石原プロの後半を支えたのが渡哲也だ。
「大都会」「西部警察」という痛快な娯楽作品をテレビドラマで提供した昭和のスター。
全てが懐かしい。
昭和の時代の終わりを感じさせる死だ。
とはいえ、病気がなければ78歳という年齢では亡くならなかっただろう。
また、実際には新型コロナウイルスによる肺炎であることは言うまでもない。
Yahoo!より、
渡哲也さんが死去 78歳肺炎で 故石原裕次郎さんと石原プロを支えた昭和の大俳優
8/14(金) 19:24配信
スポーツ報知
https://news.yahoo.co.jp/articles/6cec2baa1daa4562681e9c3bf07f8e4c25527a95
記事より、
呼吸器疾患で療養中だった俳優の渡哲也さんが8月10日午後6時30分に肺炎のため死去した。78歳だった。所属事務所の石原プロモーションが14日、発表した。昭和の大スターがまた1人、息を引き取った。
1941年12月28日、島根県安来町(現・安来市)で生まれ、兵庫県淡路町で育った。高校卒業後に上京し、進学した青山学院大では空手道部に在籍した。
もともとは航空整備士を志望していたが、故・石原裕次郎さんに憧れ、一目会いたいと訪れた日活撮影所でスカウトされ、64年に日活入社。翌65年に映画「あばれ騎士道」で主演デビューを飾った。初対面の石原さんにあいさつをした時、握手とともに激励の言葉をもらったことに感動。後に自らも後輩たちに対して同じように振る舞うようになった。
68年に第1作が公開された「無頼」シリーズは最初の代表作となったが、71年に日活を退社。石原さんを慕って石原プロモーションに入社した。
73年には歌手として「くちなしの花」を発表。約150万枚を売り上げる大ヒット曲となり、翌年のNHK紅白歌合戦にも出場した。
華々しい活躍の陰で、病と闘い続けた生涯でもあった。74年のNHK大河ドラマ「勝海舟」は肋膜炎のため途中降板。75年の映画「大脱獄」は高倉健さん、菅原文太さんとの共演が決まっていたが、渡さんの体調不良のため実現しなかった。91年には直腸がんも患った。
悪化していた石原プロの経営を立て直すため、76年からはテレビドラマにも本格進出。同年開始の主演作「大都会」シリーズ、79年オンエアスタートの「西部警察」はサングラスの似合うダンディーな姿が国民的な人気を呼んだ。
87年に石原さんが52歳の若さで死去した後、後継の社長に就任。2011年に退任するまで、弟分の舘ひろしとともに若手の「石原軍団」育成。2015年6月、急性心筋梗塞で緊急入院。約1か月後に退院、リハビリを続け、11月には仕事復帰を果たした。
渡さんが守ってきた石原プロは、2021年1月16日、設立の日に解散することが決まっている。
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image