2024年11月24日
ef52製品化の舞台裏:こんなところにもマイクロエースの色が出ていた。
引用先 https://drfc-ob.com/wp/archives/124480
ef52はマイクロエースでも製品化されましたが、ef52も製品化できたのもそこはマイクロエース
ならではの色が出ていたということでした。
●ef52がマイクロエースから製品化されたのか?
引用先 https://railwayinmemory.sakura.ne.jp/HP049_EF52(2)_HanwaLine.html
マイクロエースがef52をなぜ?製品化したかというと
理由ですが、
マイクロエースですが他社では製品化しないニッチでマニアックな
車両を製品化することがよくありますが、
これはマイクロエースならではの色が出ているということになりますが、
その例が国鉄がこれまでに採用した蒸気機関車のcクラス、dクラス、eクラス
をすべて製品化したのがその一例ですが、
これについてはその後の交流電気機関車でもed70からed79、ef70と
ef71まですべて製品化してしまったのですから、
他のメーカーではない色が出ていたということになります。
そうした流れで旧型電気機関車の分野でも他社が製品化しない
マイナーな車両を製品化するという方向で製品化された車両の
一つがef52でしたが、
これも今考えてみたら画期的なことでありましたが、
ef52はnゲージでは長年ブラスキットでしか手に入らなかったですし、
ブラスキットになると腕に自信がある方向けですから、
敷居が高いと感じている方が多数いるというところに
マイクロエースが完成品としてef52を送り出したということでした。
ちなみにマイクロエースが製品化したef52もワールド工芸が製品化したef52
と同じef52 7号機ですが、
もしかしたらマイクロエースではワールド工芸が製品化したef52
を手本にしたのではないでしょうか。
実際にed18もnゲージではワールド工芸が製品化し、
その後にマイクロエースが製品化していますから。
●マイクロエースが製品化したef52は?
引用先 https://www.pacific571.com/html/58_el01.html
マイクロエースが製品化したef52は晩年に
竜華機関区に所属していた車両で、
ef52 7号機とef52 3号機となりますが、廃車になったのが
早いのがef52 3号機でしたが、
ef52 7号機は1975年の夏まで貨物列車の運用につき、
引退するときは臨時急行きのくに53号と55号を担当して
引退しましたが、
今考えてみたら今から50年前にそういうことがありましたが、
この時は12月に室蘭本線と夕張線で蒸気機関車の運転が
終わったということもあり、
蒸気機関車の撮影に多くの鉄道好きの方が訪れていた
だけにその中で引退することになったのですから、
ef52にとっても最後も不運だったということですが、
そうした不運な車両すら製品化するマイクロエース
もすごいメーカーであります。
●ef52もマイクロエースから再生産されるか?
引用先 https://ameblo.jp/ten-riu1962/entry-12437780747.html
マイクロエースでは、ef52については7号機と3号機を
製品化していますが、今のところ再生産の気配すら
ありませんが、将来的にどうなのでしょうか。
ただ、2022年の暮れにef53 10号機とef56 10号機が
製品化されましたがこの時は、車体の色がぶどう1号
でしたから、
マイクロエースでef52を改良再生産するとなれば
車体の色はぶどう1号になってもおかしくないですし、
そうなると配属されていた機関区も鳳機関区仕様
になるのではないでしょうか。
ただ、今のところマイクロエースからef52の
再生産の話はありませんが、もしかしたら
と考えていきますと、
ef52が再生産されるということもあっても
おかしくないということになります。
●ef52でマイロエースの製品もマイクエースならではの特色が出ていた。
引用先 https://drfc-ob.com/wp/archives/124480
マイクロエースのef52も今考えてみたら画期的な製品でもありましたし、
マイクロエースがef52を製品化できたのも、他社が製品化しないものを
作るというマイクロエースならではの特色が出ていた製品に一つになります。
2024年11月23日
ワールド工芸がef52を製品化することができた具体的な理由。
引用先 https://drfc-ob.com/wp/archives/124480
ef52ですがnゲージはワールド工芸が初めて製品化しましたが、
なぜ?ef52をワールド工芸が製品化できたのでしょうか。
●ワールド工芸が最初に製品化したef52はボディーキットだった。
引用先 https://railwayinmemory.sakura.ne.jp/HP049_EF52(2)_HanwaLine.html
nゲージの分野では製品化の機会がなかったef52ですが
1990年にワールド工芸が製品化しましたが、
この時はカトーのef57の動力ユニットを使い車体を
乗せ換えるボディーキットとして製品化されましたが、
その当時販売されたボディーキットは今もヤフオクに出品されていますし、
高速運転機として登場したef54もこの後に製品化
していますが、ef54についてはワールド工芸でも
1度きりでありましたし、
ef54には大阪駅で入れ替え作業を担当していた
ef14のナンバープレートも含まれていたということで、
ef54のボディーキットが販売された時、複数買いした方も
いるのではないでしょうか。
それくらいにその当時はデッキ付きの急客機の分野の
製品が少なかったということをあらわしていますが、
今はマイクロエースではプラスチック、
ワールド工芸ではブラスキットでデッキ付きの
急客機が製品化されていますから、
ワールド工芸のef52は今考えてみたら本当に
画期的なことだったということになりますが、
その後のnゲージの分野で完成品の急客機が
充実してきたのですから、
そういう意味ではワールド工芸のef52は
デッキ付きの急客機が増えていくきっかけとなった製品
となります。
●ワールド工芸が製品化したef52は7号機をモデルとしていた。
引用先 https://www.pacific571.com/html/58_el01.html
ワールド工芸で製品化されたef52ですがモデルとなった
車両はというと、ef52で最後まで残ったef52 7号機
になりますが、
それであればワールド工芸でもef52を製品化するに
当たって兵庫県にある川崎重工兵庫工場にef52 7号機の
取材を依頼した上で、
細かな部分などを写真に撮影して、製品化に生かしたと
推測することができますが、
ワールド工芸がef52を製品化した時点で保存されている
ef52ですが、大阪にあった交通科学館に保存されていた
1号機と川崎重工兵庫工場の7号機だけですから、
それであれば比較的に人の出入りが少ないところに保存されていた
7号機が製品化に当たって取材されたと推測することが
できます。
●ワールド工芸のef52も人気にある製品だった。
引用先 https://ameblo.jp/ten-riu1962/entry-12437780747.html
ワールド工芸で製品化されたef52もこれまでいろいろと
改良されてきましたが、
2021年に再生産された製品は完全なブラスの組み立てキットで
出来上がった際には金属モデル特有の重量感がある車両に
完成されることができますから、
腕に自信がある方向けの製品ですし、2021年に販売された
組み立てキットもあっという間に売り切れてしまったのですから、
この手の分野で腕に自信のある方達が購入しましたが、
ef52のようなマイナーな車両はブラスキットの分野でこそ
製品化されやすい車両となるのではないでしょうか。
●ワールド工芸のef52はデッキ付きの急客機を増やしていくきっかけとなった。
引用先 https://drfc-ob.com/wp/archives/124480
ワールド工芸が製品化したef52ですが、これまでnゲージの分野では
ほとんど製品化されることがなかったデッキ付きの急客機を増やしていく
きっかけとなった製品ですし、
ブラスの組み立てキットは
今も根強く人気のある製品で再生産されるたびに売り切れと
なっています。
nゲージでもマイナー車両のef52を歴代の製品を比較してみた。
引用先 https://drfc-ob.com/wp/archives/124480
阪和線で貨物列車を担当していたef52ですが、nゲージでも製品化されて
きましたが、細かな違いなどを比較してみました。
●ef52はnゲージではワールド工芸とマイクロエースの製品がある。
引用先 https://railwayinmemory.sakura.ne.jp/HP049_EF52(2)_HanwaLine.html
ef52ですが、nゲージの分野ではこれまでにワールド工芸と
マイクロエースから製品が出ていますが、
ワールド工芸とマイクロエースのef52はメーカーごとの
個性も出ています。
●ef52をnゲージで製品化したのはワールド工芸。
引用先 https://www.pacific571.com/html/58_el01.html
nゲージの分野で最初に登場したef52はワールド工芸が製品化
しましたが、
いつ製品が販売されたかということについてですが、
鉄道模型考古学nの記事によると1990年のことですから
今から34年前になりますが、
この当時ですがnゲージの分野では戦前に作られたデッキ付きの
急客機はカトーのef57だけでしたから、
そこにワールド工芸がブラスキットで参入しました。
ワールド工芸がnゲージで最初にブラスキットで製品化したのが
初代のef50でしたが、初代のef50は動力ユニットがゴムベルト
方式でありましたが、
なぜそうなってしまったかというと、ef50ですが側面に魚腹になっている
関係でnゲージの曲線でもr280のカーブが曲がり切れなかったということで
初代のef50は動力ユニットがゴムベルト方式になっていたということですが、
動力ユニットについてはef52が製品化された1990年にカトーのef57の
動力ユニットを使う方式に変わりましたが、
この方式になったのは同じ年に販売されたef53からです。
そうした流れでef52も製品化されましたが、
ワールド工芸が製品化したef52はブラス製の車体と先台車がセットになった
ものですが、ef52で採用した先台車ですがef53、ef56の前期型にも取り入れられた
ということですが、
これをnゲージでどう再現するかというのはその当時のモデラーの技量が
試されていたということですが、
ワールド工芸から販売されたef52の組み立てキットには先台車も含まれて
いましたからこれまで戦前に作られたデッキ付きの急客機の一番の問題が
解消されたということです。
その当時、製品化されたワールド工芸のef52ですが値段は3500円になります。
そして2021年に再生産になったワールド工芸のef52は完全な組み立てキットで
ファインスケールを重視、動力ユニットも専用の物をセットしたものが製品化
されていますが、値段は税込みで18,700円 になりますが、
完成した際にはブラスキットならではの重量感があるものに仕上がります。
●ef52はマイクロエースでも製品化した。
引用先 https://ameblo.jp/ten-riu1962/entry-12437780747.html
nゲージの分野ではブラスキットしかなかったef52ですかが、プラスチックの
完成品も登場することになりました。
それがマイクロエースのef52になりますが、マイクロエースといえば1996年の
暮れにd51で再びnゲージの分野に参入して以来、他社が製品化しないものを
次々と製品化してきました。
そうした流れでデッキ付きの旧型電気機関車の分野でも他社が製品化
しないものを製品化してきましたがその一つがef52になります。
マイクロエースが製品化したef52は、
今から20年前の2004年の4月に
ef52 7号機が販売されましたが、
今考えてみたらずいぶん前のことになりますが、
その当時の販売価格が7480円でしたが、
ef52といえばnゲージではブラスキット以外しかなかった分野に
ついにプラスチックの完成品が登場しました。
そして2013年の7月にはef52の中で数少ない
変形機のef52 3号機も製品化しましたが、
ef52 3号機ですが本来ならば縦型の
省型よろい戸の部分が3段のポケット型の
通風器になっているところが最大の特徴に
なりますが、
さすがにef52 3号機が出たときには驚いた
という方もいたくらいですからそれだけ
インパクトがあった製品になりますし、
ef52も阪和線で貨物列車を担当していた
当時ですが重連運転もありましたから、
ef52 7号機が販売してから9年が経過して
それが実現したということになります。
マイクロエースから販売されたef52 3号機ですが
販売された際の価格は9,790円と7号機より高めの
値段でありました。
●ef52もnゲージの分野でも古くから製品も存在していた。
引用先 https://drfc-ob.com/wp/archives/124480
ef52も製品化が難しい車両の一つでありますが、nゲージの分野でも
それなりに古くから製品があるということですが、
それだけef52がnゲージの分野でもマイナーな車両ゆえ、製品化に
ならなかったということが表れていました。
2024年11月20日
ef52の謎 阪和線で貨物列車担当したその理由とは?
引用先 https://drfc-ob.com/wp/archives/124480
ef52は阪和線で貨物列車を担当していましたが、なぜそうなったのでしょうか。
●ef52が阪和線で貨物列車を担当した理由。
引用先 https://railwayinmemory.sakura.ne.jp/HP049_EF52(2)_HanwaLine.html
ef52が阪和線で貨物列車を担当したのは、阪和線に通勤電車などが乗り入れる
関係でした。
●ef52が阪和線で貨物列車を担当したのは阪和線の作りだった。
引用先 https://www.pacific571.com/html/58_el01.html
ef52が晩年、阪和線で担当した貨物列車ですが、阪和線自体が高規格路線で
設計された関係でそうなりましたが、
元々阪和線も戦時中に国によって買収された路線ですが、阪和線自体も
その由来は複雑で開業当初は阪和電気鉄道でありましたが、
昭和15年に南海電鉄が併合し、南海電鉄山手線となり、
さらに昭和19年にその当時の鉄道省によって買収されて阪和線と
なりましたが、
阪和線ですがその前身にあたる阪和電鉄の建設については
京阪電鉄も関わっていました。
その関係で当初の計画では、今の阪急京都線のような広軌の
高規格路線を計画していましたが、
鉄道省から乗り入れる貨物列車と最終的には国によって買収される
ことを見据えた末、狭軌の高規格路線となりました。
そうした関係で阪和線で使われていた電車もモーターの
出力が200馬力の車両でありましたし、
電気機関車のロコ1000形
のちのed38も50トン級の電気機関車でありながらも
モーターの出力が220馬力の物を4個搭載していましたから、
国鉄が規格した路線とは全く異なるものでありました。
そうした関係で戦後になってからも阪和線については
戦時中に買収した際に使われていた元阪和電鉄の電車が昭和43年
まで使われていましたが、
元阪和電鉄の電車ですが、
車体の長さが19m級と国鉄の20m級の電車に
近かったということで、昭和43年に残っていた
車両が廃車になるまで使われていましたが、
戦時中に買収された電化路線の電車では
地方の私鉄に譲渡されることがなく、
廃車になったのちに2両だけが岩手県に
かつてあった松尾鉱山鉄道に譲渡されましたが、
最後は弘南鉄道に移動して1989年に廃車となりましたし、
ed38も引き続き阪和線で
使われていましたが、昭和30年代の中ころに廃車となり、
秩父鉄道に譲渡されました。
●ef52が阪和線で活躍できたのも阪和線が高規格路線だったから。
引用先 https://ameblo.jp/ten-riu1962/entry-12437780747.html
ef52が阪和線で貨物列車を担当したのは、阪和線が高規格路線であった関係で
大阪からも通勤電車なども乗り入れていましたから、
阪和線自体今も高速運転されている列車も設定されているのも作られた当初から
高規格路線だったことが、今につながっているということになりますから、
それであれば貨物列車についても高速運転できる電気機関車が必要になる
ということでef52が使われていたということでした。
●ef52が阪和線で担当した貨物列車は終わったのはいつか?
引用先 https://drfc-ob.com/wp/archives/124480
ef52ですが阪和線で貨物列車を担当したのはいつ頃だったかというと、
ef52 1号機と2号機が阪和線に来たのが1952年で紀勢線の直通列車を担当する
ために鳳機関区に来ました。
そして1956年から1958年にかけて残りの5両が鳳機関区に来たことで、貨物列車も
担当するようになりましたが、
阪和線に来たef52も、やっと本来の目的に使われることになりましたが、
ef52ですが当初の計画では貨物用として設計されたのが途中から区間旅客用の
電気機関車として設計変更されましたが、その結果、鉄道省の設計陣の方達も
満足がいかなかったということで、ef53が作られましたが、
以外にもef52ですが太平洋戦争の1942年から1944年にかけて国府津機関区に集結し
貨物列車も担当していましたし、ef52を高速運転に特化したef54から改造された
ef14も1944年に国府津機関区に配属されていましたから、
国府津機関区で貨物列車を担当したのも
阪和線での貨物列車を担当する前触れであった
のではないでしょうか。
そうした関係でef52が阪和線で貨物列車を担当することになりましたが、
1975年にef52が廃車になったことで、
ef52が阪和線で担当した貨物列車は終わりましたが、
その役目をef58が担当することとなりましたが、
その理由も阪和線が高規格路線であったからです。
●ef52が阪和線で貨物列車を担当できたのは高規格路線だったから。
引用先 https://www.pacific571.com/html/58_el01.html
ef52が阪和線で貨物列車を担当したのは、阪和線が高規格路線で作られた
ことが関係していましたが、そうでなかったらef52が阪和線で活躍することは
なかったということです。
nゲージで再現可能なef52が引退する頃の阪和線の貨物列車。
引用先 https://drfc-ob.com/wp/archives/124480
ef52は阪和線で貨物列車で活躍していましたが、昭和38年ころの貨物列車は
nゲージでも再現できますが、晩年に担当した貨物列車はどうなのでしょうか。
●ef52が晩年、阪和線で晩年担当した貨物列車もnゲージで再現できる。
引用先 https://railwayinmemory.sakura.ne.jp/HP049_EF52(2)_HanwaLine.html
ef52が阪和線で引退する頃まで担当した貨物列車はnゲージでも再現することが
できますが、昭和38年ころとは大きく変わっています。
●ef52が阪和線で担当した貨物列車は昭和30年代と晩年とでは違いも出ていた。
引用先 https://www.pacific571.com/html/58_el01.html
ef52が阪和線で担当した貨物列車ですが、昭和38年ころと晩年とではどう違うかというと、
昭和43年の10月のダイヤ改正で大正や昭和でも戦前に作られた貨車が、
この時のダイヤ改正を境にして廃車もしくは北海道封じ込め車に指定された
関係で、木造の有蓋車のワム3500などが消えていき、
代わりにパレット式のワム80000の中期型などの新型の貨車が登場することになりました。
●ef52が阪和線で担当した晩年の貨物列車に該当する貨車は?
引用先 https://ameblo.jp/ten-riu1962/entry-12437780747.html
ef52が阪和線で担当した貨物列車ですが昭和43年から引退する昭和50年まで
ですが、どんな貨車が該当するかというと、
有蓋車は10トン積みのワ10000にワ12000、15トン積みはというとワム20000、
ワム21000、ワム2000、ワム50000、ワム90000。
ワム60000、ワム70000、ワム80000と17トン積みのワム90000.
鉄製有蓋車のテム300、テラ1、陶器車のポム1、通風車のツム1000、
冷蔵車のレ12000、レム5000。
緩急車はワフ21000、ワフ22000、ワフ29000、ワフ295000、ワフ35000。
無蓋車はトム50000にトム6000。
17t積みのトラ30000、35000、40000、45000、25000、55000、70000.
チップ専用のトラ90000。
大型のトキ15000、25000。
事業用のホキ800。
ガソリン系のタキ3000、9900、35000。
などがありますが、
この中でワム80000の中期型やトラ70000、トキ25000が登場したのが
昭和40年以降に登場していますが、これらの貨車は昭和43年のダイヤ改正で廃車となった
古い貨車の代わりに登場したものですし、
戦前に作られたワム20000やワム21000などの年式の古い貨車も随時廃車となって
数を減らしてきている時期でもありました。
●ef52が晩年に阪和線で運転されていた貨物列車で使える貨車。
引用先 https://drfc-ob.com/wp/archives/124480
ef52が昭和30年代に担当した貨物列車については昭和38年ころについてはnゲージでも
それなりに再現することができますが、
逆に言えば、昭和38年ころよりもef52が引退する頃の昭和50年頃であれば
nゲージの製品を使って阪和線で運転さていたef52が担当した貨物列車が
再現しやすいということになりますが、
昭和43年からef52が引退する昭和50年の時点で阪和線で運転されていた貨物列車を
nゲージで再現するとなると今後、再生産されることが前提で見ていきますと、
トミックスやカトーからもいろいろと製品が出ていますが、どのようなものがあるか
というと、
カトーでは有蓋車のワム90000、ワ12000、ワム70000、ワラ1、鉄製有蓋車のテム300、
冷蔵車のレ12000、レム5000、通風車のツム1000、緩急車のワフ29500、
無蓋車のトキ15000、トキ25000、トラ45000、トラ55000、
チップ専用のトラ90000、
ガソリンタンク車のタキ3000、タキ9900、タキ35000、タム500が
あります。
車掌車ではヨ5000とヨ6000。
トミックスではワム90000、ワム50000、ワム70000、ワム60000、
ワム80000中期型。
通風車のツム1000、冷蔵車のレ12000、レム5000、陶器車のポム100、
トラ70000。
ガソリンタンク車のタキ3000がありますし、
事業用のホキ800もあります。
車掌車もヨ5000とヨ6000があります。
セットでは、
カトーの花輪線貨物セット
トミックスの東北本線貨物列車セット、羽越本線貨物列車セット
もありますから、単品とセットを組み合わせるとそれなりに
阪和線で運転されていたef52が担当した貨物列車も再現することが
できます。
●ef52が晩年、阪和線で担当した貨物列車の方が再現しやすい。
https://www.pacific571.com/html/58_el01.html
ef52が阪和線で担当した貨物列車ですが、nゲージでは昭和43年のダイヤ改正から引退する
昭和50年まで運転された貨物列車の方が再現しやすいということですが、
その場合、パレット式の貨車などが中心となります。
2024年11月18日
阪和線で貨物列車で活躍したef52 1号機と7号機の現在の保存場所。
引用先 https://drfc-ob.com/wp/archives/124480
阪和線で貨物列車を担当したef52ですが、廃車になった後で保存されている
車両もあります。
●ef52も保存されている車両もある。
引用先 https://railwayinmemory.sakura.ne.jp/HP049_EF52(2)_HanwaLine.html
1975年に廃車となったef52ですが、7両のうち2両が現在も保存されている車両が
あります。
●ef52の保存機の話の出所はヤフー知恵袋だった。
引用先 https://www.pacific571.com/html/58_el01.html
阪和線の貨物列車で使われたef52についてですが、
ヤフー知恵袋にこんな質問がありました。
「EF52形電気機関車は現存していますか?」
という質問が投稿されていましたが、2024年の時点で
保存されているef52がどこに何号機があるかなどについて
調べてみました。
●ef52で保存されている2両はどこにあるのか?
引用先 https://ameblo.jp/ten-riu1962/entry-12437780747.html
阪和線で貨物列車を担当したef52で、2024年の11月の時点で保存されている
車両は、
・京都鉄道博物館に保存されているef52 1号機。
・兵庫県にある川崎重工兵庫工場で保存されているef52 7号機。
がありますが、
前者は一般公開されていますが、
後者については非公開となっていますが、
7両作られたef52のうち、2両が保存されていますが、偶然にも1号機
と7号機というのも何かの力にが働いたのでしょうか?
ちなみに川崎重工兵庫工場で保存されているef52 7号機は
ワールド工芸がnゲージでef52を製品化する際にモデルと
した車両になります。
●ef52の保存機はいつ廃車になったのか?
引用先 https://drfc-ob.com/wp/archives/124480
京都鉄道博物館と川崎重工兵庫工場で保存されている2両のef52ですが
いつ廃車になったのかというと、
京都鉄道博物館で保存されているef52 1号機は1973年の2月23日付で
廃車となりましたが、
廃車になった後は奈良運転所の扇形車庫で保管されていましたが、
それから5年後の1978年に鷹取工場で整備されて、
大阪にあった交通科学館で保存されましたが、この時は準鉄道記念物
として指定されましたが、
ef52は、その後の鉄道省、国鉄で使われた電気機関車の基礎と
なった車両ですから準鉄道記念物に指定されるのも当然のことですし、
2004年に鉄道記念物に昇格するのも当然のことではないでしょうか。
そして2014年に交通科学館が閉館され、2016年の4月29日から京都鉄道
博物館で一般公開されています。
これに対してラストナンバーのef52 7号機は最後まで稼働したef52で
廃車になったのが1975年の11月6日になりますが、ef52 7号機とともに
最後まで残ったef52 2号機も一緒に廃車となりましたが、
ef52 7号機は引退が決まってその花道として1975年の8月24日に
さよなら運転で急行きのくに53号を担当して現役から退きました。
そして廃車になったef52 7号機ですが、川崎重工兵庫工場で作られた車両
ということで
その後、川崎重工兵庫工場へと運ばれて、今も大切に保存されていますが、
ef52 7号機は原則として非公開となっています。
それ以外のef52ですが廃車になったのはいつなのかというと、
・ef52 3号機はef52 1号機と同じ1973年の2月23日。
・ef52 4号機と5号機が1974年の10月12日。
・ef52 6号機が1974年の3月8日になります。
●ef52の保存自体にも意義がある。
引用先 https://www.pacific571.com/html/58_el01.html
阪和線の貨物列車を担当していたef52ですが、今もef52 1号機とef52 7号機が保存されていますが
こうした電気機関車を残すことこと自体に意義があるということではないでしょうか。
阪和線で使われたef52は欧米のパクリなのか?その真相について調べてみた。
引用先 https://drfc-ob.com/wp/archives/124480
晩年、阪和線で貨物列車を担当していたef52ですが、実は欧米のパクリではないのかという
話がありますが、その真相について調べてみました。
●ef52が欧米のパクリの話の出所はどこか?
引用先 https://railwayinmemory.sakura.ne.jp/HP049_EF52(2)_HanwaLine.html
阪和線で貨物列車を担当していたef52が欧米のパクリではないかという話ですが
出所はヤフー知恵袋にこんな質問が投稿されていました。
「中国の高速鉄道がパクリなら、国鉄EF52型電気機関車も欧米のパクリですか?」
実際にef52が欧米のパクリなのかということについて調べてみることにしました。
●ef52はアメリカから輸入したef51などを手本としていた。
引用先 https://www.pacific571.com/html/58_el01.html
阪和線で使われたef52ですが、欧米のパクリではなく、アメリカから輸入した
ed10、ed53後のed19、ef51などを手本にして作られた国産の旅客用の電気機関車でした。
●ef52が作られた具体的な理由とは?
引用先 https://ameblo.jp/ten-riu1962/entry-12437780747.html
晩年は阪和線で貨物列車を担当していたef52ですが、
作られた目的は2つありますが、
一つ目理由は、ef52が登場する前にアメリカ、イギリス、ドイツ、スイスから輸入した電気機関車とそれと
国産の日立が作ったed15型電気機関車がありましたが、
海外から輸入した電気機関車や国産のed15ですが、使われていた部品も異なって
いましたから、故障して修理する際も部品が異なりますからそれだけで大騒動
になってしまうということで、検修担当の方達も泣かされていましたし、
乗務員の方達も仕業点検なども異なっていましたから、その当時の電気機関車
についてはまともに使えた車両が少なかったということでした。
二つ目理由はef52が登場する直前、熱海線の熱海から小田原までの区間が
電化開業が控えていましたが、熱海から小田原までが電化されたのが、
1928年の2月25日なりますから、今から100年ほど前になりますが、
その関係が機関車が足りなかったということで旅客用の電気機関車が
必要になったということがありました。
そうした理由があって作られたのがef52になりますが、
ef52も熱海線の熱海から小田原までの区間が電化で開業してから
遅れて登場しました。
●ef52が欧米のパクリといわれる具体的な理由。
引用先 https://drfc-ob.com/wp/archives/124480
阪和線で貨物列車を担当したef52ですが、ヤフー知恵袋にもあった欧米のパクリでは
と言われているその理由は、車体の外見がアメリカから輸入した
ed10、ed53、ef51と似ているためですが、
なぜ?ed10、ed53、ef51がef52の手本になったかというと、
ed10、ed53、ef51は故障も少なく、整備しやすい
車両でありましたし、日本の線路事情にマッチした車両で
ありました。
その関係でef52の外見がアメリカンスタイルになっていますが、
細かいところを見ていきますと、ef51などと異なっている部分も
ありますがその一例が側面のよろい戸ですが、ef52で採用された
よろい戸は、戦前に作られたデッキ付きの電気機関車で
当たり前のように取り入れられていますし、
アメリカから輸入したed53がed19に改造された際ですが、
ed19 6号機以外を除く5両が省型よろい戸に交換されていますし、
窓周りも四隅にRがついているなど、アメリカから輸入された
ed10、ed53、ef51にはない点が随所にありますから、
ef52は欧米のパクリではないということになりますが、
それであればef52のあとに登場した
・ed16
引用先 https://raillab.jp/photo/203919
・ef53
引用先 https://www.omotetsu.com/shimada/ekidori/index.htm
・ef10 1〜16
引用先 https://tekkenweb.sakura.ne.jp/railwayloco/locoel2/lef10.html
・ef11 1〜3
引用先 https://raillab.jp/photo/84692
もアメリカンスタイルの車体ですから、見る角度を変えますと欧米の
パクリになるのではないでしょうか。
これらの電気機関車もef52を手本にして作られたものばかりになりますが、
戦前に作られた電気機関車で車体がモデルチェンジしたのは、
・ef56 1〜7
引用先 https://blog.goo.ne.jp/kiza/e/92786f605c1f5a68e13a4b1b6480915e
・ef10 17〜24
引用先 https://blog.goo.ne.jp/antonrokuichi/e/25c7314d3e2e22ffe44060e1455030b1
・ef11 4
引用先 http://d51791.com/pg26hatiouji.html
までが車体が丸みを帯びていますが、
1940年に登場した
・ef56 8〜12
引用先 https://blog.goo.ne.jp/kiza/e/92786f605c1f5a68e13a4b1b6480915e
・ef10 25〜41
引用先 https://raillab.jp/photo/199421
については車体が角形になっていますが、
これらの機関車が落成した時点で日本は日中戦争の最中にあった
関係で車体の工程数とコストを削減するために車体が
角形になりましたが、この翌年に太平洋戦争が勃発しています。
●ef52は欧米のパクリではなく、国産の大型の急客機だった。
引用先 https://www.pacific571.com/html/58_el01.html
晩年、阪和線で貨物列車で活躍したef52ですが、外見がアメリカンスタイルだった
ということで、欧米のパクリではと思われていましたが、
手本にした車両のデザインを引き継いだ関係で車体がアメリカンスタイルに
なりましたが、
機械室の側面の窓の四隅にRがついていたり、省型よろい戸を採用するなど
アメリカから輸入した電気機関車とは異なる部分もありますから、
それで欧米のパクリではというのも的外れな質問ではないでしょうか。
2024年10月21日
鉄コレでの新交通システム ゆりかもめもついに製品化。
引用先 https://raillab.jp/car/21994
2025年の3月に鉄コレで新たに新交通システムの車両としてゆりかもめが
製品化されますが、新交通システムとはなんぞやということで記事にまとめてみました。
●ゆりかもめが作られた理由
引用先 https://raillab.jp/news/article/30680
1995年の11月1日に新橋と東京臨海都心を結ぶ交通機関として
開業したゆりかもめですが、今は豊洲まで延伸されていますが、
ゆりかもめが作られたそもそもの理由はというと、
幻に終わってしまった世界都市博覧会へのアクセス線の役目も
になっていましたが、肝心な世界都市博覧会が東京都知事選挙に
青島幸男さんが立候補した際に、公約として世界都市都市博覧会は
開催しませんと言って立候補したら、
都知事に選ばれましたが、世界都市博覧会は開催中止となり幻に
終わってしまいましたが、
この世界都市博覧会の会場への観客輸送もゆりかもめが担う
はずでしたが、実際には都心への通勤路線として使われることに
なりましたが、
ゆりかもめですが、当初から40億円の赤字が出るとも言われてみたら、
赤字どころか1日当たり10万人が利用する路線となり、黒字路線になった
のですから、この点はうれしい誤算だったのではないでしょうか。
●ゆりかもめで使われている車両。
引用先 http://www13.plala.or.jp/monorail_labo/photo1x/15_nty_7300_2/15_nty_7300_2.html
今も都心への重要な移動手段としても使われているゆりかもめですが、
これまでに使われてきた車両はというと、
開業当初は7000系が。
その後、7200系。
そして
2014年の1月18日からは7300系が使われていますが、
2018年の11月11日からは7300系の改良型の7500系も
使われていますが、
今も7300系と7500系が主力としてゆりかもめで
使われていますが、
将来的にはどんな車両が7300系と7500系の後釜に
なるのかというところも鉄道好きの一人として
気になります。
●ゆりかもめが鉄コレで製品化できた理由
引用先 https://raillab.jp/carset/4119
2025年の3月にゆりかもめが製品化されますが、
なぜ?ゆりかもめが製品ができたかというと
その裏にはノスタルジック鉄コレで小型の車両が
製品化したことも絡んでいましたが、
これ、逆に角度から見ていきますとゆりかもめを
製品化したくてノスタルジック鉄コレが製品化
されたとも見ることができますが、
今回はあくまでも車両だけですが。
今回販売されるゆりかもめはというと、
7300系になりますが、
車両は販売されても肝心な
ストラクチャーなどはどうなのでしょうか?
この部分はトミックスが担当するのでしょうか?
そうなるとどんなものが出てくるのかというのも
気になる部分ではないでしょうか。
今後、ゆりかもめで使われているストラクチャーなどの
関連商品なども製品化されるのでしょうか?
この点も気になるところであります。
●ゆりかもめで取り入れられている新交通システムとは?
引用先 https://photozou.jp/photo/show/126752/193724002
ゆりかもめで取り入れられている
新交通システムとは何なのかというと?
この点についてwikipediaの記述では、
広義には、新規の技術開発によって従来の鉄道とは異なる機能や特性をもつ交通手段
(AGT、モノレール、リニアモーターカー等)及び既存の交通手段に改革を行うことで発展
させた新しい交通システム(ライトレール、デマンドバス、ライド・アンドライド・システム等)
のことで。
狭義には Automated Guideway Transit (AGT, 自動案内軌条式旅客輸送システム)のみを
指していますが、
具体的には、小型軽量車両が自動運転により専用軌道上の案内軌条に従って
ゴムタイヤで走行する方式の中量軌道輸送システムのことですから、
ゆりかもめもタイヤで走行していますから、
狭義的な意味の方が当てはまるということになりますが、
一口に新交通システムといってもなかなか理解しにくいものであります。
●ゆりかもめと似た路線は他にもあった。
ゆりかもめで取り入れられている
自動案内軌条式旅客輸送システムですが、
本格的に運転が始まったのが、1981年に
神戸市の神戸新交通ポートアイランド線(ポートライナー)が
開業したのをきっかけに大阪や埼玉でも運行が始まりましたが、
意外なところでは西武鉄道が、西武山口線の代わりに
案内軌条式鉄道を1985年に運行を始めましたが、
なぜ?AGT :自動案内軌条式旅客輸送システムの路線が増えているか
というと、
1983年3月に日本交通計画協会が発表した
「新交通システムの標準化とその基本仕様」により
標準規格が定められました。
この標準規格が決まったことで、車両の量産性と
システムの低廉化が図られたことで、
AGT :自動案内軌条式旅客輸送システムの導入が容易になった
ことで路線が開業したということになりますが、
車両の運行システムなどを含めると普通の鉄道よりも安く
路線を開業できるということになりますが、
ただ、桃花台新交通桃花台線のように開業したのはいいの
ですが、利用者が少なく廃止になったケースもありますから、
一概に新交通システムができてもそれでよかったとは言えない
面もあります。
●ゆりかもめのバリエーションなどは増えていくのか?
引用先 https://jnr.blog.shinobi.jp/Category/21/
鉄コレで新たなシリーズとしてスタートすることになった新交通システムですが、
今回はゆりかもめで使われている車両が製品化されることになりましたが、
関連するストラクチャーなどが今後どうなっていくのかという点も気になりますし、
ゆりかもめ以外の路線の車両も製品化されるかという点も気になりますが、
新たなシリーズとして始まっていくのですから、これらの点も今後明らかに
なっていくのではないでょうか。
2024年10月18日
クハ16 400番台の車両解説の鉄コレのバリエーションはどうなのか?
引用先 http://c5557.kiteki.jp/html/turumisen1972.htm
駅ナカ鉄コレ4弾のシークレットですが、クハ16 400番台でした。それでクハ16 400番台
とはどんな車両なのかということを記事にしてみました。
●クハ16 400番台とその系列の車両はどんな車両だったのか?
引用先 http://kokuden.net/mc53/sub.htm/sub20.html/sub20-4.html/sub20-4.htm
クハ16 400番台は大正時代に作られた木造電車のクハ25などの制御車や付随車の
車体を更新して作られた車両でした。
●クハ16 400番台のルーツは大正時代の木造電車だった。
引用先 https://blog.goo.ne.jp/kiza/e/0d18d1a08e652b8d14e9069e427197cf
クハ16 400番台と500番台、800番台は元をたどっていくと大正時代に
作られた木造電車を鋼体化した車両で、
広幅木造車のデハ63100系に属するクハ15形やクハ17形、サハ26形、サロ18形、
中幅木造車デハ33500系に属するサハ25形もクハ16 400番台のベースになりましたが、
相方のクモハ11 400番台はモハ10を鋼体化した車両になりますが、
このグループにはサハ17 300番台もありましたが、
木造電車から車体を更新して鋼体化にした理由は、木造電車ゆえ車体の老朽化が
進んでいたということで安全のために車体を乗せ換えたということになります。
それでクハ16 400番台はいつから車体の更新が始まったかというと、
1935年〜1943年にかけてです。その関係で車体によってはリベットが
ついていたり、ついていない車両もありましたし、
クハ16 400番台は車体の作りはモハ40系と似ているのも同年代にモハ40系
が製造されていた頃と重なっている関係であります。
木造電車から改造された鋼体化のクモハ11 400番台ですが、
落成当初の形式は、電動車がモハ50、付随車はサハ75、制御車はクハ65という
形式で、1953年の車両形式称号規定の改正で、クモハ11 400番台、
サハ75 400番台、クハ16 400番台となりました。
●クハ16 400番台にも戦災で被災した車両や廃車後に譲渡された車両もある。
引用先 https://blog.goo.ne.jp/kiza3jp/e/900d5ae2ae1054021e4a4f3015fb1c85
クハ16 400番台ですが、クハ65時代のことになりますが、太平洋戦争の末期に
東京大空襲などがあり、クハ65が55両被災し廃車となりましたが、
廃車となった車両で台枠だけとなった車両や車体が活かせた車両はオハ70
となりましたが、クハ65からオハ70となった車両は台枠だけが使われた
車両はスニ75、車体を生かした車両はスニ73となりましたが、
そのまま荷物車で廃車となった車両もあれば救援車のオエ70となって残った
車両もあれば、
焼けた車体が西武鉄道が引き取り、クハ1311形となった車両もありましたし、
引用先 https://jp.pinterest.com/mikibartjp/%E8%A5%BF%E6%AD%A6311%E5%BD%A2-%E5%9B%BD%E9%89%84%E6%88%A6%E7%81%BD%E5%BE%A9%E6%97%A7%E8%BB%8A/
モハ50で焼けた車体もモハ311形で復旧しましたが、これらの車両には屋根が張り上げの車両も
ありました。
クハ16は、国鉄で廃車になった車両が、
上毛電気鉄道、伊豆箱根鉄道、相模鉄道にも譲渡されています。
●クハ16 400番台の仲間には元半室2等車の500番台も存在していた。
引用先 https://raillab.jp/photo/371569
クハ16 400番台の元になったクハ65も太平洋戦争が終ったあと、連合軍が駐留する
ことになりました。その関係で山手線、京浜東北、総武、中央、青梅線などで
使われているモハ50、サハ75、クハ65は全室指定もしくは半室指定
となり、車体に白い帯が付き、
初期の頃には全室指定車については「MILITARY CAR」で
半室指定車は「U.S ARMY SECTION」と英文で車体に
表記されていましたが、
その後、オランダ軍なども進駐するようになると
車体の表記が全室指定車は「ALLIED FORCES SECTION」となり、
半室指定車は「ALLIED FORCES CAR」となりましたが、
これらのクハ65は1951年の12月に進駐軍の指定車から全面解除され、
京浜東北と中央線用の27両が、半室2等車のクロハ65となり、
1953年6月の形式称号規程改正で、クロハ16となり、
引用先 http://sakikawa.michikusa.jp/kuroha16.html
最後はクハ16 500番台と
なりましたが、クハ16 400番台と500番台の違いは屋根のベンチレーターの
位置が、クハ16 400番台はベンチレーターが均等に並んでいるのに対して、
クハ16 800番台は元2等室の位置にあるベンチレーターが2個だけ前側に
ずれている点ですが、
具体的な写真がガイドブック 最盛期の国鉄車両1 戦前型旧性能電車
の67ページの上の方にクハ16 516の写真が下の方にクハ16 552の車内の
写真が出てきていますし、66ページの中段にクハ16443の写真が出てきていますから、
クハ16 400番台と500番台との違いを確認することができますが、
最盛期の国鉄車両1 戦前型旧性能電車と2の戦後型旧性能電車は
鉄コレなどを集めている方にも参考になる書籍になります。
●クハ16 400番台にはいろいろな改造車もある。
引用先 http://kokuden.net/mc53/sub.htm/sub20.html/sub20-4.html/sub20-4.htm
クハ16 400番台はいろいろと改造された車両もありますが、クエ28も
その一つですが、
画像はクエ28002になりますが。
4372081a1e30abffa100f8222d7f55c7
引用先 https://blog.goo.ne.jp/ef58-60/e/0349f3bf7c4b966b3fcdf4aaaeb33452
クエ28は5両ありますが、いろいろと細かな違いがありますが、
具体的な違いは最盛期の国鉄車両2 戦後型旧性能電車の事業車の中に
クエ28の画像が出ていますが、同じクエ28でもこれだけ違うのか
というくらいにその違いが出ていますが、
どんなところが違うかというと、クエ28000とクエ280004は
半室運転台であるのに対して、
クエ28001と画像のクエ28002は全室運転台。
それ以外にもクエ28000はベンチレーターが原形式の
ガーランド式であるのに対して、他の4両は丸形の
グローブベンチレーター。
クエ28002とクエ28004は3位側の半室運転台が
ついた関係で2位側には乗務員扉がついていません。
さらにクエ28002は1、4位側に観音開き扉がついていますが
クエ28004は3、4位側は既設の連結面をそのまま生かし
淀川区に所属していたこともあり車体はオレンジ色で
ありましたし、
中央部にある開き戸もHゴム支持窓の大型2枚引き戸になって
いましたが、宮原に配属されていたクエ28003もクエ28004と同様の
扉でしたが、車体は茶色でさらに電源取得用のパンタグラフが
ないなど、同じ車両でありながらもこれだけ違いが出ていた
ことになります。
あと、クハ16 400番台ですが飯田線でも使われていましたが、その関係で
トイレがついていましたが、
1972年まで使われていました。
引用先 https://drfc-ob.com/wp/archives/1487
クハ16 400番台はこの他にもクハ二19 50番台に5両改造されて、
仙石線などで使われていました。
●クハ16 400番台でnゲージで製品化されてきたものは?
引用先 https://www.tsd.co.jp/koubou625/tsurumi/tsurumi.html
クハ16ですが、nゲージでこれまでに製品化されてきたものはというと、
グリーンマックスで組み立てキットのクモハ11 400番台とクハ16 400番台の
キットが古くからあり、リニューアルされた組み立てキットが販売されましたが、
グリーンマックスの組み立てキットですが、リニューアルになった関係で
クモハ11 400番台とクハ16 400番台は全室運転台、半室運転台が
作り分けられるようになっているのが最大の特徴ですが、
クハ16 400番台の半室運転台と全室運転台車の違いは助士側の窓が、半室運転台が
800mmであるのに対して全室運転台が600oとなっていますが、ガイドブック最盛期の国鉄車両1
戦前型旧性能電車編の66ページの上に半室運転台のクハ16 406、中段に半室運転台の
クハ16 443、下段にクハ16 479</span>の写真が出てきていますが、その違いがはっきりと
出ています。
完成品ではkatoからクモハ11 400番台鶴見線基本セットと増結セットが製品化されましたし、
鉄コレ4弾でクモハ11 400番台とクハ16 400番台の
譲渡車が製品化されましたが、
どんなラインナップだったかというと次のようになります。
西武クモハ377 クハ1331
弘南鉄道モハ1121 クハ1611
富士急モハ7032 クハ7062
大井川モハ312 クハ512
クモハ12
クモニ13
シークレットクモハ12001 仙石線旧塗装。
それで今回の駅ナカ鉄コレ3弾のシークレットでクハ16 400番台が登場しましたが、
クハ16 400番台ですが1970年代の初めの宇部、小野田線でも20m級のクモハ41とともに
使われていましたが、ガイドブック最盛期の国鉄車両1 戦前型旧性能電車のカラーページの
6ページの下の方に塩田川に沿って宇部新川に向かう4両編成の普通列車の3両目に
クハ16 400番台が連結されていますから、2年前の駅ナカ鉄コレ1弾でラインナップされた
クモハ41と組み合わせてもおかしくありませんし、
もしかしたら駅ナカ鉄コレ5弾以降で相方のクモハ11 400番台がラインナップされても
おかしくないのではないでしょうか?
昨年販売された駅ナカ鉄コレ2弾のシークレットがクハ55009でしたから。
あと、今回の駅ナカ鉄コレ3弾のシークレットのクハ16 400番台であれば、
今後バリエーションもあり得るのではともおもえてなりません。
飯田線ではクモハ14もありましたから、クハ16 400番台と組み合わさっても
おかしくありませんが、
ただ飯田線のクハ16 400番台はトイレ付きになりますが。
●クハ16 400番台が現役時代に活躍した路線。
引用先 http://kokuden.net/mc53/sub.htm/sub20.html/sub20-4.html/sub20-4.htm
今回駅ナカ鉄コレ4弾のシークレットになったクハ16 400番台ですが、
現役時代は、鶴見線、南武線、青梅線、五日市線、
可部線、宇部、小野田線などで活躍していましたが、
特に鶴見線と可部線は72系が導入されるまでは17m級の電車が活躍していた
ことでも知られていますが、この二つの路線は戦時中に買収された路線
ということで、もともと小型の電車が使われていたからそこに17m級の
電車が配属されたということになりますが、
可部線で使われていたクハ16 400番台は前面に黄色い帯を入れていましたし、
飯田線のトイレ付きの400番台はスカ色、仙石線のクハ16 400番台は
キハ20系のディーゼルカーで見られた朱色とクリームで、
上半分がクリーム色、下半分が朱色でした。
●クハ16 400番台のバリエーションも期待したい。
引用先 http://kokuden.net/mc53/sub.htm/sub20.html/sub20-4.html/sub20-4.htm
今回の駅ナカ鉄コレ4弾のシークレットのクハ16 400番台も今後のバリエーションなどを
考えていきますといろいろなバリエーションの展開があってもおかしくない車両になりますし、
もしかしたら鉄コレ4弾でラインナップされた西武鉄道や弘南鉄道に払い下げられた
車両がオープンパッケージで製品化されたり、
国鉄時代のクモハ11 400番台とクハ16 400番台や飯田線時代の車両なども
製品化されてもおかしくないことになるのではないでしょうか。
2024年10月15日
キユニ26の謎とは?改造された車両の秘密を探る。
引用先 http://hasekasuga.sakura.ne.jp/tetsudo/kansai/06a_0001.html
今回は、キユニ26とはどんな目的で登場した車両のなのかというお話です。
●キユニ26はなぜ?登場したのか。
引用先 https://tom64.blog.fc2.com/blog-entry-1028.html?sp
キユニ26は使い勝手の悪かったキハ26 300番台や
400番台を使い勝手のいい郵便荷物車にした車両になります。
●キユニ26が登場したのはローカル線の無煙化が絡んでいた。
引用先 https://ameblo.jp/inkyoise/entry-12222626274.html
キユニ26が登場した主な理由は、これまで蒸気機関車で運転していた地方の幹線で
運転していた普通列車をディーゼルカーに置き換えたのはいいのですが、
その関係で郵便や荷物を運ぶ車両も必要になりましたが、
これまではキハ10系からの改造車で足りていましたが、それが足りなくなった
ということで新たに改造することとなりましたが、その際に選ばれたのがキハ
26ですが、その中でもキロ25やキロハ25から格下げされた普通車は
使い勝手が悪かったということで、キユニ26やキニ26などに改造されましたが、
この辺はキハ10系のキロハ18がキユニ15などに改造されているのと
似ていますし、特ロのスロ60や並ロのオロ35などがマニ36などに
改造されたのと似ているのではないでしょうか。
マニ36も最初は特ロのスロ60や並ロのオロ35などのから改造された車両も
多くありましたから、
ディーゼルカーでも使い勝手の悪い車両が、最後は郵便荷物車に改造される
というのは、国鉄時代にはよくあることでしたが、
それだけ地方の幹線の輸送量もひっ迫していたということもキユニ26が
登場した背景にありました。
●キユニ26には元になった車両の違いで複数のバリエーションがある。
引用先 http://c5557.photoland-aris.com/0001/kiseisen1978-5-9.htm
キロ25やキロハ25などの格下げ車から改造されたキユニ26ですが、
どんな車両があったのかということについては3種類の分類
することができます。
・キユニ26 1 - 8・10 - 13・17
キロハ25から格下げとなったキハ26 300番台から改造されたこのグループは
2種類ありますが、
細かく見ていきますと、
キユニ26 1〜3、6はキロハ25の1次型で普通席の部分がバス窓になっています。
キユニ26 4〜5、7〜8、10〜13、17はキロハ25の2次型から改造されたグループ
で、普通席の窓が1段窓になっている点が、キユニ26 1〜3、6との大きな
違いになります。
・キユニ26 9、14、18、23、25
このグループはキハ26から改造されたグループですが、キユニ26の中でも
少数派の5両となっていますが、
その内訳はキユニ26 9、14、23がキハ26の1次型から改装されたバス窓の車両で、
キユニ26 18、25はキハ26の2次型から改造された車両になりますから、
キユニ26の中でもキハ26の2次型から改造された車両はレアな車両に分類
することができますが、
キハ26のオリジナルの車両から改造されたキユニ26はグループ全体で
見た場合でもレアな車両になります。
・キユニ26 15、16、19〜22、24
このグループはキロ25を普通車に格下げしたキハ26 400番台からから改造された
グループで、キユニ26の中でも特に多いグループですが、
キロ25から格下げとなったキハ26 400番台はキユニ26に改造された車両以外にも
九州で使われていたキハ26 600番台がありましたが、キハ26 600番台は車内が
ロングシートになった車両で、晩年は2両が首都圏色となり国鉄が終わりになるころに
廃車となりましたが、
それ以外のキハ26 400番台は廃車となりましたが、元が2等車でありましたが
シートピッチが狭かったということもあり、
普通車に格下げしても使いにくかったということでしたが、
そうした使いにくい車両から改造されただけに
キユニ26も細かな違いがありますが、この点については
キハ17から改造されたキユニ17といい勝負ではないでしょうか。
キユニ17も3種類に分類することができますから。
●キユニ26には北海道に配属された車両もある。
引用先 https://blog.goo.ne.jp/mhiro15
キユニ26は北海道にも配属された車両もありましたが、
北海道にはキハ10系から改造された
キユニ17 1が旭川に配属されていましたが、
それ以外のキユニ17、18はすべて本州で使われていました。
北海道に配属されていたキユニ26はどの車両だったか
というと次のようになります。
キユニ26 20
キユニ26 21
キユニ26 23
キユニ26 24
キユニ26 25
北海道に配属されたキユニ26ですが、5両のうち4両が北見に配属されて、
24番だけが深川に配属されていましたから、
北見に配属されていた車両は今は廃線となった勇網線などで使われて
いましたし、24番は深川に配属されていたということで、
深名線などで使われていたのではないでしょうか。
●キユニ26で見られた色には何色があったのか?
引用先 https://www.kanorail.com/DC_local/kiha55kei.htm
キユニ26で、キロハ25の後期型から改造された車両ですが、
2色塗りの旧一般色でありましたが、1978年以降からたらこ色
と呼ばれた朱色1色に統一されましたが、
キユニ26 5番だけが急行色でありましたが、
この件については謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)
のキユニ26にも出ていますが、
トミックスで製品化されたキユニ26も急行色の車両でしたから
キユニ26でも急行色の車両は本当にレアな車両で、
さらにキロハ25の後期型から改造された急行色ですから
さらにレアな車両だったということになります。
ちなみに急行色のキユニ26ですが、
ヤフーでキユニ26で画像を検索していきますと、
キユニ26 1も急行色であったということははっきりしていますが
キユニ26 1はキロハ25の前期型を改造した車両になりますが、
実際に撮影されたキユニ26 1の画像がこれになります。
引用先 https://blog.goo.ne.jp/mhiro15/e/ee5a0cdae30ca04eaceb381b9187b8bc
キロハ25の前期型から改造されたキユニ26もこれから先製品化
されてもおかしくない車両の一つではないでしょうか。
急行色のキユニ26についてさらにヤフーで画像を調べていきますと、
1979年の3月31日に高松駅で撮影されたキユニ26 18の画像がアップされていますが、
キハ26の2次型から改造されたキユニ26 18も急行色でしたが
四国に配属されていたということで運転台の前面に補強がついていました。
キユニ26 18は晩年はたらこ色になりました。
引用先 https://blog.goo.ne.jp/mhiro15
急行色のキユニ26は他にも2番、3番もヤフーの画像で調べていきますと
アップされています。画像は急行色のキユニ26 2になります。
引用先 https://aucfree.com/items/l1105537377
これらの車両はキユニ26 1と同じく紀勢本線や参宮線で使われていましたが、
キユニ26 2はたらこ色の画像がありましたから、
引用先 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:JNR_kiyuni26_2_kochi.jpg
キユニ26 3も最後はたらこ色になったと考えられるのではないでしょうか。
●キユニ26の一般色もついに製品化されることになった。
引用先 http://c5557.photoland-aris.com/0001/kiseisen1978-5-7.htm
キユニ26ですが、トミックスではキハ55が製品化された際に
製品化され、
2022年に改良品が登場しましたが、この時も急行色でしたが、
2025年の3月に一般色のキユニ26が製品化されましたが
鉄道好きの一人として思ったのは一般色のキユニ26の
製品化は遅かったのではと思えてなりません。
そうなるとたらこ色のキユニ26も製品化されるのでしょうか?
一般色のキユニ26がキハ20の改良品が販売されるのに合わせて
製品化されたのですから、
それであればたらこ色のキハ20系の改良品が製品化されるとなれば
たらこ色のキユニ26も製品化されてもおかしくないのではないでしょうか。
この辺はトミックスしだいですが、たらこ色のキユニ26もあっても
いいのではと一鉄道好きの一人として思います。
●キユニ26も結果的には使い勝手が良かった。
引用先 https://raillab.jp/photo/382222
キユニ26は使い勝手が悪かった車両から改造された郵便荷物車でしたが、
かえって郵便荷物車に改造されてからの方が長く活躍したということになります。