鉄舟寺(てっしゅうじ)は、静岡県静岡市清水区にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は補陀落山。本尊は千手観音菩薩。
歴史
推古天皇の御代に秦氏の出身である久能忠仁が現在の久能山東照宮付近に建立した堂に始まり、その後奈良時代の僧行基が来山して久能寺と号したという(『久能寺縁起』)。平安時代に入って天台宗に改められ、建穂寺と駿河を二分する勢いで栄えた。1570年(永禄13年)武田信玄が久能山に城を作る(久能城)ため現在地に移され、宗旨も変わり新義真言宗(真言宗根来派)に属することになる。
江戸時代には朱印寺領として200石余りを与えられ、多くの支坊を有したが、江戸時代後期あたりから衰退し、明治に入ると無住(住職がいないこと)になって寺は荒廃してしまった。
その後、旧幕臣で明治以降に静岡藩権大参事も務めたこともある山岡鉄舟が、臨済寺から今川貞山を招いて復興し、寺号も鉄舟寺と改められた。そのため鉄舟の書跡の遺品も多い。
文化財等
国宝
法華経(久能寺経)19巻
現存最古の一品経(法華経二十八品を一巻毎に書写したもの)。現在は東京国立博物館に寄託。永治2年(1142年)待賢門院の出家に際して、鳥羽法皇や美福門院をはじめ、近臣や女房らが加わった、逆修供養のために結縁書写された。元は法華経二十八品に開教と結経を加えた三十巻か、或いは更に『阿弥陀経』『般若心経』を加えた三十二巻本だったと想定される。鉄舟寺にはそのうち17巻分伝わっており、他に五島美術館に2巻(重文)、東京国立博物館に3巻(重文)、個人に4巻(国宝)の計26巻が現存している。鉄舟寺所蔵品の員数は19巻だが、そのうち陀羅尼品第二十六と普賢菩薩勧発品第二十八の2巻は補配本と見なされる。
なぜこのように立派な経典が都から遠く離れた地に納められたのか、は不明である。諸説として、京の戦乱を避けるため東国武士によって移された、鳥羽法皇の離宮であった安楽寿院や上皇がしばしば詣でた熊野三山と久能寺との関係性、などが挙げられている。
「譬喩品」は待賢門院自らの結縁によるもので、その写経の筆者は近侍の女房中納言の弟で、当代屈指の能書で知られた藤原定信。また、書写名は不明だが「安楽行品」の書は穏やかで優美な行書気味の書風で、当時の能書の中でも特に優れた人物の手になる。
所在地 静岡県静岡市清水区村松2188
位置 北緯34度59分33.6秒 東経138度28分59.0秒
山号 補陀落山
宗旨 臨済宗
宗派 妙心寺派
本尊 千手観音菩薩
文化財 法華経 19巻(国宝)
錫杖(重要文化財)ほか
2024年10月23日
2024年10月21日
彦根城(ひこねじょう)は、近江国犬上郡彦根(現在の滋賀県彦根市金亀町)にある城
彦根城(ひこねじょう)は、近江国犬上郡彦根(現在の滋賀県彦根市金亀町)にある城。江戸時代には彦根藩の政庁が置かれた。天守、附櫓及び多聞櫓は国宝、城跡は特別史跡かつ琵琶湖国定公園第1種特別地域である。天守が国宝指定された5城のうちの一つでもある(他は犬山城、松本城、姫路城、松江城)。彦根八景・琵琶湖八景に選定されている。
構造
城の形式は連郭式平山城。本丸、二の丸、三の丸と北側に山崎曲輪が配置された。御殿は二の丸に置かれた。本丸に天守、西の丸と山崎曲輪に三重櫓が建てられた。山崎曲輪三重櫓は明治初期に破却された。なお、城の北側には玄宮園と楽々園という大名庭園が配されており、これらは「玄宮楽々園」として国の名勝に指定されている。玄宮園、楽々園はかつて松原内湖(戦中・戦後に干拓)に面しており、入江内湖も望める絶景であった。
なお、現存例の少ない築城の技法でもある「登り石垣」が良好な形で保存されている。この石垣は、天秤櫓の向かって右が牛蒡積み(野面積みの一種)、向かって左が落し積みとなっている。
文化財
国宝
天守
附櫓及び多聞櫓(1棟)
重要文化財
天秤櫓
太鼓門及び続櫓(1棟)
西の丸三重櫓及び続櫓(1棟)
佐和口多聞櫓
馬屋
所在地
滋賀県彦根市金亀町1-1
利用情報
日本100名城スタンプラリーのスタンプは彦根城開国記念館に設置されている。
屋形船(内堀を観光船で巡る)
山崎御門前←→玄宮園前船着場
アクセス
鉄道
彦根駅(JR西日本 東海道本線(琵琶湖線)・近江鉄道本線(彦根・多賀大社線))から彦根ご城下巡回バスで彦根城停留所下車、徒歩すぐ(※季節運行)。
同駅から徒歩約15分。
タクシー
米原駅(JR東海 東海道新幹線・東海道本線、JR西日本 東海道本線(琵琶湖線)・北陸本線、近江鉄道本線(彦根・多賀大社線))から約20分。
彦根駅から約5分。
自動車
名神高速道路 彦根ICから車で約5分。
北陸自動車道 米原ICから車で約20分。
国道8号 :彦根市・外町交差点で国道306号と交差。
国道306号 :彦根市・外町交差点が終点。
国道307号 :彦根市・原町交差点が起点。
駐車場
彦根城駐車場(1日1,000円)
構造
城の形式は連郭式平山城。本丸、二の丸、三の丸と北側に山崎曲輪が配置された。御殿は二の丸に置かれた。本丸に天守、西の丸と山崎曲輪に三重櫓が建てられた。山崎曲輪三重櫓は明治初期に破却された。なお、城の北側には玄宮園と楽々園という大名庭園が配されており、これらは「玄宮楽々園」として国の名勝に指定されている。玄宮園、楽々園はかつて松原内湖(戦中・戦後に干拓)に面しており、入江内湖も望める絶景であった。
なお、現存例の少ない築城の技法でもある「登り石垣」が良好な形で保存されている。この石垣は、天秤櫓の向かって右が牛蒡積み(野面積みの一種)、向かって左が落し積みとなっている。
文化財
国宝
天守
附櫓及び多聞櫓(1棟)
重要文化財
天秤櫓
太鼓門及び続櫓(1棟)
西の丸三重櫓及び続櫓(1棟)
佐和口多聞櫓
馬屋
所在地
滋賀県彦根市金亀町1-1
利用情報
日本100名城スタンプラリーのスタンプは彦根城開国記念館に設置されている。
屋形船(内堀を観光船で巡る)
山崎御門前←→玄宮園前船着場
アクセス
鉄道
彦根駅(JR西日本 東海道本線(琵琶湖線)・近江鉄道本線(彦根・多賀大社線))から彦根ご城下巡回バスで彦根城停留所下車、徒歩すぐ(※季節運行)。
同駅から徒歩約15分。
タクシー
米原駅(JR東海 東海道新幹線・東海道本線、JR西日本 東海道本線(琵琶湖線)・北陸本線、近江鉄道本線(彦根・多賀大社線))から約20分。
彦根駅から約5分。
自動車
名神高速道路 彦根ICから車で約5分。
北陸自動車道 米原ICから車で約20分。
国道8号 :彦根市・外町交差点で国道306号と交差。
国道306号 :彦根市・外町交差点が終点。
国道307号 :彦根市・原町交差点が起点。
駐車場
彦根城駐車場(1日1,000円)
2024年10月13日
與賀神社(よかじんじゃ、与賀神社)は、佐賀県佐賀市にある神社
與賀神社(よかじんじゃ、与賀神社)は、佐賀県佐賀市にある神社。旧社格は県社。
「与賀神社」とも書き、官公庁での案内など大部分はこちらの表記が用いられている。
祭神
主祭神
与止日女神 (よどひめのかみ)=豊玉姫命(とよたまひめ)
神社では主神の与止日女神を豊玉姫命と同一の存在として、海神の娘で竜宮城の姫であり神武天皇の祖母である、としている。
配祀神
八幡神 彦火々出見命(ひこほほでみのみこと)
住吉神 綿津見命(わたつみのみこと)
乙宮神 宗像三女神(むなかたさんじょしん)
印鑰神 天児屋根命(あめのこやね)
応神天皇(おうじんてんのう)
菅原道真公(すがわらみちざねこう)
文化財
重要文化財(国指定)
与賀神社楼門
室町時代後期 - 安土桃山時代。1913年(大正2年)、当時の古社寺保存法に基づき特別保護建造物(文化財保護法下の「重要文化財」に相当)に指定された。総丹塗で正面三間、側面二間、屋根は入母屋造で当初杮葺であったが後世銅板葺屋根に改められた。楼門は、与賀城の城門が残っている伝承がある。
与賀神社三の鳥居及び石橋
三の鳥居 - 神社の参道は「八丁馬場」といわれ千数百メートルの間に3基の肥前鳥居がある。このうち三の鳥居は石造明神鳥居で「肥前鳥居」の初期のものとして有名である。
石橋 - 鳥居をくぐった先、小川にかけられた石造反橋で橋脚6基18本、擬宝珠(10個)高蘭付で、擬宝珠に慶長11年(1606年)の銘がある。鳥居とともに鍋島直茂が朝鮮出兵から無事帰還したことを祝い寄進された。桃山時代の地方的特色がみられる。
太刀 銘 康(以下不明)(伝康光)
与賀神社の御神刀として伝わる。銘は一部不明だが、備前国(岡山県東部)長船康光の作とされている。刃の長さ二尺四寸、手の内七寸七分、鎬造、反り八分、刃紋小乱れ。藩祖鍋島直茂が所望したが神慮を畏り、「与賀神社の永代の神宝物とせよ」と仰せつけたとの伝がある。
所在地 佐賀県佐賀市与賀町2-50
位置 北緯33度14分54.91秒 東経130度17分41.27秒
主祭神 与止日女神(=豊玉姫命)
社格等 旧県社
創建 (伝)欽明天皇25年(564年)
本殿の様式 五間社流造
例祭 10月第4日曜日(おくんち)
主な神事 4月19日(春祭・祈年祭)
7月29日(夏祭・夏越大祓)
8月7日(七夕祭)
12月6日(新嘗祭)
「与賀神社」とも書き、官公庁での案内など大部分はこちらの表記が用いられている。
祭神
主祭神
与止日女神 (よどひめのかみ)=豊玉姫命(とよたまひめ)
神社では主神の与止日女神を豊玉姫命と同一の存在として、海神の娘で竜宮城の姫であり神武天皇の祖母である、としている。
配祀神
八幡神 彦火々出見命(ひこほほでみのみこと)
住吉神 綿津見命(わたつみのみこと)
乙宮神 宗像三女神(むなかたさんじょしん)
印鑰神 天児屋根命(あめのこやね)
応神天皇(おうじんてんのう)
菅原道真公(すがわらみちざねこう)
文化財
重要文化財(国指定)
与賀神社楼門
室町時代後期 - 安土桃山時代。1913年(大正2年)、当時の古社寺保存法に基づき特別保護建造物(文化財保護法下の「重要文化財」に相当)に指定された。総丹塗で正面三間、側面二間、屋根は入母屋造で当初杮葺であったが後世銅板葺屋根に改められた。楼門は、与賀城の城門が残っている伝承がある。
与賀神社三の鳥居及び石橋
三の鳥居 - 神社の参道は「八丁馬場」といわれ千数百メートルの間に3基の肥前鳥居がある。このうち三の鳥居は石造明神鳥居で「肥前鳥居」の初期のものとして有名である。
石橋 - 鳥居をくぐった先、小川にかけられた石造反橋で橋脚6基18本、擬宝珠(10個)高蘭付で、擬宝珠に慶長11年(1606年)の銘がある。鳥居とともに鍋島直茂が朝鮮出兵から無事帰還したことを祝い寄進された。桃山時代の地方的特色がみられる。
太刀 銘 康(以下不明)(伝康光)
与賀神社の御神刀として伝わる。銘は一部不明だが、備前国(岡山県東部)長船康光の作とされている。刃の長さ二尺四寸、手の内七寸七分、鎬造、反り八分、刃紋小乱れ。藩祖鍋島直茂が所望したが神慮を畏り、「与賀神社の永代の神宝物とせよ」と仰せつけたとの伝がある。
所在地 佐賀県佐賀市与賀町2-50
位置 北緯33度14分54.91秒 東経130度17分41.27秒
主祭神 与止日女神(=豊玉姫命)
社格等 旧県社
創建 (伝)欽明天皇25年(564年)
本殿の様式 五間社流造
例祭 10月第4日曜日(おくんち)
主な神事 4月19日(春祭・祈年祭)
7月29日(夏祭・夏越大祓)
8月7日(七夕祭)
12月6日(新嘗祭)
2024年10月09日
常楽院(じょうらくいん)は、埼玉県飯能市にある真言宗智山派の寺院
常楽院(じょうらくいん)は、埼玉県飯能市にある真言宗智山派の寺院である。通称は高山不動(たかやまふどう)。
本尊は軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)。成田不動、高幡不動に加えて関東三大不動の一つとされる。(ただし、高山不動に代えて埼玉県加須市の不動ヶ岡不動または神奈川県伊勢原市の大山不動とする説もある。)
歴史
飯能市郊外の山間部に位置する。伝承によれば白雉5年(654年)、藤原鎌足の子の長覚坊、三輪神社の別当宝勝坊、藤原氏の臣である岩田三兄弟が創建したという。その後716年、行基が五大明王像を造り、そのうちの1体が現存する軍荼利明王像であるという。以上の草創縁起は伝承の域を出ないものであり、正確な創建時期は明らかでない。
平安時代末期には高山氏の祖、坂東八平氏秩父党の秩父重綱の子重遠が居住し、高山氏を称した。
寺は標高600メートルほどの山中に位置する。不動堂からさらに1キロほど登ったところに奥の院があり、関八州見晴台と称されている。
行事
4月15日 - 春季大祭。火生三昧(火渡り式)が行われる。2000年(平成12年)5月5日には、埼玉新聞社の「21世紀に残したい・埼玉ふるさと自慢100選」に火生三昧が選出された。
交通アクセス
公共交通
西武秩父線西吾野駅から徒歩約1時間。
道路
飯能市街からは国道299号を秩父方面へ西進。吾野トンネル(西)交差点で埼玉県道61号越生長沢線・顔振峠方面へ右折、最初の三叉路を左へ曲がり、同市大字上長沢方面へと進む。狭路。西吾野駅方面から車でのアクセスは不可能。
越生町方面からも、県道61号線、奥武蔵グリーンライン、顔振峠を経由してアクセス可。ただし、2020年1月2日現在も令和元年東日本台風(台風19号)の影響により通行不可。
その他
正月三が日、秘仏開扉時などに臨時の送迎バスが西武秩父線吾野駅(西吾野駅ではない)から出る場合がある。その他の公共交通機関はない。
所在地 埼玉県飯能市高山346
位置 北緯35度56分24秒 東経139度13分09秒
山号 高貴山
宗派 真言宗智山派
本尊 軍荼利明王
創建年 白雉5年(654年)
正式名 高貴山常楽院
別称 高山不動、高山不動尊
文化財 木造軍茶利明王立像(国指定重要文化財)
本尊は軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)。成田不動、高幡不動に加えて関東三大不動の一つとされる。(ただし、高山不動に代えて埼玉県加須市の不動ヶ岡不動または神奈川県伊勢原市の大山不動とする説もある。)
歴史
飯能市郊外の山間部に位置する。伝承によれば白雉5年(654年)、藤原鎌足の子の長覚坊、三輪神社の別当宝勝坊、藤原氏の臣である岩田三兄弟が創建したという。その後716年、行基が五大明王像を造り、そのうちの1体が現存する軍荼利明王像であるという。以上の草創縁起は伝承の域を出ないものであり、正確な創建時期は明らかでない。
平安時代末期には高山氏の祖、坂東八平氏秩父党の秩父重綱の子重遠が居住し、高山氏を称した。
寺は標高600メートルほどの山中に位置する。不動堂からさらに1キロほど登ったところに奥の院があり、関八州見晴台と称されている。
行事
4月15日 - 春季大祭。火生三昧(火渡り式)が行われる。2000年(平成12年)5月5日には、埼玉新聞社の「21世紀に残したい・埼玉ふるさと自慢100選」に火生三昧が選出された。
交通アクセス
公共交通
西武秩父線西吾野駅から徒歩約1時間。
道路
飯能市街からは国道299号を秩父方面へ西進。吾野トンネル(西)交差点で埼玉県道61号越生長沢線・顔振峠方面へ右折、最初の三叉路を左へ曲がり、同市大字上長沢方面へと進む。狭路。西吾野駅方面から車でのアクセスは不可能。
越生町方面からも、県道61号線、奥武蔵グリーンライン、顔振峠を経由してアクセス可。ただし、2020年1月2日現在も令和元年東日本台風(台風19号)の影響により通行不可。
その他
正月三が日、秘仏開扉時などに臨時の送迎バスが西武秩父線吾野駅(西吾野駅ではない)から出る場合がある。その他の公共交通機関はない。
所在地 埼玉県飯能市高山346
位置 北緯35度56分24秒 東経139度13分09秒
山号 高貴山
宗派 真言宗智山派
本尊 軍荼利明王
創建年 白雉5年(654年)
正式名 高貴山常楽院
別称 高山不動、高山不動尊
文化財 木造軍茶利明王立像(国指定重要文化財)
2024年10月07日
種間寺(たねまじ)は、高知県高知市にある真言宗豊山派の寺院
種間寺(たねまじ)は、高知県高知市にある真言宗豊山派の寺院。本尾山(もとおざん)、朱雀院(すざくいん)と号す。本尊は薬師如来。四国八十八箇所第三十四番札所。安産祈願の寺である。
本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
ご詠歌:世の中にまける五穀(ごこく)のたねまでら 深き如来の大悲(たいひ)なりけり
納経印:当寺本尊、奥之院瑠璃光佛
歴史
寺伝によれば用明天皇在位(585年 - 587年)の頃、四天王寺を建立するため来日した百済の仏師が帰国の際に暴風に襲われてこの地に近い秋山の港に漂着、航海の安全を祈願して薬師如来刻んで本尾山頂に安置したのが起源であるという。その後、弘仁年間(810年 – 824年)に空海(弘法大師)が巡錫し、堂宇を建立し仏師が刻んだ薬師如来を本尊として安置して開基したといい、その際に唐から持ち帰った五穀の種を境内に蒔いたことから寺号が定められたという。
天暦年間(947年 - 957年)には村上天皇が藤原信家を勅使にして「種間」の勅額を下賜。土佐藩主からの信仰も得ていた。神仏分離令で明治4年(1871年)に廃寺となり跡地には春日神社が創建された。本尊は近くの池田観音堂に移してあったが、明治13年(1880年)現在地に再興される。
文化財
重要文化財
木造薬師如来坐像:木造、漆箔、140.3 cm、平安時代後期、大正2年8月20日指定
高知市指定有形文化財
木造薬師如来立像:一木造り、像高32.3 cm、平安時代後期、昭和54年5月26日指定
石造手水鉢:高さ38 cm、直径55 cm、延宝5年 (1677年) 作、昭和56年12月4日指定
交通案内
鉄道
四国旅客鉄道(JR四国) 土讃線 – 朝倉駅 (7.5 km)
バス
とさでん交通 「春野庁舎前」下車 (0.8 km)
道路
高知県道279号甲殿弘岡上線 種間寺前 (0.1 km)
所在地 高知県高知市春野町秋山72番地
位置 北緯33度29分30.2秒 東経133度29分15.3秒
山号 本尾山
院号 朱雀院
宗派 真言宗豊山派
本尊 薬師如来
創建年 (伝)弘仁年間(810年 – 824年)
開基 (伝)空海(弘法大師)
正式名 本尾山 朱雀院 種間寺
札所等 四国八十八箇所34番
文化財 木造薬師如来坐像(重要文化財)
本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
ご詠歌:世の中にまける五穀(ごこく)のたねまでら 深き如来の大悲(たいひ)なりけり
納経印:当寺本尊、奥之院瑠璃光佛
歴史
寺伝によれば用明天皇在位(585年 - 587年)の頃、四天王寺を建立するため来日した百済の仏師が帰国の際に暴風に襲われてこの地に近い秋山の港に漂着、航海の安全を祈願して薬師如来刻んで本尾山頂に安置したのが起源であるという。その後、弘仁年間(810年 – 824年)に空海(弘法大師)が巡錫し、堂宇を建立し仏師が刻んだ薬師如来を本尊として安置して開基したといい、その際に唐から持ち帰った五穀の種を境内に蒔いたことから寺号が定められたという。
天暦年間(947年 - 957年)には村上天皇が藤原信家を勅使にして「種間」の勅額を下賜。土佐藩主からの信仰も得ていた。神仏分離令で明治4年(1871年)に廃寺となり跡地には春日神社が創建された。本尊は近くの池田観音堂に移してあったが、明治13年(1880年)現在地に再興される。
文化財
重要文化財
木造薬師如来坐像:木造、漆箔、140.3 cm、平安時代後期、大正2年8月20日指定
高知市指定有形文化財
木造薬師如来立像:一木造り、像高32.3 cm、平安時代後期、昭和54年5月26日指定
石造手水鉢:高さ38 cm、直径55 cm、延宝5年 (1677年) 作、昭和56年12月4日指定
交通案内
鉄道
四国旅客鉄道(JR四国) 土讃線 – 朝倉駅 (7.5 km)
バス
とさでん交通 「春野庁舎前」下車 (0.8 km)
道路
高知県道279号甲殿弘岡上線 種間寺前 (0.1 km)
所在地 高知県高知市春野町秋山72番地
位置 北緯33度29分30.2秒 東経133度29分15.3秒
山号 本尾山
院号 朱雀院
宗派 真言宗豊山派
本尊 薬師如来
創建年 (伝)弘仁年間(810年 – 824年)
開基 (伝)空海(弘法大師)
正式名 本尾山 朱雀院 種間寺
札所等 四国八十八箇所34番
文化財 木造薬師如来坐像(重要文化財)
2024年10月05日
善勝寺(ぜんしょうじ)は、群馬県前橋市端気町にある天台宗の寺院
善勝寺(ぜんしょうじ)は、群馬県前橋市端気町にある天台宗の寺院である。本尊は鉄造阿弥陀如来坐像(重要文化財)。
伝説
正嘉2年(1258年)に北条時頼が善勝寺を訪れた時のこととして、次のような伝説がある。その頃の住持、覚山は門前の桜の木をこよなく愛していたが、そこを出家の身となり諸国行脚をしていた時頼がたまたま訪れ、覚山と語り合った。時頼は桜を褒めるとともに、海がないのに塩釜桜があることに驚き、以下の和歌を詠み桜の枝に短冊を捧げた。
海毛那久 磯辺毛遠幾 古乃里爾 何礼乃阿満賀 植之塩釜
(うみもなく いそべもとおき このさとに いずれのあまが うえししおがま)
この桜は既に枯れて現存しないが、貞享元年(1684年)の『前橋風土記』は、善勝寺の門前に長さ数十丈の桜の古木が2本存在し、花が開くさまは白雲が天を覆うが如くだったことを伝えている。
文化財
重要文化財
鉄造阿弥陀如来坐像 - 仁治4年(1243年)の在銘で、鎌倉時代の作。丈2尺8寸8分(約90センチメートル)、重さ23貫400匁(約88キログラム)。元和元年(1615年)に小坂子村の水田中から発見され、小堂に安置されていたが明治12年(1879年)に善勝寺に献納され本尊となった。昭和3年(1928年)古社寺保存法により旧国宝に指定、昭和25年(1950年)文化財保護法により重要文化財指定。背面に以下の陽鋳銘がある。
所在地 群馬県前橋市端気町337
位置 北緯36度24分41.5秒 東経139度5分59.6秒
山号 艮場山
院号 慧雲院
宗旨 天台宗
本尊 阿弥陀如来(重要文化財)
創建年 延暦または大同年間(790年〜806年)
開山 勝道
正式名 艮場山 慧雲院 善勝寺
札所等 関東百八地蔵尊第23番
関東薬師霊場第47番
文化財 鉄造阿弥陀如来坐像(重要文化財)
伝説
正嘉2年(1258年)に北条時頼が善勝寺を訪れた時のこととして、次のような伝説がある。その頃の住持、覚山は門前の桜の木をこよなく愛していたが、そこを出家の身となり諸国行脚をしていた時頼がたまたま訪れ、覚山と語り合った。時頼は桜を褒めるとともに、海がないのに塩釜桜があることに驚き、以下の和歌を詠み桜の枝に短冊を捧げた。
海毛那久 磯辺毛遠幾 古乃里爾 何礼乃阿満賀 植之塩釜
(うみもなく いそべもとおき このさとに いずれのあまが うえししおがま)
この桜は既に枯れて現存しないが、貞享元年(1684年)の『前橋風土記』は、善勝寺の門前に長さ数十丈の桜の古木が2本存在し、花が開くさまは白雲が天を覆うが如くだったことを伝えている。
文化財
重要文化財
鉄造阿弥陀如来坐像 - 仁治4年(1243年)の在銘で、鎌倉時代の作。丈2尺8寸8分(約90センチメートル)、重さ23貫400匁(約88キログラム)。元和元年(1615年)に小坂子村の水田中から発見され、小堂に安置されていたが明治12年(1879年)に善勝寺に献納され本尊となった。昭和3年(1928年)古社寺保存法により旧国宝に指定、昭和25年(1950年)文化財保護法により重要文化財指定。背面に以下の陽鋳銘がある。
所在地 群馬県前橋市端気町337
位置 北緯36度24分41.5秒 東経139度5分59.6秒
山号 艮場山
院号 慧雲院
宗旨 天台宗
本尊 阿弥陀如来(重要文化財)
創建年 延暦または大同年間(790年〜806年)
開山 勝道
正式名 艮場山 慧雲院 善勝寺
札所等 関東百八地蔵尊第23番
関東薬師霊場第47番
文化財 鉄造阿弥陀如来坐像(重要文化財)
2024年09月28日
満願寺(まんがんじ)は、熊本県阿蘇郡南小国町満願寺にある高野山真言宗の寺院
満願寺(まんがんじ)は、熊本県阿蘇郡南小国町満願寺にある高野山真言宗の寺院である。山号は立護山。本尊は地蔵菩薩。九州観音霊場三十三ヶ所第16番。
歴史
小国郷は鎌倉時代に承久の乱により公家の葉室氏から北条氏の所領となった。満願寺は文永11年(1274年)、文永の役の際、鎮西奉行北条時定が国土安泰を祈願して建立したと伝える。
文化財
重要文化財(国指定)
絹本著色伝北条時定像・伝北条時宗像 - 頂相(禅僧の肖像)形式の肖像画。伝時宗像は、実際には時定の嫡子・定宗の像と推定されている。
天然記念物(国指定)
金比羅スギ - 満願寺建立の折に時定が植えたと伝えられる杉。樹齢1000年、幹周り12メートル、樹高約30メートル。
所在地 熊本県阿蘇郡南小国町満願寺2292番地
位置 北緯33度4分34.1秒 東経131度5分45.4秒
山号 立護山
宗旨 古義真言宗
宗派 高野山真言宗
本尊 地蔵菩薩
正式名 立護山滿願寺
札所等 九州三十三観音霊場第十六番札所
肥後三十三観音霊場第二番札所
歴史
小国郷は鎌倉時代に承久の乱により公家の葉室氏から北条氏の所領となった。満願寺は文永11年(1274年)、文永の役の際、鎮西奉行北条時定が国土安泰を祈願して建立したと伝える。
文化財
重要文化財(国指定)
絹本著色伝北条時定像・伝北条時宗像 - 頂相(禅僧の肖像)形式の肖像画。伝時宗像は、実際には時定の嫡子・定宗の像と推定されている。
天然記念物(国指定)
金比羅スギ - 満願寺建立の折に時定が植えたと伝えられる杉。樹齢1000年、幹周り12メートル、樹高約30メートル。
所在地 熊本県阿蘇郡南小国町満願寺2292番地
位置 北緯33度4分34.1秒 東経131度5分45.4秒
山号 立護山
宗旨 古義真言宗
宗派 高野山真言宗
本尊 地蔵菩薩
正式名 立護山滿願寺
札所等 九州三十三観音霊場第十六番札所
肥後三十三観音霊場第二番札所
2024年09月26日
北野天満宮(きたのてんまんぐう、英: Kitano-Tenmangu Shrine)は、京都市上京区にある神社(天満宮)
北野天満宮(きたのてんまんぐう、英: Kitano-Tenmangu Shrine)は、京都市上京区にある神社(天満宮)。二十二社(下八社)の一社。旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。旧称は北野神社。神紋は「星梅鉢紋」。 通称として天神さん・北野さんとも呼ばれる。全国の天満宮、天神社、菅原社など約1万2000社であり、福岡県太宰府市の太宰府天満宮とともに天神信仰の中心で、当社から全国各地に勧請が行われている。近年は学問の神として多くの受験生から信仰されている。
祭神
主祭神 - 菅原道真公
相殿神
中将殿 - 菅原高視(道真長子)を指す。
吉祥女 - 道真正室を指す。
境内
本殿(国宝)
石の間(国宝)
拝殿(国宝)
楽の間(国宝)
慶長12年(1607年)に豊臣秀頼が片桐且元を奉行として再建。入母屋造の本殿と、同じく入母屋造の拝殿の間を「石の間」で接続して1棟とする、八幡造(権現造のもと)の社殿である。当神社の場合は拝殿の左右に「楽の間」が接続して複雑な屋根構成となる。その事から「八棟造」とも呼ばれる。屋根はすべて檜皮葺き。本殿、石の間、拝殿、楽の間を合わせて1棟としており、国宝に指定されている。
廻廊(重要文化財)
三光門(中門、重要文化財) - 勅額「天満宮」は後西天皇の宸筆。
透塀(重要文化財)
後門(重要文化財) - かつては舎利門と呼ばれていた。
北門
茶室「明月舎」
牛舎
紅梅殿
東門(重要文化財) - 慶長12年(1607年)に豊臣秀頼により再建。
社務所
神楽殿
宝物殿
絵馬所
楼門
文道会館
梅苑「花の庭」 - 明治時代までこの地には、北野社神宮寺成就院(成就坊)があり、そこには俳諧の祖と仰がれる松永貞徳が作庭した庭園「花の庭」があった(一説には祇園にあったともされる)。「花の庭」は、妙満寺塔頭・成就院の「雪の庭」(現在は本坊の庭)、清水寺塔頭・成就院の「月の庭」とで、成就院「雪月花の三名園」と呼ばれていたが、明治時代に成就院が廃されると「花の庭」も壊された。しかし、2022年(令和4年)に残されていた庭石を利用して「花の庭」が復興された。
太閤井戸 - 豊臣秀吉が北野大茶湯で水を汲んだという井戸。
茶室「松向軒」 - 秀吉が大茶湯を行った時に細川忠興が作った茶室を復元したもの。
御土居(国の史跡) - 豊臣秀吉が京都を守るために作った土塁。
もみじ苑
茶室「梅交軒」
北野天満宮御旅所
現地情報
所在地
京都府京都市上京区馬喰町
交通アクセス
京都市営バス(10・50・51・55・急行101・急行102・203系統)で「北野天満宮前」バス停下車 (下車後徒歩すぐ)
北門からほど近く、桜の名所でもある平野神社の境内を通って西大路通の「衣笠校前」バス停に抜けることもできる。
京福電気鉄道北野線 北野白梅町駅下車 東へ徒歩6分
かつての交通
1912年には、京都駅との間に京都電気鉄道北野線(後の京都市電堀川線、通称「北野線」)が走るようになった。また、1958年までは神社の前まで京福電気鉄道北野線が乗り入れていたが、京都市電今出川線建設のため、北野 - 白梅町間の路線を市電に譲る形で営業路線を短縮し、白梅町(この時、駅名を北野白梅町と改名)止まりとなった。
主祭神 菅原道真公
社格等 二十二社(下八社)
旧官幣中社
別表神社
創建 天暦元年(947年)
本殿の様式 八棟造
別名 北野爾坐天満宮天神
天満大自在天神社
天満天神
北野天神
北野聖廟
北野社
北野神社
札所等 菅公聖蹟二十五拝
洛陽天満宮二十五社順拝
神仏霊場巡拝の道第95番(京都第15番)
例祭 8月4日
祭神
主祭神 - 菅原道真公
相殿神
中将殿 - 菅原高視(道真長子)を指す。
吉祥女 - 道真正室を指す。
境内
本殿(国宝)
石の間(国宝)
拝殿(国宝)
楽の間(国宝)
慶長12年(1607年)に豊臣秀頼が片桐且元を奉行として再建。入母屋造の本殿と、同じく入母屋造の拝殿の間を「石の間」で接続して1棟とする、八幡造(権現造のもと)の社殿である。当神社の場合は拝殿の左右に「楽の間」が接続して複雑な屋根構成となる。その事から「八棟造」とも呼ばれる。屋根はすべて檜皮葺き。本殿、石の間、拝殿、楽の間を合わせて1棟としており、国宝に指定されている。
廻廊(重要文化財)
三光門(中門、重要文化財) - 勅額「天満宮」は後西天皇の宸筆。
透塀(重要文化財)
後門(重要文化財) - かつては舎利門と呼ばれていた。
北門
茶室「明月舎」
牛舎
紅梅殿
東門(重要文化財) - 慶長12年(1607年)に豊臣秀頼により再建。
社務所
神楽殿
宝物殿
絵馬所
楼門
文道会館
梅苑「花の庭」 - 明治時代までこの地には、北野社神宮寺成就院(成就坊)があり、そこには俳諧の祖と仰がれる松永貞徳が作庭した庭園「花の庭」があった(一説には祇園にあったともされる)。「花の庭」は、妙満寺塔頭・成就院の「雪の庭」(現在は本坊の庭)、清水寺塔頭・成就院の「月の庭」とで、成就院「雪月花の三名園」と呼ばれていたが、明治時代に成就院が廃されると「花の庭」も壊された。しかし、2022年(令和4年)に残されていた庭石を利用して「花の庭」が復興された。
太閤井戸 - 豊臣秀吉が北野大茶湯で水を汲んだという井戸。
茶室「松向軒」 - 秀吉が大茶湯を行った時に細川忠興が作った茶室を復元したもの。
御土居(国の史跡) - 豊臣秀吉が京都を守るために作った土塁。
もみじ苑
茶室「梅交軒」
北野天満宮御旅所
現地情報
所在地
京都府京都市上京区馬喰町
交通アクセス
京都市営バス(10・50・51・55・急行101・急行102・203系統)で「北野天満宮前」バス停下車 (下車後徒歩すぐ)
北門からほど近く、桜の名所でもある平野神社の境内を通って西大路通の「衣笠校前」バス停に抜けることもできる。
京福電気鉄道北野線 北野白梅町駅下車 東へ徒歩6分
かつての交通
1912年には、京都駅との間に京都電気鉄道北野線(後の京都市電堀川線、通称「北野線」)が走るようになった。また、1958年までは神社の前まで京福電気鉄道北野線が乗り入れていたが、京都市電今出川線建設のため、北野 - 白梅町間の路線を市電に譲る形で営業路線を短縮し、白梅町(この時、駅名を北野白梅町と改名)止まりとなった。
主祭神 菅原道真公
社格等 二十二社(下八社)
旧官幣中社
別表神社
創建 天暦元年(947年)
本殿の様式 八棟造
別名 北野爾坐天満宮天神
天満大自在天神社
天満天神
北野天神
北野聖廟
北野社
北野神社
札所等 菅公聖蹟二十五拝
洛陽天満宮二十五社順拝
神仏霊場巡拝の道第95番(京都第15番)
例祭 8月4日
2024年09月23日
長谷川邸(はせがわてい)は、新潟県長岡市塚野山にある江戸時代から近代にかけての豪農、長谷川家の旧宅
長谷川邸(はせがわてい)は、新潟県長岡市塚野山にある江戸時代から近代にかけての豪農、長谷川家の旧宅である。国の重要文化財。
概要
江戸時代初め頃から庄屋を務め、幕末から明治にかけては近郊4か村の耕地や山林の7割を独占していたとされる長谷川家の邸宅である。
街道に面し堀に囲まれた敷地は間口約70 m、奥行120 mに及び、内側には土塁生垣、正面には茅葺寄棟造りの表門がある[1][3]。茅葺寄棟造りの主屋は1706年(宝永3年)の大火で焼け、1716年(享保元年)に再建されたと伝えられている。
邸宅の周囲は旧魚沼街道(銀山街道)の塚山宿である。
施設は冬季を除き一般に開放されており、入館料を要する[1]。長谷川家収蔵品展示室では、長谷川家に伝わる書画や調度品などが展示されている。
新潟県内には伊藤邸(北方文化博物館)や笹川家住宅、市島邸、目黒邸をはじめ「豪農の館」と呼ばれる邸宅が多く残っているが、現存するものとしては長谷川邸が最古と言われている。
交通
JR信越本線 塚山駅より南西へ約1 km(徒歩約12分)
越後交通 長岡駅前=親沢=塚山=小国 線 「長谷川邸前」バス停より徒歩すぐ
駐車場あり(車59台、バス8台)
所在地 新潟県長岡市塚野山773番1
位置 北緯37度20分50.6秒 東経138度43分23.5秒
建築年 1716年(享保元年)
文化財 国の重要文化財
概要
江戸時代初め頃から庄屋を務め、幕末から明治にかけては近郊4か村の耕地や山林の7割を独占していたとされる長谷川家の邸宅である。
街道に面し堀に囲まれた敷地は間口約70 m、奥行120 mに及び、内側には土塁生垣、正面には茅葺寄棟造りの表門がある[1][3]。茅葺寄棟造りの主屋は1706年(宝永3年)の大火で焼け、1716年(享保元年)に再建されたと伝えられている。
邸宅の周囲は旧魚沼街道(銀山街道)の塚山宿である。
施設は冬季を除き一般に開放されており、入館料を要する[1]。長谷川家収蔵品展示室では、長谷川家に伝わる書画や調度品などが展示されている。
新潟県内には伊藤邸(北方文化博物館)や笹川家住宅、市島邸、目黒邸をはじめ「豪農の館」と呼ばれる邸宅が多く残っているが、現存するものとしては長谷川邸が最古と言われている。
交通
JR信越本線 塚山駅より南西へ約1 km(徒歩約12分)
越後交通 長岡駅前=親沢=塚山=小国 線 「長谷川邸前」バス停より徒歩すぐ
駐車場あり(車59台、バス8台)
所在地 新潟県長岡市塚野山773番1
位置 北緯37度20分50.6秒 東経138度43分23.5秒
建築年 1716年(享保元年)
文化財 国の重要文化財
2024年09月21日
高成寺(こうじょうじ)は、福井県小浜市青井にある臨済宗南禅寺派の寺院
高成寺(こうじょうじ)は、福井県小浜市青井にある臨済宗南禅寺派の寺院。山号は青井山。本尊は千手観音菩薩。 小浜公園の敷地に隣接する。元は暦応2年(1339年)に足利尊氏の命を受け諸国に建立した若狭国安国寺である。康永3年(1344年)に炎上したため、若狭守護であった大高重成が高成寺として再興した。寺号は大高重成の名に由来する。 若狭観音霊場第20番札所でもある。
文化財
重要文化財
木造千手観音立像
紙本墨書印可状(建武四年十二月梵竺仙とあり)(附 紙本墨書履践集(観応二年八月法延の自序あり)1冊、紙本墨書大高重成状(五月十三日とあり)1幅、絹本著色大年和尚図(弘治二年の賛あり)1幅)
開山の大年和尚が師の竺仙梵僊から嗣法の証として与えられたもの。附指定の履践集は大念の自叙伝。大高重成状は当寺の大檀那である重成が大年和尚に対し青井山堂建立について送った書状である。大年和尚図は、大年和尚の姿を描いたもので、縦121cm、横52cm。
交通アクセス
JR西日本小浜線小浜駅から徒歩で15分
舞鶴若狭自動車道小浜ICから約5km
国道27号後瀬から約2km
所在地 福井県小浜市青井1-11-1
位置 北緯35度29分33.1秒 東経135度43分56.9秒
山号 青井山(あおいさん)
宗派 臨済宗南禅寺派
本尊 千手観音菩薩
創建年 暦応2年(1339年)
開基 大年和尚
正式名 青井山高成寺
札所等 若狭観音霊場 第20番
文化財 木造千手観音立像、紙本墨書印可状(重要文化財)
文化財
重要文化財
木造千手観音立像
紙本墨書印可状(建武四年十二月梵竺仙とあり)(附 紙本墨書履践集(観応二年八月法延の自序あり)1冊、紙本墨書大高重成状(五月十三日とあり)1幅、絹本著色大年和尚図(弘治二年の賛あり)1幅)
開山の大年和尚が師の竺仙梵僊から嗣法の証として与えられたもの。附指定の履践集は大念の自叙伝。大高重成状は当寺の大檀那である重成が大年和尚に対し青井山堂建立について送った書状である。大年和尚図は、大年和尚の姿を描いたもので、縦121cm、横52cm。
交通アクセス
JR西日本小浜線小浜駅から徒歩で15分
舞鶴若狭自動車道小浜ICから約5km
国道27号後瀬から約2km
所在地 福井県小浜市青井1-11-1
位置 北緯35度29分33.1秒 東経135度43分56.9秒
山号 青井山(あおいさん)
宗派 臨済宗南禅寺派
本尊 千手観音菩薩
創建年 暦応2年(1339年)
開基 大年和尚
正式名 青井山高成寺
札所等 若狭観音霊場 第20番
文化財 木造千手観音立像、紙本墨書印可状(重要文化財)