2019年11月19日
合掌・礼拝するということ
「常不軽菩薩品第二十」より
常不軽菩薩は、どんな地位や身分の人にでも全てに仏がいると述べていますが、そのことを信じない者がその菩薩に悪口を言い、棒で殴打したり石を投げつけたりしてきました。ですが、それらに決して腹を立てることなく「あなた自身も必ず仏になれる」と合掌・礼拝し続けました。
このように全ての人に敬いの気持ちを表し続けたことが悩み苦しむ人々を利他の心で救う人という意味でありそれ以来「常不軽菩薩」と呼ばれるようになりました。
人だけでなく動物や草木、大地にも命があり
その「命」を大昔から脈々と「全ての命をつないできたもの」と受け止め、そのことに「ありがたい」と敬い感謝の思いを込めて手を合わせることが真の「合掌する」ということです。
食事のときの「いただきます」は命に感謝し敬う心を表した合掌の姿です。お寺だけでなく家庭や様々な場面で合掌し礼拝するということは、それら全てに感謝するという意味が込められています。
この世の全ての命を尊いと受け止め、感謝の気持ちを込めて合掌する。その心が仏に成る。仏と向き合うということなのです。
常不軽菩薩は、どんな地位や身分の人にでも全てに仏がいると述べていますが、そのことを信じない者がその菩薩に悪口を言い、棒で殴打したり石を投げつけたりしてきました。ですが、それらに決して腹を立てることなく「あなた自身も必ず仏になれる」と合掌・礼拝し続けました。
このように全ての人に敬いの気持ちを表し続けたことが悩み苦しむ人々を利他の心で救う人という意味でありそれ以来「常不軽菩薩」と呼ばれるようになりました。
人だけでなく動物や草木、大地にも命があり
その「命」を大昔から脈々と「全ての命をつないできたもの」と受け止め、そのことに「ありがたい」と敬い感謝の思いを込めて手を合わせることが真の「合掌する」ということです。
食事のときの「いただきます」は命に感謝し敬う心を表した合掌の姿です。お寺だけでなく家庭や様々な場面で合掌し礼拝するということは、それら全てに感謝するという意味が込められています。
この世の全ての命を尊いと受け止め、感謝の気持ちを込めて合掌する。その心が仏に成る。仏と向き合うということなのです。
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