部分もあり、抽象的なことを歌っているように見え、「街路樹」がその街に植え付けてある樹と、街の人々の心とだぶらせているというニュアンスと、「君」という歌詞から、人々の心模様などを歌っている印象を片面での印象に多くのリスナーはごまかされてしまう。
しかし、もう片面を突き詰めていくと「君」とは尾崎豊自身のことであり、「街路樹」にたとえられた人々の心模様から様々な影響をうけ、傷つき、またその「生きるさま歌う」尾崎豊自身のことを歌っていることに他ならないのである。
(『僕が僕であるために』「この冷たい街の風に歌い続けてる」『風に歌えば』「たどり着く街で人の生き様歌うよ」と同じ表現を言い換えた詩であると考えれるが、『街路樹』ではその表現は詩的に完成された最高表現となっている。)
ただし、それだけではなく、二重の意味にもとれるような表現に覆いつくされており、それが街路樹という曲を装飾し、深みを増して、得体のしれない魅力をかもしだす雰囲気を作り上げているのである。
さらにまったく違うことを歌っているようで、じつはmysongともいえ、尾崎のパーソナリティに深く根差しているという意味で『僕が僕であるために』と共通する部分が多いのである。
エンディングではlalalaの大合唱で大団円を向かえる。(この部分は実際に100名近い参加者の一発どりに近い形であった。そしてギャラの支払いも即日行われた。)
その合間に聞こえる尾崎の叫びも必聴である。
(このlalalaのさびの部分は恐らく尾崎自身もかなりの出来栄えのメロディでアルバムを中心になるであろう
メロディであったことが作った当時からわかっていたからこそエンディングでそのまま「lalala」と残したであろうことが予想できる。(尾崎の作曲方法は「最初にラララでメロディを作る」ことから始めることがノート尾崎自身のノートに記されている)
私の結論
『街路樹』は尾崎豊自身が詩を書き、曲を書き人々の心模様を歌い奏でている、尾崎豊自身の生き様を歌ったものである
この曲の聴きどころ
すでに書いてきたように、尾崎の人生そのものを歌った詩、完成されたメロディもそうだが、
エンディングの街路樹たちの歌(人々の心模様)のような「ララララ」の大合唱、
5 分12秒過ぎに始まる尾崎のアドリブ、叫び声は絶対に聞き逃してはいけない。曲が終わる間近の5分40秒過ぎの「フゥーフー」というメロディをなぞる裏声も美しい。街路樹のサビのメロディ、オーケストラ、尾崎のアドリブらにより、街路樹はこれ以上にない完璧なエンディングを迎える。
それは尾崎豊の作品のある種の到達点のようである。
聞く日によっては、私は感情が高まり、特にエンディングのラララの繰り返しの大合唱と、尾崎の叫びを聞くとき、泣けてくるときがある。
何故か街路樹が泣けるのか。
それは尾崎の人生のがこの曲には色濃く投影されているからであるのだと思う。叶わなかった夢(こころの安らぎ、普通の愛、)、歌うことへ宿命、葛藤それが、垣間見れるからなのかもしれない。
尾崎が歌を作るのではなく、尾崎が人々の心模様を感じ、拾い出す、そんなふうにも聞こえる。
との、
『街路樹』他のバージョンについて
別バージョン
ラジオで放送されたバージョンがYou Tubeで出回っている。これはデモではなく、完成版のファーストバージョンである。このバージョンが録音され発売予定であったが、尾崎の逮捕などもあり、一旦お蔵入りとなり、その後現在のアルバム収録が公式バージョンが録音し直され、それが今出回っているアルバムバージョンである。バックミュージックの演奏はオリジナル版と同じだが、ボーカル、声質は『壊れた扉から』のややしゃがれた声質になりそれもあいなり、いい意味でラフな印象だ(このバージョンを聞いたあとにあらためてオリジナルを聞くとオリジナルの方はより丁寧に歌いこんで。「歌いこなれてている」ことがわかる。このバージョンはどことなくシェリーを思わせる歌い方をしている。)しかし、それがまたオリジナル版とは違った味をだしている。詩は同じだが一番の「降り注ぐ心模様」の歌い方が違ったりする部分は聞き所の一つだ。またエンディングは尾崎の「ラララ」がよりはっきり聞こえ、オーケストラが抑えられている。尾崎のアドリブも違い、聞き逃さないように、最後まで気が抜けない。合唱部分の音質もあいなって泣ける聞き所となっている。
この別バージョンの存在は散々聴きまくったであろう『街路樹』の新作に出会えるようなものでありフアンにとっては貴重なものでといえる。
ライブバージョンでは
有明、東京ドームがCDでは聞くことができる。
有明コロシアムのバージョンはピアノの演奏が秀逸で、また尾崎のパフォーマンスも生涯のベストライブパフォーマンスともいえるボーカルを聴かせてくれる。(有明ライブでの演奏時はアルバム「街路樹」は未発表)
エンディングはラララは省略されているが、よくまとまっている。
またユーチューブでは別日の演奏も聞くことができるので探してみるのもおもしろい。
東京ドームは有明に比べるとピアノの演奏が稚拙だ。途中でミスまで冒してしまう。
尾崎のボーカルは有明にもまして素晴らしいものがあるが、バックミュージックの盛り上がりにかける。
そしてCDバージョンでは最後の「ラララ」の部分が途中で切られてしまい、そのあとの尾崎の叫びと、
素晴らしい余韻がカットされているのである。
これはまったくいただけない。DVDなどではその全編が見れるので、必見だ。