2015年01月26日
★1度の【評価】で人間を決めつけるヤツがいる!
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◆【再び疾駆〈憧れ・諦め・幻滅・自棄・絶望〉MEMO】――★しばらく、HP&BLOGの更新がまったくできなかった。
まったくできないほどの、何か、具体的な事態に遭遇したわけではない。
僕のうちに、ちょっした【雑念】が、複数、湧き上がり、精神のバランスが崩れてしまった。
僕も、意外と弱いものである(ノ△・。)。
更新ができない間、モーツァルトのCDばかり聴いていた。
弦楽四重奏曲「狩」「不協和音」、弦楽五重奏曲第5番・第6番、ピアノ協奏曲第19番・20番・21番・22番・23番・25番・26番・27番……。
モーツァルトは、学生時代、書き疲れたときによく聴いていた。
ひさしぶりである(^_^)v。
★【知的に育てる】(←教育に携わる僕のトップテーマ)。
煎じ詰めれば、その人間がどんな「話題」に興味をもっているか? Aそして、それに対する「こだわり度」はどれくらいか?……ということだ。
3年3組が〈帰りの短学活〉でやっている「今日のニュース」的なものも有効か?
★生徒指導部「2月の指導の重点」=「@あいさつ・ことば遣い・服装(髪)などの指導の強化」。
指導のための規準&基準、いってみれば【ルール】が必要だ。
この【ルール】を【すぐれた教育思想】にまで高めることができるかどうか?
これが力のある学校とそうでない学校との差だ。
【ルール】をとおして【知的に育てる】。
その際、こういう場面ではこうするものだという「カタチ」から入ることも大切だ。
この「カタチ」については、僕ら教職員も同じだ。
★画像=きょうの昼食。
◆【学級通信】――★生徒朝会。
きょうの発表は、生徒会給食委員会の番。
体育館のステージで、寸劇を取り入れながら、ざんさいや牛乳パックの正しい処理の仕方を学習しようというもの。
演技も上手だったし、アナウンスも驚くほどしっかりしていた。
寒さを忘れて見た。(撮影も忘れていた(ノ△・。)。撮影すべき、いい場面がいくつもあったのに、ホンマ、残念。)
「自分の考えを表現する能力をアップすること」は日本の中学生の大きな課題だ。
子どもたちのエネルギーはあふれるほどにある。
3学期はじめのコメントで――
《「はっきりとしたカタチ・方向を与えてくれぇ〜!」といっているエネルギーが、今、みなさんひとりひとりのなかに充満しています。
長い人生の中で、今、いちばん、そういうエネルギーが充満してる時期でしょう。
そのエネルギーに強いカタチを与える決断。
この決断から逃げないようにしよう。
決断して、こんなこともやってやろう、あんなこともやってやろうと、どんどんチャレンジしていく時期です。》
――と、述べた。
その【充満しているエネルギー】に、子ども本人が【決断】し【はっきりとしたカタチ・方向】を与える場合と、僕ら教師が――いってみれば、ヒットエンドランをしかけるように(ある意味、強制的に)――カタチ・方向を設定してやる場合とがある。
本日の【生徒朝会の設定】は後者に分類できる。
学校教育というのは、【後者】が【前者】を促すように設計するのが理想だ。
★主任会(1/21・3校時)で、今、やや精神的に不安定な状態にある1人の生徒について話し合った。
内容は、ま、いってみれば、具体的な処遇方法・対処方法――すなわち、目標の設定、指導プログラムの確認、処遇&対処法のルールの確認等――という技術的な話だったが、その過程で、指導する僕らの側に対して、下図に示すような【教師の人間性】が話題になった。
「品性」があり、かつ子どもに「やさしくあたたかい」教師「A」というのは最高だ。
しかし、これがなかなか(もちろん、自分も含めて)むずかしい。
僕も「A」までには、う〜ん、もう絶望的と断言していいくらいの距離がある。
だから、まず、真摯に自らをふりかえる。
「B」なのか?
「C」なのか?
「D」なのか?
「D」だとすれば、どのあたりの「D」なのか?……を見極める。
まず、この「見極め」が大切ではある。
そのうえで「A」に近づく努力をする。
が、しかし、それだけでは不十分。
その【見極め】は、いってみれば【自己感覚】に過ぎない。
だから、自らふりかえり「見極め」るとともに、学年というチーム(組織)を生かし、【互いに批正】し合い、「A」に近づく努力をする。
そのリーダーシップを取るのが学年主任だ……というような文脈の話だった。
★たまたま、少し前の『現代教育科学』を開いたら、有田和正氏が「人間性と教育技術」について次のように書いていた。
有田氏はいう――
《人間性のよさと、技術をもっている人のどちらを上とみるかむずかしい問題である。
人間性がよければ、素直であれば、他人の意見や注意をよく聞き入れ、技術は身につきやすい。
しかし、技術があり、知識が豊かだが、人間性がよくないのは、教育がむずかしい。
人間を変えることはむずかしいものだ。
子どもでさえ、性格のねじれた子どもを教育するのには手をやく。
一筋縄ではできない。
まして、教師ともなれば、よほどの手をうたなければ、人間性を変えることはむずかしい。
そこで、少し知識は足りないが、人間性のよい人を採用して、教育して技術・知識を身につけされるほうがやさしい。(中略)》
有田氏はつづける――
《わたしが考えている技術(最低これだけは身につけたいというもの)は、発問・指示のしかた、板書のしかた、資料作成・提示などの活用のしかた、話し合いのさせ方、話術・表現・パフォーマンス等の技術、の5つである。
これをまとめていうならば「対応の技術」といえる。
子どもと授業するのだから、子どもとの対応の技術であることはいうまでもない。
これらの技術を、具体的な授業を通して身につけていく方法を考えなければならない。
名人の授業を見て学ぶのもいい。
しかし、見てもその通りにはできない。
「目習い」はできても、それを具体化する「手習い」は、自分でやるしかない。
やってみなければ身につかないのが教育技術である。
これは少し意図的にやれば、人間性の向上などに比べれば、早く身につく。》
有田氏の結論――
《子どもたちが嫌う教師がふえているという。
技術はあり、教え方は上手なのだが、どうも先生が嫌い、先生のやり方がいやだ、という子どもがいる。
人間性に問題がある教師だ。
この教師をどう変えるのか、至難の技である。
子どもが好きな教師、子どもを好きな教師になることは本人の努力もさることながら、外からのサゼストも大事だ。
要は、このサゼストを聞き入れる教師を育てることだ。》(有田論文引用以上)
★僕の記述と有田氏の記述について5点、粗く、箇条書き的に述べる。
【1】
まず軸のとり方が違う。
有田氏の「人間性」を、僕はさらに「品性」と「温かさ」に分けている。
【2】
人間性を変えることは「むずかしい」という認識は共通している。
しかし、有田氏は「人間性に問題のある教師を変えるのは至難の技」と述べ、僕は「むずかしいけれど、なんとでもなる」と思っている。
この点は大きく異なる。
僕は(僕の図で)――
D→Aは確かにむずかしい。
しかし、D→C、あるいはD→Bはなんとかなる。
やがてはB→A、C→Aも可能になるのだと信じている。
人間は変われる。
人間は変わる。
話が少しそれるが、世の中には、相手を一度【評価】したら、ずっと、その【評価】を変えない人がいる。
アマイ僕は、そんな人がいるはずがない……と考えていた。
ところが、このまでの人生で、そういう人が【いた】のである。
1人や2人ではない。
たくさん【いた】のである。
そういう人には、僕は一度【×】と評価され、今でも、ずっと【×】のままなのだろう。
残念だ(ノ△・。)。
しかし、悪いのは僕なのだから仕方がない。
でも、それはもういい。
僕は――くりかえしになるが――【人間は変われる】と考えている。
【人間は変わる】と考えている。
【3】
有田氏の「(人間性に問題がある教師について)本人の努力もさることながら、外からのサゼストも大事だ」は、まったく同感。
「サゼスト」=suggest
意味は――
・提案する
・暗示する
・示唆する
・それとなく言う
・思いつかせる
・連想させる
僕は「学年主任は、そのリーダーシップを取ること」と書いたが、この「サゼスト」のリーダーシップを取るということだ。
【4】
話はまったく変わるが、授業の(超)名人・有田氏から「最低これだけは身につけたい」という「技術5点」を聞き出せたのは大収穫!
・発問・指示のしかた。
・板書のしかた。
・資料作成・提示などの活用のしかた。
・話し合いのさせ方。
・話術・表現・パフォーマンス。
【5】
今、人間性に関する有田氏との認識の違いをこれ以上突きつめるつもりも余裕もない。
ただ、【これが「品性」のポイントだ】、【これが「やさしさ・温かさ」のポイントだ】と思っているものはある。
きょうは後者だけを示す。
〈「やさしさ・温かさ」のポイント〉
毎度、毎度、提示する図だ。
対象の生徒と一体になれているか?
もし、なれていないとすれば、自分はどうすればいいのか考えよう。
その生徒の味方になれているか?
もし、なれていないとすれば、自分はどうすればいいのか考えよう。
これは教師も親も同じだ。
★さらに詳細な情報は僕のホームページへ!
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