北野天満宮(きたのてんまんぐう、英: Kitano-Tenmangu Shrine)は、京都市上京区にある神社(天満宮)。二十二社(下八社)の一社。旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。旧称は北野神社。神紋は「星梅鉢紋」。 通称として天神さん・北野さんとも呼ばれる。全国の天満宮、天神社、菅原社など約1万2000社であり、福岡県太宰府市の太宰府天満宮とともに天神信仰の中心で、当社から全国各地に勧請が行われている。近年は学問の神として多くの受験生から信仰されている。
祭神
主祭神 - 菅原道真公
相殿神
中将殿 - 菅原高視(道真長子)を指す。
吉祥女 - 道真正室を指す。
境内
本殿(国宝)
石の間(国宝)
拝殿(国宝)
楽の間(国宝)
慶長12年(1607年)に豊臣秀頼が片桐且元を奉行として再建。入母屋造の本殿と、同じく入母屋造の拝殿の間を「石の間」で接続して1棟とする、八幡造(権現造のもと)の社殿である。当神社の場合は拝殿の左右に「楽の間」が接続して複雑な屋根構成となる。その事から「八棟造」とも呼ばれる。屋根はすべて檜皮葺き。本殿、石の間、拝殿、楽の間を合わせて1棟としており、国宝に指定されている。
廻廊(重要文化財)
三光門(中門、重要文化財) - 勅額「天満宮」は後西天皇の宸筆。
透塀(重要文化財)
後門(重要文化財) - かつては舎利門と呼ばれていた。
北門
茶室「明月舎」
牛舎
紅梅殿
東門(重要文化財) - 慶長12年(1607年)に豊臣秀頼により再建。
社務所
神楽殿
宝物殿
絵馬所
楼門
文道会館
梅苑「花の庭」 - 明治時代までこの地には、北野社神宮寺成就院(成就坊)があり、そこには俳諧の祖と仰がれる松永貞徳が作庭した庭園「花の庭」があった(一説には祇園にあったともされる)。「花の庭」は、妙満寺塔頭・成就院の「雪の庭」(現在は本坊の庭)、清水寺塔頭・成就院の「月の庭」とで、成就院「雪月花の三名園」と呼ばれていたが、明治時代に成就院が廃されると「花の庭」も壊された。しかし、2022年(令和4年)に残されていた庭石を利用して「花の庭」が復興された。
太閤井戸 - 豊臣秀吉が北野大茶湯で水を汲んだという井戸。
茶室「松向軒」 - 秀吉が大茶湯を行った時に細川忠興が作った茶室を復元したもの。
御土居(国の史跡) - 豊臣秀吉が京都を守るために作った土塁。
もみじ苑
茶室「梅交軒」
北野天満宮御旅所
現地情報
所在地
京都府京都市上京区馬喰町
交通アクセス
京都市営バス(10・50・51・55・急行101・急行102・203系統)で「北野天満宮前」バス停下車 (下車後徒歩すぐ)
北門からほど近く、桜の名所でもある平野神社の境内を通って西大路通の「衣笠校前」バス停に抜けることもできる。
京福電気鉄道北野線 北野白梅町駅下車 東へ徒歩6分
かつての交通
1912年には、京都駅との間に京都電気鉄道北野線(後の京都市電堀川線、通称「北野線」)が走るようになった。また、1958年までは神社の前まで京福電気鉄道北野線が乗り入れていたが、京都市電今出川線建設のため、北野 - 白梅町間の路線を市電に譲る形で営業路線を短縮し、白梅町(この時、駅名を北野白梅町と改名)止まりとなった。
主祭神 菅原道真公
社格等 二十二社(下八社)
旧官幣中社
別表神社
創建 天暦元年(947年)
本殿の様式 八棟造
別名 北野爾坐天満宮天神
天満大自在天神社
天満天神
北野天神
北野聖廟
北野社
北野神社
札所等 菅公聖蹟二十五拝
洛陽天満宮二十五社順拝
神仏霊場巡拝の道第95番(京都第15番)
例祭 8月4日
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