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みっきいナムナム
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2019年07月24日

妙法蓮華経(本編)その22

嘱累品第二十二

そのときお釈迦様は説法の座から立ち上がり、右手を菩薩らの頭頂に置いて申されました。私は久遠の過去から阿耨多羅三藐三菩提(無上の悟り)の法を修習してきました。今、あなた方にこの法を託します。この法を受持し読誦して広く宣べ伝え人々にあまねく聞かせて知らしめなさい。

如来は惜しみなく与えるものです。あなた方もまたよく学んでそのようにありなさい。男であれ女であれもし如来の知恵に心を開く人がいれば、その人たちのために法華経を説いて聞かせ知らしめてその人たちに仏の知恵を得させなさい。もし人々が信じないならば方便によってその人に無上の悟りへの道を示し教え、利し喜ばせなさい。それがすなわちあなた方が受けた仏の恩に報いることなのです。

このお釈迦様の言葉を聞いて菩薩たちは心身に大きな喜びが生まれ、お釈迦様への敬いの心が増し、深く礼拝して合掌して共にお釈迦様に申しました。「私どもはお釈迦様の勅命を奉じ、戒めの通りに何事も行います。願わくばお釈迦様におかれましてはご憂慮なくあらせられますように」

そのときお釈迦様は十方より霊鷲山に参集の分身の諸仏をそれぞれの国に帰還させるべく、このように申されました。

「諸仏はそれぞれに戻られ懸念なくあられよ。多宝如来には宝塔を戻され元のごとくあられよ」

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2019年07月20日

妙法蓮華経(本編)その21

如来神力品第二十一

その時お釈迦様は、霊鷲山の集会に参加した全ての神々と人々の前で広長舌(全世界に教えを説き広めるという仏の舌)を出し、それは天の極みに達しました。それから身体の孔から光を放って十方世界をことごとく照射しました。霊鷲山に参集した十方の諸仏もまた広長舌を出し無限の光を放ったのです。その時お釈迦様は地涌の菩薩の上首たる上行菩薩をはじめ全て菩薩の道をゆく求法者たちに伝えました。

救世主たる諸仏は衆生(全ての命ある者)に喜びを与えるためにこの神力を現しました。仏道を求める者のために諸仏の舌は天の高みに至り、身から無量の光を放ち声は十方諸国じゅうに響き震えました。

諸仏の神力は無量無辺(計り知れない)にして不可思議です。しかしこのような神力をもってしてもなお法華経の功徳を表しつくすことはできません。

如来の所有する全ての法は、この経において宣べ示しあらわに説きました。
如来の一切の自在なる神力はこの経ににおいて宣べ示しました。
如来の甚だ深い事柄はこの経において宣べ示しました。
それゆえ、私の滅後においてあなた方は一心に受持・読誦・解説・書写して説かれたままに修行しなさい。

どこにいてもそのように修行する者がいるならば、その人に尊敬の念を抱きなさい。どこにいてもこの経巻のある所に祈りを捧げなさい。庭園でも林でも大樹の根元でもそこに塔を建てて経巻を納めなさい。山でも谷でも野原でもそこに塔を建て、この経巻を納めて供養しなさい。その塔が建てられた所がこれ即ち道場でありそこがすなわち悟りの場なのです。

諸仏はその道場において阿耨多羅三藐三菩提(無上の悟り)を得たのです。

私の滅後によくこの経を保持するならば、諸仏はそれをもって無量の神力を出現させます。宣教の使命ゆえにこの経を受持する者の功徳は無辺にして窮まりなく、大空のように無限です。

この経を大事に持つ者はどこにいても私に会えるし多宝如来と分身の諸仏を見ることができます。過去・現在・未来の十方の諸仏に会えて供養し諸仏に喜ばれます。この経を持つ者が多くの教えの意義を人々に説くことは、あたかも空中の風のようにそれを遮るものはありません。その人は日月の光明が闇を取り除くように世間の人々の闇を滅ぼし無数の人々を一乗の菩薩道に導くでしょう。




2019年07月18日

妙法蓮華経(本編)その20

常不軽菩薩品第二十

遠い過去に仏の威光におぼれて増上慢の比丘たちが大きな勢力を持つ世がありました。当時、菩薩の道をゆく一人の比丘がいました。名を「常不軽(常に軽蔑された男)」といいます

この比丘は誰に対しても気軽にあいさつをし接していました。相手が出家した者であれ在家の者であれ男であれ女であれ誰にでもあいさつをしてこのように讃えました。「私はあなた方を敬い軽んじることはありません。あなた方は皆、菩薩道を行じて仏になることができるのですから」

この比丘は経典の読誦には専心せず、ただ礼拝の行だけを行っていました。ところが人々の中には心が濁っていてかえって怒る者がおりました。「この比丘は勝手に[軽んじず]と言い、我らが[仏になれる]とまるで自分が仏であるかのように記を授けるとは・・・そんな予言は信じるものか」

比丘を杖で打ち石を投げつける者もいました。それでも、この比丘は「私はあなた方を軽んじません。あなた方は皆仏になれるのですから」と言い続けたので、人々は比丘をあざけって「常不軽」と名付けたのです。

そして比丘は臨終のとき法華経の読経が空中に響くのを聞きよく受け止めて、眼・耳・鼻・舌・身・心の六根清浄を得ました。すると、すでに臨終の時であったにも関わらず寿命は二百万億那由他の歳に増え、広く人々に法華経を説いたのです。この常不軽菩薩とは他の誰でもありません。私、釈迦牟尼仏が常不軽だったのです。私が宿世(現世)において、もし法華経を受持せず、読誦せず人々に説くこともなければ速やかに阿耨多羅三藐三菩提(無上の悟り)を得ることはなかったでしょう。

ところで、私が比丘であった時怒りの心をもって私をののしった人々はその後、二百億劫にわたって仏に逢うことはできず、法を聞くことなく僧と出会うこともなく過ごして一千劫の間、阿鼻地獄(無間地獄)で苦しみを受けました。そしてその罪を終えて再び常不軽菩薩に会い、無上の悟りに至る教えを受けることになりました。

かつて法の型に執着していた人々でも皆、菩薩の教化によって無上の仏道に置かれたのです。その者たちが今、この集会に参列しています。彼らは皆、無上の悟りにおいて退くことのない者となりました。彼らは今や信士・信女(男女の信徒)となり私の前で法を聞いています。

私は前世において人々に法華経が第一であることを聴受せしめ開き示して涅槃に住まわせ、それぞれに経典を持たせてきました。億憶万劫より不可思議却の末まで法華経を聞くことができるでしょう。諸仏もまた常にこの経を説いています。

まさに知りなさい。この法華経は菩薩の道をゆく全ての求法者を幸せにならしめて無上の悟りにみちびくものであることを

疑いの心を生じることなくありなさい。広く一心にこの経を説きなさい。そうするならば世世(全ての世界)で仏の下にあり速やかに仏道の成就に至ります。

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2019年07月16日

妙法蓮華経(本編)その19

法師功徳品第十九

法華経を受持し、あるいは読み、誦し(唱える)、解説し書写するならば、その人の眼・耳・鼻・舌・身・心の六根は清浄となります。お釈迦様は
偉大な求法者である常精進菩薩(怠ることなく努める者)に告げました。

男であれ女であれこの経を持するならばその人は目に八百の功徳を得ます。いまだ天眼(すべてを見通すことのできる眼)を得ていなくても父母から生まれた肉眼のままで清らかとなり、三千大千世界(あらゆる世界)を隅々まで見ることができます。

また、その人の耳は清浄となり三千大千世界の内外の地獄の底から上は至高の有頂天に至るまであらゆる音を聞くでしょう。その人の父母より生じた肉体の耳は清らかとなり三千大千世界の内外のあらゆる音を、いまだ天耳を得ていなくても聞き知り分けて、しかもその耳が壊れることはありません。

その人は鼻に八百の功徳を成就します。その清浄の嗅覚をもって三千大千世界の香りを嗅ぐでしょう。どこにいても天界の花々の香りを嗅ぐことができます。

その人は舌に千二百の功徳を得ます。その人の舌は清浄であり風味のよい食べ物はもちろん、味気ない食べ物でもこのうえなく美味になります。その下で法を語るときその声は、人々の心に深く清く美しく響き、その心に喜びを与えるでしょう。

その人は身体に八百の功徳を得てその清浄の身は瑠璃のごとく清く人びとの目に喜びとなります。また、その人は意識に千二百の功徳を得ます。その人の清らかな意識は明晰で濁りなく経文の一語一句を聞くだけで無量の意味に通達します。

たとえ異教の教説でも世俗の通説でも生業のための言説でもその人が説くならば、全て正しい法に即しています。

いまだ完全な知恵を得ていなくてもその人の意思は清浄となり、その心に照らして語ることは皆、仏法において正しく真実でないことはありません。それはまた過去の仏が説かれた経の説くところに則しています。それは法華経を持すゆえなのです。

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妙法蓮華経(本編)その18

随喜功徳品第十八

そのとき弥勒菩薩はお釈迦様に尋ねました。
「男も女も法華経を聞いて随喜するならば(他人の善行を見て心から喜ぶこと)どれほどの恩恵を得られるのでしょうか?」と

お釈迦様は答えました「私の滅後にこの経を聞き他の人に聞いたとおりに伝えたとします。それを聞いた人がまた他の人に伝えるとして次々に50人に広まったとします。その50番目の人でさえこの経を聞いて心に喜びを生じるならば、その功徳は全世界のあらゆる生き物にその欲する物を与えて布施を行じるよりも大きいのです。例えその中の一節でも聞いて喜びを生じることの功徳の大きさは、数で計算することも譬喩で表現することもできません。

もし僧坊に参詣し法華経を一時でも聞いて受け止めるならば、その功徳によってこのうえなく美しく清らかな世界に転じ生まれます。

また、この経が説かれる場にあって後から来た人に着座して聞くことを勧め、あるいは自分の着座している場所を譲るならば、その功徳によりその人は神々の帝王たる帝釈天の玉座につくことになります。弥勒よ、たとえ他のひとりにでも法を聞かせるならば、その功徳はこのように大きいのです。まして、一心に聞き、説き、読誦し、しかも多くの人々の心の段階を知り分けて説かれているとおりに行じる如説修行の人であれば、その功徳は無量(量り知れない)です。

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2019年07月06日

妙法蓮華経(本編) その17

分別功徳品第十七

お釈迦様の寿命が永遠であることを聞いたとき、神々も人々も無生法忍(事物が空であることを深く知る者)を得ました。また、菩薩の道をゆく多くの求法者が間持陀羅尼門(仏の言葉の霊威を保持すること)や
楽説無碍弁財(相手の求めに応じて自在に法を説く力)、旋陀羅尼(呪文の効験をめぐらせる力)を会得しました。そしてお釈迦様は、彼らが阿耨多羅三藐三菩提(無上の悟り)に至るまでの時の長さを区分して、それぞれに祝福の予言を授けました。そしてお釈迦様はこのように申されました。

この法華経を読誦し受持するならば、そのことによってその人は如来の位を戴いております。私のために塔や寺を建てる必要はありません。なぜなら妙法蓮華経を受持し読誦するならば、そのことによって塔を建てることになります。その塔は高く広く天の高みに至るものです。

この経を聞いて受持し書写し他の人にも書写させるならば、それは僧院を建立するのに等しく、美しい僧院、堂閣を幾百千万億も無量に仏と僧に捧げることになります。ましてこの経をよく持し、そのうえ布施、持戒、忍辱、精進、禅定、知恵の六波羅蜜を行じるならば、その功徳は最も勝れており無量無辺です。

よく耐え忍んで心身の調和を願い怒りをもたず言葉を謹みなさい。自惚れ(うぬぼれ)の心を離れて知恵に心を向け難詰(欠点を指摘し厳しく相手を非難すること)する人がいても怒らず、その人の幸せのために法を説きなさい。

その人が法華経の一部分でも唱えるなら、そこに塔は建てられ敬いと祈りが捧げられます。このような仏の子が地にあれば私はその人を祝福していつでもどこでもその人が歩むときも立ち止まるときも眠るときも私はその人と共にあります。

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