『NOTES僕を知らない僕1981-1992』という尾崎の詩を書き留めたノートがそのまま記録された書籍がある。
ところどころ須藤氏の簡素な解説が入るのみで原文のママ掲載されている貴重な書籍である。
アマゾンの口コミなどをみると「手書きでなければ…」「読み進めるのがしんどい」など以外にも辛口評価が多いが…
この詩は誰かに公開されることを前提として書かれたわけではない。彼の作品のアイデアノート、原詩の記録なのである。だから普通の本のようにストーリーがあって、何らかの結論、結末がある内容じゃない。そのため読み進めるのが辛くなる。尾崎豊の詩だとしても、言葉は断片的であったり、思考の羅列的な文書も多くけして楽しめるものでもない。しかしこの書籍の本当の価値は、普通の書籍のような一気読みでは本当の価値はでない。すなわち尾崎豊の曲を聞くときにその曲の該当する箇所を読み直すことで意味が入ってくる。いわば辞書、参考資料、原詩のでより言葉数が多く意味もより深く理解できる。
本当に貴重な資料である。掲載できない内容にも何がかいてあったのか、それは尾崎豊の心理状態を読み解く上でも、詩の意味を理解する意味でも非常に興味があるが、公開されることはまずないだろう。
それはともかくとして尾崎豊をより深くを知りたい人にはおすすめの一冊だ。このプログも、この本からかなりのヒントをえている。
参考までにアマゾンリンクを貼っておく。↓
2021年09月26日
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いつだったか、youtubeでやり取りをしたことあたかもしれませんね。
ブログ読んでくれてありがとうございます。
あなたからみた尾崎豊は像は僕は間違っていないと思います。
あなたは発達障害で、苦労をされているとのことですが、おそらく
そういった、その分その心の葛藤こそ、尾崎の作品の原点になって、またあのような
思考の原点になったものだと僕も感じています。
しています。わたし自身発達障害を抱えてるので、ゆたかを見ていて思い当たるふしがあります。わたしはADHDと自閉症スペクトラムの混合なので、人の表情とか言葉の裏
行間が読めないことがあります。それでたくさん苦労をしました。わたしもゆたかと同じように友達はいたけど、どこか入り込めないことがありました。高校生のとき、友達からどこか醒めてるよね、って言われたことがあり、そうかなあ、と答えました。就労移行支援事業所に現在通ってますが、まわりの友達が食べ物やそのほかの話をしてる時
みんな見えるものしか見ていないし表層的だ。って考えてる自分がいます。ゆたかの
ファンのわたしの友達にさえ
ほんとにゆたかをわかってると言えないと考えてしまいます。ゆたかのまわりの人はほぼ定型成長の人たちだと思う。障害を理解してたわけでもない。ゆたかの孤独はだれもわからなかったと思う。
ゆたかが苦しんでた時に
だれも手をさしのべてくれなかったことがゆたかを追いつめてしまったし、ゆたかのファンは自分の苦しみやつらさを解決してほしいとゆたかに
背負わせてくる。ゆたかはそれに対して、僕はミュージシャンで、神じゃないって言っていました。みんないまごろになってゆたかを天才だとか
偉大なミュージシャンだとかって言ってるけど、みんながゆたかを苦しめて、追いつめたから、ゆたかは死んでしまうしかなかった。それでもゆたかの魂は生きてるとわたしは思えます。