しかし尾崎豊は別だ。彼の生き様は彼の紡ぎあげた詩、歌い上げた曲そのものだった。
彼自身のリアリティを歌い上げたというべきか。
例えば『街の風景』であらわした16歳の見た世界観は彼の精神を通じて見えていた虚像と、現実と、むなしさが入り混じるもので、その風景の中で彼は生きていた。『I LOVE YOU』や『米軍キャンプ』で語った物語は大人びた、映画にも出てきそうなすれた恋愛だった。
『傷つけた人々へ』は伊達でだた、美しく歌い上げたものではない、本当に彼は多くの人を傷つけた。
『核』で表現した荒廃的な世界観、怯えた心「死ぬために生きる」ような生活を送っていた。
忘れな草のように切なく激しい愛をつむぎ、『僕が僕であるために』のように誠実と自部自身との闘いのなか、また『街路樹』の歌詞のように人々の心、生き様を歌いあげていった。
彼の詩の中での悲しみや、苦しみはリアルな尾崎豊自身の悲しみや苦しみであった。
彼の本質になぜ興味があるか。それは彼の生き様は作品そのものだからである。
では巷にあふれているベールに包まれている感じや、表面的な情報を元にかかれたいい加減なネット上の情報をうのみにしてしまう。まとめサイトなど頼まれたライターが、拾い集めた情報たけで、尾崎豊を誤って語ってしまう。その最たる論点は不良、不良じゃないという点。尾崎豊の人物像にあまり重要とは私は思わない。
なぜなら人は誰でも思春期には多かれ少なかれ反抗期がある。尾崎豊もまた、反抗期に、15の夜や卒業といういわば尾崎豊像に多く誤解を与えるような名作を生み出した。
当時は、校内暴力や、不良の全盛期であり、尾崎豊自身、それらの世代の波に揉まれている中のひとりであった。
尾崎豊の本質は詩人であり、哲学的な思考をもちあわせていた(これは近くにいた音楽プロデューサー須藤氏の発言から)。
私も同感で尾崎豊は多くの未発表の詩を書きためていました。また自分自身との葛藤の中で哲学的な思考を身に着けたていった。
彼はなぜそのような詩を書き溜めたのか。これは彼の本当の人物像に直結する。それは生きづらく、愛情に固執し、寂しがりやであり、人を信じることができず、孤独を感じるという性質からきていた。彼は自分自身でもかたっていたように「自分で自分を救うために詩を書いていた、そして歌っていた」という趣旨も語っています。
彼の歌は苦しみと悲しみの多くが含まれていますが何に苦しんでいたか、その答えは学校でも社会でもありません。
それは自分自身に苦しんでいたのです。
彼は二面性を持っていました。
人は誰でも表と裏をもっているとおもいますが、彼の二面性はいわゆる通常の範囲を超えていました。
いうならば躁と鬱。ファンの前やスタッフの前では明るく振舞い、時にはギャグをいい(マネージャー鬼頭さんの証言)一方その裏では、突然落ち込んだり、暴れたり、裏切ったと人を疑いだしたり・・・
そしてそのこと自身かれは自分を取り戻した時に、なぜあんなことをしたのかと、後悔する・・・
しかしまた同じことを繰り返してしまう。自分ですらもう一人の自分をコントロールできなくなっていきます。
また、精神の危うさは、現実と妄想の区別もつきづらい状態にまでなっていた可能性も示唆しています。
『卒業』「幻とリアルな気持ち」『存在』「現実と夢の区別ぐらいはついていたはずだった」
【尾崎豊が求めていたのは愛と優しさと心の安らぎ】
どんなにお金を得ても名声を得ても、結婚し子供が生まれ愛すべき人に囲まれても尾崎豊心の安らぎを得られなかった。尾崎豊は愛にを求めていただけでそれだけに純粋であった。
【尾崎豊は人を試す【
尾崎豊は他人が一番自分に期待しているものを人質にとり「人に踏み絵を踏ませる」(見城氏の言葉を借りてます。まさにその通りだと私も感じているから。)
・見城氏に『黄昏ゆく街で』の最終回を人質にとる
・鬼頭マネージャー「コンサートはやらない」と直前で翻し深夜一度大宮まで帰宅したマネージャーを呼び戻す
・奥様(聡美さん)に対して「コンサートを中止して賠償金まみれにする」と脅す。
これは結局尾崎はどのよううな状況でも自分へ愛を向けるか、見捨てないかという究極野選択を迫っているのです。
尾崎はもう一人の自分に「僕の知らない僕」に特に晩年くるしみました。
ロックンローラーとして成功し、結婚もし、子供もでき、社会的には大成功した彼はその苦しみから解き放たれることなくなくなってしまいました。
彼の人物像はなかなか正確にはつたわってきませんが、ヒントは彼の歌の中にたくさんありますし、須藤さんや、見城三、奥様の証言、マネージャーの証言など、ヒントはたくさんかくされています。オブラートにつつまれた尾崎豊像も大分ネットなどで、わかるようになりました。しかし、冒頭でも述べたように、尾崎豊の曲を詳しく知っている人でさえ、不良か不良じゃないかレベルの認識の場合が多い気がする。
安易な誤った尾崎豊像のネット情報に惑わされないように。
そのことは尾崎豊の作品の本質にアプローチする一つのヒントとなると、考える。
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