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2014年09月14日

山口淑子さん死去 「李香蘭」の名前で活躍




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戦時中、日本人であることを伏せて李香蘭の名前で女優として歌や映画で活躍し、戦後はテレビ番組の司会者や参議院議員も務めた山口淑子さんが、今月7日、心不全のため東京都内の自宅で亡くなりました。
94歳でした。

山口淑子さんは大正9年に旧満州、今の中国東北部で生まれ、18歳のときに李香蘭の名前で映画デビューしました。
「日本語のうまい中国人女優」として人気を集め、昭和15年に長谷川一夫と共演した映画「支那の夜」は、記録的な興行成績を上げ、主題歌「蘇州夜曲」も大ヒットしました。
昭和21年に帰国して山口淑子として芸能活動を再開し、「わが生涯のかがやける日」や「暁の脱走」など数多くの映画でヒロイン役を熱演しました。
昭和33年に女優を引退しましたが、その後テレビ番組の司会者になり、パレスチナ問題を取材してレバノンで日本赤軍の元最高幹部に単独インタビューを行うなど、精力的に活動しました。
昭和49年には当時の田中角栄総理大臣から誘いを受けて参議院議員選挙に立候補して初当選し、3期18年の任期中には環境政務次官も務めました。
また、いわゆる「従軍慰安婦」の問題では、償いの事業を行う民間の基金「アジア女性基金」の創設などに力を尽くしました。
昭和62年には自伝の「李香蘭・私の半生」を出版し、日本人でありながら中国人スターとしてふるまった葛藤と苦しみが多くの人の共感を呼び、ベストセラーになりました。
また、山口さんの半生を描いた劇団四季のミュージカル「李香蘭」は、平成3年の初演以来、劇団四季の代表作として親しまれ、劇団四季の関係者によりますと、山口さんは公演のたびに稽古場や劇場を訪れていたということです。
山口さんは、体調を崩して3年ほど前から入退院を繰り返していましたが、今月7日心不全のため、東京都内の自宅で亡くなったということです。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140914/k10014592341000.html








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