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2019年08月21日

妙法蓮華経(本編)その25

観世音菩薩普門品第二十五

その時、無尽尼菩薩(尽きない意思を持つ者)がお釈迦様に礼拝して尋ねました。「かの観世音菩薩は何の理由(因縁)があって観世音と呼ばれているのでしょうか?」と

お釈迦様は、無尽尼菩薩に言いました

人々がどのような悩み苦しみを受けていても、もし観世音菩薩の名を聞いて一心に唱えるならば、菩薩はただちにその声を聞いて苦しみから解き放ちます。それゆえこの菩薩は観世音(救いを求める声を自在に聞き取る者)と呼ばれるのです。

観世音菩薩は仏の身を現して救うことができるのであれば仏の姿をして法を説きます。縁覚や声聞の身で法を説くこともあります。

世の主神である梵天の王の身、地を治める恵みの神である自在天の身、神々の王である大自在天の身、神々の軍団の総帥である天の大将軍の身、北方守護の毘沙門天の身を現すこともあります。

地上の各地を治める人間の王の身、良家の家長たる居士の身、宰官の身、神々を祀る婆羅門の身、比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の身でも法を説きます。女の長者・居士・宰官・婆羅門の身・童男・童女の身を現して救うことができるのであれば、その姿で法を説きます。

天・龍・夜叉・阿修羅・迦楼羅・緊那羅の神々と精霊たち、及び人・非人の姿で現れ救うことができるのであれば、その姿で法を説きます。金剛の武器をもって悪心を滅ぼす執金剛神の身を現して救うことができるのであれば、その姿で法を説きます。それゆえ、この娑婆世界において施無畏者(癒しの救済者)と呼ばれるのです。

このように聞いて無尽尼菩薩は観世音菩薩を供養したいと望み、首にかけていた瓔珞をはずして観世音菩薩に捧げました。「どうか法のためにこの瓔珞をお受けください」と

観世音菩薩はその瓔珞を二つに分けその一つを釈迦牟尼仏に、もう一つを遥かな高みの多宝如来の塔に懸けたのでした。お釈迦様は、さらに尊敬の念をもって観世音菩薩の救いの力の偉大さを説きました。

観世音菩薩の衆生を救いたいという思いの深さは海のようであり、その深く大きな所を思議(言い表すことができないほど)することはできません。観世音菩薩は幾千億の仏に仕えて大清浄の願を起こしたのです。観世音菩薩の名を聞きその姿を見て心に念じて過ごすならばどんな苦しみでも菩薩が消滅させます。

たとえ害意をもった者によって大きな炎の穴に落とされようとも念彼観音力(彼の観音の力を念じれば)炎の穴は涼やかな池に変わります。あるいは大海に漂流して龍・怪魚などの鬼に襲われようとも念彼観音力で波浪は静まり船が沈むことはありません。あるいは須弥山の峰の断崖から突き落とされようとも、念彼観音力でその身は太陽のように空中に浮かびます。あるいは悪人に追われて金剛山の巨石を投げ落とされようとも念彼観音力、一本の毛髪さえ傷つくことはありません。

あるいは盗賊に囲まれ、まさに刀で斬りつけられようとするとき念彼観音力、盗賊でさえもただちに慈しみの心に目覚めて闘争は治まります。

あるいは王の悪政に苦しみ刑場に引かれて命を取られようとするときでも念彼観音力、刑吏の刀は粉々に砕けます。あるいは首を鎖でつながれ手足に枷をはめられようとも念彼観音力、戒めは解けて放たれます。あるいは呪詛、種々の音楽などの邪悪な鬼法に身を害されようとするときでも念彼観音力、その害は鬼法を用いる人に返ります。

あるいは羅刹、毒龍など諸々の鬼類、悪霊に襲われようとも念彼観音力、いささかも害を受けません。もし、鋭い牙や爪を持つ猛獣に囲まれて恐怖におののくときでも念彼観音力、猛獣たちはたちまち逃げ去っていきます。

トカゲ・大蛇・毒蛇・サソリなど毒の煙を火が燃えるように吐く者に取りつかれても念彼観音力の声を聞いた途端に走り去ります。天を不吉な雲が覆い、雷がとどろき、雹が降り大雨になろうとも念彼観音力、暗雲はたちまち散って消滅します。

人々が災いを被りその身に大きな苦しみが迫るとき、それがどんなに多くの苦しみであっても観音の妙智力は世間の苦を除きます。観世音菩薩は智恵の威力を具足し広く智の方便を駆使して十方諸国のどこの国であってもその身を現します。そして観世音菩薩は地獄・餓鬼などの恐怖と苦悩の世界の老病死の苦しみを次第に除いてことごとく苦を消滅させます。

観世音菩薩は真観・清浄観・広大知恵観・悲観・慈観において全てを駆使して見守ります。常に願い、常に仰いで礼拝しなさい。観世音菩薩には無垢清浄の光があります。その光は太陽が輝くように闇を破り、災いの風と火を鎮めて世間をあまねく照らし明るくします。

悲体の戒は雷が空を震わせるように慈しみの意(こころ)は、干天を覆う大雲のように大地に甘露の法の雨をそそいで煩悩の炎を消します。

争いの法廷に引かれておびえ戦場の軍陣にあって恐怖におののくとき、かの観音の力を念じればどんな憎しみ怨みもことごとく退散します。

かの菩薩は妙音観世音(真理の世界から世に響く聖なる智恵の音)であり、梵音海潮音(穢れなき慈悲の心をこめて大海の潮が日々に違わず岸辺に押し寄せるかのような音)であり、勝彼世間音(世の全てに優れた威力のある音)です。

それゆえ常に観世音菩薩に祈りなさい。心から祈りを捧げて疑いを生じることがあってはなりません。穢れなき聖者である観世音菩薩は苦悩と死の災いに満ちた世界にあって拠りどころとなり、一切の功徳を具え、慈しみの眼をもって生きとし生ける者を見守る者です。

その福聚(ふくじゅ)の海は無量です。それゆえこの観世音菩薩に礼拝し祈りを捧げなさい。

そのとき持地菩薩(大地を維持する者)が座から起ちお釈迦様に告げました。

お釈迦様に申し上げます。「衆生の誰でも観世音菩薩の自在なる業が説かれた普門示現の威神なる力の章を聞くならば、その人はまさに知るべきです。」その功徳少なからずとお釈迦様がこの普門品を説かれたとき集会の八万四千の人々が皆他に等しいもののない阿耨多羅三藐三菩提(無上の悟り)を求める心を起こしました。

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2019年08月11日

妙法蓮華経(本編)その24

妙音菩薩品第二十四

そのときお釈迦様は眉間の白毫(びゃくごう)から光を放って東方の諸仏の世界を照らしました。その無数の仏の世界の彼方に浄光荘厳(太陽が照り映えるところ)という世界があり、そこに一人の求法者がいました。名を妙音菩薩といいます。

妙音菩薩はその身体がお釈迦様の光明に照らされたとき娑婆世界(この世界のこと)でお釈迦様を拝見したいと願いました。そして深い三昧(精神集中)の力によって霊鷲山の上の集会の近くに八万四千の菩薩と共に娑婆世界に姿を現しました。

お釈迦様はこの妙音菩薩の過去世を説明しました。妙音菩薩の身体はここに見る姿だけではありません。菩薩は様々な姿をしてこの経典を説いてきたのです。

時には世の主神たる梵天の王、時には神々の帝王たる帝釈天、時には破壊と恵みの神たる自在天、時には天の大将軍である毘沙門天、時には転輪聖王の姿となってこの経典を説き人々を守護してきました。また王、長者、居士(家長)、宰官、波羅門(司祭)、比丘・比丘尼(出家の男女)、優婆塞・優婆夷(在家の男女)、童子、童女の姿となって人々を導いてきました。あるいは天、龍、夜叉、阿修羅、迦楼羅、緊那羅などの神々へと精霊の姿となって人の姿や人でないものの姿となって、この経典を説いてきました。

この妙音菩薩は娑婆世界の人々を救い護る者です。様々なものに身体を変化させ娑婆国土に姿を現し、人々のためにこの経典を説きます。

その神通・変化・知恵の衰えることはありません。この菩薩は数多くの知恵を示して娑婆世界を明るく照らし一切衆生のそれぞれに知るべきことを知らしめます。声聞・縁覚・菩薩それぞれの道によって納得さすべき者にはその姿を現し法を説き、仏の姿にもなって説法を為し、もし入滅を示して納得さすべき者には煩悩を全て消滅させ、完全な悟りの状態を実現させます。

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2019年08月05日

妙法蓮華経(本編)その23

薬王菩薩本持品第二十三

それからお釈迦様は「医薬の王」と称される薬王菩薩の由来を説きました

それはガンジスの砂を無限に倍したほど多い却のかなた、遠い過去のことでした。そのとき日月浄明徳如来(月と太陽の輝きによる吉祥)という仏があり、一切衆生喜見菩薩(全ての者の目に好ましい姿)らに法華経を説いたのです。

喜見菩薩はよく精進し現一切色身三昧と呼ばれる力を得ました。それは精神の集中において生けとし生ける者が求める姿を自在に現すことができる力です。

喜見菩薩は大いに歓喜し「この力は法華経を聞くことによって得た力である。今こそ如来と法華経を讃えて供養しよう」と思いました。それで菩薩は香油で身体を浄めて自らの身体に火をつけました

光明遍照八十億恒河沙世界(こうみょうへんしょう・・・ごうがしゃせかい)、その灯明は八十億のガンジスの砂に等しい世界を照らしたのです。

喜見菩薩はその日が燃えつきて命を終えた後、再び日月浄明徳如来の国に生まれさらに仏に供養しました。

そして菩薩は如来から阿耨多羅三藐三菩提(無上の悟り)の法を任せられ、幾千もの塔を建立しました。

この一切衆生喜見菩薩は他の誰でもありません。今の薬王菩薩なのです。

この法華経は川や湖などの水界の中で第一なのは海であるように、諸経の中で最も深く大事なものです。山々の中で須弥山(古代インドの世界観の中で中心にそびえる山)が第一であるように、この法華経も最も高くそびえるものです。仏が諸方の王であるように、この経もまた王なのです。この経は人々のあらゆる苦悩から離れさせます。渇きに苦しむ人が清らかな池に出会ったかのように。

その恵みは寒さに凍える人が火を得たかのようです。裸の人が衣服を得たかのように、商人たちが隊商の導き手を得たかのように、母を失った子が母を得たかのように、渡りに船を得たかのように、病人が医師を得たかのように、暗闇に灯火を得たかのように、貧しい人が宝を得たかのように、亡国の民が王を得たかのように、貿易の商人が海を得たかのように・・・

この法華経はかがり火が暗闇を除くように、全て命ある者(衆生)そして一切の苦、一切の病痛を離れさしめ生死の束縛から解き放ちます。

もしこの経を聞くことを得て自ら書写し、あるいは他の人にも書写せしめるならば、その功徳の大きさは仏の知恵をもっても量ることができないほど限りのないものです。この経巻を書写して花・香・瓔珞・幡蓋(ばんがい)・様々な灯明などをもって供養するならば、その功徳もまた無量です。

私の滅後、後の500年の悪世にあっても、この薬王菩薩本事品を聞き説かれているとおりに修行するならば、その人の命の終わる時には極楽の阿弥陀仏のもとに行き蓮華の法座の上に生まれるでしょう。

この薬王品を広めて私の滅後、後の500年にこの地上において悪魔と魔の民を断絶し、悪神・悪龍・悪霊等に襲来の時を与えずにいなさい。なぜならこの経は人々の心身の病の良薬なのです。もしこの経を聞くことができれば苦痛はただちに消滅するでしょう。

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