2017年11月26日
大和朝廷の謎(20)用明天皇
第31代用明天皇は、欽明天皇の子供、敏達(びだつ)天皇の弟、
崇峻天皇、推古天皇、穴穂部間人皇女、穴穂部皇子の兄にあたり
ます。
因みに、穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇女は用明天
皇、推古天皇は敏達天皇のお后でもあります(兄妹の結婚)
また、用明、推古の母親は、蘇我稲目の娘・堅塩媛(そが
のきたしひめ)です。崇峻、穴穂部間人皇女、穴穂部皇子
の母親は、同じく蘇我稲目の娘・小姉君(そがのおあねの
きみ)です。
第31代用明天皇は、第30代敏達天皇(敏達天皇は、全
方位外交を展開し、百済、新羅に加え高句麗とも国交を開
きました)の後を継いで天皇となられました。
これ以降、蘇我氏の権勢は絶対的なものとなったのです。
蘇我氏も代替わりし、蘇我馬子がその中心となっていまし
た。蘇我馬子が、まさに裏天皇として君臨していたのです。
用明天皇は、厩戸皇子(聖徳太子)の父親でもあります。聖徳太
子の実在性については、諸説ありますので、これは、後で触れます。
敏達天皇の葬儀中、穴穂部皇子が推古天皇の部屋に押し入りました
が、三輪君に制止されました。これを穴穂部皇子が逆恨みし、蘇我
馬子と物部守屋に三輪君を成敗するように命じました。
物部守屋は従いましたが、蘇我馬子は従いませんでした。
これを契機として、穴穂部・物部と推古・蘇我の対立の図式が出来
上がります。
崇峻天皇、推古天皇、穴穂部間人皇女、穴穂部皇子の兄にあたり
ます。
因みに、穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇女は用明天
皇、推古天皇は敏達天皇のお后でもあります(兄妹の結婚)
また、用明、推古の母親は、蘇我稲目の娘・堅塩媛(そが
のきたしひめ)です。崇峻、穴穂部間人皇女、穴穂部皇子
の母親は、同じく蘇我稲目の娘・小姉君(そがのおあねの
きみ)です。
第31代用明天皇は、第30代敏達天皇(敏達天皇は、全
方位外交を展開し、百済、新羅に加え高句麗とも国交を開
きました)の後を継いで天皇となられました。
これ以降、蘇我氏の権勢は絶対的なものとなったのです。
蘇我氏も代替わりし、蘇我馬子がその中心となっていまし
た。蘇我馬子が、まさに裏天皇として君臨していたのです。
用明天皇は、厩戸皇子(聖徳太子)の父親でもあります。聖徳太
子の実在性については、諸説ありますので、これは、後で触れます。
敏達天皇の葬儀中、穴穂部皇子が推古天皇の部屋に押し入りました
が、三輪君に制止されました。これを穴穂部皇子が逆恨みし、蘇我
馬子と物部守屋に三輪君を成敗するように命じました。
物部守屋は従いましたが、蘇我馬子は従いませんでした。
これを契機として、穴穂部・物部と推古・蘇我の対立の図式が出来
上がります。
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