最初に述べておくとこの曲に登場する「小さなテーブル」とは新婚の尾崎が奥様と生活を始めるために購入したテーブルのことで、奥様(聡美さん)生活が色濃く反映された曲である。
聡美さんのの証言によると
「豊は「テーブルは暮らしの象徴」と言っていました。ふたりで愛がある家庭を築いていく……だからこそ、ふたりが一眼見て気に入ったグレーとブラックのコンビで傷がつきにくいものを選びました。テーブルを囲み、出来立ての料理を一緒に食べる、温もりある日々のために。」と
語られている。(『FRAU』2022.12.29の記事から引用。)
タイトル『音のない部屋』とは表面的には「彼女と別れもともと彼女と奏でていた生活音が一切なくなった、自分一人でたてる音以外ない部屋」というイメージであろう。同時に彼にとって「音のない」=音楽のない、詩がないという意味でとらえれば、尾崎とって生きる糧である音、詩がないとは、まさに生きる糧を失ったなったという意味にも捉えられる。
出だしのイントロは尾崎の曲には珍しく、歌謡曲のようなわざとらしい印象をうけるが、それはアレンジの影響が大きい。アルバム『バース』の編曲は、曲の中身と、アレンジ(特にイントロ)があっていない雰囲気があり(例えば『風の迷路。』)、また少し大げさなストリングを入れすぎているこの曲のような例もある。一方で『クッキー』のイントロは素晴しく、全てが悪いというわけでもない。)
イントロこそそのようなのようなわざとらしい印象を受けるが、実際のいざ曲が始まるとそのような印象はなくなる。
「風に吹かれて二人がくるまるジャケット、路地裏で見えない星の数数え」と出だしから受ける印象は『黄昏ゆく街で』と同じような物語調を思い浮かべる。
特にサビは
ダイナミズムと泣き、静寂とためが入り交じる。例えばサビは「二人だけの」「口を塞ぐような」「どんなふうに」と3回たたみかけるような素晴らしいメロディ構成であり、心を打たれる。
詞について、これは同時期の『たそがれゆく街に』のような物語風な語りと、独特の詞のセンスが光る。例えば出だしの「風をかばい二人がくるまるジャケット路地裏に見えない星の数を数え触れ合うと壊れてしまいそうな二人の唇は震えて」まで、字余りがなく素晴らしい詞を当てはめている。これは簡単なようで簡単ではない。出だしから尾崎の才能を感じる。
単なる失恋に関することだけでなく、尾崎が向かい合っている精神的な苦しみが垣間見える、生生しさを感じざるを得ない。
「音のない部屋」とはかつて彼女と暮らした部屋に、いまは彼女がいなく、自分のたてる音しかしない状況を示した詞であろう。同時に彼自身の精神にも、音がないという意味にも捉えることができる。そこしれぬ暗闇が垣間見える絶妙なタイトル詞である。
この『音のない部屋』のタイトルからもわかる通り、彼女はもうこの部屋にはいない。そして、過去と、幻と、もうひとりの自分を投影している歌詞がいくつも描かれているところには注目すべきであろう。
「思い出ばかりに微笑む君」
「君の幻を抱きしめていたい」
「鏡の中僕の知らない君」
「手探りで振り返るといつもの君が僕に甘える」(振り返るとは過去の暗示か)
にもかからず、エンディングで「二人の心は一つ」とは、どういうことか。この一行でこの詩を救おうとしたのだろうか?しかし、実際にはこの詩は取ってつけたよう印象しか与えられていない。むしろ途中の「笑顔を絶やしたくないから」は救いである。
そして彼のが詩人だと改めて認識する深い詩はエンディングで登場する。
「部屋明かりが落とす光と影それは二人の暮らし」
この曲のタイトルの「部屋」を登場させ、その「明かり」の「光と影」をを二人に重ねあわせているのである。
これは「光と影」男と女という対局なものに象徴させるのと同時に、二人の生活の「光と影」、同時に彼自身の「光と影」をも投影しているのである。そしてそれが「二人の暮らし」としているのである。
そして忘れてはいけないのはこの曲(その重要性についてはアイラブユーの解説に書いている)でも「優しさ」という言葉がキーワードにっている。「通り過ぎて行く日々に愛が「優しさ」だけを残せるなら」と。
この曲は単なる失恋ソングと受け取ってはいけない、尾崎の文学的な才能や、彼の作詞(詩)としての抜きん出た能力、商業的な意味ではなく、彼が生きるために紡いだ詩を感じることができる名作である。
youtube動画
『音のない部屋』尾崎豊真実の解説
https://www.youtube.com/watch?v=7bHVmxcHU1A
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