全く反省の色がない。
「へたなことを言ったら、もう五輪でマラソンをやらなくていいと言われる恐れがあった」
などという根拠のない話を出して言い訳をするなどありえない話だ。
マラソンは、1896年の第1回アテネ大会からも行われてきた競技であり、マラソンで地元ギリシャの選手が優勝という歴史をもつ競技だ。
マラソンがかつてオリンピック競技から外されるなんて議論があったのか?
瀬古氏は説明をする必要がある。
デタラメな陸連というだけではないか?
Yahoo!より、
瀬古氏 五輪マラソン会場変更の不満ぶちまけスッキリ「サッポロラーメン食べにいく」
11/5(火) 21:03配信 東スポWeb
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191105-00000064-tospoweb-spo
記事より、
2020東京五輪のマラソン・競歩会場が札幌に決定したことを受け、日本陸上連盟の強化委員会が5日、都内で会見を開いた。
突然の開催地変更について、瀬古利彦マラソン強化戦略プロジェクトリーダー(63)は国際オリンピック委員会(IOC)による変更案が浮上した先月16日の午後7時ごろ、電車内でニュースを見た関係者から知らされたことを明かし「腰が抜けました。ドッキリカメラかと思った」と改めて驚きの心境を語った。
「東京でやるということが頭に刷り込まれている。急に札幌と言われても、なかなか頭の中が切り替えられない」と戸惑いの気持ちを吐露した瀬古氏だが、東京五輪出場の内定を決めた服部勇馬(25=トヨタ自動車)から「瀬古さんのようにモスクワ五輪(1980年)がボイコットになるわけではない。札幌の地でマラソンができる僕らは幸せです」と声をかけられ「涙が出ました」と感激したという。
「IOCの決定は絶対。我々は小さな存在だと思った」と言う瀬古氏は、当初はあらがう姿勢も考えたというが「へたなことを言ったら、もう五輪でマラソンをやらなくていいと言われる恐れがあった」といい、グッと我慢してこらえたという。
会見中は声を詰まらせるシーンもあったが、帰り間際には「言うだけ言ったので、もうスッキリした。気持ちは切り替わった。今からは前向きに札幌、札幌! これからサッポロラーメンを食べにいく」と、いつもの明るい表情に戻っていた。
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