2017年11月25日
大和朝廷の謎(19)欽明天皇
継体天皇の後、大和朝廷は、しばらく落ち着きを見せていましたが、
第29代欽明天皇の時に、大事件が立て続けに起こります。
まず、欽明天皇と血縁関係を結んだ蘇我稲目により蘇我氏が台頭し、
大伴金村の権勢は衰え始めました。
また、新羅が任那地方を併合するという事件があり、大伴金村が継
体天皇の時に、百済へ任那4県を割譲したことを物部氏が糾弾し、
大伴金村は失脚してしまいます。
さらに、友好国の百済は、高句麗、新羅に押されっぱなしで、大和
朝廷が企図する任那の失地回復は進みませんでした。
これに加え、崇仏派の蘇我稲目と廃仏派の物部尾輿・中臣連鎌子と
の対立が激化していきました。
葛城氏滅亡に続き大伴氏も力を失い、いよいよ、最大のライバル、
蘇我氏と物部氏の両雄決戦は待ったなしの状態になってきました。
蘇我氏は、武内宿禰の子孫で、仏教および大陸文明を積極的に取
り入れた改革派。これに対し、物部氏は、饒速日命の子孫であり、
従来からの神道を重んじる守旧派でした。
第29代欽明天皇の時に、大事件が立て続けに起こります。
まず、欽明天皇と血縁関係を結んだ蘇我稲目により蘇我氏が台頭し、
大伴金村の権勢は衰え始めました。
また、新羅が任那地方を併合するという事件があり、大伴金村が継
体天皇の時に、百済へ任那4県を割譲したことを物部氏が糾弾し、
大伴金村は失脚してしまいます。
さらに、友好国の百済は、高句麗、新羅に押されっぱなしで、大和
朝廷が企図する任那の失地回復は進みませんでした。
これに加え、崇仏派の蘇我稲目と廃仏派の物部尾輿・中臣連鎌子と
の対立が激化していきました。
葛城氏滅亡に続き大伴氏も力を失い、いよいよ、最大のライバル、
蘇我氏と物部氏の両雄決戦は待ったなしの状態になってきました。
蘇我氏は、武内宿禰の子孫で、仏教および大陸文明を積極的に取
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従来からの神道を重んじる守旧派でした。
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