『黄昏ゆく街で』の詩はまるで、小説か何かを読んでいるような風景描写があるが、同名タイトル小説『黄昏ゆく街で』が出版されており、この曲の小説的な描写はそのこととは無関係ではないだろう。(有名な話だがこの小説は編集者だった見城と尾崎の決裂により最終回が尾崎により人質とになりそのまま尾崎が亡くなったために未完となっている)
この曲のイントロも他のアルバム『バース』に収録曲同様にやや大げさなイントロから始まる。曲のイメージをあたかもきれいな美しいラブソングとうけとってしまいがちだが、バースツアーライブの録音音源で、もっとしっとりとしたイントロを聞いてしまうと、このイントロはやや失敗だったと感じざるを得ない。すなわちこのイントロでは、大恋愛のラブソングのイメージを受けなくもなく、本来持っているこの曲の意味合いや、魅力とは外れてしまう感じがするからである。
この曲も単なるラブソングではないことを最初に述べておく。尾崎の心の痛み、彼の愛への心の渇望、同時に、愛への執着心が見え隠れしている。
「悲しみも痛みも一筋の光まばたきに救われればいい」とは、尾崎が心の痛みから救われたと感じるのは一瞬のような儚い時間の間だったと推察される。
サビは「ベットの中で夢見るいつしか二人の心優しくなれると胸の痛みをこらえながら」
と『I LOVE YOU』と同じような歌詞になっているが、この曲でほ「胸の痛み」をはっきりと明言している。つまり、『I LOVE YOU』も詞にはなっていないが、背後には胸の痛みが絡んでいることは容易に想像つくのである。
「見つめていて僕だけのこと」とは尾崎にとって軽い言葉ではない。彼の愛に対する独占欲を知っている人にとっては、とても重い言葉である。
(同アルバム収録の『音のない部屋』でも「今は僕だけを見つめておくれ」と歌っている。)
有名な見城氏のエピソードにすべてのツアーに同行すると約束していた見城氏のたった一度の裏切りを「すべての愛が自分(尾崎)に向くまでは小説を人質にとります」と小説『黄昏ゆく街に』は未完となった。このエピソードでは尾崎の執念深さが伺い知れる。このような嫉妬深い尾崎が「僕見つめていて」という詩は重いのである。
この部分について奥様(聡美さん)の証言によるとニューヨークのベンチに奥様が「LOVE」ト掘ると尾崎は「me」と掘った。「LOVE」は愛だか、「me」をつけると「僕を愛して」となる。普通のやり取りかもしれないが、愛を枯渇する尾崎らしいエピソードともみることができる。
この曲も「バースツアー」で演奏されており
秀逸なライブバージョンをユーチューブできくことができる。有明コロシアムで『誰かのクラクション』をピアノで素晴らしい演奏をきけたように、この『黄昏ゆく街で』もアルバム収録の大げさなイントロよりも、しっとりと電子ピアノのイントロ手聞かせてくれる。名演と言っていいだろう。必聴である。
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image