2014年04月01日
★組織づくりのポイント!(1)学年の教師力のバランス(2)適材適所主義(3)学級担任力
★組織編成のポイント
――もちろん、実際の「会議」でこれをこのままぜんぶしゃべったわけではない。
そんなことをやると、当然、僕は【消滅】の憂き目にあう。
このブログの記事に「これは実際にこのまま言った」=○
「これは言わなかった」=×
「これはこういうふうに変換して言った」=△
……というような注意記号をつけるといいのかもしれない。
ただ、今回はこういう記号はつけない。
今後、ぜひ、検討したい。)
【1】バカ者同士が仲良くやっているような校務分掌チームを廃す。
サムライ中の教職員は、
@学年部会
A校務分掌(総務・教務・研修・生徒指導・保健等の)部会
B領域(道徳・特別活動等の)部会
C教科(国語・社会等の)部会と、4つの部会に所属して仕事をする。
「C教科」は所持免許が関係するから「どのように組織を編成するか?」とはあまり関係がないが、だれが何年生を担当するか?では「@学年部会」と密接な関係が生じる。
これまでもくりかえしくりかえし述べてきたことだが、不作為を見て見ぬフリをし【バカ者同士】が仲良くやっているような組織を廃す。
あるいは、【賢い者同士】が牽制し合っているような組織を廃す。
組織の停滞&緩みの背後には、必ず「バカ者同士が仲良くやっている」あるいは「賢い者同士が牽制し合っている」空気が存在する。
こういう空気をぶち破らないと学校はよくならない!
教師の組織には結構、こういうのが多いから注意が必要だ。
「仲良しのバカ者同士」も困るし、「牽制し合う賢い者同士」も困るが、どちらかというと前者が困る。
「牽制し合う賢い者同士」は「バカなこと」はしないが、「仲良しのバカ者同士」は、とんでもない「バカなこと」をやらかすからだ。
ただ、こうは言っても、自分が「牽制し合う賢い者同士」や「仲良しのバカ者同士」がいっぱい存在する組織に入ったら、いったいどうすればいいのか?
つまるところ、【1対多数の激突】にならざるをえない。
相当な【覚悟】が必要だ。
この【激突】&【覚悟】はこの記事テーマから離れるので、いずれ、別記事で書く。
僕は【橋下徹大阪市長】のやり方が参考になると思っている。(「教育」の考え方そのものは、橋下氏と僕は大きく異なる。)
ま、とにかく「バカ者同士が仲良くやっているような組織&チームを廃す」姿勢でがんばっていこう!
常に真摯な姿勢!
チャレンジ精神!
本音!
プラス思考!……。
どの部会も、伸びやかな精神のつながりが生まれ、重要な価値が交換され、創造的な仕事ができる環境づくりに努めよう!
【2】3つの学年(1・2・3学年)の教師力のバランスをギリギリまで追究。
【学年部会】は、学校の経営をリアルに左右する。
自動車の運転に似ている。
ハンドル操作を誤ると車は、一瞬のうちに大破する。
僕は何度も【大破現場】を経験してきた。
【校務分掌】や【領域】は、大破までにやや時間がある。
その分、修正の余裕がある。
【学年部会】のハンドルミスは、絶対、修正不能!
1・2・3各学年の教師の力(教育指導力・マネジメント力等々)を、3.333……と3.333……と3.333……になるように組織した。
もちろん、人は機械ではない。
3.333……などと計算できるはずがない。
あたりまえだ。
でも、それをギリギリまでやる。
どうしても出る凹凸の凸は、ぜんぶ1学年に回した。
1学年経営が失敗すると、あとから立て直すことがひじょうにむずかしくなる。
荒れる学校をみていると、原因の多くは1学年経営にある。
逆に、1学年経営がうまくいくと、(これまでの経験からいえば)2・3学年がうまくいく可能性が大きくなる。
【3】徹底!適材適所(最適任者)主義。
教育史・教育哲学史の中に自らの分掌を位置づけて仕事ができる、専門的技量を有する人材。
日本国(具体的には中教審答申等)と分掌運営を直結してプロの仕事ができる人材。
組織編成のとき、いつも、「育成主義」か、「適材適所(最適任者)」主義かに悩む。
ホンマに苦しむ。
今年度も、ホンマにホンマに苦しんだ。
僕が昔、仕えた校長に、教職員にいろいろな校務を計画的に経験させて育てていくという方針で組織作りをする方がいた。
2年間、教務主任をやったら、次の年は生徒指導主任……という具合に。
僕はこの校長の影響を強く受けている。
できることなら、計画的にいろいろなポジションを……という気持ちがある。
しかし、現実にはなかなかむずかしい。
特に今年度は、危機管理という観点から各部署のトラブルへの対応力をアップし、教職員のエネルギー配分を「危機管理に90%」「教育哲学に10%」というような教育現場から、「危機管理40%・教育哲学60%」への脱出を、大きな目標に掲げている関係上、どうしても適材適所(最適任者)主義をとらざるを得ない。
教職員の中には、ずいぶん偏った起用法だと不満に思っている人が、きっといると思う。
【4】学級担任力の保証
学級担任の教育力の維持を図るという観点から適切な配置に努めた。
僕は中学校の学級担任制がベストだとは考えていない。
(もっとはっきりいうと、学級担任制については、毎年、「やめたい、やめたい……これが日本の中学教育の諸悪の根源だ……」と思いながら、ウジウジし、なかなか決断できない。
【学級担任制をやめる勇気】がないのだ。
ということで……)
今年もまた学級担任制を採用することになった。
採用する以上、生徒や保護者に対して【学級担任力は保証】しなければならない。
【お試し期間中の学級担任】などありえない。
そのため、一昨年は学級担任兼教務主任、昨年は学級担任兼学年主任というカタチをとった。
幸い今年はこの「兼務」状態を解消することができた上に、一定の学級担任力を維持することができた。
【5】トラブルへの対応能力アップ。
トラブル対応能力については、「焼き」が入っているというレベルまで腕をあげよう。
下記の記述は、第1次安倍自民大敗後の新聞記事の切り抜きだが、僕は、文中の「掃除」を「ちょっとしたトラブル」と読みかえている。
◇「掃除の下手な大工は仕事もアカン」と語ったのは、大阪万博の日本庭園をはじめとして生涯に120余りの茶室を手がけた数寄屋大工の中村外二さんである。
◇駆け出しの職人は木の削り屑に肌で触れ、道具の使い方や仕事の段取りなどを先輩大工から盗む。
掃除が下手であることは基本の学習を怠ってきた証しであり、いい家が造れるはずもない、と。(中略)
掃除下手の棟梁に社会保障や外交・安保という大建築が手に負えるか、疑問を感じた有権者もいただろう(後略――新聞の切り抜き引用、以上)
【6】組織づくりは「0」からの出発を。
若い頃、1学年に所属になった。
その最初の会議で、学年主任が「うちの学年では……」「うちの学年のやり方は……」を連発するので、これからみんなで「うちの学年」をつくるのではないのか……と強烈な違和感をもったことがある。
組織づくりは、絶対に「0」からの出発でなくてはならない。
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