この発言は尾崎豊が亡くなったことを知った見城氏と須藤氏がひっそりそ語り合った内容だとされる。
それを知った当時の尾崎ファンからはクレームの嵐がきたという。
この発言は真意はどこからきたのであろうか。
尾崎の二面性、躁と鬱
どちらの幅にも大きく振れてしまうそれは気分だけじゃなくて、
単なる仕事の付き合いを超えて、本当に人として信じられるか、愛せる人間かどうかを尾崎は「心を許した人」には徹底して試します
そしてその人と心の距離ものすごく近くまで入っていくのです。普通そこまでいかないだろうというぐらい
悪いい方をすると人との距離感の取り方が下手なのが尾崎だと思います
鬼頭氏が「尾崎に泣かれて抱き着かれた」というエピソードありますが、それが象徴するように、いったん「心の内」に入れると
感情に歯止めがつかなくなります。そしてそれだけの心の接近を感じた人は逃げるか、それとも徹底的に付き合うか、どちらかでしょう。
もっとも尾崎も「この人なら」という人を選んでいますから、徹底的に相手はつきあうのです。
その覚悟を決めた人は、当然尾崎に愛着心はでます。尾崎を愛していたというのは嘘偽りないことだと思います。
一方、尾崎の感情は愛情だけでなく、猜疑心、妬み、などものすごく深く少し背筋の凍るような一面もあるのです。
その感情を真正面から受けた見城氏や、須藤氏らは苦しみました。
そういった背景があれば、この「愛しているがゆえにホッとした」という発言につながると思います。
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