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2014年11月09日
★【お好み焼き・道とん堀】でプロ教師修業「ポンポコポ〜ン!」〈担任odakasanの学級通信〉
★勤務先・サムライ中からの帰りに、乱氏Tと【お好み焼き・道とん堀】に寄った。
山傘を被り徳利を下げたタヌキの横に立ち、暖簾をくぐると、スタッフの「いらっしゃいませぇ〜、ポンポコポ〜ン! ポンポコポ〜ン!」という声が、あちらこちらから、こだまのように響いた。
「ポンポコポ〜ン!」は、乱氏Tと僕が座敷に腰をおろすまでつづいた。
挨拶も「いらっしゃいませ! ポンポコポン!」
返事も「ありがとうございます! ポンポコポン!」
徹底している(*^_^*)。
「これはおもしろい、学校で使えるなァ!」
と乱氏Tが大喜び!
★僕らのサムライ中は【教師修業】の中学校だ。
今年度の修業の重点=【授業力向上の5原則・bS=1人1人のがんばりに気づき、認める】を究める【註1】。
「いいですね」とほめるにしても、5通り、10通り……。
「すごい」だって、5通り、10通り……。
ひとりひとりをほめる(評定する)、短い言葉を、30種類、いや、40種類、50種類と用意する。
それを瞬間、瞬間に、ポンポンと発する教師をめざす。
★乱氏Tの発言「これはおもしろい、学校で使えるなァ!」の解説(=乱氏Tの頭の中)。
「ポン!」=いい!
「ポンポコ!」=すごい!
「ポンポコポ〜ン!」=最高!
これを社会科の授業でやろうと考えているにちがいない。
★道とん堀はメニューが豊富だ。
僕にはイメージできないものもあった。
「ネギ爆」か「モダン焼きミックス」か迷って「ネギ爆」。
乱氏Tは「豚吉」。
画像付きのド派手なメニューのわりに、味は素朴。
キャベツの使い方が新鮮。
関東地方出身の女優さんが、ほぼ完璧にマスターした「大阪弁」といった感じの、きりっとした魅力がある。
【註1】サムライ中の〈授業力向上の5原則〉
bP=授業の目標、ねらいを明確にする。
bQ=指示・発問は全員に、短く限定して述べる。
bR=達成状況を確認して授業を進める。
bS=1人1人のがんばりに気づき、認める。
bT=全員に50分間の学習活動を保証する。(授業力向上の5原則、以上)
★さらにリアルな情報は小高進の公式ホームページへ★
2014年04月04日
★中学という時代を生きる――親に金を使わす量を増やす人を中学生とは言わない
★「始業式・式辞」は
ま、普段、自分が
思っていることや
つぶやいていることを
文字に変換させるだけだから
スイスイと書いた。
だが、最後の最後で
キーボードの手が
パタリと止まった。
次の箇所だ。
《学力日本一を実現しよう。
品格日本一を実現しよう。
「歌声が響く学校」日本一を実現しよう。》
「歌声」、「品格」、「学力」(狭義)の順番で迷った。
最初は「歌声」「品格」「学力」(狭義)の順番だった。
変だな?と思った。
トップが「歌声」というのはおかしいのではないか?
で、「歌声」を3番目に。
では、トップは「品格」か?
「学力」(狭義)か?
ま、普段、自分が
思っていることや
つぶやいていることを
文字に変換させるだけだから
スイスイと書いた。
だが、最後の最後で
キーボードの手が
パタリと止まった。
次の箇所だ。
《学力日本一を実現しよう。
品格日本一を実現しよう。
「歌声が響く学校」日本一を実現しよう。》
「歌声」、「品格」、「学力」(狭義)の順番で迷った。
最初は「歌声」「品格」「学力」(狭義)の順番だった。
変だな?と思った。
トップが「歌声」というのはおかしいのではないか?
で、「歌声」を3番目に。
では、トップは「品格」か?
「学力」(狭義)か?
本校は「学力(狭義)の形成」と「人格の形成」を一元的に捉えている。
「人格」と「品格」はもちろん異なる。
「品格」は「人格より」一段高いものだ。
でも、式辞の文脈では、「学力」(狭義)に対して「人格」&「品格」を同じグルーブのものと考えるべきだ。
だんだんはっきりしてくる。
両者の統合をめざしているとはいえ、僕らは公立中学校のプロ教師として「学力」(狭義)にこだわっている。
「学力」(狭義)の形成をとおして「品格」を形成する。
プロ教師としては、まず「学力」(狭義)だ。
とにかくとにかく、50分間の授業の積み重ねだ。
ブツブツ、ブツブツ、つぶやき、何度もコピー&ペーストをくりかえし、やっと順番が決まる。
@「学力」(狭義)。
A「品格」。
B「歌声」。
★〈始業式・式辞〉――【中学という時代を生きる】
昨年度の1年間、毎日、毎日、生活していた教室を離れる。
いっしょにいた友と離れる。
先生と離れる。
転校という大きな変化があった人もいます。
自分とつながっていたものから離れて、ポツンと「ひとり」になる。
この時期は、独特の雰囲気があります。
さびしいといえば、さびしい……。
さっぱりしたといえば、ま、さっぱりした……(*^_^*)。
自分が別の自分になったような……感じ。
わたしは、こういう今のみなさんの「感覚」を大切にしてほしいと思います。
ひとりになることによって、これまであまりに意識しかなった【自分の今の姿】【心のカタチ】が、鮮明に見えるようになる。
あるいはまた、これまでの自分の一歩一歩が、夜、雷がピカッと光ったとき、パァ〜ッと風景のすべてが見えるように、【自分の足跡】が見える。
今の自分の【心のカタチ】と、【自分の足跡】を点検しながら、大切にしながら、今年度の1学期、新しい一歩を踏み出しましょう。
★改めて、新2年生への進級、おめでとう。
新3年生への進級、おめでとう。
ここに、こうしている、みなさんで、力をあわせて――
「サムライ中生でよかった」
「サムライ中生であることを誇りに思う」
と、心から思える――
わたしもそうです、「サムライ中の教職員であることを誇りに思う」
と、心から思える、よい学校にしていきましょう。
よい学校というのは、「在る」ものではありません。
あちこちに、ころがっているものではありません。
先輩たちから、しっかりと受け継ぎ、それを1oでも0.1oでもよくして、それをしっかりと伝えていくという、【ギリギリの努力】をして、いい学校を創り出していくのです。
こういう意味で、新2年生、新3年生の役割は大きい。
★きょうの始業式にあたり、【上級生】として心がけてほしいことを1点、そして、【中学という時代を生きる人間】として忘れないでほしいことを1点、お話しします。
まず、【上級生】として。
いばる上級生にならないでほしい。
いばる上級生ほど、みっともないものはない。
下級生がいばるのは、かまわない。
いい学校や、いいチームは、下級生がいばっています。
上級生は、絶対にいばりません。
わたしが、ず〜っと、大切にしている、ひとつのエピソードがあります。
明治大学の野球部の話です。
もう今はお亡くなりになりましたが、有名な監督がいました。
島岡監督。
37年間、明治大学の監督をしました。
明治大学の野球部は、全員、寮で合宿しています。
その寮を島岡寮といいます。
この寮のトイレ掃除は、だれがやるか?
島岡寮では、最上級生がやることになっています。
大学ですから、1年生、2年生、3年生、4年生がいる、その4年生がトイレ掃除する。
それも、キャプテンが先頭になって、責任をもってやる。
楽天の監督・星野仙一さんも、明治大学の野球部出身で、キャプテンでしたから、毎日、毎日、トイレ掃除をしたそうです。
今のようなトイレではないから、たいへんだったそうです。
そのトイレを素手で、ピカピカに磨きあげたそうです。
いやなことは、下級生にやらせない。
いやなことは、「わたしたちがやるよ」という、やさしくて力持ちの上級生になってほしい。
★次に【中学という時代を生きる人間】として、忘れないでほしいこと。
これはなんどもなんども言ってきたことなのですが、中学という時代は、どういう時代かというと、いろいろあるけれども、いちばん大切なのは、親の保護、親べったりから、【人生、独立】に向けて、一歩一歩踏み出していく時期です。
では、独立に向けて一歩一歩踏み出すとは、具体的にどういうことか?
「お父さん、あるいは、お母さん、ここまで育ててくれてほんとうにありがとう。」
「まだまだ心配をかけるけれども、これからは自分でやれることは自分でやり、お父さん、あるいは、お母さんにかける心配の量を減らし、悲しませる量を減らします。」
「また、もう中学生だから、お金を使わせる量も減らしていきます。」
「そして、なりたい自分をめざして、いっしょうけんめいに、がんばります」
と、いうことなんですよ。
これが、独立に向けての一歩です。
一歩一歩です。
だから、逆に、親に心配をかける量を増やしている人を、中学生とは言わない。
親を悲しませる量を増やしている人を、中学生とは言わない。
お金を使わせる量を増やしている人を、中学生とは言わない。
悲しませる量を増やしているという人は、わたしのところに来なさい。
叱るのではありません。
わたしも、あなたといっしょになって考えたいと思っています。
ぜひ、来なさい。
新しい年度の1学期、サムライ中生、ひとりひとりが、真に独立に向けて一歩一歩、踏み出してくれることを強く期待します。
最後になりますが、【学力日本一】を実現しよう。
【品格日本一】を実現しよう。
【歌声が響く学校、日本一】を実現しよう。
そして、大いに読書しよう。
月、火、水、木、金、5回の昼休みのうち、1回でもいいから、図書室に行って、いっしょに本を読みましょう。
本を読まないで中学を卒業することになってしまったら、たいへんだ……と、わたしの願いを述べ、式辞とします。(始業式式辞、以上)
2014年04月03日
★【力のある学校】と【力のない学校】、ここに差が出る〜危機管理と学社連携は表裏一体〜
★来校者への対応 〜 危機管理と学社連携は表裏一体 〜
【1】廊下を歩いていると
下足置き場の陰に
来客の姿を発見!
即、接近する!!!
(ある意味で「命がけ」)
「どのようなご用件でしょうか?!」
職員室の片隅に
待機しているらしい来客の姿を発見!
即、接近!!!
「担当の者と連絡はとれていますか?」
来客のほうが――
「もうカンベンしてくれよ……」
「ここの教職員は、何人も、次々に、声をかけてくるなぁ……」
「うざいよ……」
と感じるくらいに
つねに、即、接近!!!
下足置き場の陰に
来客の姿を発見!
即、接近する!!!
(ある意味で「命がけ」)
「どのようなご用件でしょうか?!」
職員室の片隅に
待機しているらしい来客の姿を発見!
即、接近!!!
「担当の者と連絡はとれていますか?」
来客のほうが――
「もうカンベンしてくれよ……」
「ここの教職員は、何人も、次々に、声をかけてくるなぁ……」
「うざいよ……」
と感じるくらいに
つねに、即、接近!!!
即、接近して、犯罪被害から子どもを守る。
学校を守る。
同時に、地域と交流する(*^_^*)。
変な言い方になるが、危機管理と学社連携は表裏一体だ。
はっきりいうけど「力のない学校」は、こちら(来客)が泣きたくなるくらい、もう信じられないくらい、誰も来てくれない。
見て見ぬフリをする。
目と目があっても、知らないフリをする。
ダメな学校に共通している。
これでは絶対に子どもは守れない。
学社連携も進まない。
【2】教職員が、用件を済ませた来客(例=PTA副会長)に――
@「どうぞ、校長室にも寄ってください!」
A(校長室の校長に)「副会長さんがお帰りですよ!」
前者を選択するか、後者を選択するかは、対応した教職員の「経験則」による。
「校長」を選択するか、「教頭」を選択するか、あるいは他の教職員を選択するか……も、対応した教職員の「経験則」による。
これは【1】より高度だ。
【1】はその気にさえなれば誰でもできる。
【2】は相当、修業を積まないとできない。
「あっ、しまった、教頭のほうではなく、校長だった」……というようなことはよくある。
失敗を恐れず、積極的に対応していこう。
対応の積み重ねが【修業】になる。
【力のある学校】につながる。
【力のある学校】は、こういう点がスゴイ!
アカン学校はホンマ、絶望的な気分になるくらいに、アカン(ノ△・。)。
〈来客例〉
・PTA総務委員会メンバー(会長・副会長・各委員会委員長等)
・地域の町内会や防犯・青少年育成団体、施設や企業(例=旅行社)等の関係者
・他小中学校の校長・教頭等
・進路先の関係者
・部活動のコーチなどボランティア、MINAMIネットサポータークラブ員……等々
【3】同僚の客は、学校の客であり、自分の客でもある……という姿勢で対応する(あいさつをする。ねぎらう)。
★職務に応じた視点で毎日の校舎内外の巡回
校長、教頭、学年主任(副主任・副担任)、教務主任、生徒指導主事、研修主任、保健主事、学級担任、教科主任等々……それぞれ職務に応じた「視点」で、校内規定にしたがい計画的に、あるいは状況に応じて巡回する。
この異なった視点の【巡回の総和】が、サムライ中の【教育力】になる。
サムライ中の【危機管理力】になる。
例=学年主任(副主任・副担任と分担、連携して)=登校の状況(玄関or学年棟)、学年生徒の授業の状態、給食準備の状態、昼休みの状況、下校時or下校後の状況……。
なお、学級担任は、自学級の他教科の授業の状況を必ず自分の目でチェックする。
★名刺を用意する。
地域の方々、高校関係者、業者など学校外の人々との接触が多い。
名刺を出されたら交換するのが社会的ルール、礼儀である。
名刺を出さないと、自分は困らないかも知れないけれど、相手が困る。
★おじぎの角度を点検する。
僕は自分では気づかないうちに、おじぎの角度が浅くなっていたようだ。
宇都宮大の廣瀬髏l氏に会ったとき、氏に直角、90度の礼をされた。
頭をハンマーで叩かれた気分だった。
自分の甘っちょろさ。
自分では「学社連携人間」を自負しているつもりだったが……。
以来、これまでの30度〜45度の礼から、60度の礼に切り換えた。
おじぎの角度を変えると、世界の見え方が変わる。
★本校「服務規定」の確認
「服務規定」を「危機管理」の枠組みでとらえよう。
全体的には、サムライ中の場合、おおむね、よい状態にあると判断している。
たとえば、外部(保護者・地域・教委・報道等……)から問い合わせがあった場合でも、各主任、教頭、校長が知らないということはめったにない。
だから、即、適切な対応ができる。
これは、「服務規定」にしたがい、@記録(分刻み)A報告がきちんとされているからであるし、また、学年を含む分掌組織内――いつもいうことだが、分掌内の人間関係というのは、規則とか命令とかではなく、精神の伸びやかなつながりのもとで、重要な価値が交換されやすい――で適切にチェックされているからである。
「力のある学校」に近づきつつある。
逆にいうと「力のない学校」は、この点がメチャクチャに乱れている。
〈校長の承認が必要なこと〉
@日課の変更
A生徒の校外への引率
B計画以外の集金等
C所定時間以後、生徒の居残り
D(計画以外の)休日の登校
E学校名で文書の発行または電話の交渉
F施設・設備の配置替等
G施設・備品の貸与
H勤務時間中の外出
I生徒への重大な懲戒
J保護者の召喚
――Aとの関連で、学校管理下の時間帯で生徒を単独で校外に出さない。
――Jとの関連で、PTA関連の招集も含む。
〈校長に直ちに報告すること〉
K生徒の負傷
L生徒の所在不明
M盗難
N生徒の家庭の事故
O保護者の要望・苦情
P施設・備品の破損
Q臨時の会議
R生徒への体罰
〈承認〉および〈報告〉の方法については――
A=当事者→事案に該当する担当責任者(主任)→教頭→校長
B=当事者(が直接)→主任・教頭・校長という2つの経路がある。
内容、あるいは伝達に要する時間等を考慮し、臨機応変に判断する。
なお、各分掌の会計管理については、特に下記の点を厳守。
(ア)清算事務を年度内に確実に終了する(ただし……)。
(イ)その都度、領収書の確認する。
(ウ)出納簿(支払い)は1件ごとに記載する。
(エ)交際費(香典・お礼)支出の際は履行証明書を確認する。
★3日会わざれば刮目して見るべし
〜ピグマリオン効果・生徒の「よく変わりたい」という変身願望に対する「感性」を磨く〜
「3日会わざれば刮目してみるべし」という視点(=「この子は、きょうは、どんなところがよくなりたいと思って、朝、起きて、学校にやってきたのだろうか?」)と、目をこすって生徒を観察する。
1人残らず、どの子もどの子も「よくなりたい」と思っているにちがいない! そう思いこんで(ピグマリオン)、子どもといっしょにサムライ中の時空間に「存在」する。
サムライ中の時空間にいっしょに存在できる喜び。
これが、昨日、話した「ピラミッド形 A>B>C」……の「B」にあたるのだろう。
いつくしみ、応援できるよろこび!
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2014年04月02日
★《僕の経験的な提案》→こうすれば「親子関係」はやり直せる!→「子育ては」やり直せる!
★子どもの心を捉えているものが
ゆっくりと動き出し
言葉に転換され
外に出てくる
その長い、長い過程を
共にできるだけの器量が
僕にあるか?
ゆっくりと動き出し
言葉に転換され
外に出てくる
その長い、長い過程を
共にできるだけの器量が
僕にあるか?
子どもの隣で、いっしょに困ってやる。
子どもの心をとらえているものがゆっくりと動きだし、ことばになる長い長い過程を共にする、その覚悟があるか?
★子どもへの接し方(指導)が、(上の図の)【A>B>C】と、ピラミッド形になっているかどうか?
「常に点検しよう!」
と、ここ、10年くらい、僕は、僕自身に、いつも、いつも、言いきかせている。
これがなかなかむずかしい。
先日の朝も――その1年の女子生徒と僕のあいだには「A」の層も「B」の層も形成されていない……いきなり「C」(僕の考えをぶっつける)は効果がないとわかっているのに――頭髪(触角ヘアー)のことでカミナリのように叱ってしまった。
★もう一度、このカウンセリングの【A>B>C】について確認しよう。
【C】=子どもに対して自分(親&教師)の考えを打ち出す。
「お母さんはこう考えるよ」
「お母さんはこうしてほしいんだよ」
【B】=子どもの味方になる。
「存在に気づいてやる」
「いい点をともに喜び感激する(←どこかの外国人みたいに*^_^*! 日本人はこれが徹底的にヘタ)」
「つねに励ましつづける(←日本人はこれも徹底的にヘタ)」
【A】=子どもと一体になる
「子どもの世界を子どもの目でいっしょに見る(隣に黙ってゆったりといるだけでいい)」
「そうか、そうか……と、まず受け入れる」
(1)くりかえしになるが、いきなり「C」とか、あるいは「C」だけというのは、ほとんど効果がない。
その子どもと自分(親&教師)とのあいだに、Aの部分・Bの部分が形成されているかどうかを、まず、チェックしよう。
僕の恥ずかしい体験だが
――「僕はCだけでやる。」
――「ベタベタするのはキライだ。」
――「僕は毅然とやる。」
と、いい気になっていた時期がある。
哀しいことだが、それは、けっして短い期間ではなかった。
僕の教育思想が未熟だったのだ。
Aの部分・Bの部分についての認識がまったくなかった。
それでも何とかやれたのは――いや「やれた」とはとてもいえないのだが――他のベテラン教員が、僕の分まで、Aの部分・Bの部分を形成してくれていたからだ。
そのことに気づくまでに、僕の場合、かなりの時間がかかった。
(2)昨年、1学期の始業式が始まる直前のことを僕は鮮明に記憶している。
体育館で隊形づくりの指導をしている、安代Tが発した「まだ椅子の(高さの)調整ができていないので、座りにくいだろうが……」のことばに、僕はショックを受けた。
これ(=「座りにくいだろう」)はAの部分だ(子どもの目でみる)。
Bの部分だ(子どもの味方になる)。
僕からはスッポリと抜け落ちていた。
このA・Bのあと、安代Tは「C」=座るときの腰、手、足の位置を指導している。
瞬時に、A>B>C……をやっているわけだ。
高段の技だ。
(3)Aの部分・Bの部分では、極力アドバイスを避ける。
僕たちはついついアドバイスに走る。
そして、子どもと話し合ったと思っている。
しかし、子どもにしてみれば「なにも聞いてくれなかった」という思いだけが残る。
話を聞いてやり、聴いてやり……聴いてやり、聞いてやり……いっしょに困ってやる。
ただ困ってやる。
それだけでいい。
Cは不要!
いっしょに困る過程(時間)を大事にしよう。
これが親の役目だ。
これが教師の役目だ。
どうしてもという場合、最後の最後に、いくつか例示し、子どもに選択させる。
中学という時期の、子どもの心の底にある気持ちは、(本人にとっても、他の人にとっても)容易に言語に転換できるものではない。
中学生の心を捉えているものが、あるいは心に充満しているものが、ゆっくりと動き出し、言葉に転換され、外に出てくる、長い、長い過程を共にできるだけの、器量を自分がもっているのか?と、たえず自身に問いつづけよう。
ああ、わたしは子どもとの関係が崩れている……と感じたら――
ガッカリする必要はない。
即、【B】(=子どもの味方になる)の段階にもどり、【B】の層をぶ厚くすればいい。
あるいは【A】(=子どもと一体になる)にもどり【A】の層をぶ厚くすればいい。
【もどる】勇気と決断力があれば、子育ては何度でもやり直せる。
ただ、ひとつ、心したいのは、教師と親は違う。
教師は親ではない……ということだ。
姉でも、兄でも、先輩でも、友人でもない。
1年間限定の教科担任だ。
あるいは、1年間限定の学級担任だ。
この「わきまえ」が必要だ。
いい気になると――すなわち、親の代わりなどと思うと――かならず落とし穴に堕ちる。
(4)ノンバーバルコミュニケーション。
子どもは、話の内容もそうだが、親や教師のしぐさ、表情、姿勢、態度、語調、雰囲気と「対話」している。
口では「うるえェ〜」と反抗しながら、よく見ている。
聞き耳を立てて、よく聞いている。
だから、このノンバーバルコミュニケーションを軽く考えてはいけない。
先輩から「教師は絶対に腕組みをするな」と注意を受けたが、このことを言っているのだろう。
「切れる姿」を見せるなどもってのほかだ。
「切れることば」もそうだ。
これは人としての倫理に反する。
(5)個人面談で鍛える(←教師限定の話として)
個人面談やチャンス相談は、奥が深い。
そして、これが【教育の出発点】だ。
ずっと以前、Dr.海原純子さんと、仕事で打ち合わせする機会があった。
ほとんど、もう、向かい合った瞬間だった――彼女が一言二言話した。
ただ、それだけなのに、僕の身体からこわばりが溶けた。
これっていったいなんなんだろう?
スゴイ!と思った。
同時に、僕も相手にそんなふうに感じさせるように修業したい思った。
カウンセリング理論を学びながら、僕たちは「個人面談」をやって、やって、やり通して、中学生の心を捉えているものがゆっくりと動き出し、言葉に転換され外に出てくる長い過程を共にできるだけの、器量をゲットしたい。
その力を、徐々に学級や学年という全体に応用する。
「個人面談」ができないと、教師は、全体には語れない。
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2014年04月01日
★組織づくりのポイント!(1)学年の教師力のバランス(2)適材適所主義(3)学級担任力
★組織編成のポイント
――もちろん、実際の「会議」でこれをこのままぜんぶしゃべったわけではない。
そんなことをやると、当然、僕は【消滅】の憂き目にあう。
このブログの記事に「これは実際にこのまま言った」=○
「これは言わなかった」=×
「これはこういうふうに変換して言った」=△
……というような注意記号をつけるといいのかもしれない。
ただ、今回はこういう記号はつけない。
今後、ぜひ、検討したい。)
【1】バカ者同士が仲良くやっているような校務分掌チームを廃す。
サムライ中の教職員は、
@学年部会
A校務分掌(総務・教務・研修・生徒指導・保健等の)部会
B領域(道徳・特別活動等の)部会
C教科(国語・社会等の)部会と、4つの部会に所属して仕事をする。
「C教科」は所持免許が関係するから「どのように組織を編成するか?」とはあまり関係がないが、だれが何年生を担当するか?では「@学年部会」と密接な関係が生じる。
これまでもくりかえしくりかえし述べてきたことだが、不作為を見て見ぬフリをし【バカ者同士】が仲良くやっているような組織を廃す。
あるいは、【賢い者同士】が牽制し合っているような組織を廃す。
組織の停滞&緩みの背後には、必ず「バカ者同士が仲良くやっている」あるいは「賢い者同士が牽制し合っている」空気が存在する。
こういう空気をぶち破らないと学校はよくならない!
教師の組織には結構、こういうのが多いから注意が必要だ。
「仲良しのバカ者同士」も困るし、「牽制し合う賢い者同士」も困るが、どちらかというと前者が困る。
「牽制し合う賢い者同士」は「バカなこと」はしないが、「仲良しのバカ者同士」は、とんでもない「バカなこと」をやらかすからだ。
ただ、こうは言っても、自分が「牽制し合う賢い者同士」や「仲良しのバカ者同士」がいっぱい存在する組織に入ったら、いったいどうすればいいのか?
つまるところ、【1対多数の激突】にならざるをえない。
相当な【覚悟】が必要だ。
この【激突】&【覚悟】はこの記事テーマから離れるので、いずれ、別記事で書く。
僕は【橋下徹大阪市長】のやり方が参考になると思っている。(「教育」の考え方そのものは、橋下氏と僕は大きく異なる。)
ま、とにかく「バカ者同士が仲良くやっているような組織&チームを廃す」姿勢でがんばっていこう!
常に真摯な姿勢!
チャレンジ精神!
本音!
プラス思考!……。
どの部会も、伸びやかな精神のつながりが生まれ、重要な価値が交換され、創造的な仕事ができる環境づくりに努めよう!
【2】3つの学年(1・2・3学年)の教師力のバランスをギリギリまで追究。
【学年部会】は、学校の経営をリアルに左右する。
自動車の運転に似ている。
ハンドル操作を誤ると車は、一瞬のうちに大破する。
僕は何度も【大破現場】を経験してきた。
【校務分掌】や【領域】は、大破までにやや時間がある。
その分、修正の余裕がある。
【学年部会】のハンドルミスは、絶対、修正不能!
1・2・3各学年の教師の力(教育指導力・マネジメント力等々)を、3.333……と3.333……と3.333……になるように組織した。
もちろん、人は機械ではない。
3.333……などと計算できるはずがない。
あたりまえだ。
でも、それをギリギリまでやる。
どうしても出る凹凸の凸は、ぜんぶ1学年に回した。
1学年経営が失敗すると、あとから立て直すことがひじょうにむずかしくなる。
荒れる学校をみていると、原因の多くは1学年経営にある。
逆に、1学年経営がうまくいくと、(これまでの経験からいえば)2・3学年がうまくいく可能性が大きくなる。
【3】徹底!適材適所(最適任者)主義。
教育史・教育哲学史の中に自らの分掌を位置づけて仕事ができる、専門的技量を有する人材。
日本国(具体的には中教審答申等)と分掌運営を直結してプロの仕事ができる人材。
組織編成のとき、いつも、「育成主義」か、「適材適所(最適任者)」主義かに悩む。
ホンマに苦しむ。
今年度も、ホンマにホンマに苦しんだ。
僕が昔、仕えた校長に、教職員にいろいろな校務を計画的に経験させて育てていくという方針で組織作りをする方がいた。
2年間、教務主任をやったら、次の年は生徒指導主任……という具合に。
僕はこの校長の影響を強く受けている。
できることなら、計画的にいろいろなポジションを……という気持ちがある。
しかし、現実にはなかなかむずかしい。
特に今年度は、危機管理という観点から各部署のトラブルへの対応力をアップし、教職員のエネルギー配分を「危機管理に90%」「教育哲学に10%」というような教育現場から、「危機管理40%・教育哲学60%」への脱出を、大きな目標に掲げている関係上、どうしても適材適所(最適任者)主義をとらざるを得ない。
教職員の中には、ずいぶん偏った起用法だと不満に思っている人が、きっといると思う。
【4】学級担任力の保証
学級担任の教育力の維持を図るという観点から適切な配置に努めた。
僕は中学校の学級担任制がベストだとは考えていない。
(もっとはっきりいうと、学級担任制については、毎年、「やめたい、やめたい……これが日本の中学教育の諸悪の根源だ……」と思いながら、ウジウジし、なかなか決断できない。
【学級担任制をやめる勇気】がないのだ。
ということで……)
今年もまた学級担任制を採用することになった。
採用する以上、生徒や保護者に対して【学級担任力は保証】しなければならない。
【お試し期間中の学級担任】などありえない。
そのため、一昨年は学級担任兼教務主任、昨年は学級担任兼学年主任というカタチをとった。
幸い今年はこの「兼務」状態を解消することができた上に、一定の学級担任力を維持することができた。
【5】トラブルへの対応能力アップ。
トラブル対応能力については、「焼き」が入っているというレベルまで腕をあげよう。
下記の記述は、第1次安倍自民大敗後の新聞記事の切り抜きだが、僕は、文中の「掃除」を「ちょっとしたトラブル」と読みかえている。
◇「掃除の下手な大工は仕事もアカン」と語ったのは、大阪万博の日本庭園をはじめとして生涯に120余りの茶室を手がけた数寄屋大工の中村外二さんである。
◇駆け出しの職人は木の削り屑に肌で触れ、道具の使い方や仕事の段取りなどを先輩大工から盗む。
掃除が下手であることは基本の学習を怠ってきた証しであり、いい家が造れるはずもない、と。(中略)
掃除下手の棟梁に社会保障や外交・安保という大建築が手に負えるか、疑問を感じた有権者もいただろう(後略――新聞の切り抜き引用、以上)
【6】組織づくりは「0」からの出発を。
若い頃、1学年に所属になった。
その最初の会議で、学年主任が「うちの学年では……」「うちの学年のやり方は……」を連発するので、これからみんなで「うちの学年」をつくるのではないのか……と強烈な違和感をもったことがある。
組織づくりは、絶対に「0」からの出発でなくてはならない。
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