前奏がなく突如始まるが、前の1曲目の勢いを緩和するアルバムの流れを意識して、
前奏を入れるべきだったのかもしれない。
この曲は非常にメロディの進行が非常に独特であるのにもかかわらず、そのくせ、へんな気持ちよさがある。
さすが尾崎豊と言わざるを得ない。
出だしの
「今夜素敵な夢描いて
自由への扉をひらいてみるのさ
きっとそこに信じていた全ての姿があるはず」
は妙にしっかり詩がぴったりはまっていて、何度も口ずさみたくなるメロディだ、
この曲で「夢を求めるかがやきなのさ」
人が生きている以上輝いていないといけない、燃え尽きる前の輝きの意味にどうしても聞こえてしまう。
まいっているひとが無理に輝こうとしたらどうなるか、死んでしまう。
フリーズンムーンの「俺たちは走り続けていかなければ」と同じ意味のはずなのに、別の意味に聞こえてしまう。
そして「自由への扉」とは一体なにを意味するのか。
ここでも二重の意味を持っていると思う。
自由とは、一見すると広い世界を描いているようだからこの曲もかなり、尾崎豊のパーソナルな自由を歌っていると思われる
「信じてじていた全ての姿があるはず」とはなにか。「自分らしさ」とも歌っている。
そしてこの曲は、尾崎豊の、こうあろうと生きてゆくべき夢と、現実にはそう行かない精神の葛藤が色強く描かれている
アレンジで明るいだが、
この時期の他の曲同様、この曲も例外なく
尾崎豊の苦しみ、悲しみに歌詞に断片が散らばっていると思う。
「だれかに手を差し伸べても悲しみだけが心彩る」
「裏切られても信じられることから」
「きっとそこに信じていたすべての姿があるはずさ」後半それでも弱気な尾崎が顔をみせる。しかし現実の尾崎は「永遠に思えるようなわずかな悲しみと暮らしは続く」
なのだ。
これらの言葉はラブソングを彩るために書かれた軽い歌詞ではなく、むしろ、これらを隠すために、すこしラブソングっぽい歌詞をいれているような気すらしま
今夜素敵な夢描いて
自由への扉をひらいてみるのさ
きっとそこに信じていた全ての姿があるはず
結局この歌詞は尾崎の憧れであり理想であったが、悲しいことに彼は生きているうちにここにたどり着けることはなかったのだ。
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