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2019年04月22日
妙法蓮華経(本編)その1
序品第一
このように私は聞いております。そのときお釈迦様は霊峰・霊鷲山におられました。
そこには摩訶迦葉(まかかしょう)、舎利弗などの徳高いお弟子さんたち一万二千、
文殊、弥勒、観音などの菩薩八万と天、龍、夜叉、阿修羅などの神々と精霊たち、
僧、僧尼と優婆塞・優婆夷(うばそく・うばい)と呼ばれる男女の信徒も数多く参集し、王、家臣、人民たち
も参加しておりました。
この山の上での集会でお釈迦様大乗経の無量義経を説かれた後に深い瞑想に入りました。。。
そして意識を取り戻すと眉間の白い巻き毛から光を放って色々な世界をくっきりと浮かび上がらせました。
下は深い地獄の底から上は至高の展開に至るまで生死流転の六道の世界や諸仏の国の様子が曇りなく照らし出
されたのでございます。
そのとき弥勒菩薩が「お釈迦様はなぜこの不可思議世界を現されたのであろう?」と文殊菩薩に問い、
文殊菩薩は次のように答えました。。。
お釈迦様は今、大いなる法を説かれようとしているのでしょう。。過去の世に私は多くの仏のもとにあって同じ兆しを見たのです。
あれは日月燈明という仏の世のことでした。かの仏は修行を求める者には四諦(苦・集・滅・道)の法を説きました。仏の教えに寄らない者、すなわち縁の法則によって道を行く縁覚の修行者には十二因縁の法を示しました。また、菩薩の道をゆく求法者たちには布施、持戒、忍辱、精進、禅定、知恵の六波羅蜜(悟りの世界へ至ること)を説きました。そして大乗経の無量義を説いて三昧(瞑想)に入り、その後眉間から光を放って無数の世界を照らし出されたのです。今、お釈迦様が光明を放たれたのもそれと同じ吉兆です。
お釈迦様は妙法蓮華(大乗の正しい教えの白蓮)経菩薩法(菩薩を導く教え)仏所護念(諸仏に護念せられた経典)という名の経を人々に示されるのです。
文殊菩薩は、このように過去の世の出来事を告げ、今は一心にお釈迦様に礼拝して待つようにと語りました。
お釈迦様の光明は、これから真実の教えを告げるためです。
今、法の雨を降らせ道を求める者の心を満たされるでしょう。
このように私は聞いております。そのときお釈迦様は霊峰・霊鷲山におられました。
そこには摩訶迦葉(まかかしょう)、舎利弗などの徳高いお弟子さんたち一万二千、
文殊、弥勒、観音などの菩薩八万と天、龍、夜叉、阿修羅などの神々と精霊たち、
僧、僧尼と優婆塞・優婆夷(うばそく・うばい)と呼ばれる男女の信徒も数多く参集し、王、家臣、人民たち
も参加しておりました。
この山の上での集会でお釈迦様大乗経の無量義経を説かれた後に深い瞑想に入りました。。。
そして意識を取り戻すと眉間の白い巻き毛から光を放って色々な世界をくっきりと浮かび上がらせました。
下は深い地獄の底から上は至高の展開に至るまで生死流転の六道の世界や諸仏の国の様子が曇りなく照らし出
されたのでございます。
そのとき弥勒菩薩が「お釈迦様はなぜこの不可思議世界を現されたのであろう?」と文殊菩薩に問い、
文殊菩薩は次のように答えました。。。
お釈迦様は今、大いなる法を説かれようとしているのでしょう。。過去の世に私は多くの仏のもとにあって同じ兆しを見たのです。
あれは日月燈明という仏の世のことでした。かの仏は修行を求める者には四諦(苦・集・滅・道)の法を説きました。仏の教えに寄らない者、すなわち縁の法則によって道を行く縁覚の修行者には十二因縁の法を示しました。また、菩薩の道をゆく求法者たちには布施、持戒、忍辱、精進、禅定、知恵の六波羅蜜(悟りの世界へ至ること)を説きました。そして大乗経の無量義を説いて三昧(瞑想)に入り、その後眉間から光を放って無数の世界を照らし出されたのです。今、お釈迦様が光明を放たれたのもそれと同じ吉兆です。
お釈迦様は妙法蓮華(大乗の正しい教えの白蓮)経菩薩法(菩薩を導く教え)仏所護念(諸仏に護念せられた経典)という名の経を人々に示されるのです。
文殊菩薩は、このように過去の世の出来事を告げ、今は一心にお釈迦様に礼拝して待つようにと語りました。
お釈迦様の光明は、これから真実の教えを告げるためです。
今、法の雨を降らせ道を求める者の心を満たされるでしょう。
2019年04月16日
無量義経(プロローグ)その2
十功徳品第三
お釈迦様は「この経は諸仏の室宅の中から来て、一切衆生衆生の発菩提心(悟りを求める心)に至り菩薩の
行いの中にとどまる」と説かれました。そしてこの経には十の不思議な功徳の力があると説かれたのです
これが第一の不思議の力です
第二にはこの経を聞く人(読む人)は一つの言葉だけでも百千億の義に通用します
第三は生死に怖れる思いがなくなります
第四にはこの経の持経者は多くの菩薩の道をゆく子を生み出します
第五には大乗無量義経を持すならば、たとえ煩悩に縛られて凡夫(ふつうの人たち)のままであっても大菩薩の道を示現し人々を歓喜し信伏させます
第六にはこの経典を受持し読誦すれば生死の世界を離れて一切の苦を断ずることができます
第七には菩薩の道の六波羅蜜(布施・持戒・忍辱、精進、禅定、知恵)の修行ができていなくてもその徳を自然にそなえます
第八には経の威力によって信心をおこし道を得ることができます。その身のままで菩薩の眷属となり、この世界を仏の国のように浄めることができます
第九には一切の衆生の苦を救済してことごとく脱け出すことができます
第十にはこの経典を自ら受持し読誦し書写し供養し、説法のごとく修行して広く在家、出家の人々に勧めて幾人でもこの経を修行せしむるならば経の力のゆえにその身のままで無量の陀羅尼門(威力ある霊句の法門)に通じて無量の弘誓大願をおこし、大悲を成就して広く人びとの苦を抜き一切衆生を利益します。法の水は大いに枯渇を潤し、法の薬を衆生に施して一切を安楽ならしめ法雲の地に住します。そしてその人は最も優れた正しい知恵を得ることができます。
善き人々に告げます。これらが十の不思議な功徳の力です。
あなたたちはこの経に深く敬心を起こして昼夜守護し人々に法の利益を得させなさい。それがあなた方の大いなる慈悲です。そして、私の滅後の未来の世において必ず娑婆世界に広めて一切衆生をして見聞、読誦、書写し供養することを得させなさい。
その時、大荘厳菩薩と八方の菩薩は「我ら敬んで仏の命を受け、広くこの経典を流布せしめ、あますことなく一切に受持、読誦、書写、供養させます」と誓いを立てました。
お釈迦様は、大いに喜び「あなた方は仏の子であり大いなる慈悲をもって苦を抜き厄を祓う者たちである。
一切衆生の幸福を育てる田畑であり、良き伝道師であり、常に法利をもって広く一切に施す者である」と述べられたのでございます。
お釈迦様は「この経は諸仏の室宅の中から来て、一切衆生衆生の発菩提心(悟りを求める心)に至り菩薩の
行いの中にとどまる」と説かれました。そしてこの経には十の不思議な功徳の力があると説かれたのです
- 慈と仁なき者には慈悲の心を
- 殺戮を好む者には大悲(仏・菩薩が衆生の苦しみを救おうとする広大な慈悲心、仏・菩薩が衆生に恵みを与え衆生の苦しみを救おうとする広大無辺の慈悲)の心を
- 嫉妬を生ずる者には随喜(他人の善行を見て歓喜の心を生じること)の心を
- 欲望に執着する者には能捨の心を
- 慳貪の者(ケチな者)には布施の心を
- 驕慢(おごり)高ぶる者には持戒(戒律を堅く守る)の心を
- 怒りっぽい者には忍耐の心を
- 怠け癖がある者には精進の心を
- 落ちつかない者には禅定(精神を一点に集中させ雑念を退けること)の心を
- 愚痴・煩悩多き者には知恵・除滅の心を
これが第一の不思議の力です
第二にはこの経を聞く人(読む人)は一つの言葉だけでも百千億の義に通用します
第三は生死に怖れる思いがなくなります
第四にはこの経の持経者は多くの菩薩の道をゆく子を生み出します
第五には大乗無量義経を持すならば、たとえ煩悩に縛られて凡夫(ふつうの人たち)のままであっても大菩薩の道を示現し人々を歓喜し信伏させます
第六にはこの経典を受持し読誦すれば生死の世界を離れて一切の苦を断ずることができます
第七には菩薩の道の六波羅蜜(布施・持戒・忍辱、精進、禅定、知恵)の修行ができていなくてもその徳を自然にそなえます
第八には経の威力によって信心をおこし道を得ることができます。その身のままで菩薩の眷属となり、この世界を仏の国のように浄めることができます
第九には一切の衆生の苦を救済してことごとく脱け出すことができます
第十にはこの経典を自ら受持し読誦し書写し供養し、説法のごとく修行して広く在家、出家の人々に勧めて幾人でもこの経を修行せしむるならば経の力のゆえにその身のままで無量の陀羅尼門(威力ある霊句の法門)に通じて無量の弘誓大願をおこし、大悲を成就して広く人びとの苦を抜き一切衆生を利益します。法の水は大いに枯渇を潤し、法の薬を衆生に施して一切を安楽ならしめ法雲の地に住します。そしてその人は最も優れた正しい知恵を得ることができます。
善き人々に告げます。これらが十の不思議な功徳の力です。
あなたたちはこの経に深く敬心を起こして昼夜守護し人々に法の利益を得させなさい。それがあなた方の大いなる慈悲です。そして、私の滅後の未来の世において必ず娑婆世界に広めて一切衆生をして見聞、読誦、書写し供養することを得させなさい。
その時、大荘厳菩薩と八方の菩薩は「我ら敬んで仏の命を受け、広くこの経典を流布せしめ、あますことなく一切に受持、読誦、書写、供養させます」と誓いを立てました。
お釈迦様は、大いに喜び「あなた方は仏の子であり大いなる慈悲をもって苦を抜き厄を祓う者たちである。
一切衆生の幸福を育てる田畑であり、良き伝道師であり、常に法利をもって広く一切に施す者である」と述べられたのでございます。