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2017年11月27日

大和朝廷の謎(21)崇峻天皇

用明天皇崩御の後、蘇我氏と物部氏はついに戦闘状態となります。
蘇我馬子は穴穂部皇子を殺害し、多くの皇族を味方につけます。

しかし、物部氏も大和朝廷の軍事を預かる豪族なので当初は優位
に立ちました。

伝説では、厩戸皇子(聖徳太子)が四天王寺建立の誓いを立て、
物部守屋にようやく勝利したとなっています。

しかし、おかしいのは、この戦闘は、物部守屋の邸宅で決戦が
行われ、物部守屋も木に登り奮戦したが射殺され物部一族は滅
亡したとなっていることです。

もし、豪族同士の戦争であれば、戦場はもっと違った場所で、
しかも大規模なものになったのではないでしょうか?

つまり、物部氏はスキをつかれ、屋敷を包囲され、準備も何も
整わないまま殲滅されたということだと思われます。

物部守屋の墓は、今も大阪八尾市の住宅街の一角にあり、
近くの「大聖勝軍寺」(だいせいしょうぐんじ)で鎮魂され
ています。

戦後、物部氏の領地と奴隷は両分され、半分は蘇我馬子のも
のになりました。

そして、第32代崇峻天皇が即位しますが、実権のない傀儡
天皇にすぎませんでした。


posted by mydears at 09:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 大和朝廷
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