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2015年01月27日
★今が【デット・ポイント】だ! ここを突き抜けると、まだ見ぬ【新しい世界】にたどりつける!
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◆【再び疾駆〈憧れ・諦め・幻滅・自棄・絶望〉MEMO】――★昨日のこのページで「【雑念】が、複数、湧き上がり、精神のバランスが崩れ」「しばらく、HP&BLOGの更新ができなかった」と書いた。
【雑念】とは、ま、僕流にいえば【大きな寂しさ】【重い虚しさ】、畢竟【死の想念】か?
きっかけはいくつもあったが、「民主党代表選挙」も、そのひとつ(*^_^*)。
選挙の様子をニコ生で観るかどうか?
時間がなくてバタバタ、パタパタの毎日だったから、観るか観ないかは大問題。
僕は民主党支持者ではない。
だから、それほど関心があるわけではない。
しかし、岡田、あるいは細野が、どういう【勢い】で選出されるのか?
その【勢い】によっては【脅威】になるかもしれない……と思うと、やはりニコ生を観ざるを得なかった。
結果は、いわゆる党内左派がキャスチングボートを握る、単なる駆け引き合戦だった。
僕が恐れた【勢い】はカケラもない。
ホンマ、シンドイ選挙だった。
このシンドサが僕の【大きな寂しさ】【重い虚しさ】を誘発。
こういうのがいくつも――他は省略するが――ほぼ同時に重なった。
それらに対抗するように、僕は、学生時代以来の、モーツァルトの弦楽四重奏曲「狩」「不協和音」、弦楽五重奏曲第5番・第6番、ピアノ協奏曲第19番・20番・21番・22番・23番・25番・26番・27番……を聴きつづけたのかなぁ〜。
★画像=雨の街を放浪。雨に【自己のカタチ】が縁取られる感覚が僕は好きだ。
◆【学級通信】――★教育課程編成会議で「全体で改善策を検討する内容」の、その(1)=「授業に関する教師の基礎・基本の修業方法の改善」。
会議中の発言群から、方向を決める重要な発言と思われる、その一部を、アトランダムに示すと――
【1】研修(教師修業)の内容は、【授業技術】に限定。
【授業技術】を高めれば「日本の公立中学校は変わる!」という確信がある。
本校では、【授業技術】に限定して、1〜2年で【学校の質】がガラリと変わった。
しかし、まだまだ未熟だ。
参観日の保護者による「授業アンケート」からは、保護者の【プロへの感嘆!】が感じられない(*^_^*)。
生徒による「授業評価【3項目5段階】」は、【5=80%】をめざしているが、現時点では平均すると50%〜60%にとどまっている〈註1〉。
ゆえに新年度も【授業技術】限定方針を継続する。
【2】【模擬授業】方式を継続して採用する。
経験的に、【授業の技術】というものは、なかなかむずかしい。
簡単に上達するものではない。
修業を開始したあたりは、階段を昇るように上達する。
トレーニングと同じだ。
しかし、やがて壁が立ちはだかる。
練習曲線でいうところの【踊り場】【プラトー(高原状態)】
マラソンの【デット・ポイント】。
本校が今、この【デット・ポイント】かもしれない。
【5=50%〜60%】と【5=80%】の間の絶壁。
ここを突き抜けると、僕らがまだ見ぬ【新しい公立中学校】に出会える。
くわえて、【ストップモーション方式】か? 【模擬授業方式】か?で、議論があった。
「上達」のために、これまで、いろいろな修業を試みてきた。
その中で、この2つはたしかに効果が高い。
僕らが熟慮の結果、【模擬授業方式】を継続することにしたのは、模擬授業が、模擬授業をやる本人だけでなく、学校全体の技術も向上させる……という点で【ストップモーション方式】を上回っていたからだ。
〈註1〉=「生徒による授業評価【3項目5段階】」は、スタート時は【5=40%以下】だったから、これでも徐々にアップしてきたことになる。
なお、【5=90%以上】の評価をゲットする教員も2〜3人いる。
ちなみに、僕の最高値は78%だ。
僕はこれが限界か?
(研修論議はまだ中途だが、きょうはこれで終わる。【つづき】は次号で。)
★画像=石破T(理科)の模擬授業(冬期休業中実施の模擬授業大会から)
天秤ばかりの左右にスチールウールをぶらさげ、一方に火をつける。
燃えて質量がなくなるスチールウールのほうが重くなるという実験を見せる授業。
燃えて小さくなったのほうに、はかりが大きく傾いたところで、生徒役教師のほうから「オォー!」と歓声があがった。
実験を見ながら、生徒は、【疑問をもつ】・【思考する】・【結論を出す】……と、いろんな【作業】をしていることになる。
ダイナミックさに感動した。
僕の国語にも取り入れたい。
★さらに詳細な情報は僕のホームページへ!
2015年01月26日
★1度の【評価】で人間を決めつけるヤツがいる!
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◆【再び疾駆〈憧れ・諦め・幻滅・自棄・絶望〉MEMO】――★しばらく、HP&BLOGの更新がまったくできなかった。
まったくできないほどの、何か、具体的な事態に遭遇したわけではない。
僕のうちに、ちょっした【雑念】が、複数、湧き上がり、精神のバランスが崩れてしまった。
僕も、意外と弱いものである(ノ△・。)。
更新ができない間、モーツァルトのCDばかり聴いていた。
弦楽四重奏曲「狩」「不協和音」、弦楽五重奏曲第5番・第6番、ピアノ協奏曲第19番・20番・21番・22番・23番・25番・26番・27番……。
モーツァルトは、学生時代、書き疲れたときによく聴いていた。
ひさしぶりである(^_^)v。
★【知的に育てる】(←教育に携わる僕のトップテーマ)。
煎じ詰めれば、その人間がどんな「話題」に興味をもっているか? Aそして、それに対する「こだわり度」はどれくらいか?……ということだ。
3年3組が〈帰りの短学活〉でやっている「今日のニュース」的なものも有効か?
★生徒指導部「2月の指導の重点」=「@あいさつ・ことば遣い・服装(髪)などの指導の強化」。
指導のための規準&基準、いってみれば【ルール】が必要だ。
この【ルール】を【すぐれた教育思想】にまで高めることができるかどうか?
これが力のある学校とそうでない学校との差だ。
【ルール】をとおして【知的に育てる】。
その際、こういう場面ではこうするものだという「カタチ」から入ることも大切だ。
この「カタチ」については、僕ら教職員も同じだ。
★画像=きょうの昼食。
◆【学級通信】――★生徒朝会。
きょうの発表は、生徒会給食委員会の番。
体育館のステージで、寸劇を取り入れながら、ざんさいや牛乳パックの正しい処理の仕方を学習しようというもの。
演技も上手だったし、アナウンスも驚くほどしっかりしていた。
寒さを忘れて見た。(撮影も忘れていた(ノ△・。)。撮影すべき、いい場面がいくつもあったのに、ホンマ、残念。)
「自分の考えを表現する能力をアップすること」は日本の中学生の大きな課題だ。
子どもたちのエネルギーはあふれるほどにある。
3学期はじめのコメントで――
《「はっきりとしたカタチ・方向を与えてくれぇ〜!」といっているエネルギーが、今、みなさんひとりひとりのなかに充満しています。
長い人生の中で、今、いちばん、そういうエネルギーが充満してる時期でしょう。
そのエネルギーに強いカタチを与える決断。
この決断から逃げないようにしよう。
決断して、こんなこともやってやろう、あんなこともやってやろうと、どんどんチャレンジしていく時期です。》
――と、述べた。
その【充満しているエネルギー】に、子ども本人が【決断】し【はっきりとしたカタチ・方向】を与える場合と、僕ら教師が――いってみれば、ヒットエンドランをしかけるように(ある意味、強制的に)――カタチ・方向を設定してやる場合とがある。
本日の【生徒朝会の設定】は後者に分類できる。
学校教育というのは、【後者】が【前者】を促すように設計するのが理想だ。
★主任会(1/21・3校時)で、今、やや精神的に不安定な状態にある1人の生徒について話し合った。
内容は、ま、いってみれば、具体的な処遇方法・対処方法――すなわち、目標の設定、指導プログラムの確認、処遇&対処法のルールの確認等――という技術的な話だったが、その過程で、指導する僕らの側に対して、下図に示すような【教師の人間性】が話題になった。
「品性」があり、かつ子どもに「やさしくあたたかい」教師「A」というのは最高だ。
しかし、これがなかなか(もちろん、自分も含めて)むずかしい。
僕も「A」までには、う〜ん、もう絶望的と断言していいくらいの距離がある。
だから、まず、真摯に自らをふりかえる。
「B」なのか?
「C」なのか?
「D」なのか?
「D」だとすれば、どのあたりの「D」なのか?……を見極める。
まず、この「見極め」が大切ではある。
そのうえで「A」に近づく努力をする。
が、しかし、それだけでは不十分。
その【見極め】は、いってみれば【自己感覚】に過ぎない。
だから、自らふりかえり「見極め」るとともに、学年というチーム(組織)を生かし、【互いに批正】し合い、「A」に近づく努力をする。
そのリーダーシップを取るのが学年主任だ……というような文脈の話だった。
★たまたま、少し前の『現代教育科学』を開いたら、有田和正氏が「人間性と教育技術」について次のように書いていた。
有田氏はいう――
《人間性のよさと、技術をもっている人のどちらを上とみるかむずかしい問題である。
人間性がよければ、素直であれば、他人の意見や注意をよく聞き入れ、技術は身につきやすい。
しかし、技術があり、知識が豊かだが、人間性がよくないのは、教育がむずかしい。
人間を変えることはむずかしいものだ。
子どもでさえ、性格のねじれた子どもを教育するのには手をやく。
一筋縄ではできない。
まして、教師ともなれば、よほどの手をうたなければ、人間性を変えることはむずかしい。
そこで、少し知識は足りないが、人間性のよい人を採用して、教育して技術・知識を身につけされるほうがやさしい。(中略)》
有田氏はつづける――
《わたしが考えている技術(最低これだけは身につけたいというもの)は、発問・指示のしかた、板書のしかた、資料作成・提示などの活用のしかた、話し合いのさせ方、話術・表現・パフォーマンス等の技術、の5つである。
これをまとめていうならば「対応の技術」といえる。
子どもと授業するのだから、子どもとの対応の技術であることはいうまでもない。
これらの技術を、具体的な授業を通して身につけていく方法を考えなければならない。
名人の授業を見て学ぶのもいい。
しかし、見てもその通りにはできない。
「目習い」はできても、それを具体化する「手習い」は、自分でやるしかない。
やってみなければ身につかないのが教育技術である。
これは少し意図的にやれば、人間性の向上などに比べれば、早く身につく。》
有田氏の結論――
《子どもたちが嫌う教師がふえているという。
技術はあり、教え方は上手なのだが、どうも先生が嫌い、先生のやり方がいやだ、という子どもがいる。
人間性に問題がある教師だ。
この教師をどう変えるのか、至難の技である。
子どもが好きな教師、子どもを好きな教師になることは本人の努力もさることながら、外からのサゼストも大事だ。
要は、このサゼストを聞き入れる教師を育てることだ。》(有田論文引用以上)
★僕の記述と有田氏の記述について5点、粗く、箇条書き的に述べる。
【1】
まず軸のとり方が違う。
有田氏の「人間性」を、僕はさらに「品性」と「温かさ」に分けている。
【2】
人間性を変えることは「むずかしい」という認識は共通している。
しかし、有田氏は「人間性に問題のある教師を変えるのは至難の技」と述べ、僕は「むずかしいけれど、なんとでもなる」と思っている。
この点は大きく異なる。
僕は(僕の図で)――
D→Aは確かにむずかしい。
しかし、D→C、あるいはD→Bはなんとかなる。
やがてはB→A、C→Aも可能になるのだと信じている。
人間は変われる。
人間は変わる。
話が少しそれるが、世の中には、相手を一度【評価】したら、ずっと、その【評価】を変えない人がいる。
アマイ僕は、そんな人がいるはずがない……と考えていた。
ところが、このまでの人生で、そういう人が【いた】のである。
1人や2人ではない。
たくさん【いた】のである。
そういう人には、僕は一度【×】と評価され、今でも、ずっと【×】のままなのだろう。
残念だ(ノ△・。)。
しかし、悪いのは僕なのだから仕方がない。
でも、それはもういい。
僕は――くりかえしになるが――【人間は変われる】と考えている。
【人間は変わる】と考えている。
【3】
有田氏の「(人間性に問題がある教師について)本人の努力もさることながら、外からのサゼストも大事だ」は、まったく同感。
「サゼスト」=suggest
意味は――
・提案する
・暗示する
・示唆する
・それとなく言う
・思いつかせる
・連想させる
僕は「学年主任は、そのリーダーシップを取ること」と書いたが、この「サゼスト」のリーダーシップを取るということだ。
【4】
話はまったく変わるが、授業の(超)名人・有田氏から「最低これだけは身につけたい」という「技術5点」を聞き出せたのは大収穫!
・発問・指示のしかた。
・板書のしかた。
・資料作成・提示などの活用のしかた。
・話し合いのさせ方。
・話術・表現・パフォーマンス。
【5】
今、人間性に関する有田氏との認識の違いをこれ以上突きつめるつもりも余裕もない。
ただ、【これが「品性」のポイントだ】、【これが「やさしさ・温かさ」のポイントだ】と思っているものはある。
きょうは後者だけを示す。
〈「やさしさ・温かさ」のポイント〉
毎度、毎度、提示する図だ。
対象の生徒と一体になれているか?
もし、なれていないとすれば、自分はどうすればいいのか考えよう。
その生徒の味方になれているか?
もし、なれていないとすれば、自分はどうすればいいのか考えよう。
これは教師も親も同じだ。
★さらに詳細な情報は僕のホームページへ!
2015年01月18日
★ひとりの男の子の音読を聞いて僕はボロボロと泣いた
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◆【再び疾駆〈憧れ・諦め・幻滅・自棄・絶望〉MEMO】――★けさも【学校モノ】の夢を見た。美しい青空と白い住宅街が見える教室で、僕はひとりの男子生徒の音読を聞いていた。(音読テストだったのかもしれない。)その音読内容に感激してボロボロと僕が泣いている。
夢から覚めて、夢の中では気づかなかったことに気づいた。
教室にいる中学生たちの存在が、森林浴の樹木の香り、枝葉と木漏れ日の揺らぎ、小鳥のさえずり、水のせせらぎに似た、快適感を僕にもらたしているのだ。
音読もよかったが、この【森林浴】効果が僕を泣かせた。ショッキングな自覚である。
★浅田真央、今年4月にも現役復帰か?(ドアスポ vol.2572)。僕は【復帰は絶対にない】と断言してきたので、もし、このニュースのとおりだとすれば、大ハズレである(*^_^*)。
【中学生】のそばにいないと細胞が枯渇する僕と同じように、浅田真央にはスケートが絶対に欠かせないのかもしれない。やるなら村主章枝のようにボロボロ(スポンサー契約一切なし)になるまでやってほしい。
★画像=志賀直哉旧居(奈良市の高畑町)。今年の僕の【肉体労働】はDAKA古書店跡の庭をこのようにすることだ(^_^)v。
◆【学級通信】――★今、サムライ中では、【清掃時間】の【音楽】をどうするかを検討している。
次は、昨年末、保健部清掃担当の八重Tから出たアンケートとその結果だ。
《【清掃時の放送】について、ご意見をお聞かせください。
清掃態度点検週間が終了します。
期間中、音楽を流さないでやってみましたが、いかがだったでしょうか。
今後、放送をどうするか検討したいので、以下のご質問にお答え下さい。》
(1)音楽がない状態での清掃はどうだったか、○で囲んでください。
@よかった=〈75%〉
Aよくなかった=〈0%〉
Bどちらともいえない=〈25%〉
(2)来週から音楽をどうするのがよいと考えていますか。
@音楽を流さない状態をずっと続けるのがよい=〈63%〉
A音楽を流さない状態を少しの期間続けるのがよい=〈25%〉
B音楽を流したほうがよい=〈0%〉
Cその他=〈12%〉
・音楽のある日とない日を設定する
・まかせる
(3)上記の選択の理由を簡単に書いてください。(【 】印=小高)
@アンケート項目(1)「よかった」「よくなかった」ではなく、【清掃の仕方に変化があったか?】【清掃の質に変化はあったか?】と問うべきだ。
わたしが担当するエリアでは、より集中し、清掃に打ち込むようになった。
しかし、【質】に変化はない。
「態度評価」だけでなく、【清掃の仕方】をもっとしっかりと学ばせなくてはいけないと感じている。
A「私語しないで清掃する」ができているかどうかについて、音楽なしだと、きちんと評価できる。
B音楽がないほうが、黙々と清掃に打ち込める。これまでは音楽に合わせて何となくせわしく動いていたという感じだ。
C音楽がないほうがいい。
ただし、トイレなど【時計がない場所】では、メロディーを時間の目安にしていたので、音楽がなくなり、やや混乱している。
D清掃中の「私語しない」を徹底するためには、音楽なしのほうがよいと思う。
E全校で音がない状態であると、おしゃべりしようという気がおきない。「静かな状態を壊したくない」「しっかり清掃しよう」という気持ちになる。
F音楽がないと、私語が目立つから、自身で気をつけるようになる。
G音楽なしのほうが「私語しない」が徹底されると思う。
が、デメリットもあるかもしれないので、1月中、実施してみたうえで再度、検討して結論を出したい。
【音楽があったほうがヤル気が出る】と言っている生徒もいる。
また他校の例だが、曲調を、清掃のスタート時、中盤、終盤で変えて、掃除の進み具合の目安にしている。
「音楽なし」か「音楽あり」かではなく、その中間という方法もあるかもしれない。
H「清掃中、私語しない」を【無言清掃】と勘違いしている生徒もいる。
必要なことは連絡し合っていいのだということを再度、確認する必要がある。
I私語しないでやるという意識が高まったと思う。
Jもともと音楽がないほうがよいと考えていたので、とてもよい。
K音楽がないと、無駄話をしてはいけないという意識が高くなる。
L清掃に集中できる。教師や班長の指示がきちんと通る。
Mこれまで長く音楽付き(一種の情操教育として)の清掃になじんできたので、音楽が鳴ると条件反応(条件反射)で「清掃しなくては!」という気持ちになった。
突然、音楽がなくなり(無音状態)、精神がやや不安定な状態に陥っている。
子どもたちも同じかもしれない。
しかし、今回の「音楽なし清掃」をとおして、子どもたちの、いや、教職員も含めて、掃除のいい加減さ(正しくは、きちんとした掃除のやり方がわかっていない)が、よく見えるようになった。
これまで、音楽が、「そうじのいい加減さ」をやさしくくるんでくれていたのではないか?
「音楽なし清掃」は、きちんとしたそうじを追求するよいきっかけになる。
N「清掃活動を通して心を磨く」ということまでは考えていないが、「音楽なし」のほうが「自分は校舎を磨いているのだ」ということが自覚できるように思う。
★結論――
アンケート結果にもとづき、音楽なし清掃を、教育哲学しながら、もうしばらくつづけることになった。
僕のコメントは「M」だ。
「N」の意見にも近い。
「@」は鋭い。
「C」は「なるほど……」と思った。
清掃時間は、きれいになればいいというだけではない。
サムライ中の《授業力向上の5原則》(註@)とも密接不離の関係にある。
また、 本校の経営の重点bR=「自他のよさや可能性を認め、互いに高め合う生徒の育成めざし、生き方の原理・原則を重視した心の教育を充実する」ともしっかりとリンクさせたい。
【清掃】論議は、子どもに清掃をやらせるべきか否かを含め、100年の歴史がある。
教育哲学のいい対象になると思っている。
〈註@〉サムライ中の《授業力向上の5原則》
(1)=授業の目標、ねらいを明確にする。
(2)=指示・発問は全員に、短く限定して述べる。
(3)=達成状況を確認して授業を進める。
(4)=1人1人のがんばりに気づき、認める。
(5)=全員に50分間の学習活動を保証する。(授業力向上の5原則、以上)
★さらに詳細な情報は僕のホームページへ!
2015年01月14日
★『サザエさん』の「カツオ」には【未来に向かって】テストで低い点を取りつづける覚悟がある
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◆【再び疾駆〈憧れ・諦め・幻滅・自棄・絶望〉MEMO】――★けさ、長い夢の2連発!
(1)修学旅行先の品川プリンスホテルでネクタイが結べなくなった。「こんなマヌケな姿で生徒たちの前に出られない」と鏡の前で悄然と立ち尽くしている僕。
(2)職場対抗野球でピッチャーとして先発したが、ボールがコントロールできない。敵からも味方からも野次。ボールがコンクリートを固めたもの。どぎつい赤色。ピンポン球のように小さい。……夢から覚めたとき頭がド〜ンと重かった。
★「銭形平次」(=橋蔵平次)は、10年、20年、毎回、クライマックスで寛永通寶四文銭を飛ばしつづける。「サザエさん」の「カツオ」も10年、20年、毎回、テストで低い点を取りつづけている。
僕の「職員室通信」(「学級通信」)も同じだ。10年、20年、エンドレスで疾駆しつづける。しかし、【過去】への疾駆ではない。【未来】に向かって【反復】する。その覚悟が必要だ。昨日の真山仁氏ではないが【ノンフィクションに逃げ】ていれば、絶対にダメ。
★考えてみると、サムライ中には、教職員による「巡視体系」が2つ存在する。ひとつは1・2・3学年教職員による巡視。もうひとつは、「学年分掌」以外の【各校務分掌】による巡視。ほとんどの教師が二役だ。だから、2つの体系を一本化し、巡視の精度を高める必要がある。
★課題を抱える生徒の指導――【ビバーク】は不本意かもしれない。しかし、重要な「拠点」。【ビバーク】を「拠点」として明確に位置づけることにより、ビバーク地点からの前進が可能になる。また、あるいは、意味のある後退も可能になる。
★2月に「本当は引き受けたい」仕事があったのだが、ベストの体調を維持する自信がないので辞退。辞退の決断が遅れ、相手方に迷惑をかけた。ホンマにスンマヘン!――【再び疾駆〈憧れ・諦め・幻滅・自棄・絶望〉MEMO】以上。
★画像=放浪
◆【学級通信】――★現在、新年度の教育課程編成中。
第【1】段階=昨年末の12月に、
@各校務分掌部会(総務・教務・研修・生徒指導・保健・1学年・2学年・3学年)
A各領域部会(特別活動・道徳・進路指導・総合的な学習の時間)
B各教科部会(国語・社会……)
C教職員個人
D地域・保護者
この@〜Dにおいて、「今年度の評価」と「新年度への改善策の提案」。
第【2】段階=12/26に教職員で全体会議を開き、(1)全体で改善策を検討する内容と、(2)各部会で改善策を検討する内容とを区別。
★その(1)「全体で改善策を検討する内容」とされているのは、次の12点だ。
(1)授業に関する教師の基礎・基本の修業方法の改善
(2)基礎学力保証という観点からの補習方法の改善
(3)各教科部会運営方法の改善
(4)教科企画書の改善(=「職員会議」改革)
(5)地域教育力との連携の改善(サムライネット事業の一環として)
(6)生活規律・学習規律の指導方法の改善(経営の重点「生き方の原理原則」と関連)
(7)部活動運営の改善
(8)子どもたちの職場体験学習の改善
(9)修学旅行の改善(主に時期)
(10)日常における教育相談の改善
(11)音声言語能力育成方法の改善
(12)生徒会活動の改善
★現時点では、(2)「基礎学力保証という観点からの補習方法の改善」以外、すべて審議終了。
それぞれの「結論」については、後日、この「学級通信」上でも紹介したい。
審議未了の「補習方法の改善」は難問だ。
その時間、あるいは、その単元で、十分な成果があげられなかった子どもに対してどう処遇し、どのように学力を保証するか?という問題だ。
難問だ。
ずっと悩みつづけてきた。
その時間、あるいは、その単元に対する「つまずき」への対応だけでもたいへんなのに、小学校2年段階で……小学校4年段階で……あるいは、中学1年の1学期の段階で……「つまずいた」という子どもへの対応は、もっとむずかしい。
また、たいていの場合、ひとつの教科だけでなく、同時に他の教科の保証とも関連してくる。
つまずいた子どもの保護者にしてみれば「できない子は親がいい塾を探してこいということですか?」とでも言いたくなるような状況。
くわえて、必ず「補習」と「部活動」とが時間的にぶつかる問題。
子どももぶつかるし、顧問としての教師もぶつかる。
これをなんとかしたい。
公立中のプロ教師集団が、つまずいている子を塾に託していてどうするのか!
高等学校にトコロ天突式にほうり出してどうするのか!
「部活動とぶつかりましたぁ〜」と【基礎学力の保証】をいいかげんにしていてどうするのか!
★今、このことに関する僕らの議論を、ここに再現するつもりはない。
ただ、ひとつの例として、「1週間に2日、放課後30分間の補習時間を設定する」という案が出された。
これに対して、やはり想定されたように「部活動を一斉にスタートさせたい」とか「保護者の中には部活動も正規の学習活動だと思っている人がいるので、きちんとやらなければ……」という反対意見が出た。
反対意見に対して、「部活動の教育的意義は理解できるが、つけるべき学力を保証できない責任をどう取るのか」「義務教育である中学校ではあくまでも学習指導要領の内容の徹底が第一であり、それをクリアーした上での部活動という原則は重く考える必要がある」「保護者には部活動が学校外(教育課程外)の自主活動、教員にとってボランティア活動だということを説明すれば済むことだ」などという反論。
さらには「1週間に2日だけ、それも30分間だけというような設定をしてどれほどの効果があるのか? ほとんど効果があがらないということはみんながわかっているではないか」という意見も出た。
★意見を出し、戦わせ、それらをアウフヘーベンさせ、ゴールイン!……というわけにはいかなかった。
しかし、いい議論だった。
ま、月並みな言い方になるが、同一のテーマをめぐって意見を述べあうことによって、状況を立体的に、より的確につかむことができる。
この問題の元凶がはっきりした。
この議論を土台に、次回、具体的な施策を提示する……ということで、きょうのところはチョン。
今、【元凶】と書いて【ドキン!】とした。
冒頭、教育課程編成で「全体会議で改善策を検討する内容12点」を列挙したが、「(1)授業に関する教師の基礎基本の修業方法の改善」と「(2)基礎学力保証という観点からの補習方法の改善」は密接不離の関係にあることを忘れてはいけない。
いい授業だと、補習対象者が少ない。
マズイ授業だと、補習対象者がふくれあがる。
はじめ「元凶」と書いたとき、僕は別のことを想定して書いた(*^_^*)が、「補習」ということに限定すれば、【マズイ授業】はその「元凶」の「元凶」だ。
毎日、マズイ授業をやっておいて、「補習」にエネルギーを費やす。
これくらい滑稽なことはない。
これくらいみっともないことはない。
毎日、マズイ授業をやっておいて、いじめ・不登校・非行対策にエネルギーを費やすのと、根は同じだ。
★さらに詳細な情報は僕のホームページへ!
2015年01月12日
★ウインナーをホイルでくるむ。バターを少し入れる。反射式ストーブの上に載せて焼く。いい匂い!=僕の原点
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◆【再び疾駆〈憧れ・諦め・幻滅・自棄・絶望〉MEMO】――★昨夕、インターネットで、江藤淳が西御門の自宅で【自刃】したときの正確な年齢(何歳と何ヵ月か?)をチェックしていたら、ある情報の中に「交流・影響を受けた外交評論家に田久保忠衛・森本敏ら」という記述を発見。
【森本敏氏】は僕が最も敬愛する国際政治学者だ。
何かの機会にごいっしょすることがあったら、氏の【江藤淳像】をうかがいたいと思った。
★けさ、7時NHKニュース中に登場した「インタビュー番組」で真山仁発言【ノンフィクションに逃げない】が耳の奥に刻まれている。
僕は「学級通信」に【フィクション】は導入しない主義だ。
真山にいわせれば【ノンフィクションに逃げている】ということになるのか?
僕の「学級通信」は過去か?
いや、「学級通信」は未来か?
【未来】だとすれば【ノンフィクションとして昇華】させる手法もOKなのかも?
★これまでやってきた「学校通信」や「学級通信」は年の暮れで、いったんグチャグチャになってしまった。
リング上でノックアウト!
大ショックである。
今、徐々に立ちあがりつつある。
【復活】に際し、あまり大それたことは考えていない。
イメージは【女川さいがいFM】(――「女川の町に正しい情報と元気を届ける放送を がんばっぺ女川」を合言葉に、毎日放送を行っています。)
僕はときどきサイマルラジオで聞いている。
さっきクリックしたら女子高生2人の掛け合いで「おながわ☆なうミニ」がスタートしたところだった。
なかなかいい(^_^)v。
★画像上=夜のDAKA古書店跡の一隅。部屋は常にどこかが変化している。今は既にこの画像とは違っている(*^_^*)。HPもそうだけれども、【部屋の模様替え】=【僕の存在の仕方】 ★画像下=年の暮れに、解像度が高いスピーカー(=ONKYOのD-412EX)を購入したので、椅子もフカフカではなく、こういう原型が顕わになったものにした(^_^)v。この椅子を持ち込んだために、部屋中のすべてのものが大移動!――【再び疾駆〈憧れ・諦め・幻滅・自棄・絶望〉MEMO】以上。
◆【学級通信】――★3学期のスタートだ。
教務週報の冒頭に掲載されている各校務分掌の目標。
○【総務部】=3学期のスタートにあたり学習環境を整える。
○【教務部】=「今年は○○の勉強をかんばるぞ〜!」の決意に応える授業を。
○【研修部】=つかみ10秒で2015年の授業スタート。
○【生徒指導】=生徒観察と適切な声がけを。
○【保健】=手洗い、うがいの徹底で風邪の予防を。
教務部のコメントは僕の思いに近い。
研修部のコメントは、ハイレベルでピリッとした目標だ。
どの授業も【つかみ10秒】で新年のスタートが切れれば最高だ。
★僕の目標は――
【1案】=「人間3日会わざれば刮目してみるべし・ピグマリオン」
【2案】=「凡事徹底(プロ教師としてやるべきことをきちんとやりつづけること)のシステム化」
どちらにすべきか、ギリギリまで悩んだが、やはり「3日会わざれば……」を選択した。
「凡事徹底のシステム化」は次の週に回してもOK。
僕ら、学期はじめの教職員は、精神を「3日会わざれば刮目して見るべし」に集中すべきだ。
どの子もどの子も「新しい年はこういう自分になりたい」「こういうことができるようになりたい」と思いを新たにしているにちがいない。
あるいはそう願うことによって一段と立派になっているにちがいない。
だから、その思いをキャッチできる教師にならなければいけない。
教務のことばでいえば【決意に応える】。
「3日会わざれば……」は、はっきりとことばには出来ない子どもも、あるいは、はっきりと表情に表さない子どもも――中学生というのは、思いがことばや表情になって外に出てくるまでには長い長いプロセスが必要なのだ――きっとそう思っているにちがいないと期待する教師になろう……という意味である。
★画像は、新年の空堀商店街。
式辞のなかで僕が「1円でも安いチキンラーメン」を求めて下っていったというのは、この商店街のことだ。
★〈3学期始業式・式辞〉
冬という季節は、12月、1月、2月の3ヶ月です。
ですから、きょうは、冬の真ん真ん中ということですね。
古来、日本では、この冬の真ん真ん中に、寒中稽古、寒中水泳等を行うという慣わしがあります。
わたしの母校の中学校は、この時期に登山をやっていました。
この時期に登山ですよ。
もちろん、ただの「登山」ではありません。
耐寒訓練――寒さに耐える訓練――といって、大阪でいちばん高い山、標高1125メートルの金剛山に登ります。
雪に覆われていますから、ツルツル、ツルツル、ほんとうにたいへんでした。
もちろん、ギザギザのアイゼンとか軽アイゼンとかはないですから、みんなで靴に荒縄を巻いて登りました。
冬の真ん真ん中の寒さに耐えることによって、精神をひきしめる。
身も心も鍛えて、強くする……ということです。
わたしたちも、新しい年のスタート、きょうの、たいへん寒い始業式で――
精神をひきしめる
そして、自分の心、すなわち、みなさんひとりひとりの「決意」「夢」をポンと押して勢いをつけてやる1日にしましょう。
★まず3年生に。
3年生は、これまで、サムライ中の新しい歴史を創ってきました。
「歴史を創った学年」といわれるくらい、名誉なこと、うれしいことはありません。
これまで、学習面で、あるいは、合唱、委員会活動、部活動を含む生活面で、0.1ミリずつ創ってきた「歴史」に、3学期ははっきりとしたカタチを与えて、2年生にバトンタッチしてほしい。
これから、入試直前の猛勉強。
面接の練習もあります。
カゼも流行るから健康管理もたいへん。
そして、合格発表……卒業式。
もう、ほんとうに、あわただしく、めまぐるしく、人生の中でも、もっとも、心の揺れ動く時期といっていいでしょう。
このあわただしさに、ただ、流されていくのではなく、これまでのように、学年プロを中心に、みんなで力を合わせて、 0.1ミリずつ、(念のためにくりかえすけど)学習を通し、委員会活動を通し、清掃活動を通し、卒業式練習、卒業式本番を通し、サムライ中の歴史に、くっきりとしたカタチを与えてほしい。
いいものは、確実に伝わります。
ほんものは、確実に伝わります。
今度の3年生(今の2年生)に伝わる、それがまた、その次の3年生(今の1年生)に、またその次の、またまたその次の……そして、今、まだ生まれていない、サムライ中生にも伝わっていきます。
このことがサムライ中の力になるとともに、(サムライ中でわたしたちはこんなふうに生きたのだという自信が)、みなさんの新しい世界を拓いていくことにつながると信じます。
3年生の奮闘努力を期待します。
★次に1・2年生に。
大事なことだから、わたしは、何度も何度も言います。
わたし自身の人生を振り返ると、人生の方向を決定づける、大きな決断は、ほとんどこの時期に、このピリッとする冬の真ん中で、決めています。
よし、この高校にしよう。
この大学にしよう。
この職業につこう。
こんな人間になろう。
こういう記録が出せる選手になろう……というのもある。
こういうプレーができる選手になろう……というのもあるでしょう。
東京オリンピックに出る……というのもあるかもしれません。
こんなふうに、「はっきりとしたカタチ・方向を与えてくれぇ〜!」といっているエネルギーが、今、みなさんひとりひとりのなかに充満しています。
長い人生の中で、今、いちばん、そういうエネルギーが充満してる時期でしょう。
そのエネルギーに強いカタチを与える決断。
この決断から逃げないようにしよう。
決断して、こんなこともやってやろう、あんなこともやってやろうと、どんどんチャレンジしていってほしい。
1年生のみなさんの大きな決断に期待します。
2年生のみなさんの強い決断に期待します。
★最後にわたしの原点。
わたしの原点は、これ(「清貧」←張りもの資料)です。
以前、青春とは貧乏でなければいけない……親に金を使わせているようなのは青春とは言わないと言いましたけれども、「清貧」=貧乏だけれども、志・夢・希望は高い……これがわたしの原点です。
ひとつ、自慢をしますけれども、わたしは親にお金を出させないで大学を卒業しています。
そのかわり、すごく貧乏をしました。
大阪みなみに空堀通り商店街というのがあります。
「空堀」というから、昔、大阪城の堀だったんでしょうか?
長〜い、坂道の商店街です。
わたしは、1円でも安いチキンラーメンを求めて、店をのぞきながら、どんどん商店街をくだっていって、安いチキンラーメンを見つけて、その箱を抱えて、今度は逆に空堀の坂を登っていく……これが、わたしの原点です。
あるいは、肉屋でウインナーソーセージを2個買う。
肉屋のおじさんが「2個ですか?」と笑って、はかりではかって「なん円です」という感じです。
2個しか買えないんです。
それをアルミホイルでくるむ。
バターを少し入れる。
反射式ストーブの上に載せて焼く。
いい匂いがします。
それに食パン1枚、コーヒー1杯。
これが、わたしの食事でした。
ウィンナーソーセージとコーヒーの香り。
これが、原点です。
貧乏だったし、いつもお腹を空かしていたけれども、希望・志は高い、わたしの場合は、「教育哲学を勉強するんだぁ〜!」と燃えていた。
この新しい年、またこの原点に立ち返り、サムライ中生、みなさんといっしょに、わたしも、夢を追いかけていくつもりです。〈3学期始業式・式辞、以上〉
★さらに詳細な情報は僕のホームページへ!