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2021年01月11日

だれも教えてくれない『I LOVE YOU』の解説(本当の意味)

尾崎豊のファーストアルバム『17歳の地図』収録曲の『I LOVE YOU』について。尾崎豊の曲でもっとも有名で、尾崎豊の代名詞ともいえる曲である。この曲を書いた時尾崎は15歳とも1 歳とも言われているが、どちらにしてもおおよそ15、6歳の青年が書いた内容であることは違いない。
そのような印象を受ける『I LOVE YOU』であるが、歌詞の意味や、何について歌った曲であるか?ということを真剣に考えたことがあるだろうか。おそらく大半の人は「ラブソングてある」、「ILOVE YOU 」という意味でしょうとイメージから考えてしまうだろう。


にもかかわらず、曲の持つ意味を誤解している印象が大きい。いや、すべてを誤解とはいえないかもしれない。しかし、「I love you」と「愛している」という
だけの意味で理解しまっているのなら、この曲の深さを半分も理解していないといえるだろう。
このプログを読み終わった後に「ああそうだったのか」と思ってくれればうれしいものである。

1誤解してしまう理由
2決定的なヒント原曲『ベットの上のラブソング』
3この曲を理解する上での前提
(この曲のシチュエーション前提)
4この曲の表現を理解するうえでの重要なキーワード
「悲しい歌」とは
5これらを踏まえて「I love you」の意味とはなにを示しているか
6尾崎豊の持って生まれた悲しみ・さみしさを象徴するワード
疑問点(タイトルをなぜ意訳したのか)
7さらにI love youの読み解くヒントとなる『黄昏ゆくまちに』




1誤解してしまう理由
・「I love you」というタイトルにひきずられてしまう(後述しますが、本来のこの歌のタイトルは「ベットの上のlove song」であった。そして「I LOVE YOU」はその元のタイトルの意訳だと私は考えます)
・言葉が断片出来である(作詞されている過程.推敲されている過程で詩書き替えられ、省略されている。推敲を重ねる過程の原詩を見ることでその意味が紐解けます。)

これらのせいだと思います。


2この曲を理解する上での前提
(この曲のシチュエーション前提)
まず最初に述べておかなければならないのは、この曲の状況設定は、徹頭徹尾、最初から最後まで場面は「逃れ逃れたどり着いたこの部屋」の「ベットの上」の本当に限られた限定された場面設定ということことなのです。(明石家さんまが「きしむベットはエロい」といって笑いをとっていた場面を偶然テレビでみたことがありますが、実はこの曲の場面描写はベットの上に限定されていて、その場面を主題として歌った曲であることは理解しておかないとこの曲の意味がわかりにくくなります。)
そして一番この曲の主題、重要なのは「愛し合う二人がベットの上で奏でる二人のラブソング」であるということです。この前提がわかるとこの曲の持つ意味がいっきに紐解かれます。

3この曲を理解するうえでの重要なキーワード「悲しい歌」とは
この曲の二節目で唐突にでてくる「悲しい歌」とはなんでしょうか。「悲しい歌」とはこの曲の最重要キーワードの一つです。
おそらく多くの人がこの重要キーワードを聞き流しています。
ではなぜこの言葉が最重要キーワードなのでしょうか。
それはこの曲の持つ意味が「ベットの上のlove song」であり、つまりもっとわかりやすくいうと、「ベットの上で、交わることで、二人の体で奏でる「love song」」と表現しているからです。このことは『ベットの上のラブソング』というタイトルがなければ読み取ることはほぼ不可能な内容です。原曲のタイトルを知る重要性がこのことで十分示されているとおもいます。

ではその根拠を挙げるげていきます。
@『僕を知らない僕』には数多くの尾崎豊の原詩が掲載されています。その中でこの『ILOVEYOU』はもともと『ベットの上のラブソング』というタイトルで書き進められていた。

A原詩には数多く『Ilove you』の「love song」が登場する。
「こんなちっぽけなベットの上でlove song をかなでる二つの体」
「とても小さな夢のみじかいlove songただようものを」
「二人はそれでもlove songをうたい」
「ベットの上にきこえる歌ははげしくもえる 愛がかなでる 半分大人のlove song
 とてもかなしいさみしさの中愛を探している二人の歌」
※『半分大人のlove song』という詩から。これも『ILOVEYOU』の原詩の一つと思われる。

これらを見ていくと尾崎豊はもともとILOVEYOU の曲の大きなコンセプトは「ラブソング」をテーマにし、更に突き詰めて「二人の体で奏でるラブソング」というものを大まかにイメージして作品を固めていったということがよくわかります。その過程でラブソングを象徴するワードが「アイラブユー」であったわけで、けして、愛する人に尾崎が「アイラブユー」ト語りかけている曲ではないということが私の考察です。


A二節目で「いまだけは悲しい歌聞きたくないよ」とありますが、なぜ唐突に「悲しい歌」がでてくるのでしょうか。それは「ILOVEYOU」が「ベットの上のラブソング」を受けた歌詞と受け止めれば自然に理解できます。推敲を進めていくうちに「悲し曲」が原詩から残っていったということになります。
『ベットの上のラブソング』から推敲を重ねて、「ベットの上のラブソング」を詩をつくってきた作者本人の尾崎からすればごく自然なながれといえるでしょうが、リスナーからから見るとやや、唐突感があり、単にかなしみを「曲」と重ねているぐらいにしか意味が見えにくいものになっています。





そして最重要キーワードはサビにもう一度でてきます。
「悲しい歌に愛がしらけてしまわぬように」




これらを前提に考えると冒頭の「I LOVE YOU~」とは尾崎豊が恋人に対して言葉で言っていようでもありますが、実はこのラブソング全体を象徴するイメージのワードもあります。もっといえば、ベットの上で二人が愛し合いそこで奏でるラブソングのことを象徴しているとおもいます。つまり二人で奏でるラブソングが「iloveyou」であり、
あるいはベットの上有線かなにかできこえてくるラブソングのことかもしれません。
いずれにしろ、「I LOVE YOU」と言葉で直接尾崎豊が恋人にいっているというより、二人で奏でるラブソングという意味ととらえるたほうが自然と考えられます。




例えば冒頭の「I LOVE YOU~」とは尾崎豊が恋人に対して言葉で言っていようでもありますが、実はこのラブソング全体を象徴するイメージのワードもあるのです。つまり、「ベットの上で
「I LOVE YOU」を尾崎豊が恋人にいうというより、流れてきたラブソングとして受け止めるとずっと詞の世界が広がります。次に続く「悲しい歌ききたくないよ」の意味も通じることになります。

「何もかも許された恋じゃないから二人まるで捨て猫みたい」
「わかすぎるふたには触れられぬ秘密がある」という描写がこの曲のイメージをより深いものにしています。
そして、その恋が普通に成就するような恋ではなく、はかなく、危ういものだということも連想させられます。そのことこそが「悲しい曲」というイメージと重なる部分でしょう。
つまり「ラブソング」と「悲しい曲」が対比しているのです。


疑問点 タイトルを なぜIllove youにタイトルを変えたのか。

意訳でしょう。ベットの上で奏でるラブソング→ラブソングのフレーズというえば、ILOVEYOU
さらにILOVEYOUと相手に伝えるという意味も含めると・・
このように多くの人が誤解されているILOVEYOUと伝えるという意味は断片的な意味合いでしかないとおもいますし、尾崎豊が直接的に伝えているというのはむしろそぐわない(自然にきこえてくるLOVE SONGを象徴したワードという素晴らしい意味がかすんでしまう



尾崎豊の悲しみ、心の痛み




尾崎豊の原詩集『僕を知らない僕』によると
もともと『I LOVE YOU』は『ベットの上のラブソング』という題名で
書き進められたもののようでした。



この曲のタイトルの『I LOVE YOU』と、出たしの「「I LOVE YOU」からうける印象が強くなります。



多くの人が受けているこの曲についての誤解
.「I LOVE YOU」というタイトルからストレートなラブソングであると受け止めてしまう
.『I LOVE YOU』はそのものズバリ野タイトルではない→ベッドの上のラブソングを意訳したものである
.「I LOVE YOU」は尾崎豊言っている言葉ということ
.場面情景(この曲ではベットの上の一コマにしか過ぎない)
.詩の




しかしながら、この曲を正確に理解するなば、隠れたキーワードを「かなしい歌」に気づく必要があります。


それは実際に聴こえてくる「ラブソング」でもあり、二人でベットの上で奏でるラブソングでもあります。

『アイラブユー





I LOVE YOUは小説のような描写もありますが、直接な文書のはなく、イメージ的な詩の作品なのです。



歌詞にある
「いまだけは悲しい歌聞きたくないよ」
「悲しい歌に愛がしらけてしまわぬように」

という歌詞が『ベットの上のラブソング』そのタイトルだけでも意味がつながってきます。
また
『ILOVEYOU』といタイトルにひきづられラブソングの代名詞のように
思ってしまいますが、歌詞をよくみて聞いてみると違うのではと思っています。
ただ歌として発表された『ILOVEYOU』では解釈が限界があります。
原詩にふれることで意味やその背景がわかってきます。


もう一つ
尾崎豊にとって「やさしさ」とは特別な意味をもっていました。
尾崎豊の曲の中に何度「やさしさ」という言葉がでてきたでしょうか。
この
I LOVE YOUにも
特別な意味をもって「やさしさ」を使っていると思います。

ラブソングという形でオブラートに包まれていますが、
やはりこの曲も尾崎豊の心の根にある部分に触れることができる曲の一つで
間違いない曲です。
そういう意味でも文句のつけようのない名曲である。


『I love you』
尾崎豊といえばこの曲といった代表曲に切り込んで行こうとおもう。
タイトルこそ『I love you』だがストレートに君を愛しているという曲ではない。
ラブソングの象徴のように使われている

発表された「I love you」
推敲を重ね限られた言葉の中で語られるのだから仕方ないことだが、
これは間違いなくいえることであるが、
シンガーソングライターであり、また詩人
である。
明らかにレベルの違いの根源はそこにあると思われる。
曲の中だけでい味を探そうとすると限界がある。
(それで)

タイトルが一人歩きした曲で
あまりにも直接的で
照れさえ感じてしまうほどだ。


ベット上で二人で奏でてるラブソングとことだ

しかし消してストレートなラブソングではない。
そのヒントは「ベットの中のラブソング」
というもともとのタイトルにあった。
このタイトルを「アイラブユー」に変更したことはこの曲を単なるラブソング
もしベットの中のラブソングだったらより、情景伝わり、この曲のもつ価値描写をもっと多くの人が理解できたことだろう。
アイラブユーとしたのも尾崎豊ノ仕掛けともいえるが。聞こえてしまう。
たまたまかけていた曲か、きこえてきた聞こえてきたアイラブユーなのだ。



「アイラブユー」
もし尾崎豊が言っているののだとしたら
少し意味が通じない


アイラブユーと歌っているラブソングが聞こえてき情景を歌っている

ベットのうえのラブソング
「アイラブユー」と言っているのは尾崎豊ではなく、ラジオか、有線から聞こえてき聞こえてきたラブソングであるといえことだ。そのアイラブユーに気持ちを重ねている。

もっとも尾崎はライブで「アイラブユー」と観客に訴えかける場面がある これは尾崎豊ノ言葉として言っているのだろう


「アイラブユー」とい歌ううラブソンググがきこえてくる
そんな情景
その歌をベットの中で聴いている
と尾崎豊自信の声のダブルの意味

外から聴こえてくる街角のラブソングという描写

「アイラブユー」どこからともなくきこえてきた歌だとすれば次につつく歌詞

今だけは
悲しい歌聞きたくないよ

が意味が通じる
悲しい歌に愛が白けてしまわぬように

も意味が通じる。
もし自分たちがベットに入り聞いている曲がその場に合わない悲しい曲だった、別れの曲
選曲できないラジオか有線である可能性は高い。

6 I love youの読み解くヒントとなる『黄昏ゆくまちに』
「ベットの中で夢見るいつしか二人の心の優しくなれると胸の痛みをこらえながら」
似たキーワード


 
※なお著作権は私にありますので無断転用は固くお断りいたします

2021年01月10日

『ロンリーローズ』-曲の中では自由になれた尾崎の心-

アルバム『バース』にひっそりと収録された名曲。アルバムの流れの中では、この曲から1枚目のクライマックスに向けて盛り上がっていく。
「雨の日は二人で雨音に歌わせた」と、雨音からインスプレーションをうけた尾崎豊にしかかけない独創的な詞が印象的な名曲である。
この曲はアルバム『バース』における『忘れな草』(普通の愛と壊れゆく愛が語られる)の再来といもいえる。
普遍的なラブストーリーを詩に表しているように聞こえてしまうが、決してそうではなく、尾崎の憧れである心のやすらぎと、それが叶えられない苦しみが根底にありそれらをラブソング風にオブラートに包みこんでいる曲である。
ただそれだけでなく「見つめていると息もも止まりそうさ」

例えば「そうさ今夜また君にあえそうさ」は希望的な意味ではなく、逆の意味に聞こえてしまう。
「今夜またどこかで安らかに夢見るの」
今夜安らぐのは現実ではなく、夢の中、という歌詞は、夢の中でしか安らげない心を示しているのないだろうか。
『風の迷路』にも「さあもう深く眠ろう、真実よ安らかに」とあるが、ころころの尾崎は憧れであるのは心の安らぎであり、それを夢の中に求める詩が見受けられることほ見逃してはならない。
「今夜」や「昨夜」「夢見るの」など、夜と夢に安らぎを尾崎は象徴させている。


2節目に「グラスに滲んだ涙を飲み干して」
ある。これは「ふとした瞬間に自然に出てくる悲しさ、涙」に尾崎かさらされていることを暗に示している断片である。



尾崎の多くの曲の中で「優しさ」という言葉わはキーワードになるが、この曲では唯一、「優しさだけじゃ二人を包めないから信じているとだけ答えてよ」と書かれている。
尾崎にとっての「優しさ」はとても重い意味を持つが、裏切りを日常的に感じてしまう尾崎にとって「信じる」こともまた、同じぐらい重いことであるのと考えれば、優しさがかるんじられて歌われているわけではないと言えるだろう。


この『ロンリーローズ』はバースツアーでは演奏されなかったことになっているが、それは誤りである。音源が残っている。(ただし、バンドとしての正式な演奏ではなかったのかもしれない、尾崎のギターソロと、1番目の歌詞の途中で演奏からだ。即興でやってのか、それとも元々演奏予定だったのを中途半端にやめたのかは不明である)ライブバージョンの『ロンリーローズ』を聞けばこの曲が忘れな草と同じように破滅的な愛や、自己の性(サガ)をうたっているのは明らかである。


「やさしさだけじゃ二人をつつめないから」
の後の
「しんじて

「自由になれた心はまるで」
この詞は聞き流してしまいそうだが、
尾崎の願望が現れた詞であり、心の葛藤から生まれた部分で見過ごせなく、この曲のでももっとも胸につきささる詞の一つである。
「自由になれた心」
とは前向きで明るい言葉であるが、歌い方は声かすれ気味で弱々しい。逆の意味と、叶えられない願望の意味が込められていると感じざるを得ない。明るい意味の言葉が逆の意味、シュチュエーションを示し、表現しているのである。
その後につづく「」
歌っているときだけ、「自由」になれた心なのだろうか。

「雨音に打たれて安らかに夢見るの」
キーワード「安らか」
心の安らぎを求めていた尾崎の心情がこの曲にもやはりあふれている。


私は雨が降る日にふと、この曲を思い出して、胸が押しつぶされそうになる。
この曲のタイトル「ロンリーローズ」(孤独な薔薇)は詩に薔薇も、孤独もまったク登場しない。もし、この曲が単純なラブソングであるならばこのようなタイトルはつけないであろう。時に尾崎いや、すべてのアーティスは身近に見かけたものにインスプーレションを受け、タイトルなどをつけるので、そのようにつけたタイトルであれば、私の検証も検討ちがいになるが、もし意味があるタイトルだとすれば、一見華やかな薔薇でえるが、トゲをもち誰も寄せ付けない心をもつ孤独な尾崎自身を表したタイトルなのかもしれない。
この曲が『忘れな草』のように尾崎の破滅的な性分を歌ったことに近いと述べたが、くしくも忘れな草も植物をタイトルにし、『ロンリーローズ』もまた植物をタイトルに含めるという点で模尾崎の作品のイメージが近い一つの証に思うのだがどうであろうか。(植物がタイトルに入っているのはした曲はこの2曲のみである)

2020年11月21日

自由への扉

『放熱の証』の収録曲の2曲目。
前奏がなく突如始まるが、前の1曲目の勢いを緩和するアルバムの流れを意識して、
前奏を入れるべきだったのかもしれない。

この曲は非常にメロディの進行が非常に独特であるのにもかかわらず、そのくせ、へんな気持ちよさがある。
さすが尾崎豊と言わざるを得ない。

出だしの

「今夜素敵な夢描いて
自由への扉をひらいてみるのさ
きっとそこに信じていた全ての姿があるはず」

は妙にしっかり詩がぴったりはまっていて、何度も口ずさみたくなるメロディだ、

この曲で「夢を求めるかがやきなのさ」
人が生きている以上輝いていないといけない、燃え尽きる前の輝きの意味にどうしても聞こえてしまう。
まいっているひとが無理に輝こうとしたらどうなるか、死んでしまう。
フリーズンムーンの「俺たちは走り続けていかなければ」と同じ意味のはずなのに、別の意味に聞こえてしまう。


そして「自由への扉」とは一体なにを意味するのか。
ここでも二重の意味を持っていると思う。
自由とは、一見すると広い世界を描いているようだからこの曲もかなり、尾崎豊のパーソナルな自由を歌っていると思われる
「信じてじていた全ての姿があるはず」とはなにか。「自分らしさ」とも歌っている。




そしてこの曲は、尾崎豊の、こうあろうと生きてゆくべき夢と、現実にはそう行かない精神の葛藤が色強く描かれている

アレンジで明るいだが、
この時期の他の曲同様、この曲も例外なく
尾崎豊の苦しみ、悲しみに歌詞に断片が散らばっていると思う。

「だれかに手を差し伸べても悲しみだけが心彩る」
「裏切られても信じられることから」
「きっとそこに信じていたすべての姿があるはずさ」後半それでも弱気な尾崎が顔をみせる。しかし現実の尾崎は「永遠に思えるようなわずかな悲しみと暮らしは続く」
なのだ。


これらの言葉はラブソングを彩るために書かれた軽い歌詞ではなく、むしろ、これらを隠すために、すこしラブソングっぽい歌詞をいれているような気すらしま

今夜素敵な夢描いて
自由への扉をひらいてみるのさ
きっとそこに信じていた全ての姿があるはず

結局この歌詞は尾崎の憧れであり理想であったが、悲しいことに彼は生きているうちにここにたどり着けることはなかったのだ。


2020年08月01日

『僕が僕であるために』※書きかけ

ファーストアルバム『17歳の地図』収録。捨て曲なしの『17歳の地図』なアルバムのトリを飾っていることでも、歌詞、メロディともに尾崎豊を代表する曲であることは言うまでもない。また尾崎豊にとって原点ともなる部分が歌われており、尾崎豊を理解する上でもこの曲のもつ重要性は非常に大きい。

「僕が僕であるために 勝ち続けなきゃならない」
この印象的なサビのフレーズは短く、簡素な言葉にもかかわらず、難解である。このサビの「勝つ」意味をどうとらえるべきか。
単純に言葉を尻だけを、とらえては「清く正しく、何か他者という自分の意思をもって勝ち続けて清く正しく生きていかなければ」
と誤解してしまいがちだ(例えば最近テレビCM「YOU CAN」でこの曲のサビを歌われていて、このCMからはそのようなニュアンスで使われている)。

このフレーズを理解するには、尾崎の腎性と、他の詩を照らしあわし考察が必要なのである。
しかし、この曲は普遍的でありながら、実はもっと尾崎豊のパーソナルに深く根差した部分にあると思う。尾崎豊の曲には、尾崎豊のパーソナリティが他のだれでもなく、「尾崎豊」個人の体験や、経験、パーソナリティが落とし込まれている。

尾崎豊の曲には英語のタイトルもつけられており、この『僕が僕であるために』には
「My song」というタイトルが付けられている。言いえて妙というか、この曲の核心をついたタイトルである。

その中でも、ファーストアルバムは10代の時に作成された曲であり、後年の曲よりも、もっと深い尾崎豊の根本にある原点のようなものが感じられる。
とくにその中にあっても、最後を飾る「僕が僕であるために」は尾崎豊がこの曲にもっていた意味合いは押して図るものがある。


まず最初に言えるのは、タイトル英訳タイトル「MY SONG」とはいったもので、この曲をつくった10代の尾崎自身の半生、歩んできた道、パーソナルな自己告白なのである。

「こころすれ違う哀し生き様」いきずらい尾崎豊自身、小学生の時尾崎はいじめをうけていた。
「イケメンだから」というせ
歌うために生まれてきた(「うたっているときだけは精神が安らぐ」「自分を救うために歌う」)からこそ「僕は歌い続けている」といっている
タイトルである「僕が僕であるために」に続く
「勝ち続ける」意味である。
十代の尾崎が反逆のカリスマという間違ったレッテルからみれば、「他人に勝つ」という意味にとらえがちですが、僕は違うと思います。晩年の尾崎豊が戦っていたのは社会でも他人でも学校でもなければ、自分自身の精神との葛藤でした。もっともこの曲を書いた10代は晩年とは状況が違いますが、もっと潜在的にそれをかんじとっていた節がみえます。すなわち、「勝ち続ける」という意味は尾崎自身の精神の葛藤なんだと思います。他人ではなく、自分自身の抱えているもう一人の自分との。後期の曲の歌詞、尾崎が歩んでいった破滅への道、生き様とリンクさせて考えるといろいろ見えてくる気がする。

※『NOTES 僕の知らない僕』P247に「僕は僕自身に勝ち続ける」という記述あり。もっともこの記述は1986年ノートの一節であるのでこの曲との連動性は不明だが、尾崎の思考を読み解くヒントの一つともいえる。

原詩の冒頭には発表された『僕が僕であるために』にはない一節がある
「君の肩だきよせ やさしく くちづけても さみしさをかんじてしまう
夢はいつでも雨ざらし心の傷もいえぬまま」

この一節をみると尾崎の曲というのは尾崎の心の傷そのものなのである。
この曲がかかれたデビューアルバムからラストアルバム『放熱の証』まで一貫しているといえよう。
これが尾崎豊の曲の本質である。
(反抗や、社会へのメッセージを発するはむしろイメージ戦略でこの部分を故意にかくしていたのではないかとすらおもえてしまう)


2番で「君が君であるために」と歌っていますが、これも第三者リスナーという意味もありますが、
自分自身を「君」と置き換え、自分から自分へのメッセージのようにも取れると思いますが、
どうでしょうか。そうすると聞こえも全く違ってきますし、しっくりきます。
俯瞰して第三者の視点で自分に語りかけているのです。
(この方法は「酔いどれ」の中で「弱いやつだねお前ってやつは」と自分を「おまえ」と語りかけている
のと同じだと仮定します。)

尾崎豊をプロデュースしていた須藤氏の著書『尾崎豊覚書』の中で覚せい剤に手を染めた尾崎に対して「僕が僕であるために」と歌ったのは君自身じゃないかというような記述がありますが、まさにその意味は
自分自身に負けてしまった尾崎豊を叱咤激励することを「自分自身であるために自分自身に勝たなきゃならない」という意味でつかわているとおもいます。

そして最後の何気ない一説が泣けます。
「僕は〜歌い続けてる」
かれはインタビューの中で、「歌を歌っているとき自分の傷ついた心が救われたような気がした」
というい趣旨のことを語っていたことがあります。見城氏の言葉を借りれば「自分を救うために歌っていた
」ということでしょう。美しい歌を奏でれば奏でるほど彼の心は傷ついていたから、奏でることができた
と考えるとなんと哀しいことでしょう。
最期の「バースツアー」MCの中でも「どんなこんなにも負けず歌い続けることを誓います」といっている。
この曲もつ底知れないさみしさを感じる時、涙無くしては聞けない一曲だと思います。

尾崎豊の
「僕が僕であるために」
の歌詞の意味について。

「僕が僕であるために
勝ち続けなきゃならない」
ずっと意味が分かりませんでした。
「何に勝ち続けるのか」という点で、文字通りに受け取ると
社会は生き残るサバイバルなので、自分を保つために他者などの外的な要因から何からも勝たなければならにというような意味かな?とおもいましたが、なにかふに落ちません。

しかし後年のもう一人の自分に苦しみ、境界性人格障害ともいえる
ような精神不安定な状態や、躁鬱をわずらっていたような周りの証言や、
晩年の歌詞や尾崎が残したノートなどを見て、答えが見つかりました。

後年の「僕のしらない僕」での告白のように、
「僕が僕である」とはもう一人の人格に負けないように
「僕が僕に勝ち続けなければならない」(もう一人の自分の中の別人格に)という意味だということです。
それが「僕で僕であるために」必要なことだと暗に歌っているのではないか
ということです。

尾崎豊の僕か僕度あるめに
の意味を正確に理解することは非常に難しい曲です。またその部分も非常に難解です。なぜなら短いフレーズに並べられた言葉通りに受け止めると誤解が生じるからです。ではどうやってよみとくか、一つはその曲の前後から。しかしそれだけでも意味はわかりにくい。そこで、同じアルバムに収録された似たフレーズを持つ曲と、その原詩(尾崎の書き溜めたノートの本に収録)から読み解きます。
決定的なヒントは『傷つけた人々へ』の原詩のからよみとれるとおもいます。

『僕が僕がであるために』
誰がいけないと言うわけでもないけど
人は皆わがままだ
人を傷つけることに目を伏せるけど 優しさを口にすれば人は皆傷ついてゆく


『傷つけた人々へ』
愛という言葉なくても
一人で生きてくわけじゃない
小さなプライドなんかで傷つけあってもきっと君に優しさ戻るだろう

『傷つけた人々へ』の原詩
ひとはせつなに生きることに、おわれながら傷つけあうことを恐れれば
あのとき口にした真実とは逆へ向かってしまうことだってあるのかもしれない

これらから、
「優しさ」と「傷ついていく」は間逆なことですが、「優しさ口にすれば」したとしても「傷をつける」つもりではないつまり、「真実とは逆へ向かってしまうことだってあるのかもしれない」
というニュアンスのことだと私は推測します。
そしてそれは「ひとはせつなに生きることに、おわれながら傷つけあうことを恐れれば」=「傷つけることに目をふせるけど」から起きることだということではないでしようか。


またこの曲に類似の曲としては以外かもしれないが『街路樹』が挙げられる。
メロディではなく、歌詞の内容的に尾崎自身を歌っているという点で。

またこの曲のある種のこたえはアルバム放熱の証『太陽の瞳』に示されている。必聴である。



収録アルバム、ライブ演奏など
『17歳の地図』
『』


youtube動画
『僕が僕であるために』尾崎豊真実の解説
https://www.youtube.com/watch?v=mu5O9jutoWY

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