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2019年12月12日
仏さまのプロフ〜釈迦如来・阿弥陀如来
如来とは
悟りを開いたもの。仏法や宇宙の真理そのもので仏の最高位。。。
その意味は、
「真理を悟った者」で仏教の開祖であるお釈迦様のみを指しました。そのお釈迦様が入滅された後、お釈迦様の説法を聞いた人々が集まって教えをまとめたのが諸々の経典ということになります。これらの経典の中から様々な如来が登場してきます。ここではこれらの中から代表的な如来のプロフィールとそのプロフィールなどをシリーズでご紹介していきましょう。
第一回の今回は釈迦如来です。
釈迦如来
釈迦如来は文字通り仏教の開祖にあたります。古代インドの小国の釈迦族の王子で妻や子供もいた実在の人物で釈迦如来とは彼が阿耨多羅三藐三菩提(最上の悟り)を得た姿を表しています。
お釈迦様は生まれてすぐ7歩歩いた後、天地を指さし「天上天下唯我独尊」と言われました。これは、一人一人が尊い命で聖なる命を生まれてきた。という意味です。
その後29歳で出家し、35歳で悟りを開き真理に目覚めることになり後に「仏陀(ブッダ)」「釈迦牟尼世尊(シャカムニセソン)」「釈尊(シャクソン)」などと呼ばれるようになりました。その後、お釈迦様は沙羅双樹の下で80歳で入滅したと伝えられています。
仏教の教えの中には如来の他、菩薩や天、明王といった様々な仏さまが登場してきます。
「仏さまのプロフ」ではそれらの代表的な仏さまを取り上げご紹介していきたいと思います。
阿弥陀如来
無限の寿命を持つことから無量寿如来
ともいいます。無限の智慧と命を持って人々を救い続けるとされており西方極楽浄土
の教主です。
阿弥陀三尊として聖観音と勢至菩薩と並ぶ姿が多いです。さらに、二十五菩薩を従え雲に乗って往生者を迎えにやって来るといわれております。
主なご利益は極楽往生・現世安穏で亥年・戌年生まれの守り本尊です。
悟りを開いたもの。仏法や宇宙の真理そのもので仏の最高位。。。
その意味は、
「真理を悟った者」で仏教の開祖であるお釈迦様のみを指しました。そのお釈迦様が入滅された後、お釈迦様の説法を聞いた人々が集まって教えをまとめたのが諸々の経典ということになります。これらの経典の中から様々な如来が登場してきます。ここではこれらの中から代表的な如来のプロフィールとそのプロフィールなどをシリーズでご紹介していきましょう。
第一回の今回は釈迦如来です。
釈迦如来
釈迦如来は文字通り仏教の開祖にあたります。古代インドの小国の釈迦族の王子で妻や子供もいた実在の人物で釈迦如来とは彼が阿耨多羅三藐三菩提(最上の悟り)を得た姿を表しています。
お釈迦様は生まれてすぐ7歩歩いた後、天地を指さし「天上天下唯我独尊」と言われました。これは、一人一人が尊い命で聖なる命を生まれてきた。という意味です。
その後29歳で出家し、35歳で悟りを開き真理に目覚めることになり後に「仏陀(ブッダ)」「釈迦牟尼世尊(シャカムニセソン)」「釈尊(シャクソン)」などと呼ばれるようになりました。その後、お釈迦様は沙羅双樹の下で80歳で入滅したと伝えられています。
仏教の教えの中には如来の他、菩薩や天、明王といった様々な仏さまが登場してきます。
「仏さまのプロフ」ではそれらの代表的な仏さまを取り上げご紹介していきたいと思います。
阿弥陀如来
無限の寿命を持つことから無量寿如来
ともいいます。無限の智慧と命を持って人々を救い続けるとされており西方極楽浄土
の教主です。
阿弥陀三尊として聖観音と勢至菩薩と並ぶ姿が多いです。さらに、二十五菩薩を従え雲に乗って往生者を迎えにやって来るといわれております。
主なご利益は極楽往生・現世安穏で亥年・戌年生まれの守り本尊です。
2019年12月01日
菩薩になるということ
「菩薩になる」とは?
俗に法華経を信じてたくさんの人にお釈迦様の教えを広めること。他人の苦しみを自分の苦しみとして受け止め、世の中の役に立ちたいと願いそれを実行することです。
その菩薩になるための修行では心がけるべき六つの修行があります。これを「六波羅蜜」といいます。
1.布施
世のため人のために力を尽くすことで布施には三つの種類があり、すなわち金銭や品物を他人に施す「財施」、他人の悩みや苦しみを無くし安心を与える「無畏施」、仏様の教えを他人に伝える「法施」があります。
2.持戒
仏の戒めを守り正しい生活をして自分を向上させていくことですが、だからといって自分自身を束縛するものではありません。欲望という苦しみに囚われず日々の暮らしを豊かなものにするという意味があります
3.忍辱
どんな苦しみにも耐え忍びおごり高ぶらない穏やかな心をもつこと。人から悪口を言われたり誹謗中傷されるたびにいちいち腹をたてず怒りをこらえる菩薩になるための修行
4.精進
「精」とは混じりっけがなく純粋な・・・という意味ですです。自分の目指すべき場所と向き合い目標に向かってひたむきに進むこと自体もまた菩薩になるための修行なのです。
5.禅定
禅定(ぜんじょう)は迷いのない落ちついた心で精神集中をする修行です。静かな心、不動の心を常に禅の心を持つこと、どんなときも落ちついて動揺しない定の心を常に持ち続ける修行のこと
6.智慧
普段私たちが使用している「知恵」は損得の区別を表しているのに対し経典に記されている「智慧」は善悪の区別を表しています。悪を知り愚かなことはせず正しく生きることも菩薩になるための修行なのです。
ただ、自分だけが菩薩になって救われるのではなく他人の幸せのために修行する「慈悲喜捨の行」
も必要です。この世に生きている全てのものを思いやる「慈悲」の心と他人の幸福を自分自身も喜び
人を差別する心を捨てる
修行をいいます。
俗に法華経を信じてたくさんの人にお釈迦様の教えを広めること。他人の苦しみを自分の苦しみとして受け止め、世の中の役に立ちたいと願いそれを実行することです。
その菩薩になるための修行では心がけるべき六つの修行があります。これを「六波羅蜜」といいます。
1.布施
世のため人のために力を尽くすことで布施には三つの種類があり、すなわち金銭や品物を他人に施す「財施」、他人の悩みや苦しみを無くし安心を与える「無畏施」、仏様の教えを他人に伝える「法施」があります。
2.持戒
仏の戒めを守り正しい生活をして自分を向上させていくことですが、だからといって自分自身を束縛するものではありません。欲望という苦しみに囚われず日々の暮らしを豊かなものにするという意味があります
3.忍辱
どんな苦しみにも耐え忍びおごり高ぶらない穏やかな心をもつこと。人から悪口を言われたり誹謗中傷されるたびにいちいち腹をたてず怒りをこらえる菩薩になるための修行
4.精進
「精」とは混じりっけがなく純粋な・・・という意味ですです。自分の目指すべき場所と向き合い目標に向かってひたむきに進むこと自体もまた菩薩になるための修行なのです。
5.禅定
禅定(ぜんじょう)は迷いのない落ちついた心で精神集中をする修行です。静かな心、不動の心を常に禅の心を持つこと、どんなときも落ちついて動揺しない定の心を常に持ち続ける修行のこと
6.智慧
普段私たちが使用している「知恵」は損得の区別を表しているのに対し経典に記されている「智慧」は善悪の区別を表しています。悪を知り愚かなことはせず正しく生きることも菩薩になるための修行なのです。
ただ、自分だけが菩薩になって救われるのではなく他人の幸せのために修行する「慈悲喜捨の行」
も必要です。この世に生きている全てのものを思いやる「慈悲」の心と他人の幸福を自分自身も喜び
人を差別する心を捨てる
修行をいいます。